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に。日々を彩る五時の約束

軽くメイクを直してから二人で学校を出て、あたし達はしっかり車屋さんに来ていた。


「どれ?どのひと?」


ひなが148センチの低身長をカバーするように、精一杯首を伸ばして事務所の中を覗く。


あたしは163センチとわりと大きいので、普通に立っていても中の状態は伺えていた。


ここの車屋さんは、外からでも事務所の中が見える造りなのだ。


「うーん…いないみたい」


「えぇー、つまんないのぉ。せっかく美男子を拝めるかと思ったのに」


ひなが唇を尖らす。


「はは…仕方ないよ。今日は帰ろ?」


あたしは九条さんがいないことにほっとしながらも、心のどこかで少し残念な気持ちがあった。


不思議だよなぁ。…今朝会ったばかりのひとなのに。


ふぅ、とため息を吐いて踵を返したその瞬間。


「きゃあ!」


「うわ、びっくりした。…未羽ちゃん」


すぐ後ろに、思い描いていた彼がいた。


「くくく九条さん!なんでそんなところにいるんですかっ」


「ははっ、くが多いよ。外回り行って今帰ってきた所なんだ。見覚えある後ろ姿が不審に会社の中覗いてるなぁと思ったら、やっぱり未羽ちゃんだったんだね」


「う、その…はい」


不、不審だってさ…めちゃくちゃ恥ずかしい。


「見覚えある」って言ってくれたことは、すごく嬉しいけど。


「今朝はほんとうにごめんね。学校、大丈夫だった?」


「あ、はい!それは全然問題なしです」


「あー、良かった。僕今日仕事してても、未羽ちゃんは大丈夫かなっていうことしか頭に浮かんでこなくて。安心したよ」


「九条さん…」


「それでどうしたの?」


はっ!そうだった!あたし理由考えてない!!


何て言えばいーの?


ミーハー心に負けて顔を見に来ました、って!?


あたしがうまく立ち回れず赤くなったり青くなったりしていると、おとなしくずっと横でいきさつを見守っていたひなが、元気に声を上げた。


「はいはーいっ。突然来てごめんなさぁい。あなたが九条さんなんですねっ。あたし、未羽の大ッッッ親友の黒瀬ひなって言います」


「へぇー、そうなんだ」


え…、ひな?てゆうか、九条さんもそんなあっさり信用しないでよ!?


「はいっ。それでねぇ、未羽から今朝のこと聞いたものだから、あたしも親友としてシャツ貸してくれたお礼言いたいって言って、無理矢理ここに案内してもらったんですっ」


得意満面。


ひなは堂々とそう言い切った。


「なるほどね。でも今朝はほんとに僕が悪かったから。お礼なんてよかったのに、未羽ちゃんいい友達持ったね」


「ははは」


あたしは乾いた笑いしか返せなかった。


ひな、恐るべし!


「じゃあ、今日のところは帰りまぁす。九条さん、ばいばいっ」


え、えぇ?帰んの?


あたしも慌てて頭を下げると、「さよーならっ」と言って車屋さんを後にした。


びっくりして小声で「うん、さよなら…」と返す九条さんが目の端に映って、あたしは何度も何度もごめんなさいと心の中で謝っていた。


そして、夜。九条さん宛のメールの編集画面を表示したまま、指が動かず数十分。


どうしよう…なんてメールしよう。


とりあえず連絡先ゲットしたのはいいけど、メールをしたら繋がりが切れてしまう気がして怖かった。


だって、『明日シャツ持っていきます』『分かった』ってなっちゃったら、それでもう用事は済んじゃうじゃない?


あたしはそんなの嫌だったから…。


でも、シャツを返すためだといって聞き出した以上、その内容でなければならない。


ため息をついて、あたしはメールを打ち始めた。


―――未羽です。

今日はいきなりすいませんでした。明日、学校終わったらシャツ返しに行きます―――


五分後、意外にも早く、メールの返事がきた。


携帯を握りしめてベッドにうつ伏せで寝ていたあたしは、思わずびくっと過剰反応してしまう。


…九条さんだよね。メール開けるの、意味もなく緊張するんですけど…!


―――分かった。未羽ちゃんは、何時頃くるの?―――


うわあぁぁああ。


九条さんの、初メール!!保護しなきゃ。


あたしは、ばかみたいにテンションが上がってしまうのを自覚した。


やっぱりあたしって現金な女。


―――仕事は何時に終わるんですか?―――


学生で部活にも入っていないあたしの方が早く時間が空くのは目に見えているから、九条さんの仕事が終わる時間に車屋さんを訪ねようと思ったのだ。


案の定、あがるのは五時過ぎだと返ってきて、あたしはその時間に合わせていくと伝えて、その日はメールを終わらせた。


だって、しつこい女だと思われたくなかった。


用もないのにメールを送る、うざい奴だと思われたくなかったから…。


九条さんとの出会い、初メール。


嬉しいような、悲しいような、微妙な気分で。


今日はやけに濃い一日だったと思いながら、あたしはいつのまにか眠りについていた―――。






朝。チチチ…という鳥の鳴き声で目が覚める。


ああ、なんて清々しい朝の目覚め!


カーテンと窓を開けて、目一杯空気を吸い込む。


気持ちいいー。


ぐっ、と伸びをして、ふと枕元の時計に目をやったあたしは。


…どうかこれが、夢であってほしいと思った。


八時!?やばいって!間に合わないから!!


学校まで徒歩二十分で通っていたあたしは、めちゃくちゃ焦っていた。


ご飯も何もかも、後回し。


だからもちろん、ベッドサイドに用意していた洗濯済みの九条さんのワイシャツのことだって、頭からすっぽり抜け落ちていたのだ。


―――学校に着く、その時までは。


「未羽〜。どおしたの、ずいぶん疲れちゃってー」


…そりゃ、あんた。家からぶっ通しで走ってりゃあね?誰でも疲れるっつーの。


「瀕死ー。こわ」


「………」


「髪の毛もぐちゃぐちゃだねっ」


そうだよ。こんなんじゃ、九条さんにだって会えない……………。


九条さん…九条さん?


「あーーッッ!!」


ワイシャツ!!ワイシャツ忘れてた!!


最悪…ありえない!今日行くって言っちゃったのに!


しかも、昨日携帯を握りしめて寝てしまったから充電もされていなかった携帯は、いまやただのインテリアと成り果てていた。


メールで教えようにも教えられない。第一、仕事中なら見てもらえるかどうかさえ分かんないだし!


あぁーもう、あたしの馬鹿!!どの面さげて九条さんに会いにいけってゆーのよ!?


「未羽。心の中で会話しないでー。傍から見てれば変人だよぉ〜」


ねっ、分かるぅ?と、ひなはあたしの頬をぺちぺち叩いた。


「痛い。分かる」


「あれ?自分変人って認めちゃった?うふふー」


……………。


「鐘。鳴るよ」


「ちぇー、つまんない。未羽、今日も九条さんとこ行くんでしょっ?進展あったら教えてねん」


だから、どこからそんな情報を!ほんとに怖い子!!


あんたどうせあたしが逐一報告しなくたって、その情報網使って状況把握しちゃうんでしょ!?


自分からはぜっっっったい、教えねぇ!!


なんて決意を固めたとき、ふと思った。


…五時まで何してよう?


―――結局。


時間になるまで、あたしはひなに付き合ってもらうのだった。


ふっ。…決まらない。






九条さんが勤めている車屋さん。そこから出たところすぐに、腰掛けられるような段差がある。


ひなと別れて学校から歩いて来て、疲れていたもんだからラッキー、なんて思って座った。


よし、ここをあたしの定位置にしよう。


…って、これからも来る気満々じゃん、あたし。


とりあえず明日こそはシャツ返すために来るのは確定なんだけどね?


九条さんだってそれ以外の用事なんかないの、分かってるんだけどね!


…ふと、冷静になった。


どーせ、変人ですから。男のひとのワイシャツの匂いかいで、鼻の下のばしちゃってる変態ですから?


………虚し。


なんてことを、つらつらと考えていた。


「未羽ちゃん?未ー羽ちゃん」


そして、これも変態が為せるリアルな妄想の一部なのだろうか。


目の前に九条さんがいる(ようにあたしには見えた)。


なめらかそうに見える白い肌の手を、ひらひらとあたしの顔の前で振っている。


「…………………」


―――って!!本人だから!!本物だからぁ!?


「はは、はいっ、はいっ!」


「はい、は一回」


「はい!」


「ぷっ…、くくっ」


「………」


九条さんが吹き出した。


笑っちゃいけない。我慢しなければ。でももうだめだ、おかしすぎ。


…みたいな笑い方で。


「なんでございましょーか」


さすがのあたしもちょっとむっとして、半眼でじとっと()めつける。


九条さんは、ごめんごめん、と謝った。だけどすぐに、でも、と言葉を続ける。


「可愛いんだもん」


「えっ…!?」


「犬みたいで」


…うん。分かってた、お約束。


「悪く受け取らないでね?誉め言葉だから」


「えぇ!」


く、九条さんてやっぱり天然た。


紛うことなき天然だ!


そんなんでいまどきの女子が喜ぶとでも思ってんだろうか?


「未羽ちゃんの笑顔、可愛いんだから」


…うん。


喜ぶ。


素直に喜んじゃうよ。


「…で、なんか見たところシャツ持ってきてないみたいだけど…」


「あ!」


そう、これが本来の用事。


「それなんですけど!今朝、寝坊して忘れてしまって…ごめんなさい。携帯も充電切れちゃうし…」


「ああ、それでわざわざ伝えにきたんだねぇ。ありがと、僕は明日でも全然構わないから」


でた!必殺九条キラースマイル!!


うぅ…後光射してる。


「ありがとうございます」


「ん、いーよ。それに、また忘れても今度はメールで知らせてくれればそれでいいし」


ね?と言って、九条さんはまた笑う。


「え…」


一瞬、フリーズしたあたしを訝しげに覗き込む。


「…どうかした」


「い、いえ、あの…」


それじゃ、会えなくなっちゃう。


顔、見れなくなっちゃう。


あたしは、スカートのポケットの中の携帯を、布地の上からきつく握りしめた。


分かってる。


あたしにそんなこと言う権利なんか微塵もないの、分かってる。


でも、だから―――。


「く…九条さん」


「ん?」


「あ、あたし…携帯、今日から使えないんです。今月、ちょっと苦しくて。料金未払いで止められちゃいました」


嘘。


神様、ごめんなさい。


あたし嘘をつきました。


「そうなんだ…」


「だから、忘れても持ってきても、毎日来ますね。…九条さんが待ちぼうけしないようにっ」


嘘を、胸中を悟られたくなくて、あたしは努めて明るく言う。


九条さんは、それを何の疑いもなく信じたようだった。


「そっか、分かった。じゃあ僕も待ってる」


―――そんな流れで、あたし達の午後五時の待ち合わせが始まった。


日付が変わっては、何も持たずに九条さんの会社に訪れる日々。


毎日毎日、決まったあの場所で、日が沈むのを眺めながら「未羽ちゃん」とあたしを呼ぶ、やさしい声を待つ。


もちろん、こんな毎日本気でシャツを忘れているわけじゃなかった。最初の一日以外は、全部わざとだったのだ。


平穏で、何の変哲もない、安息感に包まれたゆるやかな幸福を噛み締める。


あたしは確かに、九条さんと一緒にいる時間が大好きだった。たまらなく好きだった。


今日、学校で何があったとか、嫌いな先生の愚痴とか、テレビの話とか。


他愛のない話を、彼は嫌な顔一つせず聞いてくれた。一緒になって、ノってさえくれた。


時には九条さんが、あたしにこれまた同じように嫌味ったらしい上司の愚痴を言っていたこともあった。


二度、晩ご飯にも連れていってくれた。


そうやって、三週間。


ある日、あたしはひなの様子がおかしいことに気づいた。


前はあれほど進展はあったのかってうるさかったのに、ここしばらくあの小悪魔的な笑顔を見ていない。


それに休み時間の度、必ず誰かとずっとメールをしていた。


…なんでだろう。


胸に、一陣の風が吹いた―――。


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