さん。ときめきイベントとお誘い
一週遅れで申し訳ございませんm(__)m思いがけないハプニングがちょっとありまして…(汗)では三話目、どうぞ^ω^
残暑がまだまだ残る九月。あたしと九条さんが出会ってから、約一月が経っていた。
いつも座って待っているコンクリートに今日も相変わらず腰掛けて、あたしはその九条さんを待つ。
段々暗くなってゆく辺りを見回しながら、首をかしげた。
…なんだろ。今日は遅いなぁ。いつもは夕陽になるかならないかって感じの時間帯に来るのに、今日はもう半分以上沈みかけてる。
仕事が忙しいのかな?
…なによ、もう。皆して忙しいって言っちゃって。
脳裏に浮かんだのはひなの顔。
―――今日の昼のことだった。
弁当を食べおわってふと向かい側に座っていたひなを見たら、せわしなくカチカチと携帯を打ってるものだから、またメールしてるのかと思って軽い気持ちで声をかけたのだ。
そしたらあの女。何て言ったと思う!?
「今忙しいから話しかけないで」
だよ!?ひどくない!?
そこまで忙しいメールって何なのよ!!
この間から一体誰とメールしてるの!?
疑問符が次から次へと浮かんでは消えた。
そもそもあたしは、何でこんなにひなのメール相手が気に掛かっているんだろう。
不思議と自分でも分からなかった。
ただ―――とにかく心がざわつくのだ。
あたしの知らないところで何かが起こっている気がして―――。
「未羽ちゃん」
待ち焦がれていた声に呼ばれてはっと気がつけば、そこにはもう車のキーを持って淡く笑う九条さんがいた。
「すいません。また気づかなくて…」
また、っていうのはあたしが今みたいなパターンをよくやるから。
考えこんでて気づかない。
あたしの悪い癖。
「今日もワイシャツは……………持ってきてないみたいだね」
九条さんが、分かってたけど…と笑った。
「うぁ…すみません」
恥ずかしさに顔を染めてうつむく。
ワイシャツは…わざと忘れてる日がほとんどだったけど、たまーに本気で忘れる日もあるのだ。
今日は本気で忘れてた。
そして、思う。…そろそろきついよね、この設定も。
一ヶ月携帯未払で止まってるってどんだけ?って話だし、ワイシャツだって普通に考えてさぁ…。
あーあ…そろそろ潮時、かなぁ。
「行こっか」
「あっ、はい」
またぼーっとしてたあたしは、九条さんに促されてコンクリートから腰を浮かしたのだけれど―――。
って、え?
『行こっか』って言ったよね?今!?
「あああああの!?い、行こっかって」
赤くなってあたふたするあたしを見て九条さんはまた笑う。っていうより、吹き出した。
「ぷっ、未羽ちゃん慌てすぎ。ついておいで。今日は送るよー」
そう言って歩き始めた彼の後ろ姿を、あたしは数秒見送って。
今日は送るよ今日は送るよ今日は送るよ…
今日は送るよーー!?!?
ってその、やっぱりアレだよね!?
くくくく九条さんの車に乗っちゃうっていう―――!
なにこのときめきイベント〜〜〜〜ッッ!!!!
声にならない叫びを胸の内に秘め、脳内あたしがじたばたする。
急いで九条さんに追いつくと、運転席に回る彼とは反対側に、助手席に回った。
「の…乗っちゃっていいんですか」
「うん。どうぞ」
その言葉を受けて恐る恐る扉を開ける。
ふわっと、あの時シャツから香ったのと同じ香りがした。
うっはぁ…。
はっ、また変態癖が!いけないいけない。
ぶるぶるっと頭を振って、シートに座る。それを見届けて九条さんも車に乗り込んだ。
バタン、と扉が閉まる。
「―――っ、」
あ、ヤバイ!これはヤバイ!!
軽の運転席と助手席って、実はめっちゃめちゃ距離近い!
想像以上の刺激に心臓がどくどくいっておさまらない。
あぁもう…顔があつい。
「未羽ちゃん、出て右だよね」
そんなあたしなんか露知らず。
九条さんは平然とあたりまえの質問をしてくれた。
あ、そっか。家の場所説明しなきゃいけないのか。
「そ、そうです。で、次の信号で右に曲がって」
「え?どっち?こっちの信号?」
指差すほうを見ると、ここから同じくらいの距離のところでふたつ、信号が鎮座している様子が入ってきた。
ああ、あそこ間違える人が多いんだよな。
まだ駐車場から出ていない車内で、説明すべくあたしは無意識の内に車のシートに膝立ちし、身を乗り出していた。
すぐ右隣には、九条さんがいたことも忘れて―――。
「う、あ?―――きゃッ」
狭い車内で膝立ちなんて、やっぱり無理があった。
一瞬でバランスを崩したあたしは、そのまま思い切り運転席に座る九条さんの足のうえに倒れこんだのだ―――。
「…っ、」
一瞬、ときが止まる。
あああああたしのばかー!
ハンドルにちょっと頭をぶつけたんだろう、鈍い痛みで脳が覚醒する。
と同時に、一気に顔が赤く染まった。
ふつふつと湧いてくるのは羞恥心と―――。
「未羽ちゃん―――」
ほんの少しの、期待。
…九条さんの大きな手が、よつんばいになったまんまのあたしを助け起こす。
「ごっ、ごめんなさい九条さん!すぐどけますからっ、あの、そのっ…」
そこまで言ってから、あたしは二の句がつげなくなってしまった。
…ひどく真面目な、九条さんの端正な顔。
間近で視線を合わせたまま身じろぎもせず、ただお互いの息遣いだけが頭を支配する静寂。
触れられている腕が、あまくつよく痺れている気がして―――。
「く、じょうさ…」
のどからかすれた声が出た―――その時、だった。九条さんの意外に大きい携帯の着信音が、メールを受信したことを知らせたのだ。
あたしはあからさまにびくん、と反応して、思い出したように九条さんの上からどき、元の助手席のシートに納まった。
それを見届けてから、ふう、とため息をついた後、九条さんはポケットから携帯を取り出す。
…え?今の、何のため息?
あたし?あたしに対して?
…呆れた?
それが分からなくて、でも理由なんか聞けなくて。
携帯を見る九条さんの横顔を、ただそっと盗み見ることしかできない。
「…?」
あれ、なんか…表情が険しい。
いつでもふわっと綺麗に笑う彼だから、あたしはますます不安になってしまう。
「…どうかしたんですか」
「うん?…ううん、何でも。大丈夫だよ」
ポンポン、と頭を叩かれた。
…なんとなく、これ以上は聞いてほしくないって言われているようで。
あたしはおとなしく口をつぐむしかないのだった。
「さ、行こうか」
声とともに車にエンジンがかかって、とうとう車はあたしの家へ向かって走り始める。
うわぁ…なんか…何て言うか…。
恥ずかしいっ!
今まで何度か晩ご飯に連れていってもらったこともある。
でも、その時は例外なく会社から歩いて移動していたから、実は車に乗るのは初めてなのだ。
何を話していいか、そもそも運転中の彼にペラペラと話しかけても良いものか。
普段、運転手を務めている父相手であったなら全くしない気づかいをして、黙り込む。
あぁでも―――話したい。声が聞きたい。
…未羽ちゃん、って…呼んでほしい。
なんだか無性に泣きたくなって、からだのみぞおち辺りがきゅっと絞まった気がした。
「……?」
何とも言えない気分のまま顔を上げて外を見やると、そこはもうすぐ家の、ひとつ手前の信号だった。
く、車速い!
元々、家から学校までは徒歩で通える距離だ。
その中間地点の九条さんの会社から車で帰るとなれば、四、五分で着くのもあたりまえだろう。
―――せっかく神様から与えられたチャンスを、全て無駄にしたような気持ちで。
無意識に口からはぁ…とこぼれたため息は、車の発信音にまぎれて消えた。
…隣の九条さんはといえば。
駐車場を出てから、ずっと何かを考え込んでいるようだった。
ううん、駐車場を出てからじゃない。
あのメールを、見てからだ―――。
眉間に皺を寄せた九条さんもやっぱり麗しいけれど、それとは反対にざわつく心。
それを打ち消すために、あたしは大きな声をあげた―――。
「こ、こでいいです…ッ」
「え?」
おとなしかったあたしがいきなり声をあげたからか。
九条さんは驚いた顔をしてあたしの方を振り返った。
「ここから本当にすぐなんです。あたしの家。これ以上入っていくとちょっと道狭くなっちゃうから…」
これは事実だった。
「大丈夫だよ?運転ならかなり慣れてるし…」
そう言ってくれる九条さん。
嬉しいんです。嬉しいけれど―――。
「お願いです…ここで」
あたしは、あなたの隣にいると…嬉しい以上に、辛いんです。
あなたのそのすがめられた眼差しは。
―――一体、誰に向けられているんですか―――?
…ふつうじゃないあたしの様子を感じ取ったのか、訝しみながらも、九条さんは黙って路肩に車を停めたのだった。
のろのろと降りる準備を始めるあたしから、九条さんは目を離さない。
顔が綺麗な分、九条さんのまっすぐな眼差しは、どこか鋭く感じさせられる。
意識しながらも気づかないフリをして。
「じゃあ…ありがとうございました」
ドアに手をかけた、その瞬間―――。
「未羽ちゃん!」
―――え……。
ぬくもりを感じたのは、右の手。
いきなりの展開に、今度はあたしが驚いた顔をして右の手に目をやると。
あたしのそれは、九条さんの左手に包まれていた―――。
「っ!」
その光景を認めた途端、瞬時に頬が赤く染まる。
自分でも容易に分かるほどに。
おさまっていたはずの心臓が嘘のように、またどくどくと脈を打ち出した。
なに!?どうして!?なんであたしの手があなたの綺麗な手の中に!
真っ赤な顔に、恥ずかしさと、何かあるんじゃないかって猜疑心から生理的に浮かんだ涙。
その時のあたしはよほど情けない顔をしていたと思う。
繋がれた手を凝視していた目線を、そのままおずおずとあげれば。
―――真剣な瞳とかち合った。
「あ…」
「未羽ちゃん。」
「は、はい」
「明日は、暇?」
「……はぃっ?」
…予想していなかった言葉に、見事に声が裏返る。
「時間、ある?」
なおも問う九条さんの瞳は、真剣そのもの。
通った鼻筋。キリッとした眉。長い睫毛。
何より、その、漆黒の瞳。
気づいたときには、吸い込まれそうに「はい…」と答えていた。
けれどあたしをもっと驚愕させたのは、その次の言葉だった。
「海に、行かない?」
「…ふぇ?」
「海に、行こうよ?」
「えっ…、えぇーー!!」
海!?海ってあの海!?海原の海!?The sea!?
なんで!どーして?っていうか…凄く嬉しい!!
「行くっ!行きます!行かせてくださいっ」
反射的に二つ返事でオーケーした。
海、大好きーッ。
瞳を輝かせてこくこくとうなずくあたし。
すると次の瞬間、九条さんは―――。
「そう…良かった―――」
…笑ったのだ。
いつもの綺麗な微笑じゃない、心の底からほっとしたような、相好を崩した笑顔で―――。
「―――」
ねぇ…なんで?
なんでそんなに…ほっとしたように笑うんですか?
あたしが、あなたからの誘いを断るとでも思いましたか…?
断れるわけ、ない。
断れるわけ、ないよ…。
まだ笑ってあたしを見ている彼の顔を、どこかぼんやりと見つめながら。
あたしはそんなことを考えていた―――。