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空腹と恋愛 どうして急にカレーライスが食べたくなって、あの人が気になるのだろう?

作者: 明日葉

 うちの母方の血統には特有な現象がありまして、お腹が減ってある一線を越えると急に冷や汗が出るそうです。

低血糖症状っぽいのですが、検査のマーカーでは特に糖尿病ということでもないようです。そんなわけで特に午後3時ごろあたりにおやつを欠かしません。

 どうやら、炭水化物をメインとした食事の後にいつもよりも体を動かしたり、いつも以上に頭を使ったりするとなりやすいようで、できればおかず中心の食生活にしたいのですが、やっぱりチャーハンが食べたくなったりします。

 ちょっと怖いので、手持ちの古い生理学の教科書によると空腹感や満腹感はグルコース感受性や受容体ニューロンを通じて体内環境や末梢臓器の情報を受容して摂食中枢や満腹中枢、前頭連合野、辺縁系、運動中枢からなる神経系によって認知されるそうです。


 ざっくりとまとめるとお腹が減ると体全体で脳髄に向けて「腹減ったよー!!」と叫ぶから空腹が辛いんです。

んで、周囲の外部環境の情報を知覚して、

 「誰もいないぜ、冷蔵庫があるぜ」と認識し(外部状況の認知)、

 「こいつの中にたっぷりと食べ物がありそうだぜ」と認知して(食物の識別)、 

 「このプリンがいいぜ」などと冷蔵庫などから食べ物を取り出して(食物獲得行動)、

 「食べるゼェ、目一杯食べるぜぇ」(摂食行動)

 そして、「食べ過ぎタァ」(満腹感)となるそうです。


 ここで私がいつも不思議に思っていたのが、どうして「おなかと背中がくっつくよ」じゃなくって、「羊羹が食べたい」になるんだろうということです。

 別に羊羹に不満があるわけではなくって、ここには『丼からはみ出るほど豚の背脂ともやしが載ったラーメン』でも『うどんのコンフィ アメリケーノ 付け合わせにザリガニの素揚げもね。』でも『トーストのサンドウィッチ ファストスプレッド&白砂糖 サンドウィッチのパンは四つ切りの耳付き、生パンでね。』でもなんでも置き換えは可能なんですが、なんで特定の食品が食べたくなるんだろうなぁと不思議になるんです。

 空腹感の認知に関しては大脳やより低位の中枢神経系が関与していますが、空腹感の強弱や時間帯の違いで食品の特定はされないはずなんですよね。


 21世紀に入るか入らないかの頃の脳研究では、例えば『スイカ』に固有に反応する細胞があるのではないかなどと考えられていた時期もありましたが、そんな固有細胞はあるわけではなく、中枢神経はそれぞれが緊密に連携し、並列だったり直列だったりしながら人の行為を支えています。


 よく、「ふふふっ、人の大脳の9割は未使用なんだよぉ!!」、「な、なんだってぇー!!」、「並列思考!!」、「(何やら厨二的な精神系の必殺技名)!!」、「グワァー!! ヤラレター!!」と言ったやりとりがされることが、少し前にあったり、なかったりしていますが、今の脳機能を測定する機械により人の大脳をはじめとする間脳、中脳、小脳や脊髄などはフルに機能していて、日常生活での行為や知覚システム、認知システム、認識の中で使われていない部分はないようです。


 だから特定の物品に関して記憶を保持するような細胞がたとえあったとしたら、大変なことになりそうです。

 ちなみに記憶の保持の際には音声言語や文字、数字を含めた記号とその意味を保持する部分、あとはなんらかの出来事や対象物に対して感情を巻き起こすようにする部分、そして運動に関する一連の細かい動作をセットとして保存する部分の記憶がそれぞれすべて別にありそうで、さらに外部環境を見たり、触ったり、匂いを嗅いだり、音を聞いたりする知覚システムによって記憶を補填することもあるようで、全ての記憶が頭の中にあるわけではないようです。(あくまでこれは現在の知見を基にした仮説で全てが確定的に結論づけされているわけではないので、〜だそうです。としかかけませんのでご了承してください)

 話はズレてきましたが、空腹感の認知と物品の記憶、それに伴う感情に関連性はなさそうで、お腹が減ったと認知した時にその解決として前頭前野を中心とした高次脳機能のさらに高次な機能で人は「冷蔵庫の中のものを勝手に食べるとママ/姉妹/嫁が怒ってヤバイ。そういえば棚にカップ麺があったな。それを食べようかな?」と戦略的に考えて、食物獲得行動を起こすのです。

 でも、時折、急に頭の中がギョウザやカレーライス、牛丼もしくはシュークリームやアイスクリームに占領されてしまうことがありますよね。

 その他で代用が効かない。

 この現象はなんだろうと思うわけですよ。


 脳科学でもわからないので、私は精神分析に頼ってみようと思って書を紐解いたのですが、フロイトさんはちょっと19世紀のウィーンに馴染みすぎて、正直理解が追いつきませんでした。

 で、もうちょっと近い世代の人がいいかなと思って、フランスのジャック・ラカンさんに声をかけてみました。

で も、この方々はあんまり、食べ物にこだわらないようで、その代わりに人間関係ばっかりでした。当たり前ですね。


 でもでも、似ていませんか?


 生殖活動欲求は医学的にも脳科学的にもちゃんと研究されています。

 いますが、「なんで、私じゃなくってあの子を選ぶのよ!!」、「俺は地球上のすべての女の人生とは関わることがない。そんな負け犬の人生を送ることになるんだ。」などなど。そのような問いには答えてくれません。


 生殖活動と恋愛を一緒にしてはいけない?


 そうですね。


 でも、恋愛をしたい。誰かの特別になりたいという気持ちは誰しもありそうですし、その時に思う相手はかなり漠然としていると思いますが、いざ、ある特定の人に対してときめくのに、その隣の美男美女にときめかないのはなんででしょうか?


 私の印象としては食べ物への希求と恋に落ちる瞬間は構造的にはよく似ているような気がします。

 とまあ、無茶な言い訳をしてみましたが、ラカンさんも歯ごたえがある本を書かれるのですが、それなりに面白いことを言う方でした。


 しかし、私の中枢神経の処理能力程度では説明がうまくゆかないので新宮一成先生というラカンさんの研究者が書かれた新書を頼りにまとめます。


 自分をxとして、それ以外の他人たち全員をyとします。


 この二つの陣営に共通して持っている目線をx+yと書き表して、自分という存在を見るとx/(x+y)という方程式になるそうなんです。

 これが理想の自分であり追い求めるべき姿なんですが、自分を含めた世界の全体から見た自分という存在を手に入れることは無理なんだそうです。

 でもこれがラカンさんのいう対象α(たいしょうアルファ)と言われるものの本質で、これを方程式で表すと、下記のようになるそうです。


 x/(x+y)=α


 手に入れることができない対象αですが、他人との関係を続けるうちに言葉や態度の中で時折、自分をどう見ているか、その姿が浮かび上がってくることがあります。これをy/xとします。

 すると、この関係の中での状態は、以下のように表すことができるそうです。


 y/x=α


 これを解くとy=αxとなるから、y=αxをx/(x+y)=αに代入すると、


 α=1/(1+α)


 になって、これの正の解を取ると、


 α=(√5-1)/2


 になるそうです。(すみませんが式にはかなと英数字が混じっています)


 で、この値は何かと言うと黄金分割比、黄金数で無理数だそうです。


 新宮先生はラカンさんが『自分が他人をどう見ていること』が『自分が全体の中で何であるか』ということと等しい時、他人は自分にとって黄金数だという。としています。


 私には全ての人の中から見た自分という神様視点とかよくわかりませんが、私の解釈での結論は、人間関係は割り切れない(無理数)。

 割り切れないから美しい(黄金数)です。


 だれが、精神分析の成書にオチをつけなされといった!?


 怒っても仕方がないのですが、自分というものは他者との関係の中でしか出てくることがなく、他人を神の視点で愛することが自分を浮き上がらせる方法であると言っているそうです。


 結局、他者と語らいたい、関係を持ちたいということは、対象α、全体から見た自分というものを欲する欲望から来ているようで、その中でも特に誰かに惹かれるのは、その欲望を満たしてくれるのではないかという希望を見出しているのかなぁ?と私なりに思っています。

 かなりエゴイスティックな解釈になってしまいました。


 ラカンさんの本はたくさんあるし、大半が講義録の形なので、すごく取っ付きづらいので当たっているとはとてもじゃないけど言えません。だから、様々な人の解説の手を借りて、私なりの解釈、私が読むラカンさんということで思ってください。


 ちなみにラカンさんを含めた現代思想家の人たちはこうやって数学や自然科学を自分の哲学の説明に使いますが、自然科学の分野の方々から結構な批判がありましたね。概ね間違っているとか。カッコつけてるのに間違えているプププ〜とか。


 でも、ラカンさんはいいことも色々と言っています。

 例えば鏡像段階なんかも素晴らしくって、乳幼児が鏡を見ることによって、それまでバラバラだったボディイメージがいきなり全体的に自分という存在を頭の先からつま先まで把握するとか、説明は難しいですが、本当に身が震えるほどせやなぁと思ってしまいます。

 類人猿でも実験でできると最近は言われていますが、そのような自分自身を把握する道具を作り出し、それによって精神的な発達を遂げるというか、ちょっと大げさにいうと自分の作った道具で自分が進化するなんていう考えを表明するなんて素晴らしいと思います。


 結局、なぜ人はカレーライスやあの人/あの子で頭がいっぱいになってしまうのかの答えは出ませんでしたね。

でも、この答えが科学的に出てしまっては世の恋愛小説はパラダイムシフトを迫られてしまうので、その方が良いのかもしれませんね。


 そんな答えのない終わらない日常の中、私たちは何かをモグモグと食べるのです。


 モヤっとしたオチですみません。


 引用及び参考文献


 (引用部分は文章省略のためにまとめています。出版社等に関しては興味があればお手間ですが検索していただけると助かります。)


 標準生理学

 ラカンの精神分析

 エクリ

 精神分析の四基本概念

 対象関係 上

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