表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不覚の運命  作者: Traitor
6/20

第二章 難航 2

 翌日、桐谷が署に赴くと、野田たちは即刻昨日の質問をすることにした。

 まずは、黒川の性格が変わったことについて何か知っているか。三人は、知っているかどうかは五分の確率だと思っていたが、桐谷はその質問に対して特に迷った様子もなく、すぐに話しはじめた。

 話によると、彼の性格が変わった主な原因は中学時代にあったいじめだという。

 ――彼は、もともとは温和な性格の持ち主で、誰に対しても優しく、その上勉強もスポーツもできるという俗にいう優等生だった。だが、そんな彼にも唯一の欠点があったのである。

 それは、母親が風俗嬢をやっていたという過去だった。そして、それは自分では変えることもできない定められた運命だったのである。

 彼が家に友人を呼んだとき、偶然にも両親が深刻そうに話しているのを目撃して、二人で盗み聞きしたことがはじまりだった。その友人がそのことを言い振り回すと、周りの人間も中学生という多感な時期であったため、その事実を知ると途端に態度を変えて彼を罵倒し、しまいには高等ないじめにまで発展した。

 彼自身はじめは抵抗していたが、それでも周りの人間はいじめることをやめず、そのいじめを教師が知るまでの約半年間、彼はいじめられ続けた。

 桐谷は、そんな彼に対して毎度優しく声をかけ、元気付けようとした。彼とは以前からも仲が良かったが、その出来事から特に親友と呼べるような仲になったという。

 だが、いくら桐谷が親友になったとは言え、彼の心に二度と消えない深い傷が刻まれていたことに変わりはなかった。人を恐れ、誰とも口を利こうとしない。桐谷と親友になったそのときに、彼はまた対人恐怖症にもなっていた。

 それから、彼は唯一信頼できる親友である桐谷と、行動を共にすることになった。桐谷も、彼に対しての同情は強く、どうにかして彼を救ってあげたいと思っていた。

 桐谷は様々な方法で、彼の症状を治そうと努力したが、はじめは当然うまくはいかない。それでも桐谷はあきらめず、何度も繰り返すうちに、彼の心はだんだんと快方に向かっていった。

 そして、彼はついに対人恐怖症という枠から出ることに成功した。

 だが、それでも完全に治ったというわけではない。恐怖には至らなくはなったものの、彼は異常なまでの人嫌いになっていた。彼が、自然に囲まれた人の少ない地域に住んでいるのはその証拠である。

 さすがに人嫌いまで治せることはできなかったが、それでも人に話しかけることはあったし、それで笑うこともあった。桐谷は、それで十分だった。

 互いに就職し、彼もうまくやっているようなので桐谷も安心し、自分の仕事にも熱が入るようになったという。

 ――そして、今に至っている。

「……なるほど」

 三人は、彼の生い立ちに同情を寄せたのか、しみじみと頷きながら桐谷の話を聞いていた。桐谷も、彼らの態度に謝意を表する。

「隼人も、とても苦しかったんでしょうね。やっぱり、いじめは許せません」

 澤田が、強く主張した。

「そうですね。今やいじめは、立派な社会問題の一つです。これからは、彼のような不幸な人間を増やさないためにも、もっと努力していかなければなりませんね」

「しかし、その教師も、もう少しは早く気がつけたんじゃないですかね?」

「いや、いじめが社会問題として見られ出したのは最近のことですからね。そのころは、まだ特に注意して見てもいなかったんでしょう。まあ、その教師を責めないわけにはいきませんが、どちらかというと、国の教育方法を責めるべきでしょうね」

「まあ、そうですね」

「今は昔と比べて、いじめは減っているんでしょうか?」

 澤田は、疑問に思った。今や社会問題と見られ出したのだから、国の方も対策を打っているのだろうという考えからの疑問である。

「詳しくはわかりませんが、あまり変わっていないと思いますね。いじめを調査した統計上では、はじめは少しずつ減少している傾向にあったらしいのですが、最近になって、また増えたらしいですからね。まあ、いじめはそれ自体発見するのが難しいので、実際には増えているのか、減っているのか、わかりませんよ」

「そうですよね。あとは個人が意識するかしないか、でしょうか?」

「……と言っても、いじめはたちが悪いですからね」

 と、藤森が哀れむように言った。「そうですね」と野田が返す。

「いじめというのは、一人がはじめると周囲の人間をも巻き込んでしまいますからね。そのいじめられている人に対して、それまでは嫌いだという感情がなかったとしても、そうしているうちに無意識に嫌いだという錯覚が生まれてしまいます。そうなってしまえば、もう止まりませんよ」

 藤森と澤田は、思わず溜め息をついていた。そこで、野田が口を開く。

「……まあ、こんな話はもうやめましょうか。私たちも、時間がありませんし」

 藤森が「そうですね」と同意したところで、その話については打ち切りとなった。そして、もう一つの質問を聞いてみる。

「――そう言えば、桐谷さんは澤田さんとはお知り合いではないんですよね?」

 桐谷は、少し意外だというような顔をする。

「……いえ、知っていますよ」

 桐谷は笑顔で答えたが、三人は「え」と呆気にとられたようで、互いに顔を見合わせていた。特に澤田は、まさに鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、目を丸くしている。

「知っているんですか? 私を……」

 その中でも真っ先に口を開いたのは、その本人である澤田だった。

「はい。この間会ったとき、何か名前に聞き覚えがあるなと思って、ちょっと考えたんですよ。そうしたら、すぐに思い出せました。確か、同じ小学校でしたよね」

 だが、彼女はまだ思い出せないようで、必死になって考え込んでいた。

「すみません。私、憶えていないようで……」

 彼女は、苦しい表情で自分の過失をわびる。だが、そこで桐谷は「そうだ」と何か思い出したようだった。

「そう言えば、あの時は名字が違っていました。若本です。若本耕介という名前に、憶えはないですか?」

 彼女は一瞬悩んだかと思うと、はっとした表情になり口に手を当てた。

「え? まさか、若本耕介って……あの耕介くん?」

「やっと、思い出してくれましたか」

 と、桐谷は少しほっとした。あそこまで断言しておいて、本当は人違いだったということになったら、合わせる顔がなくなってしまう。

「うん。そっか、あの耕介くんか。じゃあ、名字が変わったのはなんで?」

 澤田は、何気なく聞いた。彼女は、もう敬語で話す気はないらしい。それに桐谷も呼応することにした。

「いや、俺が高校生の時に両親が離婚しちゃってね。それで名字が変わったんだよ」

 彼女は、自分の不甲斐なさに愕然とした。名字が変わった理由など、考えようと思えば考えられたではないか。それを、彼の悲しい過去まで思い出させることになった。彼は笑っているが、きっと心根ではその時の哀傷が蘇っているはずだ。先ほどのこともあり、彼に対して失礼極まりない。

「……ごめん。変なこと聞いて」

「いや、いいって。もうあのことは気にしてないし、再びこうして会えたんだから、今は再会を祝おうよ。と言っても、澤田さんたちは捜査もあるよね」

 彼の寛容な態度に澤田は安心し、同時に感謝する。見た目は男らしく変わっていたが、中身は昔と変わらない寛大で人間のできた人だった。

「そうね。なら、この事件が解決して耕介くんが犯人じゃないってことがしっかり判明してから、一杯やりましょう?」

「そうだね。そのためにも、早く犯人を捜してもらわないと」

 二人は、意気投合とした感じで、笑った。


 桐谷が署から帰ったあと、三人は事件について、もう一度最初から整理して話し合っていた。

「それにしても、本当に桐谷さんと知り合いだったんですね」

 突然話を変えたのは、藤森だった。

「はい。まさか、あの人が耕介くんだとは思っていませんでした」

「どんな人だったんです?」

 藤森が質問すると、澤田は少し唸るように考えた。

「小学校の時の友人ですから、しっかりとは憶えていませんが、いい人だったってことは憶えていますね。優しくて、誰にも恨まれないような人でした」

「なるほど。まあ、あなたからすれば、彼を犯人として見たくはないでしょうね」

「そうですね、考えられません。でも、そのような例はいくつも存在しますからね。事件を起こした犯人は、昔はいい人だったとか、そんなことをしたなんて意外だったとか……。もちろん、私だってそう思います。でも、やっぱり自分の立場を考えると、彼を犯人としても見ていかなければいけないと思います」

 すると野田は「すごいな、」と感嘆した。

「私も以前同じようなことがあったと、この間言いましたよね。しかし、そのときの私は、澤田さんのような思考は皆無でした。警察としての立場ではなく、その友人として、無罪の証拠を捜そうと必死でしたからね」

 そんなことは、と彼女は恐れ多いといった態度になる。

「だって、それでも警部は最後にその友人を逮捕したんですよね。それだけでも、すごいことだと思います。私も先ほどそうは言いましたが、実際に逮捕となってしまえば、そのように動けるかはわかりません」

「いや、それでも澤田さんはすごいですよ。……まあ、こんな話はもうやめましょうか。それよりも、事件のことですね」

 彼女や彼のためにも、一刻も早く真犯人を捜さなければいけない。そう考えた野田は、雑談などしている暇ではないと思った。

「そうですね。それで、この間話していた犯行の方法のことで思ったんですが……」

 そう言ったのは、藤森だった。

「何か、いい方法があったんですか?」

 と、野田が聞く。澤田も、期待して耳を傾けた。

「はい。私は以前、犯人ははじめから黒川の家に潜伏していたのではないか、と言いましたよね。そして、その時は難点が多く、その可能性の低さで否定されました。しかし、私はそれでもまだ納得できず、今までずっと考えていたんですよ。それで、見つけました。その難点を打開できる方法です」

 その希望に満ちた発言に、二人はさらに注意して聞いた。

「黒川たちが一斉に帰ってきたら、失敗になってしまう。そう言いましたよね? しかし、家にいたとしても別に不自然ではない人だとしたらどうでしょう?」

「なるほど。犯人は、黒川隼人の顔見知りということですか。それなら、簡単に家に入れますね。しかし、もしそうして家に侵入したとしても、周囲に傷をつけずに四人を殺すことは、たとえ隙を突いたとしても、ほぼ不可能ではないですか?」

「ええ。それでは不可能です。しかし、はじめに一人でいる黒川から、という方法なら可能なんですよ」

 彼は自信たっぷりに言ったが、「しかし」と野田が再び疑点を指摘する。

「それでも、三人同時に来る可能性と、殺害する時間のずれは回避できないのではないですか?」

 藤森は、彼の予想通りの対応に少し笑みを浮かべた。

「いえ、それも可能です。犯人は、はじめに彼を殺すのではなく、捕まえるんですよ。一人でいるんですから、隙を見て飲み物などに睡眠薬を入れる、その他の方法にしたとしても、簡単に捕まえられると思います。そして、たとえ三人同時に帰ってきたとしても、彼をどこかに眠らせたまま隠しておいて、今は留守などと言い、加えて、コーヒーを用意しておきましたなどと適当に飲ませれば、それで四人は完全に犯人の手の中です。あとは殺害し、自分の犯行の証拠を消せばいいんです」

 野田も、その考え方は思いつかなかったようで、「なるほど」と感心した。だが、そこで澤田が反論する。

「でも、司法解剖の結果に、そんなものは検出されていないですよね」

「そうでしたね、検出されていません。ですから、睡眠薬はないにしても、何らかの外傷を与えて気絶させたのかもしれませんね。バラバラにした理由も、その外傷を発見されないようにするための手段だったのかもしれません。その友人は、トイレに行ったときにでも不意を突いて、殺したんでしょう。残りは老人二人ですから、たとえ殺したことがばれたとしても、脅すなどして黙らせ、殺すこともできたと思います。その友人をバラバラにした理由も、その時に何らかの支障があったからなんでしょうね」

「と言うことは、やはり、桐谷さんがますます怪しくなってしまいますね」

「そんな……」

 そう呟いたのは、彼の友人でもある澤田だった。彼女としても、本心ではもう桐谷を犯人扱いしたくはないのだろう。二人も、彼女の気持ちは十分承知していたが、それでも犯人として疑うべきところは疑わなければならない。

 うつむく彼女に、野田はそっと声をかけた。

「大丈夫ですよ。怪しいとは言っても、まだ犯人と決まったわけではありません。それに、先ほどあなたと桐谷さんが会話していた時の彼の態度を見る限り、とても犯人が取るような態度、雰囲気ではありませんでした。藤森巡査も、本当は彼を犯人としたくはないはずです。しかし、今のところ他に何もないんですから、仕方がないんです」

 藤森も、野田の言葉を補うように言った。

「そうですよ。私だって、彼を犯人だと確信しているわけではありません。ただ、その可能性もあると言っているだけです。星野という人の手がかりさえ掴めれば、きっと桐谷さんの無罪も証明されると思います。ですから、そんなに気を落とさないでください」

「……ありがとうございます」

 澤田は、二人の言葉に深く感謝した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ