第二章 難航 5
四人は並んでカウンターに座り、店主だと思われる三十代の男にそれぞれラーメンを注文すると、今まで捜査ということで緊迫していた雰囲気とは一転して、和やかな雰囲気になっていた。
それは、桐谷にとっても嬉しいことだった。こんなところまで来ても緊張していたら、この先身が持たない気がしたのである。
「そういえば、桐谷さんは小説家なんですよね?」
一番右側に座っている桐谷に向かって、その真逆に座っていた藤森が、身を前に乗り出すような格好で、聞いてきた。
「はい。そうですけど」
「どんな小説を書いているんですか? 例えば、ジャンルとか」
すると、桐谷の隣に座っていた澤田も、興味の目で桐谷を見る。
「私も、聞きたかったんだよね。で、何書いてるの?」
二人に質問されたのなら仕方がないと、桐谷はあきらめた。実際、特に隠す必要もないのだが。
「そうですね。一応、ミステリーが主なジャンルですね。ホラーも、たまには書きますけど」
「ミステリーですか。桐谷さん、結構有名な作家さんなんですよね? 失礼ながら、私は読んだことがありませんけど」
そこで、その藤森の隣にいる野田が、呆れたように言う。
「藤森巡査は、その小説を読んだことがないのではなくて、もとから小説は読まないんですよね?」
「はい。そうでした」
と、藤森は頭をかきながら苦笑いする。周りもつられて笑った。
「私も読んだことないんだよね。でも、今度買うつもり」
澤田はそう微笑んだが、桐谷は逆に少し寂しくなった。多少有名だとは言っても、やはりこの程度なのか、と。
「私は、読んだことがありますよ」
「え? そうなんですか?」
野田の発言に反応したのは、藤森だった。
「ええ。ベストセラーになった……確か『永遠なる宴』でしたよね? あれは、面白かったですね」
桐谷は、その言葉に嬉しくならないはずがなかった。さすが野田さん、と心の中で呟いたくらいである。
「ありがとうございます」
「へえ。なら、私もそれを買おうかな」
などと澤田が言ったことも、野田の言葉で気分が良くなった桐谷にとっては、嬉しいことだった。先ほど抱いた寂しさは、すでに消えていたのである。
そのとき、頼んでいたラーメンが運ばれてきたので、四人は箸を手に取ってそれぞれ食べはじめた。
「――そう言えば」
おいしそうにラーメンをすすっていた澤田が、おもむろに口を開いた。
「耕介くんは、専業作家なの?」
その質問に、桐谷は一瞬たじろいだ。
作家を専業として食べていくのは、簡単なことではない。と言うより、今の時代は出版不況なので、よほど売れていなければ、ほぼ不可能と言えるだろう。多くの作家は、安定した収入を得るために兼業作家として、日中は本業に専念し、帰宅してから作品を書く、というのが一般的である。
たとえ売れている作家でも、突然売れなくなったり、不測の事態で打ち切りになったりすることがあるので、そういう意味でも、兼業作家が圧倒的に多数なのである。
桐谷も、デビュー当時こそ兼業だったが、売れてきたこともあって、専業としての道を選び、今までどうにかやってきたが、最近は売れ行きも悪くなってきていたので、少し心配だったのである。
そんなことで澤田のこの質問は、遠回しではあったが、ある意味で桐谷の痛いところを突いていた。だが、反対に専業を自慢できるところでもある。だが、桐谷はあえてそうは振舞わなかった。
「まあ、一応……」
桐谷は呟くように答えると、目の前にあるラーメンを大げさにすすった。
その行動の意味を全く理解できなかった澤田は、不思議そうに首を傾げたが、桐谷もあまり話そうとしないので、三人と同じく食事に集中することにした。
唯一の女性である澤田が、当然のように最後に食べ終わると、野田が会計を済まして、四人は店の外へと出た。
「いやあ、本当にうまかったですね」
「ですよね? 私、ここは気に入っているんですよ」
そんなやり取りをしながら、四人は車に乗り込んだ。席順は、三度目だが変わらない。
「時間も、ちょうどいいですね」
N社からこの店までが二十分程度だったので、往復すれば約四十分かかる。食事が一時間ほどかかったので、二時間には満たないが、それでもすでに十二時は回っており、十分な時間帯だった。
N社に向かっている間、話の主旨は再び黒川隼人の双子の弟――つまり、黒川誠についてだった。
「現在も、捜索中なんですよね?」
その確信を持っているからこそ、澤田は確認も含めて質問をしたのだろうと、野田は返答するのを少し躊躇した。実際、彼の捜索は事件後一週間で打ち切りになっていたのである。それを知って彼女が不満を漏らすことは、野田にとっても対応し難いことだった。
野田は、できる限りそうならないようにと、妙に慎重になって言葉を選ぶ。
「……いや、できる限りの手は打ったのですが、見つかりそうもなかったので、打ち切りとなってしまいましたね」
「そうなんですか」
自分よりも立場上地位のない澤田に対してだったが、それでも彼女はなかなか鋭いところを突いてくるので、野田は思わず溜め息をついた。
「でも、私思うんですが……」
そんな澤田が、また口を開く。
「その黒川誠が、事件に関係しているんじゃないかと思うんですよ。もしかすると、犯人ではないかとも」
「確かに、その線はあるかもしれませんね」
野田も、その可能性は考えているようだった。念を押すように、澤田は続ける。
「藤森巡査の言っていた犯行方法にも、当てはまっていますし」
「確かに、当てはまりますね」
と、藤森も頷く。桐谷は、その犯行方法について少し気になったが、彼らの話を邪魔するわけにはいなかいだろうと、あえて口には出さなかった。
「しかしそうなると、白崎や星野についてはどうなるんでしょう? もし、黒川誠が犯人だったとしたら、彼らの説明が難しくなりますよね?」
「まあ、それはそうなんですが……」
そう言いながら、澤田は後ろに座っている桐谷を横目でちらっと見る。桐谷は、まさかまだ自分が疑われているのかと少し焦ったが、大丈夫だろうと自分に言い聞かせて、押しとどめた。
「まあ、親と喧嘩していたということですから、その可能性は十分考えられますが、黒川隼人との仲はどうだったんでしょう?」
「それは……私がさっき言ったこととは矛盾しますが、仲が悪かったのは両親だけで、彼との仲は良かったと聞いていますね。友人もたくさんいたようですし」
「なるほど。まあ、人間の気持ちなんてものは、すぐに変わってしまいますからね。反対に、仲が良かったからこそ……というのもあります」
「ですね」
「――と言っても、見つけられないのでは、確かめようもないですよね」
突然、藤森が呆れたように言った。すると野田は、唸るように考える。
「やはり、もう一度捜索した方がいいかもしれませんね」
「そうしましょうよ!」
澤田は、強調した。
「事件を一刻も早く解決するためには、たとえ少しの可能性でも追究するべきだと思います。星野という人を捜すだけでは、心細いですし」
それに、と彼女は桐谷の方を見て続けた。
「耕介くんの容疑も、早く完全に晴らしてあげたいんですよ」
その言葉に桐谷は、やはりまだ疑われていたのか、と思う前に、彼女に対して素直に感謝していた。
「そうですね。もう一度捜しましょうか」
野田がそう同意したところで、車はN社の前に到着した。
先ほど同様、四人は中のロビーへと入っていく。すると偶然なのか、そこには杉上がいた。彼は四人の姿を確認すると、少し緊張した面持ちで歩み寄ってくる。
「……お手数をかけて、すみません」
「いえ。それより、星野義雄は?」
「はい。すでに本社の方に戻っております」
「そうですか。では、早速面会させていただきたいのですが」
「わかりました。では、先ほどの応接室の方でお待ちください」
そう言って杉上は一礼すると、応接室とは反対の右の方へと歩いていった。
四人は言われた通り先ほどの応接室に入り、彼が来るまでの間、しばし休憩する。
しばらくしてドアが開くと、杉上に続いて、桐谷よりは少し年上だと思われるくらいの比較的若い男が入ってきた。
「こちらが、星野さんです」
桐谷は目を見張った。義雄という名前だから、もっとがっちりとした男らしい、四十を越えた中年男を想像していたのだが、目の前にいる星野義雄は、貧弱そうな体つきに背も少し低く、一見頼りなさそうな感じだったのである。だが、話によれば切れ者ということで、人は見かけによらず、それでいて名前にもよらないな、と桐谷は改めて思った。
「星野義雄です」
と、彼は見かけによらない太めの声で言った。これにも桐谷は少し驚いたが、よく見ると、その目はあの白崎と同じく、鋭かった。
「一応のことは、伝えましたので」
「わかりました」
野田は短く答えると、長椅子に今一度座り直した。杉上と星野も下座の方に座り、対面する格好になる。
「では、早速お話を伺いたいと思います」
だが、そう言った野田に対する星野の一言は、あまりに冷酷だった。
「話すことなんて、何もありませんよ」
星野は、きっぱりと断言した。その言葉を発するタイミングは絶妙なもので、相手を完全に突き放すような、そんな感じだった。
「……そう言われましても、しっかりと話を聞かなければ、あなたが私たちの捜している星野さんではないということも、確認できないんですよ」
野田がそう対応したが、星野は依然断然とした態度で、言った。
「確認ですか……。つまり、それは証拠ですよね? 証拠なんてありませんよ。しかし、私はあなたたちの捜している星野ではない。その事実だけで十分ではないんですか?」
――なんて冷たい人間なんだ。その場にいる誰しもがそう思ったことに間違いはないだろう。
杉上も、「言い過ぎだ」と小声で注意したが、星野は「すみません」と軽く謝っただけで、その態度を崩そうとはしなかった。
「しかし、やはり確認させていただかないと、ことらとしても帰ることができません」
野田は少し弱気だったが、もっと強気でいってもいいのでないだろうか、と桐谷は思った。警察という立場なら、それが普通ではないか、と。だが、野田がそのような性格ではないということも、桐谷には少しわかっていた。
星野は少し黙っていたが、やがて溜め息をつくと、口を開いた。
「まあ、いいでしょう。少しの時間なら構いませんよ。と言っても、事実に変わりはないですけどね」
その皮肉な言葉に、藤森は一瞬、飛びかかりそうになったが、さすがにそんなことはできないので、どうにか感情を押しとどめる。
「ありがとうございます」
そう言って野田は、質問をはじめた。
星野が少しの時間と言ったからなのか、実際、質問は十分程度で終わったが、それだけでも野田は確信していた。
――この人は本当に白だな、と。それは話の内容からでもあったし、どんな質問をぶつけても、動揺するしない以前に、表情を何一つ乱さずに平然と、そして自然に答えていたこともあった。
「本当に申し訳ございません。星野には、私から少し言っておきます」
帰り際、杉上はそう言って何度も頭を下げていた。野田も、あえて彼を庇うような真似はしなかった。
四人は車に乗り込み、署へと戻る。
「何なの? あの人は! 常識ってものを知らないのかしら」
澤田は、今まで我慢していただろう不満をぶちまけた。藤森も憤然と頷く。
「本当ですね。あんな人が、よくあんな職務につけたと思いますよ」
そこで野田が、「まあまあ」と言って二人をなだめた。
「確かにそうは思いますが、まあ、人それぞれということでしょう。彼にしても、なぜ疑われなくてはいけないんだと思ったでしょうし」
「警部は、人が良すぎますよ」
野田は軽く微笑んだが、すぐに表情が真剣になる。
「……と言っても、本当に彼は白のようですからね」
その言葉で、それぞれの顔に緊張が戻った。
「やはり、警部もそう思われましたか?」
「ええ、彼ではないでしょうね。態度、というより雰囲気から見てもそうですし、しっかりとしたアリバイこそありませんでしたが、事件の日も仕事が入っていたそうですからね。彼は間違いなく白でしょうね」
野田が断言すると、藤森は悔しそうに言った。
「そうですよね。私は、彼が一番怪しいと踏んでいたんですが……」
「まあ、そう簡単に見つかることでもないですよ」
野田は、なぐさめるように言った。すると、隣の澤田が少し間を置いて口を開く。
「しかし、そうなると残りは十八人ということになりますよね」
「そうですね。そう言えば、その残り十八人の捜査はいつごろ終わるんでしょうか?」
と、野田は後ろの藤森に横目で聞いた。
「……ええと、明日には終わるはずです」
「なるほど。明日は、大変な一日になるかもしれませんね」
「大変……ですか?」
澤田が、おうむ返しに聞く。
「はい。見つかる――つまり怪しいのなら、その人に直接会いに行くつもりですし、見つからないとなれば、それもまた大変ですからね」
「つまり明日は、今までの捜査が実るか、水の泡になるか、ということですね?」
「そういうことですね」
と、野田は微笑んだ。だが、桐谷だけは、明日自分の容疑が晴れるかどうかの重要な日ということで、少し緊張していた。
翌日。空一面晴れ渡る、雲ひとつない快晴だった。
桐谷は、特別署に呼ばれはしなかったが、それでも当然、自分の人生が左右されるかもしれないこの日を、ただ漫然と黙って過ごすことなどできるはずがない。桐谷は、自分から署に顔を出した。
「桐谷さん、来たんですか」
野田が、少し呆れ気味に言う。しかし、その表情は昨日とは違って穏やかだった。
「まあ、今日はいいでしょう。桐谷さんも気になるでしょうし」
そういうことかと納得し、桐谷は周りを見て、野田しかいないことに気がつく。
「藤森さんと澤田さんは?」
「ええ。もう少しで来ると思います。その情報も持って」
「そうですか――」
と、桐谷はひとつ深呼吸して、どうしても聞きたかったことを質問してみる。署に来た理由は、これを聞きたかったことでもあるのだ。
「――あの、野田警部」
「はい。何でしょうか?」
「……私はまだ、犯人として見られているんでしょうか?」
途端、野田の表情に緊張が宿り、一方で悲しそうな雰囲気も感じられた。それを見て、桐谷も確信する。
「そうですね。まだ、完全には晴れていません。証拠もないですからね」
「なら……もし、捜している星野が見つからないことにでもなれば、私は犯人として逮捕される可能性はあるということですか?」
「……はい。その可能性は十分にあります」
そう言って、野田は目を伏せた。
桐谷も、それ以上は何も言わなかった。そのことは、今までの流れの中から容易に察することはできた。だが、今こうしてはっきりと断言させられてしまうと、どうにも焦りや恐怖というものが生じてくる。だが、その焦りや恐怖は、自分でもどうしようもできない感情で、ただ、その心が動くままに煽られることしかできなかった。
数分の沈黙が続き、桐谷が少し耐えられないなと思いはじめたころ、ようやく藤森と澤田が到着した。
「すみません、警部。少し遅れてしまいました」
「いや、大丈夫だよ。それより、星野についての情報は?」
「はい。残り全員、調べ終わりました。それで、捜査結果は――」
思わず息を呑んだとき、桐谷は澤田が俯いていることに気がついた。そして、よく見ると藤森の顔もどこか優れていない。
――嫌な予感は、すでにこのときから存在していた。
「残念ながら、全員、白でした……」