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11.【森和也】 言えない俺と気づかない彼女

森先生サイドのお話です。

最後に番外編としてまとめようと思ってた話ですが、ここに入れた方が分かりやすいようなので……。

 いつもの金曜日

 いつものように彼女をアパートまで送る。


「お疲れ様でした」


「ああ、お疲れ」


 いつもの挨拶。

 いつものように、軽く会釈して部屋に入る彼女。


 いつもと違うのは俺だけだ。


 具合が悪いのかと問われるほどに顔色が悪いらしい。


 さもありなん。


 少しずつ、少しずつ。

 ようやくここまで距離を詰めてきたのに。


 一気に離された。


 離されただけじゃなく、壁まで建てられた気分だ。


 彼女の姿が見えなくなると、俺は大きく息を吐いて、来た道を戻っていった。






「佐々木さん、婚活始めたわよ」


 パートの佐藤さんからそう言われたとき、少なからずショックを受けた自分に驚いた。


 彼女に初めて会ったのは4年と少し前。


「初めまして。佐々木綾です。高校と中学の経験はありますが、小学校は初めてです。至らない点もあると思いますが、どうぞよろしくお願いします」


 ありふれた転任の挨拶。


 若い子が来たな、という印象しかなかった。


 何歳なのかは聞かなかった。


 ただ、漠然と、自分と同じくらいなのかな、と思っていた。


 それまでの事務職員は再雇用のおじさん。


 週4日勤務だったので、毎日いてもらえるのは助かる、とは思った。


 しばらくするうちに、パソコンに強いことが分かって、色々助かった。


 おじさんはメールのやり取りくらいしかできなかったから、ちょっとしたトラブルに対応できる彼女の存在はありがたかった。


 パソコンだけじゃない。

 備品、施設、簡単な修理は、ほとんど彼女がやっていた。


 修理なんて、本来、事務職員の仕事じゃない。

 業者へ連絡し、必要に応じて修理費を払うのが本務だろう。


 しかし彼女は、予算をなるべく使わないようにと、少しでも切り詰めて、その分、どうしても必要なものに使いたいのだと言って、自分でできるものは自分でやっていた。


 年々、やれることが増えていった。


 田中さんに教わっているところも見た。


 修理に来た業者さんに質問しているところも見た。


 取扱説明書を熟読しているところも見た。


 一体、いつからだろう。


 彼女を目で追うようになったのは。


 婚活を始めたと聞いて、ショックを受けるほど、彼女に惹かれるようなったのは。


 きっと、少しずつ、自分でも気が付かないうちに、惹かれていたのだろう。


 彼女はあまり飲み会にも顔を出さなかった。

 参加するのは、歓送迎会や忘年会など、職場全体の集まりくらいだった。


 それでも、4年もいるうちに、どうにか最寄駅くらいは知ることができた。


 駅前に大きな本屋があるのがお気に入りだと言っていることも。


 本が好きなんだな、というのはすぐわかった。図書の蔵書点検をあそこまで喜々として行う人は、そうはいない。


 飲み会に行くより本を読んでいる方が好きなんだろう、と思った。


 借りているアパートの契約更新が近づいたころ、同じ研究部会の教員から、職場にあまり近いところは色々大変だという話を聞いた。


 それまでは近ければ近いほどありがたいと思っていたが、話を聞いてなるほど、と考えを変えた。


 つまりあれだ。


 一生独身で過ごす覚悟ならともかく、将来結婚を考えるなら、やはり近すぎるのはよろしくない。


 常に生徒や保護者の目を気にすることになるのだから。


「それにやっぱり、ユニットバスはゆっくり疲れが取れないよ」


 と、その教員は言った。


「やっぱり、風呂とトイレは別が良い」


 それはそうだ、と思った。


 だから、風呂とトイレが別で、もう少し広いところで……と、探したのだが、賃料が今と同じくらい、となると、どうしても数駅先になってしまうことがわかった。


 彼女の最寄り駅と同じになったのは偶然だ。


 ……と、言いたいところだけど。


 無意識に期待していたのかもしれない。


 出勤途中で、あるいは退勤途中で、彼女と一緒になることを。


 最初のうち、通勤途中に会うことは全くなかった。


 帰りは無理でも、朝だけは合わそうとしたのに。


 ちょっと強引に彼女の乗る電車の時間を聞き出したのに。


 どうやら利用する車両が違うらしい。


 そうとわかっても、人であふれるホームをあまりウロウロするわけにもいかず、俺は一人やきもきしていた。






 運動会の後。


 行方が分からなくなっていた生徒を送り届け、学校に戻った時、彼女一人が残っていてくれた時には驚いた。


 同時に、このチャンスは逃せないと思った。


 正直言うと、あの時間で打ち上げに行っても、十分間に合ったと思う。


 でも。


 もう間に合わないと嘘をついた。


 食事に誘った。


 最初断られた時には焦った。


 だが、理由が『給与前で財布が厳しい』なら問題ない。


 案の定、奢るといったら乗ってきた。


 心中密かにガッツポーズをしながら、最寄り駅前の店を提案する。


 ラーメン屋なんてとんでもない。


 俺的には初デートだぞ?


 彼女の方に、全くそのつもりがないのはわかってたけど。






 その翌週。


 ようやく彼女の利用する車両が分かった。


 利便性より座れるところ。


 つまりゆっくり本が読めるところ。


 彼女の判断基準はあくまでも本なんだな。


 思い切って、彼女に本を貸してほしいと頼んだら、快く承知してくれた。






 それから。


 月曜から木曜日まで、必死に仕事をこなした。金曜日だけは定時であがれるように。


 お互い一人暮らしだし、食いに行こうと、なんども食事に誘ううち、徐々にそれが恒例になった。


 ある日、一緒に食べてくれる彼女いないんですか、と聞かれた。


 いるわけない。

 だから彼女になって欲しい。


 そう言えば、良かったのかもしれない。


 でも。


 いないから誘ってる。


 そう言うのが精いっぱいだった。


 食事中の話題はもっぱら本だ。


 仕事の内容を話すわけにはいかない、というのもあったけど。


 食事の後は必ず送った。


 遅い時間に女の子一人返すわけにはいかない。歩いて5分、往復10分くらいの寄り道なんて大したことない


 彼女にはそう言ったけど。


 何のことはない、俺がただ、少しでも一緒にいたいだけだ。






「佐々木さんの理想は、とにかく教員じゃないこと、らしいわよ? ついでに、漢字一文字の苗字もできれば避けたいって」


 佐藤さんからの情報は、心に痛かった。


 俺は教員だし、名前は『森』一文字だ。


 まあ、苗字は、別にいい。


 彼女が本当に嫌なら俺が佐々木性になったって構わないから。


 だけど。


 教員がNGっていうのはどうしよう。


 俺は教員以外の仕事なんてできない。


 両親とも教員で。


 いつしか自分も教員になるのが当たり前になっていて。


「なんで教員じゃダメなんです?」


 佐藤さんに聞いてみた。


「さあ? 本人に聞いてみたら?」


 ……それができれば苦労はない。






 ある日。


 思い切って、婚活の状況を聞いてみた。


 全然だめだと聞いて、ホッとした。


 俺の所為でハードルが上がったと言われて、よしっ! と思った。


「………だったら、やめちゃえば?」


 そう言ったとき、心臓がバクバクした。


 見つからないなら、俺にしなよと。


 そう言うつもりだったから。


 だけど。


 3年続ける約束をしたと聞いて。


 その背景を知って。


 口にしかけた言葉はいつの間にか消えてしまった。


 それでも、何故教員がだめなのか。

 その理由が分かっただけでもよかったと思う。


 教員NGの意識を変えてみるとも言ってくれたし。


 しかし。


 月曜日の朝、ゼロネットのパンフレットを渡されて、心の中で頭を抱えた。


 少なくとも、彼女にとって俺が、まるっと対象外なのだけは間違いない。






「なにやってんだよ、先生」


 ある日、田中さんに叱咤された。


「まだ何も言ってないのか? 早くしろよ。何もしないで諦める手はないだろう? だめもとで当たって砕けちまえ」


 今思えば。

 あの飲み会のような合コンで。


 俺の気持ちは、田中さんにばれていたんだろう。


 それでも。

 なかなかきっかけがつかめない。


 吾ながら情けない。


 いや。

 きっかけがつかめないというのは言い訳だ。


 踏ん切りがつかないだけだ。


 朝だけでも傍にいられるのが心地いいと思ってしまう。


 隣に座って、微かに感じる彼女の体温とか、シャンプーの香りにドキドキしながら。


 金曜日に食事ができるだけで嬉しくなってしまう。


 目を輝かせて、好きな本の話をする彼女が眩しくて。


 それを壊してしまうなら、このままでもいいと。


 そんなことを考えてしまう。


 自分がこんなに臆病だと思わなかった。


 わかっている。


 俺がぐずぐずしている間に、彼女は他の男性と会っているんだ。


 結婚相手を、探しているんだ。


 俺じゃない相手を。


 わかっている。


 わかっているつもりだった。


 今日までは。






 ふらふらと道を歩き、ついさっきまで食事をしていた店に舞い戻った。


「いらっしゃいませ……って、森さんか」


 しかしオーナーは、全てを見通したような顔で俺をカウンター席に導いた。


「来ると思ってたよ。ハイ」


 目の前に、ウィスキーのロックが差し出される。


 一気にあおる。


「ケホッ……」


 喉が焼ける。


 でも、この痛みが、今はありがたい。


「だから言ったのに。早く告っちゃえって」


「………わかってる」


 田中さんだけじゃない。


 ここのオーナーにも、しっかりばれている。


「しかし、彼女もずいぶん鈍いねえ。傍から見てるだけのこっちだって、とっくに気が付いてるっていうのに」


 そう。


 俺としては、ちゃんとアプローチしていたつもりなんだ。


 彼女に通じてなかったから、全く意味はないけれど。


「………だから、今まで独身なんだと思う」


 きっと、あのニブさで、密かなアプローチを全部スルーしてきたのだろう。


「ま、あれだ。まだ決まったわけじゃない」


「…………」


「まだ1回会っただけなんだろう?」


「………そう、だけど」


「回数なら森さんの方がずっと多いよ?」


「こういうのは、回数じゃないだろう?」


「まあね」


 オーナーは苦笑しながら、ナッツの盛り合わせを出してくれた。


「いずれ、彼女にもわかるよ」


「何が?」


「結婚に必要なのは、ドキドキよりも安心感だってこと」


「安心………」


「そう。彼女、森さんといる時は、完全に素だし、ずいぶんリラックスしてるだろう? 安心している証拠だ」


「……それ、男として喜べない」


「ハハ、確かにな」


 オーナーは笑いながら、俺の隣に腰掛けた。その手には、いつの間にかウィスキーのロックが握られている。


「だったらさ、気づかせてやんなよ、彼女に」


「………何を?」


「森さんが男だってこと」


「………それって」


「ドキドキさせてやんな」


「どうやって」


「さあ? 流行りは壁ドン、顎クイらしいけど?」


「…………」


 俺は黙ってグラスをあおった。


 いきなりそんなことをしても、冷たい目で拒絶される図しか浮かばない。


「来週の土曜日って言ってたね」


 オーナーの言葉に無言でうなずく。


 東西の刀剣を集めた展示会。


 そこに一緒に行くのだと。


 どんな奴なんだろう。


 彼女より5歳上で。


 彼女と同じような読書傾向で。


 初対面で、彼女に良い感じと思ってもらえる男。


「結婚相談所ってさ、結婚までの道のりをショートカットするものなんだよね」


「ショートカット?」


「そう。入会している時点で、男女とも、結婚の意志ありって、表明しちゃってるわけだから、意気投合したら早いんじゃないかな」


「…………」


「もちろん、1回会っただけで決まることは、ほとんどないとは思うよ。でもね」


 そこまで言うと、オーナーは俺に向きなおった。


「多分、森さんが思っているほど、あまり時間は残ってないんじゃないかと思う」


「………そう、かもしれない」


 来週の土曜日。


 ………行ってみるか。


 その男の顔を見に。


 そして。


 もし、そいつがとんでもない奴なら。


 彼女の前で取り繕っているだけの男なら。


 彼女を、攫おう。


 攫って、今度こそ告げる。


 俺にしろと。


 君が好きなんだと。


「……うん、戻ったみたいだね」


 オーナーが俺の顔を覗き込んで呟いた。


「戻ったって、何が?」


「顔色と目の色。どよんと沈んでたけど、元に戻ったよ」


 良かった良かった、と言いながら、オーナーは俺の背中を思いっきり叩いた。


「~~~~~~~~ッ!」


「激励だよ、激励。頑張んなよ?」


「………はい」


 激励って痛いものだったのか。

 初めて知ったよ。


 でも。


「……サンキュ、オーナー」


「どういたしまして。あ、この酒とつまみは俺のおごりでいいよ。景気づけ、な?」


 そう言って、オーナーは、調理場の方へと戻っていった。


 俺はグラスに残っていた酒を飲み干すと、ご馳走様、と声をかけて、そのまま店を後にした。

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