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9.夏休みだってお仕事です

「な~つやすみ、なつやすみ~。やっすめないけどなっつやすみ~」


 誰もいない事務室で、即興のでたらめ歌を歌いながら廃棄文書の整理をする。


「クリップ、とじひも、さようなら。こっじん情報、溶解しょっぶんっ。そ、れ、以外はリッサイクルっと」


 年に1回、保存年限の終了した個人情報文書を、教育委員会が全校分を回収して、ひとまとめに『溶解処分』にするのだ。


 そのため、回収前に禁忌品と呼ばれるクリップやゴム、セロハンなどを取り除く必要がある。


 また、処分量が多ければ、当然お金もかかるので、個人情報ではない文書を溶解処分しないよう、厳重注意されている。


 で、この仕分けがまた、地味で時間のかかる作業なのだ。


 佐藤さんに手伝ってもらいたいところだけど、夏休みなどの長期休業中は、パートさんを雇用することができない。


 ついでにいうと、栄養士さんは、夏休みにしかできない給食調理室の清掃やら点検やら消毒やらを行うので、事務室にいることはほとんどない。


 というわけで、私は誰もいないことを良いことに、でたらめ歌を歌っているのだ。


「やっとひと箱終わった~」


 禁忌品を取り除いた個人情報の詰まった段ボールを、がっちりガムテープで封印する。


「あと3箱! 今日中にやっちゃおう!」


 うーん、一人で作業してると、どうしても独り言が増えるなあ。


「佐々木さん、お昼いかない?」


 うわお!


 急にかけられた声に振り向くと、ドアのところに森先生が立っていた。


 なんで!

 今の時間は、夏休みのプール指導じゃないですか!?


「あ、ごめん。驚かせた?」


「驚きました! いつからいたんですか?」


「んーと『クリップ、とじひも、さようなら』位から?」


「いますぐ記憶の削除を要請します!」


 誰もいないと思ってたのに~~~ッ!


「っていうか、先生、プール指導、どうしたんですか!」


 今、ちょうど6年生ですよね!

 子供たちの声、聞こえてるんですけど!?


「加藤先生と替わった」


「え、なんで?」


「自分の学年の時に、用事があるから替わってくれって言われた」


「ああ……そういうことですか」


 通常の授業ではなく、夏休み中のプール指導は、教員の研修予定などもあるので、本来学年ではない学年に入ることも多い。


 一応、分担表は教務係の方で作成するのだが、みな、自分の予定にあわせて個々に調整するのだ。


「俺の方も、午後から研修入ってるからちょうど良かったよ。プールの後、着替えてメシ食ってからだと慌ただしいからさ」


「とは言え、いくらなんでもお昼には早くないですか?」


 チラリと時計を見る。


 11:40。


 うん、早いよね。


「角のうなぎ屋、今日サービスデーなんだ」


「え?」


「2人、4人など、席数ピッタリでご来店の方に限り、通常3,000円のうな重が、肝吸い付きで2,300円。ただし先着50名」


「うう………」


「みんな、プール指導や補充教室で出られないからさ、付き合ってよ。副校長の許可はもらってるから」


 さすが、用意周到ですね!


「わっかりました! ちょっと待っててください、この文書、このまま出しておくわけにいきませんから!」


「しまうの?」


「とりあえず、そこの倉庫に」


「手伝うよ」


「ありがとうございます。あ、この台車に乗せてください。台車ごと倉庫に入れて鍵かけちゃいます」


 バタバタと整理途中の個人情報文書をしまい込むと、私はバッグと日傘を手に、夏の日差しの中へ飛び出した。






「美味しかった~」


 特売ランチは、私たちが注文した直後に売り切れになった。ギリギリセーフ!


 無事、サービスデーの恩恵にあずかった私たちは、混んできた店内からサッサと出ることにした。


 サッと伝票を持って、レジへと向かう森先生の前に慌てて割り込み、強引にレジにお金を置いた。


 いつもいつもおごってもらってばかりはいられないもんね!


 森先生は苦笑してたけど。


 私たちと入れ違いに店に入ったお客さんが、え、もうないの? と嘆いていた。


「早く来て正解だな」


「ですね~。先……森さんはこのまま駅ですか?」


「ああ、そうなんだけど……」


 ちらりと腕時計を確認する。


「今から行くと、ちょっと早いな。佐々木さん、コーヒー一杯、付き合わない?」


「付き合いません。帰って仕事しないと」


「え~~~~」


「電車が遅れることもあるし、余裕を持って行った方が良いですよ? 早く着く分には良いじゃないですか」


「そうだけど……。ま、いっか」


 ふぅっとため息をつくと、森先生は、何かを吹っ切るようにニコッと笑った。


「ん、じゃあ、行ってくる」


「はい、行ってらっしゃい」


 こちらもニコッと笑ってそう言うと、先生は何故か、照れたように明後日の方を向いて何やらつぶやいた。


「……何か仰いました?」


「え、いや、何でもない。行ってきます」


 何故か2回目の行ってきますを言うと、森先生は、駅に向かって駆けていった。


 ……時間に余裕があるんだから、走る必要ないのになあ。






 教職員の夏休みは5日間。


 中には年休もあわせて長期休みを取る人もいるけど、なんだかんだと仕事があるし、夏休み中の方がデスクワークが進むからと、大抵の人は指定された5日だけ休みを取る。


 私も、弟の休みにあわせて休暇を申請すると、久しぶりに実家へ帰った。


「あ~、やっぱり実家はいいなあ」


 ゴロゴロしてたら母に買い物へ行けと蹴り出された。ぶう。


「えーと、牛乳、卵、油、それから……え、お米!?」


 母に渡されたメモを確認して、固まった。


 いやいやいや。

 この量、一人で持って帰るとか無理でしょう。


 私は迷わず弟にメールを送った。


 ほどなく、車で迎えに行くから駐車場近くの入り口にいろと返信があった。


 よしよし。

 このくそ暑い中、駐車場で待てと言わないだけの常識はあるようだ。


 とりあえず会計を済ませると、私は駐車場が良く見える位置に陣取った。


「……あれ、佐々木じゃん?」


 振り向くと、見覚えのない男性が手を振っていた。


「………失礼ですが……」


「あ、ショック。覚えてない?」


 ショックと言いつつ、全然ショックじゃない顔で男はずかずかと近づいてきた。


「俺だよ、藤田。中3の時同じクラスだった」


「……ああ。そういえば」


 いたわ、そんなのが。元同級生か。


「思い出した?」


「……一応」


「なんだよ、一応って」


「だって、ほとんど接点なかったし?」


 同じクラスではあったが、話をしたこともないんじゃないだろうか。


「うーん、まあ、そうなんだけど」


 藤田は照れたように頭を掻いた。


「あのさあ……今更なんだけど、俺、佐々木のこと好きだったんだよね」


「………は?」


 イマ、ナントオッシャイマシタ?


「だからさ、話しかけたかったんだけど、勇気がなかったって言うか………」


「うそ」


「嘘じゃないよ」


「だって、藤田と仲が良かったのって、安藤さんとか村井さんとか、明るくって派手な子たちじゃない」


「まあ……だからさ、それは照れ隠しっていうか、本命隠しっていうか……。好きなタイプじゃないから話せたって言うか……」


 マジか?

 全然信じられない。


「……指輪、してないね?」


 気が付くと、藤田の視線の先が、左手に集中していた。


「まだ、独身?」


「え、まあ、その、独身だけど」


「フリー?」


「まあ……そう、かな?」


「なんか歯切れ悪いね」


「うん、その、何というか…」


 何人か、メールのやり取りをしている人がいる。まだ会うまでいってないけど。


 でもまあ、フリーといえばフリーだし?


「まあいいや。要するに、俺にもチャンスがあるってことだよね?」


「……はあっ!?」


「俺もさ、フリーなんだ、今は」


「……今は?」


「まあ、この年だし? 過去にいなかったとは言わないけど」


 ムッ。

 すみませんね。


 私も同じ年だけど、過去にも現在にもいませんが何か?


 とは、さすがに言えなかったけど、おかげで少し、頭が冷えた。


 だって、ここ、スーパーの入り口だよ?


 私の目の前には大量の食材が入ったカートがあるし、彼の左手にもお惣菜らしきものがはいったビニール袋。


 さっきからおばさんたちがチラチラこっちを見ているし。


 こういうところで、口説くか?


 自分のことをすっかり忘れてた相手を?


 それに思い出した。


 高校は別だったけど、それでも聞こえてきた藤田(こいつ)の噂を。


 女の子をとっかえひっかえしてるっていう噂。


 あくまでも噂だったけど、当時の私は、あいつならやりそうだな、と思ったのだ。


「ね、いいじゃん? お試しでいいから付き合ってみて」


「良くない」


「……え?」


「悪いけど、お試しでも付き合う気はないから」


「え、なんで? いいじゃん、お互いフリーなんだし?」


「全然よくねーよ!」


 怒号と共に、目の前に見慣れた背中が入ってきた。


「茂?」


 弟の茂だった。


 駐車場に車を止めたのに、私が出てこないから様子を見に来てくれたんだろう。


「……誰だ、お前」


 藤田が一気に不機嫌になる。


「佐々木茂。綾の弟」


「……ああ、なんだ弟さん」


「俺、ずっと地元にいるから、あんたのことも知ってる」


 サッと、藤田の顔色が変わった。


「あんた、バツ2だよな」


「ええ!?」


 マジか!


「おまけに、離婚理由が浮気とDVだ」


「げ………」


 マジか。


「姉ちゃんは、就職してすぐ家を出たから知らないだろうけど、結構有名な話だよ」


「そうなの?」


 藤田が凄い形相でにらんでる。


 私は思わず、茂の背中にしがみついた。


 ……背、高くなったな、こいつ。


「おおかた、姉ちゃんが公務員になったって話を誰かから聞いたんだろう? あんた、慰謝料やら何やらで、色々金が入用らしいから、確実に稼ぐ嫁が欲しかった。違うか?」


「チ……」


 あ、舌打ちしてるし。


「あんたみたいな最低男に姉ちゃんは勿体ない。諦めてサッサと帰れ」


「ふん……。誰がこんなブス」


 胸に痛い捨て台詞を吐くと、藤田はものすごい勢いで踵を返し、外へ出て行った。


「良かったわ~」


「ほんとほんと」


「どうなるかと思ったわ」


 複数の声にびっくりして振り向くと、いつの間にかおばさんたちが沢山、こちらを伺っていた。


「あ……北山のおばちゃん」


 その中に見知った顔があった。


「あのね、綾ちゃん、茂くんの言ってた事、全部本当よ?」


「そのようですね」


 行動がそれを裏付けてました。


「茂くんが来てくれてよかったわ。綾ちゃんが危ない、何とかしなきゃって思ってたんだけど……怖くて。ごめんなさいねえ……」


「いいんですよ、そんな」


 なるほど。


 さっきからこちらを覗っていたおばさんたちの視線の意味は、『あんなところで何やってるの? 恥ずかしいわね』ではなくて、『悪い男が何も知らない女性に声かけてる。助けなきゃ、でも怖い』だったらしい。


「姉ちゃん、荷物これ?」


「あ、うん」


 頷くと、茂は黙ってカートを押しだした。


「あ、ちょっと待って! 北山のおばちゃん、ありがとう! また後で」


「ええ、気を付けてね」


 ヒラヒラと手を振るおばちゃんに、一礼すると、私は慌てて茂の後を追った。






「あのさ、姉ちゃん」


 運転席と助手席と。

 並んで座りながらも全く会話もなく車を走らせること約5分。


 交差点の信号待ちで、茂がポツリと呟いた。


「目的は、姉ちゃんが『結婚すること』じゃなくて、姉ちゃんが『幸せになること』だから」


「うん………」


 大丈夫、わかってるから。


「ありがと、茂」


「ん………」






「あ、お姉さん、お帰りなさい」


 家に帰ったら何故か美咲ちゃんがいた。


「え?」


 茂が玄関で固まっている。

 邪魔だ。どけ。


「ごめんね、連絡しないで突然来ちゃって」


「あ、いや………」


 口の中でごにょごにょと何か呟く茂。


 だから邪魔だっての! どかんかい!


 私が無言で足を軽く蹴ると、その意味を察した茂が横にずれた。


 よしよし、これで通れる。


「あのね、ちょっとお話があって……」


「話?」


「お姉さんと、お母さんにも」


「「え?」」


 私と母の声が重なった。






「ええ~~~~!!」


「妊娠!?」


「はい、2ヶ月だそうです」


 ニコニコと報告する美咲ちゃんの隣で、茂が再び固まっている。


「茂」


 母がギロリと茂を睨み付けた。


「身に覚えは」


「………アリマス」


「「避妊しろ、このバカッ!!」」


 再び、私と母の声が重なった。






「ごめんね、美咲ちゃん……」


 母が頭を下げる。


「そんな、お母さんが謝ることじゃないです。予定より早くて、順番がちょっと狂っただけです」


「茂」


「……はい」


「なにぐずぐずしてるの、とっとと美咲ちゃんちに行って、美咲ちゃんのご両親に殴られてきなさい!」


「で、さっさと結婚しな。私になんて構ってないで」


「わかっ「お姉さんが一つ約束してくれたら」」


 茂のセリフを美咲ちゃんが叩ききった。


「約束?」


「婚活は続けてくださいね」


「美咲ちゃん………」


「私だって、お姉さんに幸せになって欲しいんです」


「……ありがとう、美咲ちゃん」


 本当にいい子だ。茂には勿体ない。でも。


「わかった。約束だしね、3年は続ける。でもね、美咲ちゃん」


「はい?」


「私だって、美咲ちゃんに幸せになって欲しいんだよ?」


「あら、大丈夫ですよ」


 美咲ちゃんはニッコリ笑った。


「私、今、十分幸せですから」


 ものすごく、綺麗な笑顔だった。


 ほんっとーに茂には勿体ないなッ!

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