1.婚活はじめました
「えーと、佐々木綾さま、29歳。ご家族は弟さまとお母様の3人……失礼ですが、お父様は?」
「父は私が小学生の時になくなりました」
「まあ、それは……ご苦労されましたね」
目の前の女性の顔がほんの少し曇る。
「苦労したのは母の方ですよ」
ほんの少し苦笑しながら、私は彼女の手元にある自分のプロフィールを眺める。
書いてあるのは身長、体重、年収にいたるまで個人情報オンパレード。
「では次に、佐々木さまの条件をお聞きしますね」
女性は傍らのパソコンを操作しながら、ニッコリ微笑んだ
「さきほどもご説明させていただきましたが、当社では、お客様の条件をこちらに入力し、それぞれ『マッチング』をして、双方の条件の合う方をご紹介いたします」
はい、そうです。
私、ただいま、ゼロネットの入会手続きの真っ最中です。
ゼロネット、知ってますよね?
そう、あの有名な結婚相談所です。
職場と家の往復で出会いのない私、佐々木綾、29歳、今日から婚活始めます!
「え、教員はダメですか?」
喫煙者NG、離婚歴なし、など色々条件を述べた後、最後に加えた条件に、目の前の女性が目を丸くして聞き返してきた。
「はい、絶対嫌です」
「でも、佐々木さんの職場、小学校ですよね?」
「はい。事務職員ですけど」
「教員、ダメなんですか?」
「ダメっていうか………。学校って職場的にはかなりブラックなんですよ」
「ああ………聞きますね、そんな話」
「定時になっても帰れない、土日も行事で色々つぶれる、中学校で部活指導なんてしてたら尚更です」
今の職場は小学校だけど、その前は中学校勤務だったからよくわかる。
「一旦家に帰っても、児童のトラブルがあったら呼び出される。そのくせ残業代とか一切ない」
「ないんですか?」
「ないんです! まあ、その代り基本給は高いですけど」
少なくとも事務職よりは。
「でも、夏休みとか長く」
「ないですよ! 一般の社会人並です。子供の夏休みの間も出勤です、ちゃんと」
「そうなんですか?」
「そうなんです。っていうか、今は夏休み中もプール指導やら補充教室やらあるし、ここぞとばかりに研修が入るし、全然暇じゃないんです」
「そうなんですね……」
「おまけに鬱率高いし」
「高いんですか?」
「……まあ、ちゃんと統計とったわけじゃないですけど、精神的な病休、多いです」
「まあ……いろんな方がいらっしゃるようですからねえ」
「あと、自分の子供の運動会と職場の運動会が重なってしまって、一度も子供の運動会に行けないっていう人もいます」
「それは……ちょっと可愛そうですね」
「ですよね! 基本的にみんな、子供のためって頑張ってますし、そこはものすごく尊敬しますけど、結婚相手としてはごめんです。あ、あと一つ」
「なんでしょうか?」
「……できれば、苗字が1文字の人は避けたいなあ」
「ああ、お名前が一文字だから?」
「ええ、なんだかバランス悪いですよね?」
「そんなことないと思いますよ? 有名人でもそういう人、いますでしょ? ほら、今でしょ、の人とか……ええと他には……」
「無理に探さなくていいですよ」
「うーん、咄嗟に出てこないものですね」
「まあ、これはできれば、くらいで、どうしてもっていうわけじゃないですし」
「そうですね、その条件はちょっとデータに入れられないので、個別に判断していただくことになりますね」
「それでこの、データマッチング? で、条件が合う人のデータが届くんですか?」
「ええ、毎月6名の候補の方のデータをお送りしますので………」
「あ~疲れた!」
自宅に帰るなり、ベッドにダイブ……したいところだけど、今日は珍しくバッチリフルメイクなので我慢する。
「とにかくメイク落とそ」
お風呂のスイッチを入れると、メイク落としシートを手に取り、ササッと顔をなでていく。本当はちゃんと洗顔した方が良いのは百も承知だけど。
途中で勝ってきたコンビニ弁当を広げつつスマホをチェックする。
「あ……茂からだ」
4歳下の弟からメールが届いていた。
お弁当を食べながらメールを開く。
題名:結婚相談所
内容:行った?
「簡単すぎるわッ」
呟きながら行ってきたよ、とだけ返信すると、ほどなくLINEが入ってきた。
茂:どうだった?
今日は入会手続してきただけだし
ってか、美咲ちゃん元気?
美咲ちゃんというのは、茂が大学在学中にゲットした彼女だ。今年大学を卒業したばかり。茂には勿体ないくらい可愛い子です。
茂:元気。
さっきまで電話してた。
あ、さては
美咲ちゃんに言われてメールしたな?
茂:うん。
ったく。
私のことなんて気にしないで
とっとと結婚すればいいのに
茂:……しつこい。
少し前まで、美咲ちゃんが大学を卒業したら二人は結婚すると思っていた。
だから、美咲ちゃんが無事就職したと報告に来てくれた時、尋ねたのだ。
いつ結婚するのと。
そしたら、お姉さんが結婚してから、と言われてしまったのだ。
できれば2~3年後には結婚したから、その間に、お姉さんも結婚してほしいと言われて固まった。
そんな簡単に結婚できるか!
と反論したら、そう言うセリフは結婚しようと努力していた人が言うセリフだと母に怒られた。解せぬ。
正直、なんで美咲ちゃんがそう言うことを言いだしたのかわからなかった。
独身の私に対する嫌味かとも思ったけど、よくよく話をしてみたら違った。
茂が言いだしたことだった。
姉さんが結婚するまで結婚しないって。
何を言ってるんだこいつは、と思った。
私のことなんて気にしないで結婚すればいい。大体、私は家を出て一人暮らしをしてるんだ。小姑と同居の心配はない。
そう言うと、そうじゃない、と言われた。
世間体云々じゃなくて、ただ、姉さんに幸せになって欲しいのだと言われた。
姉さんにずっと迷惑かけてたから、姉さんに先に幸せになって欲しいのだと。
私は一人で十分幸せだと言ったら、頼る人を見つけろってことだよと返された。
放っておくと、姉さんは一人で生きていこうとするだろうから、だけど人は一人では生きていけないから、だから早く頼れる人を、姉さんを託せる人を見つけてほしいのだと。
うちは母子家庭だ。
父親は私が小学5年生の時に死んだ。肺がんだった。
母も正社員で働いていたから、生活はなんとかなったが、家の中のことは私の仕事になった。
学校が終わると、学童に弟を迎えに行き、洗濯物を取り込んで、夕飯の支度をして、弟の宿題を見ながら自分の宿題をして、弟をお風呂に入れるころ母が帰ってくる。
それが私の日常になった。
弟が学童に入れない学齢になると、「お迎え」はなくなったけど、基本は変わらなかった。高校を卒業するまでずっと。
高校を卒業したら就職した。
奨学金で大学に行く手もあったけど、でも、少しでも早く働いて収入を得たかった。
茂を好きな大学に行かせるために。
公務員試験に合格した時は安堵した。
これで一定の収入が確保できると。
おまけで共済組合の貸付金制度を知った時には喜んだ。何かあったらこれを使えると。
結局、茂は奨学金を利用して大学に行ったけど、でも、やっぱり何かと金がかかった。
そのたびに、高卒で働き出して良かったと、そう思ったものだ。
でも、それは別に茂に頼まれたからじゃない。
私が勝手にしたことだ。
だから、恩に着せるつもりもないし、迷惑だなんて思ったこともない。
そう言っても、茂は聞かなかった。
とにかく婚活しろの一点張りで、結局私が折れた。
ただし、期限を決めた。
3年。
3年婚活したら結果はどうあれやめると。
それでいい、と茂はいった。
3年やって駄目なら、俺たちが先に結婚すると。
そして、私は美咲ちゃんに謝った。
3年待たせると思うけど、ごめん、と。
でも、美咲ちゃんはニッコリ笑って、大丈夫です。もともとそのつもりだったんです。私も3年くらいは仕事に集中したいですから。
早く良い人が見つかるといいですね、と言われてしまった。
うん、美咲ちゃんは本当に良い子だ。
という経緯があって、私は今日、ゼロネットに入会したのであった。
ちなみに、なんでゼロネットにしたかというと、美咲ちゃんの4つ上のお姉さんが、ゼロネットで相手を見つけたという話を聞いたからだ。
紹介なら入会金が少し安くなるからね!
これ重要!
ま、約束だからね。3年は婚活する。
でも、それで見つからなかったらやめる。
で、結果はどうあれ、
あんたたちはちゃんと結婚しなよ。
茂:わかってる。じゃ。
いつものように、唐突にLINEが終わった。これって男性はみんなそうなんだろうか。それとも、うちの弟だけかな?
………いや、『姉に対する弟』は、どこもそんなものなんだろう。
美咲ちゃんには、きっともっと丁寧な扱いのはずだ。
っていうか、そうでなかったらシバく。
「さあって、婚活がんばるかあ」
私は大きく伸びを一つすると、タイミングよく沸いたお風呂に入るべく、脱衣所へ向かったのだった。
翌日。
日曜日なのに呼び出された。
大きな蓋みたいなものが校庭に落ちているというのだ。
休日出勤していた教員に、写メを送ってもらってびっくりした。
どうみても高置水槽の蓋じゃない!
なんで落ちるの、こんなものが!
確かに昨夜は風が強かったけどさ!
あわてて学校に向かい、とりあえず昇降口に引き入れてもらった蓋を検分する。
どうやら、ねじ穴が大きくなって抜けてしまったらしい。
っていうか、経年劣化でねじ穴って大きくなるもの?
「ワッシャー噛ませば、とりあえず止まるかなあ」
ワッシャーというのは、薄くて丸い穴のあいた金属板だ。よくネジとセットになっている。
ちょうどいい大きさのワッシャーがないかと用務員室でガサゴソ家探ししてたら、同じように呼び出された副校長が到着した。
この辺のタイムラグは居住地の差。
副校長の自宅はちょっと遠いところにあるから。
私はようやく見つけたワッシャーを手に、必要な工具を携えて、副校長と一緒に蓋を持って屋上へ向かった。
「あ、良かった! 上水じゃなくて、消火水槽の方です!」
心底ほっとした。
これが飲み水の方だったら、一回全部水を抜いて、清掃しないとならない処だった。
蓋が飛んだ時点で、当然、中に汚れが入っているからね。
「防火用水か。なら水はこのままでいいな」
「ですねー」
副校長と二人で蓋を戻し、ワッシャーを噛ませてねじを止める。
「とりあえずの応急処理はこれでいいですね。明日になったら業者に連絡します」
「そうだな。ねじ穴が広がるってことは、蓋がかなり劣化してるわけだし、蓋そのものを交換しないとならないかもな」
「はい。そのあたりも確認してもらいます」
「それにしても、校庭に人がいない時間でよかった」
「全くです!」
子供が遊んでいる時間だったらと思うと、ぞっとする。
「それに、民家に落ちなくて本当に良かったです!」
「ほんとだ。屋根を壊した、とかだけならまだしも、下手したらケガさせたとかの可能性もあったわけだしな」
「不幸中の幸いですね」
話をしながら屋上を後にする。
さて、教育委員会への事故報告は副校長にまかせて、こっちは修理に必要な経費を申請するための作業をしておかないと!
しかし日曜日なのになんでこんなに職員室に人がいるんだ。
うん、知ってる。
年度初めだしね。
色々仕事あるよね。
一人事務室に戻って、撮った写メなどを整理して、明日朝いちばんに業者へ連絡する手段を整えると、仕事をしている教員たちに挨拶して学校を出た。
帰り道、近くの公園で、複数の家族が遊んでいた。
ベンチで赤ちゃんをあやすお母さんの横で、子供と一緒に遊ぶお父さん。
遊具で遊ぶ子供を見守っているお父さん。
鉄棒で逆上がりの練習に付き合っているお父さんもいる。
いいなあ、こういうの。
ああ。
やっぱり結婚相手は、教員以外でお願いします。
8/2 父親の死因が三話と矛盾していましたので、修正いたしました。
失礼いたしました。m(_ _)m