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不覚の運命  作者: Traitor
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第二章 難航 3

 眩しい太陽光線がさんさんと降り注ぐ快晴の真昼。

 その日は桜の開花日ということで、花見スポットのニュースなどが取り上げられていた。人々がその可憐に咲く桜を堪能しながら、ご膳を楽しんでいる。そんな光景がテレビの中で流れている。

 野田は、大きな息をついた。

 星野について調べはじめてから、一週間近く経っている。そのこと自体は特に問題ではないのだが、他の手がかりを探すつもりがまるで進展が見受けられず、深刻な状況だったのだ。

 限られた貴重な時間が、どんどんと過ぎ去っていく。野田は、そんな焦りを感じながらも、その色々な可能性について考えてみるのだが、それでいて何も思いつかなかった。

 やはり、桐谷耕介が犯人なのだろうか。

 彼は最近、そう思うようになってきていた。これほどに情報はおろか、手がかりさえ見つからないということは、桐谷が嘘をついている可能性は十分に考えられる。

 しかし、と野田は頭を振った。彼は、桐谷を犯人として見たくはないのだ。

 だが、その脳裏には、どうして彼をそこまで庇おうとするのだろうか、という疑問も存在していた。彼は、桐谷に対する妙な情にも悩んでいたのである。

 ――自分は、彼に対して何か特別な感情、あるいは同情を抱いている。

 野田は、それを否定しようとはしなかった。ただ、その根源がわからないのである。

 以前、友人が罪を犯したということに対しては、その友人として、彼を疑いたくはなかった。だが、今回は友人ではなく、赤の他人なのだ。澤田の友人ではあるが、彼はそれを知る以前から、その感情を持っていた。

 どうしてだ?

 彼は、頭の中で自分にそう投げかけた。

 今までも、様々な事件を解決してきている。まだ二十歳になったばかりの青年や、すでに六十を過ぎた老人、新婚したばかりの女性まで、多くの人間と対面してきた。そして、事件を捜査し、犯人とわかれば誰と構わず逮捕してきた。

 罪を犯すような人間は、絶対に許さない。それ一心だったのだ。

 彼には、どんな犯罪に対しても赦免しないという断とした意志があった。そして、その理由は、彼が警察官になろうとしたきっかけに繋がっている。

 ――彼が警察官になろうと決心したのは、高校二年生の時だった。当時の彼は、部活にこそ入っていなかったが、そこそこ運動はでき、何より学力があった。彼の通っていた学校は比較的名の通った有名校で、そしてその中でも常に一位二位を争うトップクラスの成績だったのである。人間関係にもさほど不自由はなく、友人も多かった。

 だが、そんな彼にもまた、辛い過去が存在していたのである。そして、それは彼の人生を大きく動かす一大事だった。

 両親の死……。それがその形だった。

 その日から、彼を取り巻く環境が一変したのは、言うまでもない。

 それまでは、マンションに三人で暮らしていた。だが、両親を亡くした高校生の彼には、家賃を払うことなど到底できない。高校をやめて就職しようとも考えたが、ありがたいことに叔父に引き取ってもらい、その後の生活は一応保障された。だが、さすがに大学まで迷惑をかけることはできない。

 そこで彼は、以前希望していた大学進学をあきらめて、就職を決めた。

 そして、そのときに警察官を選んだのである。

 理由は単純だった。その両親を亡くした事件によって生まれた強い意志である。

その事件は、強盗殺人だったのだ。休日、彼が友人の家へ遊びに行っている間に起こった事件だった。

 犯行の目的は金。ただそれだけのために、二人もの人間を殺したのだ。

 ……許せない。

 はじめ、その事件によって彼の心は、その犯人に対する憎悪だけに染まっていた。絶対に死刑にしてやる。そうさえ思った。

 だが、犯人は結局死刑にはならず、無期懲役となって終わった。死刑を望んでいた彼にとっては残念な結果となってしまったが、そのとき、彼はあることに気がついてしまったのである。

 その犯人が死刑になってもならなくても、両親が死んだという事実に変わりはない。犯人が罪を償うという過去の清算よりも、それ以前の問題、つまり犯人が罪を犯すという事実に対して対処していくべきではないのか。

 そう思った途端、彼は殺人の起こらない社会、そして二度と自分のような不幸な人間を出さないような社会を望んだ。

 その理想を実現させるために、彼は警察官になったのである。

 だが、現実はそんな簡単なものではなかった。それを警察官になってはじめて思い知らされたのである。

 周りの人間だって、そんな社会を望んでいる。だが、そうはならない。犯罪はなくならない。だからこそ、警察官がいるのではないか。自分の抱いていた理想は、いや、それは単なる妄想でしかなかったのではないか。

 彼の理想は途端に崩れ、彼はいつしか現実を見るようになっていた。

 ……やはり、許せない。

 彼の心は再び、罪を犯す者に対しての憎悪に染まりはじめていた。

そんなとき出会ったのが、藤森だったのである。

 彼もまた同じく、理想を持っていた。だが、それは野田が持っていた理想とは、少し違っていたのである。

「私は、罪のない世界を望んでいます。しかし、そんな世界はありません。人は罪を犯す弱い生き物なんです。しかし、だからこそ私は警察官になろうと思いました。犯罪は許せません。しかし、その犯罪を減らすことは可能だと思います。私は、そのことに少しでも貢献できればと思っています。そして、もし罪を犯した人間がいたとしても、彼らがしっかりと更生して社会復帰してくれれば、この上嬉しいことはありません」

 現実を見ながらも、そこに自分の理想を入れていくという彼の考え方は、野田の共感を得るのには十分なものだった。

 ――犯罪は許せない。だからこそ、自分たちは犯人を追い回し、捕まえる。そして、立派に更生することを望む。そうしなければ、社会が崩れるからだ。

 そして、彼らをしっかりと逮捕することが、犯罪を減らすことに繋がる。犯罪は許されないということを、世の中に伝えるためだ。

 自分の理想に少しでも近付けたい。そのためにも、犯罪者を決して許してはならないのだ。

 ――彼は、そう心に誓ったのだった。

 そして、その思いがあったからこそ、彼は自分の仕事をしっかりとこなしてきたのである。誰であろうと、罪を犯した者を許しはしなかった。

 だが、この感情は何だ?

 野田は再び、自分に訴えた。

 桐谷耕介に対する思い。それは、一体どこから生まれたのだろうか。今まで、こんなことはなかったのだ。

 だが、いくら考えてもその原因には辿り着けなかった。

 野田は溜め息をつくと、タバコを取り出し火をつけた。その煙をゆっくりと肺へ持っていく。

 ――こんなことを考えていても、らちが明かない。今は事件の解決の方が先決だ。

 そう思ったとき、突然電話が鳴った。吸い込んでいた煙を吐くと、タバコを片手に受話器を取る。

「もしもし、野田警部ですか?」

 相手は、藤森だった。

「どうした?」

「星野について、少し絞り込めました」

「そうか。では、詳しく聞かせてくれ」

「はい。――都内の星野たちを何千人も調べて、まずはその中から犯人とは思われない未成年や学生、一般的なサラリーマンなどを消していきました。そして、残った人の中で、会社の上層部に当たる人間を探し、そこでも無関係だと思われる人はすべて消しました。最終的に残ったのは、十九人です」

「十九人か……。結構絞れたな。その中に女性はいるのか?」

「いえ。すべて男性です。女性は薄いだろうということで、最初から調べませんでした。調べておいた方が良かったですか?」

「いや、それでいいよ。私も、その星野というのは男だと思っているから」

「それで安心しました。では、電話で話すのもあれですので、明日署の方へ行って、もう少し詳しく話したいと思います」

「ああ。頼んだよ」

 電話を切ったあと、野田は残り少なくなったタバコを揉み消す。

 ――さて、ここからが本番だな。

 彼の中では、新たな情報を得たためか、うずうずとした感情が湧き上がっていた。


 野田がいつものように署に行くと、そこにはすでに藤森が待っていた。隣には、澤田もいる。そして、もう一人……。

「桐谷さん? 桐谷さんも来たんですか?」

 意外だった。容疑者ではあるが、事件の捜査とは無関係な彼である。わざわざこの場に来る必要はないし、言うなら来るべき存在ではない。

「どうして、桐谷さんが?」

 すると、藤森が応対した。

「いや、澤田さんが呼んでほしいと言いましてね」

「澤田さんが?」

 野田は彼女に振り向くと「どうしてですか?」と聞いた。

「いいじゃないですか。耕介くんは、事件と直接関係のある重要な人なんですよ。何か思い出すかもしれませんし、そのときは電話よりも直接の言った方が伝わりやすいですよ」

「まあ、確かにそうではあるんですが……」

 内心、彼がいることで事件の捜査について深く入り込めなくなるかもしれないという心配があった。もちろん、彼の容疑の可能性を追究することもできない。

「やっぱり、いるのは駄目なんですか?」

 彼の態度を見て、澤田は少し不安になる。

「いや、別にいることが問題ではありませんよ。事件と無関係ではない、むしろ事件の解決にとって重要な方ですからね」

「それなら――」

 ――いいじゃないですか、と彼女は言おうとしたが、野田に遮られてしまった。

「しかし、彼をここまで巻き込んでしまっていいのか、ということですよ。事件に関しては確かに重要な存在です。しかし、その捜査にまで足を踏み入れることは、行き過ぎではないですか?」

 澤田は無言になる。そこで、今まで彼らの話を黙って聞いていた桐谷が、遠慮気味に口を開いた。

「やはり、私はいない方がいいんですか?」

「いえ。いない方がいいと断言するわけでもありません。ただ、桐谷さんにも仕事があるでしょう。迷惑をかけているのではと思いまして」

やはり、彼は事件の捜査に関わるべき存在ではない。野田の、彼に迷惑をかけたくないという思いは本物だった。

「いえ、そんなことはないですよ。迷惑だなんて……。私も、その星野については気になりますし、もともとその名前を挙げたのも私なんですから」

 桐谷は、本当に気になる様子だった。野田も心配はあったが、大した不都合にはならないだろうということで解釈した。

「それなら、別に構わないんですが……」

「それよりも、私の方こそ迷惑をかけていませんか?」

「いえ、そんなことはないですよ。私たちとしても、桐谷さんが来てくれることはありがたいことなんです。と言っても、事件の捜査は私たちの仕事なんですから、無理して協力しようとはしなくていいですからね」

「はい。わかりました」

 一応、積極的に協力してほしくはないということを遠回しに伝えた。捜査に何か支障が出ないとも言い切れないからだ。

 野田の意図を、彼が理解したかどうかはわからない。

「――では、そろそろ本題の星野について入ってもいいですか?」

 そう切り出したのは、藤森だった。野田が「そうですね」と頷く。澤田と桐谷も、黙ったまま頷いた。

「昨日、一応連絡はしましたが、念のためもう一度はじめから話しますね」

 そう言って、彼は一枚の紙を取り出した。おそらく、星野に関する資料だろう。

「――まず、都内にいる星野という名字の方だけでも、三千人以上に及びました。しかし、女性は可能性が低いだろうということで、女性の名前と思われたものは調べなかったので、実質は半分くらいになりますね。そして、その男の星野たちの中で、事件とは無関係だろうと思われる人物、つまり、未成年者や学生などの若い方や仕事についていない方などを、まずは消していきました。そして、会社の中でも特に上層部に当たる人物と推測していますので、サラリーマンや自営業など、あと自由業の方も消しました。そうして残ったのが三十名です。その中で、一年程前から海外に滞在していたという方が一名、事件以前から入院していた方が一名、あと事件とは完全に無関係だとわかった方が九名いました。その方たちは除外して、最終的に残ったのが、十九名です」

「――なるほど。まだ、その中に私たちの探している星野がいるかどうかはわかりませんが、確率は高いかもしれませんね」

「はい。私もそう期待しています。まあ、会社の上層部の方だという推測が正しいかどうかが少し不安ですが、もしそうなら、この中にいると思いますね」

「まあ、そうなっていることを祈るしかないですね。ところで、今はその十九人について詳しく調べているんですか?」

「はい。十九人と数も限られてきたので、現在は一人ずつ当たっています。この調子で行くと、とりあえずは四、五人に絞れると思いますね」

 それは良かった、と野田は微笑んだ。

 だが、星野についての情報以外、今まで何の手がかりも見つかっていないのが現状である。そのことを考えると、素直に喜んではいられなかった。

「――そういえば、私たちも一人当たることになっています」

「わかりました。どんな方です?」

「はい。星野義雄という方です。四十二歳で、現在はN社の監査役として勤めているようです。しかし、若い頃は少し悪かったようで、重罪こそ起こしませんでしたが、高校生のときには何度か補導されたようですね」

「なかなか詳しく調べていますね。しかし、よくそれでそこまでの地位を確立できましたね」

 野田は、感心するように言った。澤田も「そうですよね」と同感の意を表す。

「彼は、相当の切れ者という話ですからね。会社の方でも重宝されたんでしょう」

「なるほど。しかし、そんな過去も持っていて切れ者ともなると、今回の事件に何らかの関係があるかもしれませんね」

「はい。私も彼は特に怪しいと思っています。ですから、私が推選して、彼に当たることにしたんですよ」

 藤森が得意気に言うと、野田も満足そうに頷いた。

「N社は、ここから近いんですか?」

「車で、二十分前後だと思います。すぐに出ますか?」

「そうしようか。澤田さんも、いいですね?」

「はい。構いませんけど……。あの、耕介くんは?」

 澤田の質問に、野田は困惑した表情になる。

「……いや、桐谷さんをあまり巻き込むわけには――」

「あの……私、行きたいです! 行ってもいいですか?」

 桐谷の突然の発言に、野田は少しうろたえた。野田は断ろうとしたが、彼が真剣なまなざしで自分を凝視しているのを見て、本気のようだな、と少し思い止まった。

 小考したあと、仕方がないと彼の同行を許可する。

「ありがとうございます!」

 そう言った桐谷の表情は、とても嬉しそうに見えた。

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