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8.夏のプールと水と雨

「見事に水不足ですね~」


「ですね~」


 カラッと晴れた空を見ながら、佐藤さんと一緒に事務室の中でため息をついた。


「野菜、大丈夫かなあ……」


 栄養士さんも不安そうに空を眺める。

 うん、水不足だと、簡単に値上がりするもんね。


 でも、集める給食費の値段を途中で変えるわけにはいかない。


 何とか、安くて『安全な』食材で、栄養とカロリーを落さないメニューにしなければならない。


 勿論、味も。

 和洋中、偏りがないようにする必要もあるし、七夕などの行事も意識する必要がある。


 そこまで考えて作ってるのに……。


「あんまり暑いと、子供の食欲も落ちちゃうよね」


「そうなんですよ~~~。ここんところ、残渣が多くて………」


 残されると哀しい。

 これに関しては世のお母様方、皆さまにご賛同をいただけることと思います。


 残渣捨てるのにもお金かかるしね!


「さて、とりあえず、ポスター貼ってきますね~」


 プリントアウトした『節水にご協力くださいポスター』と、貼ってはがせる両面テープを手に、事務室を出る。


 廊下に出た途端、熱気に包まれる。


 エアコンの効いた事務室にUターンしたいのを我慢して、各階の手洗い場とトイレに向かった。


「暑いですね~」


「雨、降りませんね~」


 掃除している用務員さんも汗だくだ。


 給食室に近づくと、鰹節のいい匂いが漂ってくる。今日の給食、なんだったっけ。


「ここ通るとお腹すきますよね~」


 養護の先生が、廊下の壁に『熱中症に気を付けよう』というポスターを貼りながら声をかけてきた。


「ほんと、まだ2時間目なんですけどね」


「でも、このおかげで、給食まで頑張るッていう子供もいるから、助かります」


「給食で頑張れるんですね」


「頑張れるんです! 病は気から!」


 っていうか多少の不調より食欲が勝るってだけではないだろうか。


「佐々木さんの方は節水ポスターですか?」


「ええ。ちょっと水不足がシャレにならないみたいで」


「プール、大丈夫ですかね?」


「さあ……。このまま雨が降らないと、中止もあるかもしれませんね」


「子供たちはがっかりですね」


教職員(こっち)はむしろ助かりますけど」


「確かに」


 顔を見合わせて苦笑する。


 プールは本当に気が重い。

 重大事故率が高い授業だから。


 事務方としても、プールがなくなるだけで水道料金がどれだけ節約できるだろうかと思ってしまう。


 水道料金だけじゃない。


 ろ過機で使用する珪藻土や、塩素などの薬品購入、水質検査のための試薬の購入もしなければならない。


 そういえば、まだ注文きてないな。

 大丈夫か、今年の体育主任。


 ……あ、そう言えば新人だった。

 念のため在庫確認しておくか……。






「あ、佐々木さん」


 校内を一回りして事務室に戻る途中、校内巡回中の副校長に呼び止められた。


「さっき業者から連絡あったよ。プールの揚水ポンプの点検、来週の水曜日だって」


「わかりました。ありがとうございます」


 色々な設備点検が入るのもこの時期だ。


 プール関係だけでない。

 消防点検や、給食室の保健所による抜き打ち検査なんかもある。


 さすがに停電を伴う電気関係の検査は、土日にやってくれるけど。


「それにしても暑いなあ………」


 こうも暑いと、それだけで身体が疲れる。


「一雨ほしいなあ………」


 中途半場な雨だと蒸すだけだから、降るなら思いっきり降って欲しいところだ。


 そんなことを考えながら、エアコンの効いた事務室に滑り込んだ。






 チャイムが鳴った。


 休み時間だ。


 数瞬後、校帽をかぶった子供たちが階段を駆け下り、校庭へ飛び出していった。


 暑さをものともせず走り回る子供たちを窓越しに眺める。


「みんな元気だな~」


 もしプールがなくなれば、この元気の発散方法が一つなくなってしまう。


 エネルギーを持て余した子供たちは、こちらの予想の斜め上の行動を起こす。


 5年前、私がこの小学校に転勤してきた最初の年、アパートの雨どいを昇って屋上に到達した強者がいた。


 一歩間違えたら死んでたと、教職員一同、背筋が寒くなったものだ。夏なのに。


 ちなみに当人は、親からも担任からも校長からも警察からもきっちりしっかりお説教を通り越して巨大雷を落とされたにもかかわらず、ケロッとしていたと聞いている。


 順当に行けば、今は高校生のはずだけど、大丈夫かな。生きてるかな。


「佐々木さ~ん」


 事務室に体育主任が入ってきた。


「なんでしょうか?」


「塩素がない!」


 おお、ようやく来た。


 ここでいう塩素は、勿論、プールで使う方だ。保健室で嘔吐処理に使う方じゃない。


「でしょうねえ。幾つ買いますか?」


「えと……。去年、どのくらい使いましたか?」


「トータルで30箱です。買ったのは」


「買ったのは?」


「前年の在庫がどのくらいあったのかはこちらで把握してませんから。っていうか、使用記録残してないんですか? 去年も?」


「あ~~~~~~」


「………記録してなかったんですね、また」


「だって、去年の担当は」


「あ、はい。わかってます。彼が記録なんて付けるはずないよな~っていうのは」


 言っても言っても、聞いてくれない人でした。ハイ。3月で退職したけど。


「で、誰もフォローしなかったんですね?」


「ハイ、モウシワケアリマセン」


「今年はつけといてくださいね」


「ハイ、ワカリマシタ」


「で、とりあえず、在庫、幾つありました?」


「1箱ありました!」


「なら、20箱買いましょう」


「え、一度に30箱買うのはダメですか?」


「そんなに入らないでしょ、あそこ。スペース的に」


「あ………」


「20箱にしますね。使用記録、今度はちゃんとつけてください。で、その記録を見ながら、次はいつ買えばいいか相談しましょう」


「わかりました! あ、今から頼んでプール開きに間に合いますか?」


「まだ大丈夫……っていいたいけど、ちょっとギリギリかな。間に合うように業者にお願いしますから」


「よろしくお願いします!」


「あと先生、珪藻土と水質検査試薬(アクアチェック)も確認しておいてくださいね」


「わかりました!」


 90度のお辞儀をして体育主任が退室すると、パートの佐藤さんがクスクス笑った。


「さっき、塩素の注文してましたよね?」


「在庫が1箱なのは確認してましたから」


「今日がギリギリですもんね」


「うーん、どうかな。デッドラインは明日の昼頃だと思うけど」


「次回、いつ頼むかも、分かってますよね?」


「十中八、九、7月末。数は多分、15から20箱でしょうね。気温によるけど」


 ここに配属されて今年で5年目。

 流石に年間サイクルは覚えている。


 でも。

 そろそろ異動対象だ。


 特段の理由がない限り、今年度末に異動だろう。


 だから。


 新しく来る人がベテランなら、先読みして発注することもできるけど。


 もし、新人さんだったら。


 多分無理。


 発注が間に合わなくて、塩素が足らなくてプールが中止、なんてシャレにならない。


 教員はどうでもいいけど、子供たちに迷惑がかかるのは絶対避けたい。


 それは塩素に限らない。


 印刷用紙、原稿用紙、インク、マスター、トナー、チョーク、ガムテープ、石灰等々。


 これらが在庫切れを起こさないようにするのは確かに事務の仕事だけど、一人じゃとても把握しきれない。


 先生方にも、ちゃんと在庫チェックして、余裕をもって注文してもらう癖をつけてもらわないと。


 少なくなったら連絡してくれるだけでいいんだから。


 ……まあ、実際に足らなくなったら、近隣の学校から借りるっていう手もあるけどね。






 休み時間終了のチャイムがなった。


「あっちー!」


「水、水!」


「プール入りてえ!」


 大騒ぎしながら子供たちが一斉に校舎内へ戻っていく。


「プール、中止にならないと良いですね」


 佐藤さんが外を見ながら呟いた。


 うん。そうだね。

 雨、降らないかな………






 という願いが効いたのかどうか知らないけど。


 1週間後、ものすごい大雨がこの地を襲った。


 水不足は一気に解消となったのだが、その3日後のこと。


 思わぬところに影響が出た。


「さささささささきさん!!!」


 栄養士さんが大慌てで飛び込んできた。


 さが多いなあ、なんて呑気な感想は、彼女の次のセリフで一気に吹き飛んだ。


「大変です! エレベーターが動きません!」


「えッ!!」


 エレベーターというのは、給食専用のリフトのこと。


 できあがった給食を階上へ運んだり、食べ終わった食器を階下へ降ろしたりするためのエレベーターだ。


「電源が入らない?」


「入るんですが、スイッチが効きません!」


「すぐ保守業者に連絡します。修理が間に合わないかもしれないので、副校長に連絡して、人力であげる手配をしてもらってください!」


「わかりました!」


 事務室を飛び出す栄養士さんを片眼で確認しながら、電話帳をめくり、保守点検業者の電話番号をチェックする。


 急いで来てくれるとの答えにホッとするものの、時計を確認し、今日は人力、手上げだなあ、と覚悟を決めた。


「今日の給食なんだっけ」


「………炊き込みごはんと野菜スープです」


「よりによって、ごはんに汁ものッ!」


 重いじゃんッ!


 ………まあ、世の中こんなもんよね………






「はい、これで3階は終わり! 次、2階行きます!」


 栄養士さんの指示で、給食調理員、用務員、管理職、事務職(わたし)、そして若手男性職員が廊下と階段に待機して、バケツリレーの要領で食器と食缶をあげていく。


「はい、3-3の食器!」


「3-3!」


「ごはんいきます!」


「ごはん!」


 運ぶのはもちろん大人だけ。


 子供たちに手伝わせるわけにはいかない。


 重いし熱いし、落とされでもしたら大変だ。


「はい、ラスト!」


「ラスト!」


「お疲れ様でした~~」


「「「お疲れ様でした~~」」」


 期せずしてパチパチと拍手が起きる。


「……下膳までにエレベーター直りますかねえ?」


 栄養士さんがこっそり聞いてきた。


「どうかなあ……。もうすぐ来てくれるはずだけど」


 修理にどれくらい時間がかかるかなんて、やってみないとわからない。


「でもまあ、下膳は中身ないし」


「残渣以外は」


「うわ……お願い、今日だけはみんな完食して………」


「無理でしょ」


「えーん」


 栄養士さんが泣きまねをしたその時、


「佐々木さん! 業者さんいらっしゃいましたよ!」


 向こうから、用務員さんが、保守点検業者を案内してきてくれた。






「え、雨漏りが原因ですか!?」


 その日の夕方、業者の説明を聞いてびっくりした。


「ええ、どうやら壁から雨水が染み出てきて、それがエレベーターの配線部分に入り込んで中が水浸しになってました」


 うわあ、予想外もいいところ。


「え、水浸しになるくらいの雨ってことは、もしかして3日前の大雨?」


「おそらくそうだと思います。外壁のヒビから入り込んで、エレベーターのところまで流れてきたんじゃないかと」


 どれだけ旅してきたんだよ、雨水!

 その途中で乾けよ!


「それで、ショートしちゃったのか」


「直接はそうですが……配線、錆びてました」


「……え? てことは、昨日今日始まった雨漏りってわけじゃないですね?」


「はい、昨日今日では錆びませんから」


 どうやら、見事な水道(みずみち)が、壁の中に出来上がっているらしい………。


「直すには外壁補修……って、どこが入口だかわかんない………」


 怪しそうなところ全部を補習する予算はない。

 っていうか、そんな補修工事、校長権限で契約できる金額を軽く超えるはず。


「いくらかかるんだろう……」


「すみません、うちでは見当つきません」


「ですよねーー。建築屋さんに見てもらわなきゃですよねーー」


 とりあえず近所の工務店さん呼ぼう。

 教育委員会の施設課にも連絡しないと。


 てっきりエレベータの故障だと思って、電気設備担当には一報入れておいたけど、こうなると建築担当だな………。


「とりあえず、応急措置はしましたが、また雨が降ると同じなので」


 水を抜いて、錆びたところを切って、配線繋いで、防水テープ巻いて、ちょっとくらい水が来ても浸らないよう、下駄を履かせてくれたそうだ。


「そうですね。早急に雨漏りをなんとかしないと………」


 あ~あ………。






 その日の夜遅く。


 家に帰ってゼロネットのデータが届いていることに気付いたが、なんだか見る気がしない。


 最近、活動がおざなりだ。


 教員NGだけは解除したけど。


 どうせチェックしても断られるし。


 運よく会うまでたどり着いても、あまり話が弾まない。


 気が重いなあ………


 3年間、頑張れるかな、私………

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