コロナ編
「人は見かけに依らない。」という言葉がある。果たして目の前にイエス・キリストが居たとして、あなたは分かるだろうか?そんな問い掛けを何千年も生きた化け猫の語り部によって明かされる。
神のみ心に従いなさい①
吾輩は猫である、いや猫の姿をしたバケ猫である。少し自虐的な言い方になったが、何千年も生きていればいい加減ウンザリしてくるものだ。
「神のみ心に従いなさい」
ハンドマイクを持った神父らしき、詰襟の男が駅の広場で通行人に説教している。
傍らに長い髪にボウボウの髭の如何にも浮浪者風の男が家財の段ボール箱の脇に据わっている。実は彼こそ永遠の愛を説くイエス・キリストその人だ。
キリスト本人も自分がイエス・キリストとは知らない。あの日ゴルゴダの丘で磔の刑を受け、その苦痛からか再生した後に記憶喪失となっていたからだ。
記憶が戻らないまま、いつからかホームレスを始めた。ずいぶん長い時をアルミ缶やら雑誌を駅のホームのゴミ箱から拾い集めている。
神のみ心に従いなさい②
昨今のニュースは新型ウイルスコロナの話しで持切りだ。若者は行き場を求めて街を徘徊している。大集会の禁止は出来ても彼等の行動を抑える事は誰も出来ないだろう。
記憶喪失のイエス・キリストがホームレスになった訳は彼の心に深く染みついた非所有と云う信念からだ。彼は我が身さえも自分の所有としない。病んだ時は病が癒えるのをただひたすら耐えて待つ。髪は伸ばし放題で髭も剃ったことがない。ただ爪だけはアルミ缶や雑誌を集める時に不自由しないように時々切りそろえている。
猫の私は彼の非所有のおかげで首輪で繋がれることも無く自由に行動し、何処にでも行ける。好きな時に寝て、腹が減ったら適当にゴミ箱を漁る。そして癒やされたい時に彼の段ボールの家に転がり込む。
今年は人類史でも大きな変化が起きるだろう。ライブ会場やカラオケさえも制限された恋人たちがすることはただ1つ。近年最高の出生率となり、老人が減少に転ずる。今までの少子高齢社会が終わりを告げることになる。
神のみ心に従いなさい③
後に新しいウイルスの影響はすべての産業に及び、革命的な技術革新をもたらした。
ひとつは無人化である。既に様々な工場にロボットが導入されていたが、AIに管理された製造、仕分け、配送までの工程に人手は必要としなくなっていた。あるいは人手が必要とされるのは遠隔操作による機器類、作業現場の重機操作などである。
人は、完全無菌化されたすべての施設、建物内で生活している。あるいは完全防護でなければ外出は出来ない。まるで人は訳の分からないうちに自由を何者かに奪われたようである。
「アンタ!場所取りしてもムダだよ。」
桜並木の特等席にブルーシートを拡げたイエス・キリストに通りすがりの婦人が諭すように言った。
神のみ心に従いなさい④
通行人から例年の花見が無いと言われたイエス・キリスト、仕方なく拡げたブルーシートを畳んで手提げ袋に入れた。手提げ袋は畳んだブルーシートがぴったり入るサイズで柄も洒落ているし、ポリエステルの袋などより余程高級感がある。
花見が無いとなれば、花見特需の場所取りや大量のアルミ缶も期待できない。イエス・キリストは自分が神の子と言われ、世界を救う為に磔の刑を受けたことも全く記憶していない。花見の宴が無くなることが今直面する最大事であり、この世の終わりにさえ思えた。
人は時に宇宙の深淵に心惹かれるが、目の前に差し迫った危機的な出来事が現れると爪の先ほどの小さな現実にも拘らず困惑する。記憶喪失のイエス・キリストも正にそれである。彼は心に一抹の不安を懐いた。
「神のみ心に従いなさい」
屋根の上に拡声機を備えたミニバンが大音量で彼の脇を走って行った。
神のみ心に従いなさい⑤
吾輩は化け猫である。何度も言うが、何千年も生きていい加減ウンザリしている猫である。
今日も繁華街を悠然と歩きながら、鮨店、小料理屋、高級割烹料理店を見回る。
最近、韓国料理店がやたら増えた気がする。私の舌は繊細かつ大胆に出来ている。つまり味にはウルサイ。第一に鮮度が大事、味付けは薄味で素材の旨味が噛むごとに口の中に拡がる、そんな料理しか食べない。
人生、いや猫だから猫生で私の最大の楽しみは食べること。その為の努力は惜しまないのが私の信念でもある。
角の牛丼屋を曲がったところにある高級割烹店の出物はどうかな。ゴミ箱を見れば客足がわかる。
無い!いつもの高級魚が無い!
まあ仕方ない。次は魚料理が美味いと評判の大衆酒場だ。店の外に風除けの透明ビニールシートで囲っているので客の入りがひと目でわかる。さすが人気の、、エッ!金曜日にも拘らず席はガラガラに空いている。やむを得ず空腹のままイエス・キリストの家に帰る。
神のみ心に従いなさい⑥
イエス・キリストの彼がホームレスになったのは十年前になる 。
突然この街にやって来た時は何処で手に入れたのか、パンやワインをホームレス仲間に振る舞っていた。元々、彼の生れは裕福で資産家の両親に愛情たっぷりに育てられたが、お人好しが祟り、妻には資産を慰謝料の名目で半分奪われ、養育費がかかると残りの半分を引き渡すことになった。
彼がイエス・キリストたる所以は、何事にも逆らうことがない。あるがままに生きていることだ。以前の丸々とふくよかな頃に比べ、ホームレスになってから、痩せるほどに顔の輪郭や全身の風貌が彼本来の姿に似てきている。
少し髪を切りそろえ髭も幾らか整え、イバラの王冠を被れば誰でも彼がイエス・キリストだと気付くはずだ。
しかし、喪失した記憶が戻るにはまだしばらく時間がかかるだろう。あのゴルゴダの丘でハリツケの刑がいかに残酷な体験であったか、もしもたった今、彼が思い出したらショック死まちがいない。
神のみ心に従いなさい⑦
化け猫の私は、彼の、イエス・キリストの住む段ボールの家に戻ったが中は空っぽだった。恐らく公園の炊き出しに行ったに違いない。彼の仲間と順番待ちの列を作っているのだろう。
彼にとって段ボールの家は快適なようだ。夏の昼間は多少暑いが夜になれば涼しい風が通り抜ける。冬は段ボールを重ねて隙間風を防ぐ。そして何より空が近い。この開放感は何物にも替えがたいと思い始めている。
神のみ心に従いなさい⑧
生まれ変わったイエス・キリストについてもう少し話しておくことにする。
彼には妙な癖がある。ひとつは何でも分け与える癖。ふたつ目は鷹揚にも見える尊大な態度。本人は気づいていない口癖「ほう、それで」である。
ホームレス仲間の老人が訪ねてきた。「村主さん、いるかい」。段ボール箱から顔を出した村主こと、イエス・キリストに矢継ぎ早に話し掛けた。
「今日も仕事がなくて参ったよ。」
「ほう、それで」
「どうもコロナとか何とかが流行って、缶ビールも飲み残しは呑んじゃいけないらしい。」
イエス・キリストは深くため息をしてから「ほう、」少し間を開け「それで、」と口癖の相槌を打った。すると老人は険しい顔で「このままだと世の中回っていかない。何とかしないと。」
この老人は何を隠そう孔子の生まれかわりなのだが、何故彼がホームレスをやっているのか何れ分かるとして。私のように長いこと生きていればひと目で誰が何者で、何処で何をしていたかなど手に取るように分かるのだ。
神のみ心に従いなさい⑨
当人同士は互いに村主さん、先生と呼び合う。先生は以前、大学の教授をしていた。彼の持論は「日本人が外国人より優れているのは、日本語が優れているからだ。」というもの。彼の専攻は言語学で時々ヘブライ語から世界各国の言語まで口にする。
ある日、カザフ族に成りきって「Сәлем Ауыл иесі」(村主さんいるかい)などと言って村主を訪問する。彼がなぜここにホームレスとして居るか分かったと思うが、言語が堪能すぎて世間の一般人から隔絶していたからだ。
村主は「Oui professeur」(はい先生)と答え、口癖の「Alors」(それで?)と時々相槌を打つ。傍から見ると滑稽だが、本人達は至って真剣だ。村主のフランス語は大使館勤めの父親の赴任先がフランスで、生まれてから15歳まで過ごした。つまり彼は帰国子女である。育ちの良さはフランス仕込みということになる。
初めてここに来たとき、ホームレスに仲間入りの挨拶まわりでパンやワインを配っていたのもそうした由縁からだ。決して「最後の晩餐」を気取った訳では無い。
神のみ心に従いなさい⑩
吾輩は猫である。化け猫である。数千年に渡り生まれ変わりを繰り返す私が前世で何をしていたか冒頭の文脈から誰でも分かるだろう。(答 夏目漱石)
しかし、猫である私の名前はバーバラという血統書付きのペルシャ猫である。ペットショップで私を手に入れた若い女は、家に帰ってから血統書を見て「オスなのに変な名前、マジウケルー!」と奇声を上げていた。今は汚れてかろうじてペルシャ猫と分かるが、トリミングすればフンワリと見違えるように美しく仕上がるだろう。
その女に飼われてしばらくマンションに住んでいたが、ある日突然女は荷物をまとめて消えた。つまり私を捨てたということだ。その後ホームレスのおじいさんに拾われて養われていたが、おじいさんは私の名前を「ミーや」と呼んで可愛がってくれた。去年そのおじいさんも亡くなり、今はイエス・キリストの段ボール箱にもぐり込んで雨露をしのいでいる。
私は自分のことを数千年生きた化け猫と言っているが、正確に言うと「数千年の記憶を持った生身の猫」と言うべきだろうか。
神のみ心に従いなさい⑪
Hai Suguri! (村主さん居るかい?)いつもの様に先生が段ボール箱に向かって声をかける。今日はふたり連れだ。返事が無いので「どこぞに出掛けたか」と言うと仕方ない様子で、段ボールの上で丸まった私の頭を撫で帰って行った。連れも先生と呼んでいるが理由がある。彼は某大学の学長まで昇り詰めたが、数年前に引退している。つまり先生は本当の先生なのだ。先生の目にただならぬ緊張がみえる。今日は大学の附属病院で新型ウイルスの対策を話し合う為、しばらく村主とは会えなくなる。そこで挨拶に寄ったということだ。
夕方になり、吾輩も運動がてら街に出かけることにした。今までは繁華街の人気店なら人の出入りが朝まで途切れることは無い。ところがここ数日バッタリと人通りが絶えている。
神のみ心に従いなさい⑫
数日後、大学の附属病院から帰った先生。さっそく村主を訪ねる。高熱にうなされる村主を附属病院に連れ帰り検査をする。結果は陽性で悪くすれば死ぬことも考え得る状態だった。
村主は高熱に魘されながら夢を見た。母の胸に懐かれていると、父親が覗き込んで微笑む。青年となってからは無数の言葉が溢れ出て多くの人にいかに生きるべきかを説いている。一転、両の手足に激痛が走る。するとある思いが蘇る。「父なる神は私を見捨てたのか」「私は神の子ではなかったのか」その問に神は無言で答えた。
村主は自分がイエス・キリストであったことを思い出した。「神のみ心に従いなさい。」天使ガブリエルの声が今ハッキリと甦った。
村主の熱は下がり、峠を越えた様である。先生は抗ウィルス薬が効いたと喜ぶ。新型ウイルスのワクチンが出来れば完全にウイルスを封じ込めることが出来るのだが、完成まではまだ一年はかかるだろうと予測した。
神のみ心に従いなさい⑬
村主は病院から元の彼の住まいに戻った。そして新型ウイルス「コロナ」が神のみ心のままに遣わされた試練であり、克服した暁には神の祝福となることを仲間に伝えた。
彼の言葉は瞬く間に世界に拡がり、ローマ法王と司祭達は日本を目指した。日本が世界中の注目を集めたことは言うまでもない。翌年、多くの犠牲と痛みが伴ったが無事オリンピックが開催された。
さらに喜ばしいことに2021年はベビーブームでもあった。危機的状況になると生命は種の保存を図る様に出来ているようだ。 2021年を境に高齢化による国家存亡の危機にあった日本は救われたのである。
今、村主ことイエス・キリストの記憶が蘇り、彼によって新たな希望がもたらされた。
記憶は一生に1つというのが一般的だが、稀に幾つもの生きた記憶を思い出す者もいる。最多はゴータマシッタルタだろう。彼は菩提樹の下で瞑想によって宇宙の深淵を覗き、自分が無数の生まれ変わりであることを悟った。
神のみ心に従いなさい⑭
記憶は常にそこにある。何かのきっかけで現れ消えるが、私の記憶は生まれ変わっても常に私の中にある。故にいい加減ウンザリしていると自虐的に言うことは、「知る者」に赦された本音かも知れない。
吾輩がキレイに畳まれたイエス・キリストの段ボール箱の上で昼寝を決めこんでいると、孔子先生が「村主さん、見かけないね」と私の頭を撫で帰って行った。
コロナ編完
タイトル「神のみ心」と「イエス・キリスト」が登場したことから宗教的な話と思われたかも知れない。しかし、化け猫が語った様に記憶こそが生きた証であり、記憶が無ければ永遠の過去を知らない。人は産道を通る時すべてを忘れるという。主人公のように「いい加減ウンザリ」して生きるより、過去を忘れ新鮮な生を得たほうが幸せではないだろうか。(ちなみに、「うんざり(空き空き)」と「キリスト」を夏目漱石の草枕で発見!偶然の一致に驚き、主人公の猫が夏目漱石本人かも知れないと本当に思った。)