咖喱転生 - 本当の僕は辛い -
僕の名前は雁屋 華麗。
カレーをこよなく愛するブサメンニートのナイスガイ(26)だ。
僕は毎日カレーを食べて生き抜いた。
26年、年中無休でカレーだ。
代々、我が家はカレーしか食べてはいけないという家訓があるからね。だから僕の両親もカレーしか食べないし、カレー以外のものを食べると死んじゃうかもしれない。
――いや、実のところ、そんな家訓はない。
ふふっ、ちょっと騙されちゃったかな?
でも家訓を後世に残したいと思うほど、僕はカレーが好きだ。
カレーの素晴らしさを後世に伝えていくために、このブサメンと一世一代の大仕事を果たしてくれるカレー好きの嫁が何処かから転がり込んでこないかね。
なんて、そんなうまい話はないか。
ははっ。
「イラッシャイマセー。1名様デスネー」
そんな事を考えながら今日も行きつけのカレー家へランチに来た。
ブサメンニートの僕は平日の昼間にも関わらず、インド人らしき人物が経営してる店でのんびりランチ(ソロプレイ)さ。
奥のテーブルを囲ってる奥様たちも僕のご来店に驚いてる。
――あらやだ、あの子もしかしてニート?
――やぁねぇ、親の脛かじって平日の真っ昼間からカレー?
なんて幻聴が聴こえてくるぜ。
そりゃそうだろうね。
僕はこう見えて26だ。
普通ならバリバリの社畜。
フレッシュさでは先輩に負けませんと宣う時期も終わり、せっせと仕事を熟す時期のエネルギッシュナイスガイになるべくしてならなかったのだから。
奇異の目も向けるだろうさ。
そんな奥様方を後目にインド人らしき男に接客をかけられる。
「オ客サーン、今日はドウシマスカ?」
「今日はマトン!」
「ハーイ、マトンデー。辛サハ?」
辛さ?
おいおい、それを常連の僕に聞くなんて野暮ってもんじゃないか。辛さなんて最強の15辛に決まってんだろうが。
「最強の辛さをください」
「サイキョー? ウチは裏メニューで25辛ットがアリマース」
「25辛ット? ダイヤモンドかよ。じゃあそれで」
「ワカリマシータ。ナンおかわり自由デスカラネー」
ナンは最低3枚はいくぜ。
最低3枚だ。
最高で7枚食べたことがある。
あのインドカレー屋で出てくる特大ナンを3枚だぜ?
その時はどれだけルーを節約してナンを食べたと思ってやがるんだ。
もはやカレーを食べに来たというよりもナンをどれだけおかわりできるかに挑戦しにきたみたいな空気になって、僕も引くに引けなかったからその時の記憶はしっかり覚えている。
もう一度言うが、最高記録は7枚だ。
おかわりで次々出てくるナンをいかに素早く千切っていたかって所も採点して欲しいくらいだね。
ニートの僕でもナンの千切り方なら誰にも負けないのさ。口にちょっと収まりきらないけど頑張れば口に収まって頬張れるくらいの丁度いいサイズにナンをちぎることが出来るんだ……!
あの熱々のナンをな!
それが僕の異能力。
熱々のナンでもすぐに千切れる異能力だ。
勇者の力はこの手に宿っている。
くっ、鎮まれ、俺の中の邪竜!
「オ待タセシマシター」
きたー!
マトンカレー、キマシタワー!
マトンは臭みがある肉だ。でもカレーはそんな臭みも掻き消して、マトンのジューシーさだけを浮かび上がらせる魔法のスパイス。
カレーは凄い、本当に偉大。
ご家庭の味とか言うじゃん。
誰かのうちではカレーの具材にチクワが入ってるかもしれない。もしかしたら餃子とか。あるいはメンマとか。
それを痛烈に批判する連中が僕には信じられない……!
もう何でもいいのよ。
この千差万別、変幻自在っぷりがカレーの凄さなんだから!
いただきまーす!
ナンをちぎっては食い、ちぎっては食い……んっ!?
辛っれぇぇえ!
これが裏メニュー25辛ットの辛さ!
これまで食べたことない劇的な辛さが僕を襲う。
食べてる最中に舌の霊圧が消えたくらいだ。
た、たまらん。やみつきになる。
うへへ、うへへへへ。
「ママー、僕、一番甘口がいい」
「そうね、僕ちゃんには甘口がちょうどいいわね」
どうやらカレーに夢中になっているうちに親子一組の客が隣の席にきていたようだ。若いママさんに、子どもは3歳~7歳未満の年齢不詳のショタだ。
「聞き捨てなりませんね」
僕はその親子に突然話しかけてしまった。
25辛ットでハイになってたせいもある。
「奥さん、そりゃあかんですよ」
「え、なんですか?」
「カレーは本当は辛いんです! 辛いカレーじゃないとカレーじゃないんですよ!」
「な、何なの、この人!?」
突然の絡みを捌ききれないママさんは、少し腰を浮かせて逃げの姿勢を取った。
「ママー、この人怖いよー」
「そ、そうね。席を変えましょう」
年齢不詳ショタを引っ張って別テーブルにいこうとしている。
僕はそれを手で制した。
辛い……そう、カレーは辛いんだよ。
この辛さがたまらないんだよ!
カレーを甘口で食うなんて許さねぇ!
僕の目が黒いうちはな!
そして僕は素早くナンを千切り――このショタの頬の大きさ、膨れ具合、耐熱量を目測で計測しつつ、ショタにとって適切な、その実テキトーなナンの大きさを見極めながら千切り、25辛ットのマトンカレーを掬った。
「カレーは辛いんだよ! これでも喰らえェェ!」
「あびゃぁあああ!?」
年齢不詳ショタの口に25辛ットをぶち込む。
僕の舌の霊圧をも掻き消すほどのカレーだ。
ショタボーイもあまりの刺激にすぐに昇天さ。
「ちょっと、うちの子になんてことするんですか!」
「ん!? ママ、このカレー美味しいよっ」
「え……ほ、本当?」
「うん!」
ショタボーイは俺がぶち込んだナンカレー(25辛ット)を頬張って満面の笑みを浮かべた。目も逆三日月型になって何かに憑りつかれたようにカレーを堪能している。
そうか、気づいてくれたか。
カレーの良さに。
「オジちゃんありがとうっ! 僕もこれ食べたい!」
「おじちゃんじゃないが、カレーの良さを分かってくれて嬉しいよ」
「僕ちゃん、本当に大丈夫なの?」
「うん!」
「そ、そう……なんだかよく分からないけど、ありがとうございました」
そうして親子二人揃ってマトンカレー(25辛ット)を食べ、まんまと洗脳されてくれた。
気持ちがいい。
なんて気分が良いんだ。
カレーの良さに気づいてくれる人が増えるって幸せだ!
その後、親子二人と雑談しながらおニートの僕もソロプレイヤー脱却に至れた。
帰り際――。
「僕ちゃん、おじちゃんにバイバイは?」
「バイバイ、カレーおじちゃん。今日はカレーの美味しさを教えてくれてありがとう」
「うむ、日々精進するのじゃぞ。おじちゃんじゃないけど」
これからこのショタが歩むカレー道が目に浮かんだ。
僕は今宵、ひっそりと枕を涙で濡らすことだろう。
感動的な親子との遭遇だった。
店を出て道路を渡ろうとする親子に手を振り、そんな感傷に耽る。
――と、そのときだった。
一台のトラックがその親子のもとへ突っ込んできた。
運転手も慌ててブレーキを踏んでるようだが間に合わない。
僕はそのとき思った。
せっかくカレーの良さを伝えた子が、未来のカレー道を託したショタが、無惨に死ぬなんて事があってたまるか!
「うぉぉぉぉぉ!」
僕はその親子二人を突き飛ばして代わりにトラックに撥ねられた。
死んだ。
雁屋 華麗 26歳、カレーのために華麗に死亡。
こんなクッソさむいギャグを言わされるために死んだ感ある。
○
っていうテンプレで僕もついに転生します。
ようやく僕の出番か。
ついに内なる邪竜が目覚める時がきた。
「おお、雁屋よ。汝を導いたのはこの私です」
「女神様ですか。ブサメンニートを呼び出してくれてあざますー」
真っ暗な空間で神々しく光とともに舞い降りたのは純白の衣装に身を包んだ女神様だった。
「これから貴方を転生させます」
「わかりました。魔王退治ですか? それとも勇者狩りですか? あるいは無目的なセカンドライフ満喫パターンですか?」
「最近の転生者は飲み込みが早いですね……」
女神も困惑していた。
テンプレだって言ってんでしょうが。
「実はあなたを呼び出した理由は他でもない、貴方が類を見ないほどのカレー好きだからです」
「はい、カレーは大好きです」
「なので、貴方は来世でカレーになります」
「はい、わかりました。カレーに……え? カレー?」
「はい」
「カレーになるんですか?」
「そうです」
すぐ食われて終わるじゃないですか。
「勘違いなさらないでくださいね。カレーといっても貴方が転生するのは"カレー"という概念です」
「概念ですか」
「はい、つまりカレーという存在そのものになり、世界中のカレーと一心同体になります」
「マジですか」
「マジです」
え、最高じゃん。
雁谷 華麗 26歳。
念願のカレーに転生するでござるの巻。
「なんでカレーなんですか?」
「実は……」
女神は深く溜め息をつき、僕をカレーに転生させる理由について語り出した。
「貴方がこれから転生する世界では初めて"カレー"の概念が誕生します。しかし、その鍵を握る少女は辛味は苦手で、このままではカレー文化が退廃した世界になります。カレーが誕生しなかった世界では将来的にもカレー粉が完成せず、活用できたはずの資源が一つ消え去ります。その結果、最終的に人類は食糧難で滅亡する運命が待っています」
「ええっ、カレーで人類が滅亡!?」
「はい。そういう世界なので」
カレーが存在しない世界なんてそんな地獄絵図……味わいたくない。ネタ要素満載の転生のわりに意外と事態は深刻だった。
「貴方の使命は転生先の世界でカレーを普及させることです! そのためにカレーの良さをその少女に分かってもらってください」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょ、まっ、ちょまちょまちょま」
焦って引き留める。
そんな事は出来るわけがなかろう。
「何でしょう?」
「僕自身がカレーになって何が出来るんですか? 調理するのは人類ですよね? 僕は手も足も出ないじゃないですか」
「私は女神ですから貴方にチート能力を授けます」
「女神様もチートなんて言葉使うんですね」
「その方が分かり易いでしょう?」
「ええ、まあ」
女神も飲み込みが速かった!
「貴方には『味覚マイスター』の異能をプレゼントします」
「味覚マイスター?」
「カレーの味を自在に変えることができます」
「ちょっと待てや!」
「はい?」
女神にとぼけた顔で見返される。
「カレーの味を変えてしまったら本当のカレーの良さが伝わらないじゃないですか」
「しかし、これは人類存続をかけた戦いなのです。味に拘る必要はありません。とにかくあなたは鍵となる少女に振り向いてもらえるようなカレーの味を創ってください」
な、なんだって……。
振り向いてもらえるような味だと?
カレーは本来辛いんだ。
辛いから良いんだよ!
この女神なにも分かってねぇ!
「それじゃあ頑張ってください。世界の命運はあなたの手に!」
言いながら、女神は来たときと同じように神々しい光に包まれて昇天していった。
僕にもその直後に眩い光が降り注いだ。
新しい人生が始まる感がすごい。
○
そして僕はカレーに転生した。
カレーだ。
ぐつぐつぐつぐつと鍋で煮込まれているようだ。
目の前には少女がいた。
金髪碧眼の美少女だ。
なんかコックさんが着るようなエプロンと縦に長い帽子をかぶっていた。
その帽子はメチャクチャ縦に長い。
天井につきそうなほど長い。
いや、天井に着いている。
天井を擦るほどの長い帽子だ。
少女がふんふんと鼻歌を口遊んでリズムを取る度に帽子が上下して、擦られた天井から埃がパラパラと落ちてきやがる。
くそ、これじゃ世界初のカレーが台無しじゃねぇか!
「さて、異国から手に入れた新しいスパイスで鍋を創ってみたのはいいのだけど……これ、王宮の皆さんは満足して頂けますかね~……」
いや、それ以前にまず帽子を何とかしろ。
埃が鍋に入りまくって僕もなんだかムズムズしてきたぞ。
あ、ダメだこれ。
は、は、は、ハクショォォォイ!!
僕は盛大にクシャミした。
いや、人間じゃないからクシャミなんか出来ないけど、クシャミっぽい反動が起こった。
そしたら鍋がボカンと爆発した。
「ひぇ!?」
金髪美少女は驚いて目を瞬かせた。
「し、失敗ですね……アハハ……処分しましょう」
え……。
ちょっと待てや、お前。
まだ食べてもいないじゃないか!
僕を食べてくれよ!
世界初のカレーだよっ!
「ではジャジャーっと……」
少女は鍋の中身を流しに捨ててしまい、そのまま排水路に流されて僕は短いカレー人生を終えた。
それから少女は異国のスパイスを様々活用するべくしてキッチンで創作料理に勤しんだものの、結局カレーのカの字も理解することなく、数年の時が流れた。
世界にカレーが存在しないまま時代が進んでいく。
数千年後、カレーの存在しない世界の人類は僻みあい、争い合い、僕がいた世界ではノスタルジーの代表格ともされた「日暮れと夕食支度中の田舎のカレーの匂い」なんていう情景も思い浮かべることなく、冷静さを欠き、戦争を繰り返し、食糧難となり、非常食としてのカレーも存在しないためにすぐに他の食材も枯渇し、飢えに苦しんだ。
最終的に人類は滅亡した。
○
「失敗ですか……」
「はい」
「もう少し努力してくださいよ!」
女神に再度呼び出されて叱咤される。
「世界に誕生してたったの2分ですよ!? たったの2分で死ぬなんてどんなRTAですか!? どの異世界転生モノも最低でも主人公が窮地に陥るのは3歳から5歳の幼少期が相場でしょう!」
「そう言われても、口にされなかったら味覚マイスターの異能を活用するタイミングもないですしね。無理ゲーでした」
ブサメンには過ぎた力だった。
女神様は深い深い溜め息をついて僕に向き直った。
「仕方ありませんね……貴方にはもう一つチート能力を授けます」
「何をくれるんですか?」
「帽子の長さを変幻自在に変える能力です」
「それ一回しか活用の場面ないですよね!?」
僕のツッコミも無視されて女神様は天に祈るように手を絡みあわせた。それから光が降り注ぎ、僕に祝福めいた何かの光演出が施される。
ついに僕は『帽子の長さを変える力』を手に入れた。
「じゃあ今度こそお願いしますよっ」
「わかりました。頑張ります」
○
少女が鍋でカレーを造り始めた。
金髪碧眼の美少女だ。
コックさんが着るようなエプロンに長い長い帽子を被っている。
ちっ、あのコック帽のせいで人類は滅亡したんだ。
忌々しい。これでも喰らえ!
『帽子の長さを変える能力』発動!
すると、美少女が被る帽子がみょみょみょみょーんと縮んで、僕がいた世界で料理人が被ってた帽子と同じくらいの長さになった。
やっぱりアレが普通だ。
一体どんな帽子感覚してやがるんだ、この異世界住人は。
パリコレもびっくりだぜ
まぁ何はともあれ、これで埃をかぶることもない。
「さて、異国から手に入れた新しいスパイスで鍋を創ってみたのはいいのだけど……これ、王宮の皆さんは満足して頂けますかね~……」
少女は鼻歌を口遊みながら煮込み作業に移っていた。どうやらこの金髪碧眼の美少女は宮廷料理人か何からしい。
そしてしばらく僕を煮込み、少し掬い取る。
よし、ようやく口に入れてくれるぞ。
「あーん」
パクリと僕の一部は少女の口の中に入り、舌で捏ね繰り回されて味見された。
よし、今だ。
今こそカレーの良さを伝えるチャンスだ。
うぉぉ、『味覚マイスター』!
「うぇ!? 辛い!」
少女はあまりの辛さに悶絶している。
どうだ、これがカレーの辛さだ。
ふふ、カレーが何で美味いか知ってるかな?
カレーの具材には多分にトリプトファンが含まれている。牛肉とかジャガイモとか、オリジナルでキノコ、豆、卵とか、まぁカレーは何でも入れられるから栄養豊富になるのさ。そしてカレー自体もビタミンが豊富に含まれているから結果的に体内でトリプトファンがセロトニンに変換されやすくなる。セロトニンは神経伝達物質で緊張や焦燥、不安感などの気分に関与しているから、うつっぽい人はカレーを食べると気分が楽になれる。そう、幸せな気分になれる魔法の食べ物なんだ。だからカレーは美味い。やみつきになる。ハマる。世界を救う。ふふ、ふふふふふ――。
なんて言うのは、根 拠 の な い デ マ だ!
確証のない仮説さ。
いくらブサメンニートの僕でもカレーに関する情報では踊らされないぞ。理屈は通っても根拠のある論文もない。
まぁ何だっていいけどね。
カレーはとにかく美味いんだ。
だから食べて幸せになる。
理屈なんて知るか。
この辛さを伝えてやることがカレーの良さを知るきっかけになるはずなんだ。
「なんですか、これ……こんな辛い食べ物、王様にお出しできません。処分しましょう」
え、ちょっとちょっと!
「ではジャジャーっと……」
少女は鍋の中身を流しに捨ててしまい、そのまま排水路に流されて僕は短いカレー人生を終えた。
それから少女は異国のスパイスを活用する事もなく、王国が異国との戦争に勝利し、カレー粉の素になるはずだったスパイスは生産されなくなった。
カレー文化は衰退した。
そして世界にカレーが存在しないまま時代が進んでいく。
数千年後、カレーの存在しない世界の人類は僻みあい、争い合った。
僕がいた世界ではカレーと言えば全国のお母さんにとって利便性高い夕飯メニューとして評判が高く、一晩寝かせて食べれば美味しさ倍増というチート料理だったというのに、それが世間に知れ渡ることもなく、全国の主婦は疲弊し、夫婦仲が崩れ、家庭崩壊する家族が増え、人類はいがみ合い、戦争を繰り返し、食糧難となり、カレーで笑顔を取り戻すこともなく、飢えに苦しんだ。
最終的に人類は滅亡した。
○
「またですか……」
「さーせん」
また再三に渡る呼び出しを喰らい、僕は転生前の女神の玉座に現れた。
「今回もたったの5分ですよ!」
「善処しました」
「どこが善処ですか! いいですか、カレーを広めるためには味を変える工夫が必要です。ただ辛いだけでは親しまれません! そのせいであの世界の人類は滅亡するのです! 貴方はカレーを普及する事だけを考えてください」
そんな事言われてもカレーの良さは辛さにあるんだ。
「なんでそんな嫌そうな顔するんですか。貴方のいた日本でもカレーは甘口が親しまれてたでしょう」
「甘口は邪道です」
「いいえ、邪道ではありません! スーパーの陳列棚にあるカレールーを見れば一目瞭然です。カレールーは甘口か中辛ばかりが売れて、辛口はあまり回転率も良くなくてスーパーの店長も頭を抱えてますっ」
「そんなスーパーの事情知りませんよ」
「とにかく甘口路線で攻めてください! いいですね!」
もう女神様がやってくださいよって話だ。
僕はカレーをこよなく愛するナイスガイだが、カレーの甘口に関しては邪道だと思ってるくらいだ。何なら全世界のカレーの辛さを25辛ットにしてやりたいくらいだ。
女神様は苛々しながらまた僕を世界へ送り込み、転生させた。
○
また金髪碧眼美少女料理人が鍋を煮込んでいる。
僕はとりあえず『帽子の長さを変える能力』を駆使して少女の帽子を常識的な長さに変えた。そしてぐつぐつぐつぐつと煮込まれ、少女も味見のために僕を一口掬い上げる場面まできた。
どうするべきか。
カレーは辛いものなんだ。
甘く変えて食べられても、それは本当にカレーの良さを伝えたことにはならないんじゃないか?
でも人類が滅亡するなら、この世界のカレーは甘くなるべきなのだろうか。
僕の信条に反する……!
でもこれは世界のためなんだ。
そんな大義の前では、ブサメンのちっぽけな信条なんて……ちっぽけな信条なんて……。
ち、ちくしょう!
……『味覚マイスター』!
そして少女はパクリと僕を一口食べた。
舌が捏ね繰り回し、味をしっかりと吟味している。
「ふむふむふむ……あれ、思ったより甘くて美味しい!」
少女は甘口の僕を美味しいと評してそのままカレー創作に勤しんだ。
世界の法則は覆され、異国のスパイスは煮込むとタンパクが変質して糖化しやすくなり、甘さを増すという化学基盤がルールとして敷かれた。結果的にこの世界のカレーは日本の甘口カレーのような味になり、人に親しまれやすい料理となった。
「陛下、私が腕によりを掛けて創った、異国の香辛料を混ぜて作ったスープです。いかがですか」
僕はそのまま王様の面前に晒されて吟味された。
煌びやかな宮殿だ。
王様もピエール系の口髭を生やしてそれを撫でながら世界初の"カレー"を眺めて関心を示している。そして銀製食器で一掬いし、僕の一部を取る。
そしてピエール系口髭携える口元へあてがわれ、僕は王様の口に入った。
「おお……これは素晴らしい」
「やった!」
「米と一緒に食べるともっといいのではないか?」
「そ、そうですね! 仰る通り、お米が合うかと存じます!」
「料理の名前は……カレーにしよう、なんとなく」
「はい、畏まりました!」
世界にカレーが誕生した瞬間である。
カレーは宮廷料理として振る舞われたが、年月が流れて城下町の市民にも親しまれるようになった。カレーという概念である僕は繁栄の一途を辿り、ついには王国中がカレーだらけになった。
念願のカレー普及活動は成功だ。
それからカレーという概念として増殖し続ける僕には、この世界の食の未来が視えた。
カレーは国を超えて世界中に親しまれるようになり、様々な味がブレンドされて国独自のバリエーションが増えた。
多様性だ。
それはカレーの良さだ。
カレーの多様性は否定できない。
僕がカレー好きな理由はすべてを受け入れてくれるカレーの優しさと、そして刺激を与えてくれる辛さのブレンドが嬉しくて嬉しくて、その包容力の高さに涙して僕はカレーが好きになった。
その僕がカレーに転生して世界を救った。
僕は世界中に満たされた。家庭にカレーがある。それはノスタルジーを生み、人類は僻みあうことはなくなった。利便性が高い料理として評価され、ライスとナンの両刀で食べられるカレーという鍋料理は、余っても一晩寝かせてまた食べることができ、残飯問題も解決した。
結果的に食糧難も免れて世界は平和になった。
――僕の手によって。
世界征服を果たしたといっても過言ではないね。
過言では……ない……ね……。
本当にこれで良かったのか?
カレーが辛くない世界なんて間違ってる。
僕は僕自身の信条を捨てて世界を救うことができた。
でもそれで良かったのか。
僕にはわからない……。
分からないんだ……。
「悩んでいらっしゃるのですね」
そこに女神が現われた。
世界に降臨するのは初めてで僕は女神様とカレーの姿で初めて対面した。
「本当のカレーは辛いものなんだ……。こんな甘いカレーの世界なんて僕にとってインフェルノだ。ディストピアだ」
「貴方はこの世界を救った英雄です。一度だけカレーを辛くする許可を与えます」
「え、カレーを辛く?」
「はい」
「でも世界中の人は辛いカレーを受け入れられないんじゃ……」
「だから一度だけです。カレーの素は煮込むと甘くなるという世界の定理法則は覆せませんが、一度だけその法則を塗り変えて辛くするチャンスを与えると言っているのです」
それだけ告げると女神は消えた。
カレーは甘いからこそ受け入れられた。
そんな僕が突然、辛さを見せたら……。
辛い僕を皆は受け入れてくれるだろうか?
でも本当の僕は、辛い……!
僕は僕自身のために辛い自分を受け入れて欲しいと思ってる。
宮廷料理人のキッチンに金髪碧眼の少女が現われた。
彼女はまたカレーを煮込んでいる。
今の僕は甘々の甘ちゃんカレーだ。びっくりするほど自分は辛くなかった。それは僕が世界に媚を売っている証拠だった。
でも、もしかしたらこの少女なら――。
初めて僕を創ってくれた彼女なら、辛い僕も受け入れてくれるんじゃないか。そんな淡い期待が抱いている。
でも少女には辛味が嫌い設定があった。
甘口というヴェールに包まれた僕だからこそ受け入れてくれた。その僕が本当は辛かったら、少女は拒絶するんじゃないか?
悩んでいると、宮廷料理人の金髪碧眼美少女が現われた。
厨房に入り、僕を一口啜って味見する。
「うんうん、順調ですね。カレーの程良い甘さ、最高です!」
少女は笑顔を浮かべた。
どうやら、ただの味見のようだ。
僕の本来の辛さを伝えるなら今が絶好のチャンス……。
くっ、何とでもなれっ!
『味覚マイスター』!
僕はそのときだけ辛くなった。
カレー本来の辛さになり、僕にとっては世界で人気を博して初めて本来の自分の姿を曝け出したと言えよう。
「では一晩寝かせてまた明日ですかね~」
しかし、少女は本来の姿を見せた僕に見向きもせずに厨房を離れていこうとした。
なんてこったい!
せっかく勇気を出して辛くなったのに。
しかも辛くなる事を許されたのは一度だけ。
これで少女に食べられなければ明日の僕はきっと甘口に戻ってしまう。
――いや、それでいいんじゃないか?
世界はこのまま行けば平和で幸福な未来が待っているんだ。
僕がここで辛さを見せつけ、本来の僕を受け入れてもらう必要なんて。
でも……。
でも僕は……!
くらえ、『帽子の長さを変える能力』!
僕は突然に閃き、少女の尋常じゃない長さの帽子をさらに長くさせた。
天井を突き抜けるんじゃないかとばかりに長くなった帽子は当然のごとく天井にぶつかって折れ曲がり、少女の頭から落ちる。
落ちた拍子にコック帽は僕が煮込まれた鍋にまで手が届き、コトりと鍋蓋を揺らした。
少女の金髪もふわりと舞う。
「あれ? どうして帽子が……」
少女は足を止めて振り返る。
帽子を拾った。
そしてずれた鍋蓋から立ち込める匂いに気づき、僕のもとまで歩み寄った。
「カレーの匂いが突然変わったような? 何故でしょう」
ついに少女は蓋を取った。
本来の辛さを取り戻した僕と対面し、もう一度、味見する。
僕にとっての運命の瞬間だ。
カレーは辛いんだと教えるための少女へ向けた想いだ。
「……えっ!? 辛い!」
その驚きは初めて彼女と会ったとき、僕が躊躇なく激辛にして食べさせたときと同じ反応だった。そのとき、予感がした。僕はこのまま捨てられるという予感だ。
僕は目をぎゅっと瞑った。
目なんてないから瞑れないけど、瞑るような感じで少女から目を背いた。
きっとこんな辛い僕は受け入れられない――。
「意外と辛いのも悪くないですね」
え?! 今、なんて……!
「ふーむ、辛いカレーですか。王様に少し相談してみますかね」
そういって少女は鍋蓋を閉じた。
僕を……辛い僕を受け入れた。
カレーが本来辛いものなんだという僕の信条を……受け入れてもらえた。
僕はわんわん泣いた。
泣いて泣いて、泣きまくった。
僕は無理をした。
世界を救う大義のために自分を押し殺していた。
でも本来の僕も、少女は受け入れてくれたのだ。
辛味が嫌いという設定だったのにも関わらずだ!
翌日、陛下の前に辛さを加えたカレーが出された。
すっかり甘口カレーの虜になっていた国王陛下も、興味津々で辛い僕を眺めている。そして銀製食器で一口掬い、そのまま召し上がる。
「辛いな!? ――だが、それがいい」
や、やった!
「そうですか~。カレーを辛くして食べるのもありかもしれませんね?」
「そうだな。今後辛いカレーと甘いカレーの二種類を用意してくれ」
「畏まりました!」
こうして本当の僕も受け入れてもらえた。
世界には辛口カレーと甘口カレーの二つが出現した。甘いだけでなく、辛くもできるカレーを人々はもっともっと親しみを込めて食べるようになった。
辛さが出たことによって食後にデザートを食べる習慣もついた。
僕は愛された。
「良かったですね」
「女神様……僕は、僕は救われました……甘口しかないカレーの世界は只々つらかった。つらたんでした。でも今は辛口も受け入れられました……本当にありがぞうごじゃいまじゅ」
涙でグジャグジャになった僕は言葉もうまく喋れない。
「ふふ。いいえ、違いますよ。甘口が辛口を受け入れたのではないです。貴方が甘口を受け入れたのです」
「え……どういうことですか」
「貴方はカレー好きですが、本来のカレーは辛いと主張して、前世でも孤立していましたね。でもそれでは誰も辛口を受け入れてくれないのです。まず甘口を受け入れることが世界を平和に導く――優しい世界を創るキッカケになるのです」
「そ、そうだった……そうだったのか……」
本当の僕は辛い。
でも、その辛さを受け入れてもらうためには、まず相手を受け入れなければならなかったんだ。僕はそれを忘れて自分は辛いから辛いものを受け入れろと我を張っていた。
それじゃあ、誰も僕に見向きもしないのは当然だ。
「ありがとう、女神様……僕はカレーに転生できて良かったです」
「何よりです。それでは素晴らしいカレー人生を――」
○
その後、その世界ではカレーはすべての人類に親しまれ続けた。時には争いごとがあってもカレー一つで解決することもあったほどだ。そんな世界を作った一人の男の存在を誰も知らない。
しかし、男は彼自身だ。
皆の笑顔は彼自身も救い続けるだろう。
(完)
短編作品の再投稿です。