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不覚の運命  作者: Traitor
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第三章 無罪 3

 俺は中学二年生のとき、同級生である黒川隼人を約半年間いじめた。彼の母親が元風俗嬢だったという、ただそれだけの理由で。

 そのことは、紛れもない事実である。当然、反省しなければならない。ただ、それを知ったのも、彼が俺にとって良い友人だったからでもあった。

 まだ、夏休み前だったと思う。

 その日、俺は隼人に誘われて、彼の家に遊びに行くことになった。一年生のころからも仲が良く、以前も何度か行ったことがあったが、その日はいつもと違った、というより、違うことが起こった。

 彼の家は街中にあり、その住宅街の一角、その白い二階建ての一軒家が隼人とその両親が住む家だった。弟もいると聞いていたが、見たことはなかった。

 俺はいつものように彼の家に上がり、「お邪魔します」と一言挨拶してから、彼の部屋が二階だったので、彼が階段を上るのをあとについていこうとした。だが、そのとき彼は階段を上る直前で急に立ち止まると、横にあったドアの隙間から居間の方を見ていた。

「どうしたの?」

 俺は不思議そうに聞いてみると、彼の表情が少しほころんだ。

「なんか……話してるみたい」

 そのこと自体、特別変でもないだろうと俺もその隙間から覗いてみると、なるほど何か深刻そうに話しているようだった。

「少し、盗み聞きしちゃおうか」

 と、彼は楽しそうに言うので、悪い気がしてあまり乗り気でなかった俺も、彼に従うことにした。

 少し距離もあったので、その細部までは聞き取れなかったが、たまに大きな声で話すのを聞いて、その話の大体の内容はわかった。

 その話は、彼の母親が昔風俗をやっていて、そのことは、年ごろでもある隼人には、絶対に間違っても言ってはいけない、という内容だった。

「いいか? 絶対だからな」

 彼の父親が、そう何度も言っていた。

「話すときはいずれ来るだろうから、そのときに話そう。だから、今は間違っても口に出すなよ」

 そんなやり取りを見て、その実の息子である隼人がどんな顔をしていたのかは、憶えていない、というより、見ていなかったと思う。

 ただ、そのとき俺の頭の中では、色々な思考が巡っていた。

 風俗。

 その言葉に対しての俺の印象は、とても悪いものだった。それは、年ごろとあってか、周りの人間から風のように流れてきた話で、ある程度その内容は知っていたこともあるが、それ以上に俺の母親から色々言われていたのである。

 純粋な中学生にそんなことを教える、というより話をすること自体、俺の母親がおかしかったのかもしれないが、それが事実だった。

 そんなことで、俺にとって風俗、または風俗嬢という言葉は、いやらしい、淫らなどといった表現はあまりぴんと来ないものがあったので、悪いことや汚いなどといった偏見にも似た印象で形作られていた。

 その密談を聞いていたときも、俺の脳裏ではその悪いことや汚いといった印象が強く生まれていて、その印象は目の前の友人である黒川隼人にまで及んだのである。

 それが、彼を罵倒し、いじめることへの原因となった。だが、もしその間、一度でも冷静になれたら、いじめはすぐに終着したかもしれなかった。というのも、俺の精神が少し狂っていた、というより歪んでいたのである。

 俺は、自分で言うのは少し変なことかもしれないが、無邪気で素直な性格だった。だから、だからこそ、その事実に素直に衝撃を受けたのである。そして、彼に対しても汚いという印象で、それが素直な気持ちのままで維持されてしまった。

 だから、いじめを続けてしまった。だが、そのいじめも約半年後に担任の教師にばれ、反省文も書かされ、それで終わったのである。

 そして、そのときになって、俺ははじめて自分の起こした行動の愚かさを知り、彼に対して謝罪の気持ちを持った。

 彼の母親が元風俗嬢。ただそれだけの理由で、加えて、それはもう過去の話である。そんなことでいじめを起こした自分が馬鹿馬鹿しくて、愚かで仕方なかった。

 だから、謝った。彼に謝ろうとした。自分の愚行を、どうにか形だけでも謝ろうとしたのである。それしか、できなかった。それが、精一杯の彼への償いだったのだ。

 だが、彼はどうしても許してくれない。何度謝っても、何をしても決して許してはくれなかった。だが、それでまた俺が苛立ったり、いじめたくなったりすることは、一度もなかった。こんなことをしてしまったのだから、許してくれないのは当たり前だな、と思っていたのである。

 だから、俺はせめて彼の手助けになることは何かと探し、実際はどうだったかはわからないが、できる限りそうしたつもりだった。だが、やはり卒業するその日も、許してはくれなかった。

 俺は憂鬱な気分だったが、それよりも、この経験を活かして、これからの人生をしっかりと生きていこう、そんなふうにさえ思ったのだ。

 だが、彼とは仲良くなりたかった。だから俺は、自分の住所と携帯番号などを書いた紙をその卒業する日に渡した。

 いつか、彼と笑って話せることを夢見て……。

 そんな希望を持って、渡した。だが、結果的にそれが最悪の事態を招くことになってしまったのである。いや、たとえその紙を渡さなかったとしても、結果は変わらなかったのかもしれない。

 嫌がらせ……。それが彼の復讐としての形だった。

 最初は、何てこともない単なるいたずら電話だった。そして、俺もその相手が黒川隼人だとは知らなかった。ただ、最近いたずら電話が多いな、とその程度の認識でしかなかったのである。

 だが、それが年を重ねることにつれて、特に成人を迎えてから、だんだんとひどいものになってきた。知らないメールアドレスから送られてくるメールボムや、見覚えのない請求書などがその例である。

 それでも、俺はそれらを無視し続けた。誰からのものかもわからなかったし、どうせたちの悪い、最近よくニュースなどで問題となっている詐欺のひとつだと考えていたのである。自ら干渉しようとしなければ、そして騙されなければ、決して自分には被害が及ばないと思っていた。

 だが、そんな楽観的な考えでは済まなかった。そのいたずらは、無視できないところまで、行ってしまったのである。それが、今から半年ほど前のことだった。

 俺は、二十五歳でひとつ歳下の女性と結婚し、子供もいた。本当に幸せだった。幸せ過ぎた。だが、それを黒川隼人に壊されてしまったのである。

 俺は、今から一年ほど前、中学校の同窓会に呼ばれた。そのときも、黒川隼人の存在は当然憶えていた。そして、きっと楽しく話ができるだろうと思っていたのである。

 だが、事実は違った。

「どうだ? 俺の復讐は?」

 彼が、俺に近寄ってきて唯一浴びせた一言。そのあと、またすぐに違うところへ行ってしまったが、俺はその言葉を忘れることはなかった。

 最初は、意味がわからなかった。彼から復讐された憶えはないし、むしろ会ってさえもいない。だが、彼の言葉が嘘だとは思えなかった。

 ――ということは、どういうことだろう。

 俺は考えた結果、今までのいたずらなどは、すべて彼の仕業かもしれないという結論に至った。だが、それが本当かはまだ断言できない。だから、俺はその真偽を確かめるために、同窓会が終わったあと、俺は自分で彼の住所を調べ、そこに行くことにした。

 そして、そこでしっかり話し合おうと思っていたのである。

 だが、彼の態度は素っ気無かった。

「何だよ? 何か用か?」

 俺も彼の態度に憤慨するわけでもなく、どうにか話をしようと試みたのだが、彼は俺を家に入れることもなく、ただ一方的に話されて終わりだった。

「用がないんなら、帰ってくれないかな? 言っとくけど、俺はお前を許す気は全くないし、復讐だって続く。でも、俺ももう面倒になってきたから、あと二回くらいで終わらせといてやるよ。感謝するんだな」

 そう言って笑い、玄関のドアを乱暴に閉めた。そのとき、彼が俺を睨んでいたのを憶えている。他にも、何か色々言っていた気がしたが、俺はただ漠然と彼の言葉を意味も考えずに浴びていただけだったので、はっきりとは憶えていなかった。

 帰りの車の中で、彼に対しての苛立ちを少し覚えたが、それでも自分がやったことを考えれば、と解釈した。そして、あと二回などと言っていたので、それを我慢すれば終わりだと思ったのである。

 だが、それは我慢ならなかった。

 俺の幸せを壊したのだ。

 同窓会で、仲の良かった一人の女子と一緒に飲んだり、楽しそうに話したりしている写真。それが、何枚も家に送られてきたのだ。

 それには当然、妻が怒った。だが、俺はもとから同窓会に行くと伝えていたこともあったし、誰かのいたずらだと――正確には復讐だが、そう言って、その場はどうにかしのげたのである。

 だが、それだけでは済まされなかった。

 その同窓会の日、一度解散したあとに二次会もやろうということになって、そのために歩いて場所を移動した。そこには俺もいて、その送られてきた写真の女子もいた。彼女とは中学時代、他の男子並みに仲が良く、だからと言って恋愛感情などはない、ただの女友達の一人に過ぎなかったが、偶然にもそのとき、酔っていた彼女を俺は手を引いて歩いていたのである。

 そんな場面を写真に撮られた。夜の街を歩く、それもうまい具合にツーショットという形だったのである。

 そしてその写真は、はじめの店での写真が送られてきてから、その三日後に送られてきた。そのタイミングが、絶妙だったのである。それが、はじめの写真と一緒に送られてきたのなら、どうにか対処できたかもしれない。だが、そのタイミングは妻にとって、違う日に撮られた写真だと解釈されてしまうのには十分だった。

 そうなれば、もう終わりだった。俺も何度も説得を試みたのだが、妻は浮気だと言って聞かない。妻は、その写真が誰から、何のために送られてきたのかなど考える余裕もなかったようで、俺はありもしない浮気という濡れ衣を着せられた。

 そして、結局離婚してしまったのである。

 今までの幸せは、一瞬にして消え失せてしまった。そして、残ったものは黒川隼人に対する復讐心だったのである。

 彼には、何度も自分の過ちを謝罪した。だが、結局こんなことまでされてしまった。当然、ここまでされて許すことなどできるわけがない。

 今までずっと我慢してきたのに、彼はそれを最悪の形で打ち砕いた。俺は、彼に対してこれ以上ないほどの憎悪を抱いたのである。

 彼を殺したい。殺してやりたい。そう思ってしまった。残りの一回をやられる前に殺さなければ。そう思ってしまったのである。

 そして偶然にも、本当に偶然に、宇田正則という殺し屋に出会ってしまった。

 俺がバーのカウンターで、気を晴らすため毎夜のように酒を飲み食らっていたある日、その隣に座った一人の男が宇田だった。

 軽い茶髪にジャケットを羽織った、自分よりもやや若いと見られる男。そんな男が俺の隣に座って、話しかけてきたのである。

「どうしたんだい? そんな暗い顔して」

 優しく声をかけてくれたせいなのか、それとも多少酔っていたせいなのか、俺はそこですべてを、自分の不満も含めて話してしまった。

 ある友人を中学時代にいじめたこと。

 その友人からの復讐のせいで、妻と離婚してしまったこと。

 そして、その話を真剣に聞いてくれた彼に、俺は感謝と安らぎさえ感じてしまったのである。

「あんた……そいつを殺したいのか?」

 不意にも彼はそんなことを聞いてきた。話の内容と俺の心情を理解した上で、そう聞いてくれたのだと思い、俺は素直に言った。

「……ああ。殺せるならね」

 すると彼はにやりと笑い、俺にしか聞こえないような小さな声で、耳元で囁くように言ったのである。

「俺、実は殺し屋って奴をやっているんだ」

 それを聞いた俺は、どんな顔をして彼を見たのだろう。驚愕と困惑、その中に微かな喜びさえ抱いていたのかもしれない。

「……こ、殺し屋? 本当か?」

「ああ、本当だ。金さえ出してくれりゃあ、殺してやるよ」

 俺は思わずとも、身体の芯から震え上がっていた。

 今ここに俺の希望が、俺の夢を実現に導いてくれるものが、目の前に存在する。そう思い、願ってしまった。そして、言ってしまったのである。

 あいつを、黒川隼人を殺してくれ、と。

 今考えてみれば、そのときにもっと考えるべきだったのだ。

 ――人を殺すということが、どういうことで、何を意味するかということを。

 そのときの俺は本当に何も考えず、目の前の――そして、その先にある欲望のまま、答えを出してしまった。

 加えて、俺は相手が殺し屋ということで、捕まることは絶対にないだろうという、異様な考えさえも持ってしまったのである。

 そして、そんな甚だしい考えで俺は黒川隼人の殺害を依頼してしまった。

 それが事件から二週間ほど前の話。

 それから一週間ほどかけて、俺は宇田にそれ相応の金額を支払い、あと一週間ほどで黒川隼人を殺すということで話はまとまり、俺の依頼は完全に契約という形になった。

 俺は当初こそ、やっと彼を殺せると夜も眠れないほどに興奮していたのだが、その時間が近づいてくるにつれて、俺は違う意味で眠れなくなっていたのである。

 ――本当にこれで良かったのか?

 単に一言で表すとそういう意味だが、実際はもっと複雑で多々な考えが、俺の脳裏で巡り絡まっていた。

 ――人を殺す? それがどういう意味かわかっているのか?

 それらはすべて自問であり、俺は頭が痛くなるほどにまで考えた。考え続けた。

 そして、俺は自分のやったこと――これからやろうとしていることに対しての恐ろしさ、馬鹿馬鹿しさについに気づくことができた。

 ――人の命は、金で埋められるほど軽いものではない。それに、俺も簡単に自分の人生を投げ出すような真似はしたくない。

 それが俺の結論だった。もちろん、黒川隼人は憎い。俺がいじめたという過去があっても、その復讐で妻と離婚させられたことは許せない。だが、俺が今からやろうとしていることは、それ以上に許されないことではないのか。俺はそう考え、そしてそれに気づいたのが、殺害を予定した前日のことだった。

 そして、俺は当然のように殺人の依頼を取り消そうと、宇田に電話をした。だが、少し遅かったのか、きっぱりと断られたのである。

「取り消したいだと? ふざけるな! 俺だって、生半可な気持ちでこの仕事をやっているわけじゃないんだよ! 金も用意して、やると覚悟を決めたんだから、俺はもうあと戻りする気なんてさらさらないんだ! お前だって、本当は黒川隼人が憎いんだろ? 殺したいんだろ? でも、ただ怖いんだろ? お前の気持ちはそんなもんだったのか? それと最後にひとつ言っておくが、心配はいらない。俺は今まで何人と殺してきているんだ。失敗なんてあり得ない」

 俺は、彼の言葉を一方的に受けただけで――あのときの隼人とのことと同じように――結局何も言い返せず、そのまま電話を切られてしまった。

 絶望。

 それがあのときの俺の状態を表すに最も相応しかった言葉だろう。

 だが、それでも俺は人生を左右するかもしれないこの事態にあきらめを持てず、最後の希望を持って、もう一度彼に電話をした。

 そして、その日俺は彼に何度電話をしたのか、そんなことなど憶えていない。ただ、そのすべてを無視された。その事実だけが残っていたのである。

 ――当日。俺は半ばあきらめながらも、電話を繰り返した。

 昼過ぎだったと思う。その日何度目かのコールだったが、やっと彼が電話に出たのである。俺はこれが最後のチャンスだと気合を入れたが、彼の口から出た言葉は、俺の最も恐れていた――いや、実際はわかっていたのかもしれない――言葉だった。

「もう遅い」

 一言だった。だが、その一言こそ俺を絶望のふちに追いやり、精神を崩壊させるほどの威力を持つには、十分過ぎた。といっても、実際に精神が崩壊したわけではない。俺はただ、ほぼ放心状態のままにそれからの数日間を過ごしただけだった。

 それでも、日にちが過ぎていくにつれ、俺は少しずつ平常を取り戻してきていた。そのころになってようやく、その事件に関しての記事などに目が届くようになったのである。

 だが、俺はその事件の内容を知って驚いた。

 確かに黒川隼人は殺されている。だが、なぜその両親と友人と思われる人物まで殺されているのか。俺の疑問は、まずそこからはじまった。それに、隼人とその友人の死体だけがバラバラにされているとのことにも当然驚く。

 ――なぜだ?

 そして俺は考え抜いた末に、その疑問を解決するひとつの仮説を考えた。

 つまり、それは俺と宇田以外にも第三者的存在がいるという仮説だった。

 単純に宇田の立場で、こんな真似をする必要がないということ。それだけの理由での仮説だったが、それでも俺は第三者がいることに間違いはないと思った。そして、その友人の所在が不明ということで、それが宇田であるという可能性を考えたのである。

 そして、それが時間の経過と共に妙な確信と変わっていた。

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