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はち。あふれた想い

帰りの車の中では、終始他愛の無い話をしていた。何事もなかったように、笑った。…あたしの『想い』は、あの小さなガラスビンと共に消したから。


―――時折、九条さんが黙り込むことがあって、最初は何か感付かれたのか、それともまださっきの電話の件を気にしているのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。彼も彼でまた、あたしに話したいことがあるようだった。


口を開きかけては、逡巡して閉じる。その繰り返し。


…ひな関係、かな。


あたしも未練がましい。想いは捨てたはずなのに、聞きたくないと思っている自分がいる。


結局、最後まで『その話』をすることはなく。聞くこともなく。


車は、今朝乗せてもらった場所に到着したのだった。


「今日はありがとうございました。楽しかったです」


色々衝撃的なことはあったし、切ない想いも沢山したし。それに、きっと―――生涯忘れないようなこともあったけど。


でも、今日のあの時間が楽しかったっていうのは事実だ。


あたしはシートベルトを外して深々と頭を下げた。


「どういたしまして。僕も楽しかった」


「そうですか、良かった…」


独りよがりじゃなくて、良かった。九条さんに笑ってもらえて…良かった。


「それじゃあ、これで。月曜、今度こそワイシャツ返しに行きますから」


人質みたいにとってあったあの白いワイシャツとも、そろそろおさらばだ。


「月曜…か」


九条さんが呟いて、嘆息する。都合悪いのかな?


「…未羽ちゃん」


「はい」


「あのさ。もし、返せない事態になったら―――返せなくても気にしないでね。そうしたら未羽ちゃんにあげる」


「え…」


返せない、事態?何それ…一体どんな?


「よく、わかんないですけど…」


「返事は」


「え」


「返事は」


二度繰り返す。肯定以外の返事を受け付けない妙な迫力があったから、はいと返事をした。


すると、九条さんが少しだけ泣き笑いみたいに笑った。


―――胸がしめつけられた。


どうして今、そんな顔するの。


手を、伸ばしたくなるじゃない。


…触れたく、なるじゃない。


想いを振り切るように、取っ手に手を掛けて扉を開ける。


「さようなら。ありがとうございましたっ」


「…うん。ばいばい」


勢いそのままにドアを閉めれば、車のエンジン音が遠ざかる。


胸の痛みには気づかないフリをして、あたしも歩きだしたのだった。




―――その日の夜。あたしは、泣きながら眠った。どこにこんな、と思うくらい涙を流した。


あのワイシャツを抱きしめて眠りたかったけど、しわくちゃになってしまうと思うと実行できなかった。だから、ひたすら気の済むまで泣いた。


次の日の日曜は、ただぼーっとして過ごした。何もする気がおきなかった。夜になったらまた涙が溢れて止まらなかった。


そのまま夜が明けて、月曜の朝になった。


「未羽っ?どーしたの、それっ」


「ひな…」


朝教室に入って開口一番、言われた言葉がこれだ。


う…やっぱり腫れた目元はごまかせなかったみたい。


と、あたしの複雑な胸中なんかいざ知らず、次の瞬間ひなはこんなことを言ってのけた。


「九条さんがらみぃ〜?まったく未羽も隅におけないねぇっ」


……はっ、はぁああぁ!?


このムスメ、いったいどの面さげて…っ!!ニヤニヤした面さげてるけども…!あたしが一体どれほどの想いで九条さんを諦めたと。


…昨日おととい泣き腫らした甲斐あってか、どうやら憤慨できるくらいには情緒が安定したらしい。


「…っ」


「?みーうー?」


―――落ち着け。ひなはあたしが二人の関係に気づいたことを知らないんだから。


ここは何事もなかったように、明るく。


「九条さん?あの人は関係ないよ」


…うまく、笑えた。


「―――………」


…あれ?予想と違う反応。何その顔?なんでそんな難しそうな顔してんの?


「ひ、ひな?」


「…ねぇ未羽。土日のうちどっちか、九条さんと会ったりした?」


「え…」


「答えて。会ったの?」


…どうしよう。この場合、正直に答えるべき?


一瞬迷って、すぐにかぶりを振った。


答えは出てる。ひなに嘘はつきたくない。…まぁついたところでひな相手に隠し通せるとも思えないけど。


「…うん、会った」


「―――そう。それで?なんか言ってた?」


いつになく真面目なひな。


あぁやっぱり………。


ずしんときた。分かっていたことを無駄に再確認しちゃった感じ。


「ううん?大丈夫、九条さん何も言ってないよ」


「―――。ふーん?ならいいけどぉ」


そのまま自分の考えに没頭し始めたひなをぼーっと見ていると、始業の鐘が鳴って聖子ちゃんが教室に姿を現した。


「聖子ちゃん来たよ」


まだ思考に(ふけ)りながら、ひなは自分の席へと戻ってゆく。立ち話状態だったから、あたしも自分の席についた。


放課後…九条さんのところへ行かなきゃね。


鞄の上から、中にあるワイシャツを意識して撫でた。


―――ばいばい。




「ひな。ついてきてほしいんだけどー…」


SHRが終わった後、すぐさまあたしはひなに声をかけた。


「んー?九条さんのとこぉ?」


帰り仕度をしながら答えが返る。


「…うん。今日、ワイシャツ返そうと思ってさ」


「えー?返しちゃうのぉ?」


「…そりゃあ、ね」


言いながら、そういえば昨日何か九条さん変なこと言ってたなぁと思い当たったけれど、彼が言うような事態は微塵も期待…じゃない。想像できなかったから、ひなには黙っておくことにする。


「別に行ってもいーよ?」


「ありがとう」


あたしは―――今日、ひなも車屋さんに連れてって、九条さんと会わせて、何も知らない振りして―――もちろん軽く、連絡取ってるんでしょ?くらいは言ったうえで―――ひなの背中をそれとなく押すつもりだった。


むしろ、それくらい早くくっついてくれなきゃあたしが諦めつかない。


だから、ひなが帰り支度終わるのを待ってすぐに教室をでた。


「五時まで時間あるじゃーん。どうすんの?」


「んー…いつものマック行こうか?あたし、久しぶりにひなの話いろいろ聞きたいなぁ。どーせ色々えげつない情報持ってるんでしょ」


「えげつないとはしつれーな!えっへん、しょうがないなぁ。聞かせてあげる」


そう言って彼女は不敵に笑う。やっぱり、ひなはこーでなくちゃ。


「よし、決まり。行きますか」


「れっつらごーごー」


―――そんなこんなで五時二十分。


あたしとひなは、揃って石段の上に腰掛け九条さんを待っていた。…ちなみにマックで聞いた様々なひな情報は、やっぱりえげつなかった。


今は、ずっとワイシャツを返すときに言うつもりの台詞を、頭のなかで何度も繰り返し練習していた。


だめだぁ…何度練習しても泣きそう。ひなだっているのに。


唇を噛みしめて俯いた。


ふと見れば、腕時計の針は五時三十五分。


…九条さん、遅くない?


もう少し待ってれば来るだろうと思い直した。けれど―――その日、待てど暮らせど九条さんはこなかった。次の日も。その次の日も。


―――返せない事態になったら返せなくても気にしないでね―――


あの時の九条さんの言葉が頭をよぎる。


まさか、そんな…嘘でしょう?


…茫然自失としたまま三日が過ぎ。事態が動いたのはそんな時だった。


「未羽!」


教室に入るなりそう声を荒げたひなが、次の瞬間信じられない言葉を発する。


「九条さん、転勤したんだって!!」


…一瞬。何を言われたのか、分からなかった。


「て…転勤?」


「そう。隣の隣の町に異動したんだってさ!」


「…っ」


…そうか。だからいくら待っても出てこなかったんだ…。


「未羽、いいの?」


「な、にが?」


「隣のそのまた隣の町だなんて、あたし達が簡単に十分か二十分で行ける距離じゃないよ!?」


「…そうだけど…ひなこそ」


「は?」


ひなこそいいの?


喉まででかかった言葉はかたちにならず。


…ただただ、ひなの剣呑な視線が痛い。


「あたしが、何?」


てか…なんであたしが責められるような形になってんの?もとはといえばひなが―――、


「はーい席に着いてー!HR始めるよー」


びく、と過剰反応が起こった。


「…とにかく。ひな、あたしはもういいから。九条さんのことは…もういいの」


会話をシャットアウトする。ひなはそれ以上何を言うこともなく、自分の席へ戻っていったのだった。




授業中、先生の話なんて一切頭に入ってこなかった。


頭に思い浮かぶのは―――九条さんのことばかり。


水かけられて謝ってくれたときの、申し訳なさそうな顔。


ワイシャツ貸してくれたときの、少し照れた顔。


神々しくさえあるキラースマイル。


少し悲しげな微笑。


真面目なときは一層際立つ綺麗な顔の造作。


車の運転をした時の仕草、その時の会話。


意外に意地悪だってことや、子煩悩なとこ。


それから―――やさしく、未羽ちゃんって呼ぶ声。


全部全部、覚えてる。


それなのに、忘れなきゃいけないの?


まだ、こんなに―――好きなのに。


「―――っ」


そうだよ…。簡単に諦められる訳ない。


あたしだって、好きだった。好きだったんだもん…。


「う〜…」


涙が溢れた。あたしにはまだ、伝えてないことがある。


なんだってまだこんなに涙たまってんのよぅ…。


いい加減枯れたらどうなの。


まだ授業中だったから机に顔を押しつけて、声を殺した。隣の席の子が様子を伺う気配を感じたけど、そんなことに構ってられなかった。


―――しばらくそうしていると、肩を叩かれ、顔を上げる。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔。


「未羽、さっきはごめ…ぎゃっ。なによぉその顔っ」


いつの間にか昼休みになっていたらしい。


「ひな……」


名前を呟くとまた滝のように涙が頬を伝った。


「どぉしたのよぉっ!この授業時間の間に何が」


「ひな、あたし、あたしやっぱり」


「待って未羽!聞くから!話は聞くからちょっと待って!人のいないとこ行こっ?」


焦ったようにそう一気に言うと、ひなはあたしを屋上に連れ出した。


「ふぃー。セーフセーフ」


「…なんでわざわざ」


「だぁって皆興味津々に聞き耳たててんだもーん」


これで周りに色々情報流れちゃ情報屋のあたしの名が廃るのよねー。


とかなんとかひとりごちるひな。図太い。


「で、なぁに、話って」


振り返るひなは最高に可愛い。


でも―――だめなの。これだけは―――譲れない。


「あたし…、あたしやっぱり九条さんが好きだよ。諦められない。何度考えてもだめ。ひなのことも大事なの…でも、九条さんのことが、好きで仕方ない」


一気に言った。正直な気持ちを全部。


そうなると、ひなの反応が怖かった。怖かったのに―――恐る恐る視線を合わせれば、ひなは……笑っていた。


あの、小悪魔的笑顔。


「うっふふぅ〜、やっと言ったかこの意地っ張りぃ」


つん、と頬をつつかれる。


…え?えっ?


「未羽が九条さんのこと好きなのなんて、初めから分かってたよー。はいこれ」


目の前に掲げられたのは一枚の小さなメモ用紙。


「九条さんの新しい職場の住所。行くでしょ?」


間髪入れずに紙を奪いとる。


「わーすごい反応」


「これ…どうして」


「野暮なご質問。黒瀬ひな様をなめんじゃなーい」


にかっと笑って眼前にピースを突き出す。


「がんばれっ」


「でも」


ひなは?


「あと何か変な誤解してるみたいだから言っとくけどー。あたしと九条さん、特別な関係なんっにもないからね。勘違い。さっ、はーやーくー」


「でも、学校も…」


「未羽熱あるんじゃない?大変、早退しなきゃ」


大仰に言う。


「…あーうん、そうかもっ。あたし、帰る」


先生によろしくと階段を掛け降りた。


一度だけ振り返るとひなが手を振っていた。


ありがと、ひな。


―――賭けてみよう、自分に。


見上げた空は、抜けるように青かった。


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