カジバノバカ
背に流れる藤色は、ひどく疎ましいものでした。
また、疎まれてもいました。
ここ帝都において、色付きの頭を見ることは、まずないのです。
私の携えるものが忌憚されるのは、正味、当然のことといえました。
それは、さながら警告色のように、余人を遠ざけ。
それは、さながら誘蛾灯のように、厄介を呼び寄せました。
両の親から受け継いだというのなら、納得もできたのかもしれません。
しかしながら、そうした詮方ない事情があるわけでもなく。
なぜ、自分だけ、生まれついてこうなのか。
頭を捻っても、誰に訊いても、皆目わかりません。
私とは、実に不明瞭な存在でした。
......
なんて、鬱鬱とした語り口にも飽きてきたので、本題に参りましょう。
これから慣れない語調で綴るのは、ただただ妙な官警と関わった話でございます。
私は何者なのでしょうか、と問うてみると、
「馬鹿者じゃないか」
とだけ、返してくる。
そういう男と過ごした話です。
一
頃は道和が十一年。
私こと梶葉周は、家を追われるヘマをした。
不本意な夜這いに遭ったとはいえ、良家の婚約者に拳を食わせる娘なぞ、叩き出されて当然である。
どうにも私は、考えるより先に手が出てしまうようで、幼い頃から難儀していた。生半可な意識でどうにかなるとも思えない、忌まわしい性質であった。
そんなわけで、件の男......相馬藤吉郎三等巡査の一間に食客として送り出された次第である。更生を促すというのは口実だろう、事実上の厄介払いであった。
彼は梶葉の家から悪くない額を受け取っているようで、私を邪険に扱うことはなかった。また、父の旧知己であるらしいが、そのような素振りは一切見せず、何について言及するわけでもなかった。良くも悪くも無関心を貫く同居人であった。
その折の私は、帝都郊外の詰所にて、無為な時間を過ごすのが常であった。私が彼の下で厄介になり始めてから十日ばかり。何を強制されるでもない生活を、どこか落ち着かない心地で過ごしていた。私はそこそこの家の令嬢であるから、何らかに縛られることのない環境というのは、些か新鮮が過ぎるわけで云々......(なんとまあ、手前勝手なことでしょう)。と、そんなやきもきした胸中もあって。今日の私は、三査の叱咤に期待するあまり、いくらか饒舌になっていた。
「邏卒というのは、煙を吐くのが仕事なのでしょうか」
「そう。そういう生き物なんだよ。他方、君は怠慢だね」
彼は、このように、人を食って生きている。
「学徒というのは、何かと不自由そうだ」
「公僕よりは、ましかと」
「君が習っているのは、こう在るためのものではなかったかい」
三査はそう言って、紙巻きから灰を落とした。彼の喫む敷島の煙は、どうにも好きになれない。なんだかむしゃくしゃしたので、彼の頬を捻ってやることにした。
「おい、やめないか」
「照れなくてもよろしいのに」
「くさいんだよ、君」
雰囲気も何も、あったものじゃない。
「三査こそ、煙いですよ」
「僕は四六時中喫んでるわけじゃない。しかし、君の場合はどうだ。いつも包帯と湿布まみれじゃないか」
三査は、私を引き剥がしながらそう言った。
「薄荷の臭いは、苦手なンだ」
触れられた部分に、鈍痛。思わず身を震わせた私を一瞥し、三査は、半ば吐き捨てるように言った。
「誰が手当てをすると思ってる。だから君は馬鹿者と言われるンだ」
「心配、して下さらないのですか」
上目遣いは婦女子の武器である。ついでに、涙も。
「君の打ち身は概ね、何某にもらったものではないだろう」
......ああ。三査は、こういうところがあるから、侮れない。
彼の言う通り、この怪我は私自ら拵えたもの。しかし、はて、怪我の様子から察しでもしたのだろうか。まったく、妙なところで鋭い男である。彼の慧眼にかかっては、「薄幸の少女」のガワも難なく剥がされてしまうらしい......。うう、なんて厄介な。
「おてんばなのは結構。でも、用心しなさい。今の帝都は物騒だから。中央の警邏は、喧嘩と小火には辟易していると聞くし」
「......愛に溢れたご忠告、痛み入りますよ。三査殿」
「ふむ、愛は公費で賄われないことを知っておくといい。精精精進してくれ給え」
......
とまあ、そんな風に、馬鹿げたあれこれを交わしていたものの、三査が私に何らかを迫ってくる様子はなかった。
「君、学徒なら学び舎に通いなさい」とでも吐いてくれれば、幾分楽になれたろうに。
期待外れもいいところである(本当に、勝手なことです)。
ああ、しかし、今日とて通わねばならない。
これから私は、赴きたくもない其処に、自らの意思で足を向けなければならない。
この身に伸し掛る重さは、果たして、四肢の傷痍に拠るものか。
どうにか逃げ出したく思ったが、放蕩に耽って学費を無駄にしたとあれば、本当に勘当されかねないのであるからして......。
......
彼は、私の髪色について、何を宣うこともありませんでした。
内心で何を思っているのか、知れたものではありませんけれど。
それでも、彼の態度には何とも言えない心地良さがありました。
その時分の私は、これに浸っていてはよろしくない、などと考えるわけもなく。
まあ、なんでしょう。
この環境に甘んじていたのです。
二
こんな私にも、友人と呼べるものはあった。
顔を合わせれば、いくらか言葉を交わす。そんな程度の関係に過ぎなかったが、確かに交流する者はあったのだ。
「あ、おはよう」
早うも何も、とうに正午を回っている。彼女には、どこかズレている節があった。守若。下の名はどうにも長ったらしくて、あまり覚えていない。彼女には西方の国の血が混じっている、らしい。また、彼女の頭は異質だった。肩口まですっきりと揃えられた、紫味の入った金色。その束を刈りとって質に入れたら幾許かするかしら、などと不埒な妄想に囚われる程度には映えるモノであった。
「何か、付いてる」
「いえ、綺麗だと思って」
「やったぜ」
彼女も、私と似たようなもの。
不気味がられる者同士、よろしくやっているというわけである。
近付いたのは、そういう理由から。特に親しい間柄でもなかった。
......はず、なのだが。
「周ちゃんのも綺麗だね!」
図らずも、懐かれてしまったわけで。
......ああ、なんて清清しく親指を立てるのだろう、この娘は。
いや、別に。
悪く思っているわけではない。
ええ、決して、鬱陶しい、などと。思うわけもなく。
そう、彼女も、これまで肩身の狭い思いをしてきたに違いないのだ。
それゆえ、私のような存在を貴重に思っているのだろう。それはいい。
それはいいのだが......
「~、~♪」
後ろに半歩。その場で軽く二度跳び、着地後に左回転。爪先で床を叩く。
ランラ・ラッタ─ルー・ラッタ。
それはさながら、拍を刻んでいるかのよう。
......彼女の奇行に関しては、いかな私といえど、思うところがないわけでもない。努めて清楚ぶった笑顔を保ちつつ、なんとか意思の疎通を試みる。
「......何をしているんです」
「待ってるんだよ?」
「何を」
「幸せ」
もう、だめである。
「幸せとは、待っていれば来るものなのですか」
「待ってるのが常じゃないよ。然るべく動いていれば、『幸せは必ずくる』ってこと」
なるほど。
やっぱり、ちょっと(大分)何を言っているのかわからなかった。
たまらず胡乱な視線を投げかけるも、彼女はけらりけらりと笑うばかり。毎度のことながら、てんで話にならない。
こういうわけもあって、私以上に敬遠されているのが彼女なのだ。
互いに駄弁を吐き、無意味に戯れ、一層変てこな目を向けられる。
そんな何やらが、茶飯の事と化していた。
煩わしくないといえば、嘘になる。
でも、どこか愉快な気もしていて。
自分でもよくわからない、おかしな思いに翻弄されながらも。
私は彼女を嫌いになれなかった。
......
本日は日柄もよく、代わり映えもせず。
平穏無事に放課し、帰り支度を整えていた折のこと。珍しく、守若が同伴を申し出てきた。彼女曰く、「それが良いんだよ」とのこと。
......この癖さえなければ、端正で気立てもよい、言うことなしの娘なのに。天は二物を与えずというが、無用な三物を与えてしまうのもどうかと思う。
とはいえ、別段断る理由もないので、連れ歩いて学舎を後にした。
外ではカン、カンと半鐘の音が響いていた。
「なんだか、火事が多いね」
遠くに煙が見える。ボヤと言うには、些か大きな煙である。この様子だと三査も駆り出されているかもしれない。普段澄ましている彼が、慌てて詰所から出張っていく様を想像すると、なんとも愉快な心地がした。
「ねえ、こっちから行かない」
守若は煙の方を指さす。
「随分と物見高いことで」
「そういうわけじゃないんだけど」
「なら、構わないでしょう」
第一、彼女の示した道は、明らかに遠回りなのである。また往来も盛んなため、藤と金の頭が連れ立って歩くとなれば、好奇の視線に晒されるのは必定。相変わらずといえばそれまでだが、アレはお世辞にも心地のいいものとはいえず......要するに、悪目立ちするのは御免こうむりたかった。
「いや、でも」
「なんです」
「その、そっちの道は、よくないんだよ」
「どうして」
「とにかくだめ」
要領を得ないやりとりである。滑稽でさえある。
「何か用事を思い出したのなら、無理に付き合わなくともよろしいのですよ」
「ううん、何て言えばいいんだろう」
どうにも煮え切らない態度。何か、それを伝えることをひどく恐れているような、そんな感じがした。あちらから誘った手前、断りづらいということだろうか。
「気を遣わないで下さい。こんなことは、いつでもできるのだから、ね」
そう言ったきり、別れた。
去り際に彼女が見せた表情を、努めて考えないようにして......。
(女心と悪の相とは得てして、読み難いものですね)
普段通うその道は、いつも以上に静まり返っていた。
大方、あの火のせいだろう。平穏の毒に当てられた者らは、日常非ざる何かに憧れるものである。まさに、願ってもないことだった。人目がないというのは、それだけでありがたい。いくらか慣れたとはいえ、未だに、ヒトの目は苦手なのだ。
そんなことを考えながら、しばらく歩いた。
依然、周りは静かだった。
静かすぎた。
そして。
かすかな物音につられ、ちらと目を向けたのがまずかった。
「......ッ」
互いの視線が、交錯する。
目が合った。遭ってしまった。
仄暗い横道の先に、いたのである。
それは、化け物とか悪魔とか、そういうものではない。
もっと陳腐で、底なしに恐ろしいであろう、存在。
そいつは、事もあろうに私の顕れを察し。
底冷えする程に低く、焼けた音吐を以て、私の身体を支配した。
「おい、餓鬼」
......火事場泥棒。
恐らく彼らは、そういう類の輩なのだろう。
裏の戸口で何やらやっていれば、嫌でも目につく。ついてしまう。
「そこを動くなよ」
動きたくても、動けない。
叫びたくても、叫べない。
「こんなところを通るやつ、いるんだなあ」
「うお、色付きだ」
「なかなかの器量じゃないか」
各各が軽口を叩きながらも、私の退路を断つべく動き出す。何某の口を塞ぐのには手慣れているのだろう。悪漢に囲まれる此の方からすれば、たまったものではない。
「大人しく付いてくれば、手荒なことはしないから、な」
嘘だ、と。直感が告げていた。
先程から、恐ろしくてたまらないのだ。
あの節操のない婚約者に詰め寄られたときと、同じ感覚。
章章たる害悪が、己の背を這いずり昇ってくるような、そんな感覚。
男たちが迫る。
......怖い。
この身を拘束せんと。
......こわい。
手が、もう、すぐそこに。
......コワイ。
白布の絡みつく腕に、指先が触れるか触れないかの刹那。
私は、恐ろしさの余り、自らの意識を手放した。
──────手の甲に、肉を打ち据える感覚だけを残して。
三
さてさて、私がこんなにも恐ろしい目に遭っていたというのに、三査は何をしていたのでしょう。結論から言えば、彼が到着したのは、全てが終わってからのことでした。それもそのはず。彼は英雄でも何でもない、一介の警邏にすぎないのです。どうしようもなく、彼は三査なのです。
ここに綴られるのは、彼の話をもとにした、彼の視点から捉えた、先の事件の顛末。
不明瞭な私が、晴れて「馬鹿者」になる、大きな転換点です。
......
緊急の召集がかけられた。
火難の報せにはいい加減飽きが来ていたので、聞き流そうかとも思ったが、そうもいかないようである。今回の火に限っては、少しばかり手のかかるものだったらしい。消火や避難、救護に人手を割くのはもちろんのこと、この機に乗じんと企む不届き者を捕らなければならないとのこと。文字通り火急の用というわけだ。気は進まないが、お上からの通達とあれば、従う他はない。
あの馬鹿者にも心配がないと言えば、まあ、嘘になる。
そんなわけで僕は、もう何年ぶりだろうか、帝都中央の案件に関わることになった。
僕は消防の所属ではないから、担うのは捕物が主になる。狙い目は、現場から付かず離れずの、人気の無い家屋が集まっている区画。普段は錆び付いて頼りにならない直感だが、なぜか、今日ばかりは冴え渡っている気がした。
血。
まず目に入ったものがこれとは、運がいいのか悪いのか。
......僕に何かあったら、お上に特別手当を請求してやろう。
血痕は、横道に続いている。量自体はそう多くないので、ただの喧嘩であってほしい。
......そんな予想は、悪い意味で的中することになった。
そこにあったのは、路面と口付けする大柄な男性の体躯。が、四....五体。
息をしているかは定かではない。どうして確認しないのかって。
そりゃあ。
見知った顔が、僕のまったく知らない顔をして、立ち尽くしてたからだよ。
「君、何してる」
「......」
「まさかとは思うが、君からふっかけたわけではないだろう」
「......」
「見つけたのが僕でよかった。いくらかは便宜を図ってやれるからね」
「......」
「なんとか言わないか」
どうにも様子がおかしい。
普段は役にも立たない直感だが、この時ばかりは告げていた。
彼女は本当に、僕の知る梶葉周なのか、と。
とかく、事情を訊かないことには、始まらない。
彼女を保護し、それから応援を呼んで......
......
誰かに誤解されている気がするので、一応補足しておく。
僕は本来、至極勤勉なのである。
市井の治安を保つ、清く正しい公僕である。
ゆえに。
保護すべき市民に感謝されるいわれはあれど、いきなり殴りかかられるというのは、些か看過しがたい事態であった。
仮にも見知った相手。
ただ歩み寄っただけなのに。
この仕打ちは、酷ではないだろうか。
到底、その細腕から繰り出されるべくもない、明らかに異常な速度の拳が、迫る──────
ゴッ
人気の無い裏路地に、鈍く重い打擲音が響いた。
......
私こと梶葉周は、生まれついての厄介な性質に悩まされていた。それは、考えるより先に手が出てしまうというもの。しかも、無意識に身体が動いてしまうときた。それは決まって、この身が害悪に晒されることを、本能が察したとき。そんなとき、私の身体は、この症状に蝕まれるのだ。
それこそ、件の性質と繃の帯は『決して離れない』蔓のように、私に絡みついていた。
ただし、今現在顕れているそれには。
ほんの僅かに、平時の症候とは異なる部分があった。
このとき、本当に朧げではあるが、私は三査の存在を認識していたのだ。
しかしながら、この身体を止めることは、叶わない。
ああ、ごめんなさい。
いくらでも私を呪って下さい。
あろうことか、見知った相手に手を上げるなんて。
......こんなの、バケモノと変わらない、じゃないか。
ゴッ
路地に響いた、鈍く重い打擲音。
音の出処は、自らの拳。
......を。
事も無げに受け止めた、三査の片手であった。
「ッてえ」
......前言を撤回しよう。それなりに痛かったようだ。
......いや、着目すべき箇所はそこではない!
「痛い」の一言、たった一言だけで片付けられたという事実が、明らかに異常なのだ。
困ったことに、この状態の私の動きは、常軌を逸した速さと力強さを備えているらしい。というのも、この身体は恐らく、何をも顧みることなく動いているから。その実、私の抱える傷痍の凡そは、自身の無理な動きから負ったものである。反する作用を考慮しなければ、打ち身もできるというもの。今は何の痛痒も感じていないが、四肢の筋も確かに悲鳴を上げていることだろう。
......要するに、小柄な身ではあるものの、人の限界などとうに超えているであろう渾身の一撃を、視認するだけならいざ知らず、受け止めてみせたのだ。この男は!
もはや、三査がどんな細工を弄したのかなんて、どうでもいい。
本当に、よかった......!
彼を壊さずに済んだという事実に、ひたすらの感謝を。
そして、私は、心の内で、あなたに勝手なお願いをします。
どうか、どうか私を止めて下さい。
本当に馬鹿なやつだと、謗って下さい。
小言なぞ、後でいくらでも聞きましょう。
今はただ、どうか無事に、「私」を捩じ伏せてくれることを......
......
痛い。
本当に痛い。
正直、想像以上の速さだった。
すんでのところで手を引いていなければ、受け止めるどころか、片腕になっていたかもしれない。
そんなわけはない?
まあ、そう思う程度には痛かったわけで。
本当に、勘弁してほしい。
僕は決して武闘派なんて柄じゃないから、どうか『いじめないで』くれ。
そんなことを考えていたら、上段への蹴りがぶっ飛んできた。
これは、流石に受けられない。屈んで躱す。
一応、警邏の任を務めるにあたって、武術には一通り触れている。だからまあ、無手の素人程度なら圧倒できるはずなのだけれど。......彼女は、どうにも速すぎる。
と、ここまで考えたところで、逆足が来る。
大方、冷静さを欠いてるのだろう。あまりにも無理な動き。それに、見えているし。
......余裕?僕に?冗談でもそんなことを言うものじゃない。余裕なんてあるわけがないだろう。全て紙一重で避けているのだから。
右、左、鳩尾......
そんな風には見えなかったって。
考え事をしている余裕があるって。
まあ、確かに、僕は人よりちょっとばかり考えるのが早いかもしれない。集中すれば、周りの景色がゆっくり動いてるように見えたりもする。でも、それだけ。
左。
できるのは精精、あちらの動きの兆候を見て、自身の動作を逐一調整しながら、捌くことくらい。僕自身の動きが速くなったりはしない。
それでも、相手の動きに合わせて思い切り袖を引っ張るくらいのことは、できるのだけれど。
渾身の一撃に体重を乗せきったのが仇になったようで、彼女はうまくバランスを崩してくれた。足も払って、極めてしまえば、流石に動けないだろう。
「君、落ち着き給え」
息も絶え絶えに、言葉を吐き出す。
久方ぶりに集中したせいで、頭がぐるぐるする。
まったく、最後まで格好がつかないな。
しばらくは、華奢な身体に似合わぬ力で抵抗していた彼女だったが、寝技に持ち込まれてはどうしようもないと悟ったのだろう。次第に大人しくなっていった。
「......本当に、雰囲気も糞もありませんね、三査は」
ややあって、路面に寝そべる馬鹿者が、か細い声を絞り出した。
「品がないよ、学徒殿」
そう言って、彼女の拘束を解く。
「問い詰めたいことは腐るほどあるけれど、とりあえず今は休みなさい」
「はい。......すみません」
平時に比べて、嫌にしおらしい。
利口な娘なだけに、今回の件は堪えたのだろう。
とはいえ、一段落はついた。
直に応援が到着するだろうし、さっさと引き継ぎを済ませて──────
「周ちゃん!」
──────しまおうなどと考えていたら、何やら駆けてくる者があった。
「......守若さん?どうして」
守若と呼ばれた少女は、その問いに対し、ぎゅうと身を締め上げることで返した。
「痛い、痛いです」
「無事でよかったよ。本当に......」
その瞳の内には、大粒の雫が湛えられていた。あの馬鹿にも気の置けない友人がいたとは。なんとも微笑ましいことである。しばらくは、泣かせておいてやろう。
......
そんなわけで、いくつか不可解な点を残しつつも、事件は一応の収束を見せた。
あの馬鹿物は、全身の痛みに悶えながら手当てを受けた。まあ、いつものことである。
僕はと言えば、特別手当は貰えなかった(あの馬鹿は、感謝状を貰っていた)。畜生。
守若とかいう少女は、なぜだか僕に感謝の意を示して帰っていった。あのゴロツキ共を制圧したのは僕ではないのに......。
とまあ、そんな具合に落ち着いたわけである。
ひとまず、僕の視点から捉えた話はここまで。
この後の談は、あの馬鹿に任せることとしよう──────
四
私はバケモノなのでしょうか、と問うてみると、
「バカモノの間違いだろう」
とだけ、返してくる。
そういう男と過ごすのも、もう長くなります。
先の事件からいくらか経ったある日、私は三査に問われました。
「その体質を治したいか」、と。
無論、私は、一も二もなく肯定しました。
彼曰く、これまでは敢えて口に出さなかったそうです。他力に頼りきっては、変えられるものも変えられない、と。他者を変えることは難しいが、自ら決意したことならそう難しくはない、と。彼は初めから、私の抱える厄介について、ある程度知らされていたようでした。
私の髪色がおかしいのは、遺伝子の異常によるものらしく、発症した者は「忌み子」と呼称されるのが常だそうです。両の親は、それを私に伝えることを憚っていたのでしょう。「忌み子」は、多くの場合、日日の生活に支障をきたしかねない性質を有しているということでした。私の場合、「身の危険を感じると、アドレナリン(とかなんとか言っていた気がします)が過剰に分泌される」ものであると、三査は結論付けました。
「いわゆる、火事場の馬鹿力というやつだよ。危機的状況に陥ると、普段以上の力を発揮する。それが顕著なだけなんだ。さしずめ君は『火事場の馬鹿』だな」
......カジバノバカ。
納得はしたけれど、何だかむしゃくしゃしたので、彼の頬を捻ってやりました。湿布を貼り替えたばかりだったので、薄荷の刺激臭に悶えていました。いい気味です。
話が逸れました。
三査が言うには、訓練次第で、暴走せず意識を保つことも可能になるとのこと。しかしまあ、よくそんなことを知っているものですね、と私が感心すると、三査は、
「僕も君と似たようなものだからね」
と、すげなく言い放ちやがったのです。
それくらいは教えて下さってもよろしかったのに。
しかし、私が気付かなかったのも事実です。
それはすなわち、彼は自らの性質を巧妙に隠しているということ。
ある意味、期待が持てるというものです。
......そう思うことにして、どうにか平静を保ちました。
「僕は、集中の加減ができないと頭がどうにかなりかねないから、がんばった。髪は牛蒡色だから、染めるだけで済んだけどね」
三査も三査で苦労をしているようで。
......おっとと、こちらで三査が呼んでいます。
今少し書き進めたかったのですが、致し方ありません。
また、私たちのことを綴る機会もあることでしょう。
そのときまで、今しばらくお待ちを。
執筆者、駆け出し警邏こと梶葉周。
......
「三査!」
「三査はそっちでしょう、まったく」
「僕は一査で君の上役だ。......君は、いつまでたっても馬鹿者だな」
「一査が気付かせてくれたんですよ」
「......そういえば、そんなこともあったかなあ」
これは、そう遠くない未来の話。