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大洪水の水曜日

『皆さんおはようございます。本日は生憎の雨となりましたが、これが世界滅亡前の最後の雨となるでしょう。では良い水曜日を』


バケツをひっくり返したような雨の中ではマウンテンバイクで移動することはできない。

雨合羽と傘を併用した完全装備体勢で狭間進歩は学校で夏休み解放されている図書館へと向かう。


入り口で水が滴る傘を同じような傘の群集の中に突き入れ、雨合羽は水を払ってからビニール袋に入れる。

珍しく狭間進歩は遅れずにやって来れたようで、先に来ていたのは海林厚樹だけであった。


その手には路地裏ニャルカさんの最新刊があり、すでに終わりの方まで読んでいた。

しおりを挟んでから海林厚樹は狭間進歩に軽い挨拶をして、改めて本に視線を向ける。

子供向けの本なのだが、今回は内容が大人にも送るファンタジーとあって、黒い背景に金の龍が模様を描く装丁だ。


雨は強く図書館の屋根や壁に滴をぶつけているようで、言葉すらも消えそうな雨音は途絶える気配がない。

これだけの水なら船とか出せそうだと狭間進歩が面白くない冗談を思いついていた時、海林厚樹は重苦しそうに口を開く。


「進歩、お前は静香と来週の約束したのか?」

「ん?ああ、うん。南エリアの遊泳場より大きな海に行こうって。破るとはりせんぼんだぜ」

「……その約束、守れよ」


そう言って海林厚樹は静かに本を読み終えた。初めて読んだとは思えないほどの速読だ。

さすがの狭間進歩も驚いてしまう。そして内容が気になるが、この後すぐ花山静香達が来て宿題に追われると思うと読む暇はなさそうだ。

なので海林厚樹に概要だけでも聞こうと、秘密話をするように小声で尋ねる。図書館内は私語厳禁だからだ。


「なー、なー。面白かった?ニャルカさんどうなった?」

「ループ世界の中でニャルカさんはずっと望んでいた世界に閉じ込められるんだ」

「ループ世界?繰り返すってこと?」

「そうだ。仲間は皆笑っていて、何も失っていない、幸せな世界だ」


そんなので物語は成り立つのだろうか、と狭間進歩は疑問に思う。幸せというのは物語からすればハッピーエンドだ。

誰だって物語はハッピーエンドで笑顔で別れられるものが良い。主人公がいなくなった物語など、ハッピーエンドにならない。

それを最初に与えられたニャルカさんはどうするのか、狭間進歩はそれでと続きを促す。


「だけど一人、金龍という奴の犠牲でその世界は成り立っていた。でも幸せな世界じゃ金龍も幸せなんだ」

「……犠牲だけど、幸せ」

「ニャルカさんはそれが許せなかった。だから幸せな金龍が望む世界を壊してでも金龍を救おうとした。続きは自分で読め」


海林厚樹はそう言ってニャルカさん最新刊を狭間進歩に差し出す。金龍は、ニャルカさんはどうしたのだろうか。

皆が幸せで、犠牲となっている金龍も幸せなのに、ニャルカさんはそんな世界を壊そうとする。

それではハッピーエンドにならない。バットエンドという一番見たくない終わりだ。


だけど今まで数々の感動を子供達に届けてきたニャルカさんシリーズが期待を裏切るとは思えなかった。

狭間進歩は不安と期待に押し潰されそうになりながらも、最新刊の表紙をめくろうとした。

しかしその前に花山静香と流川綺羅が音を立てて図書館に入り、花山静香が宿題終わってからだと本を取り上げてしまう。


結局一番最後にやって来た実畑八雲の手にニャルカさん最新刊は渡ってしまう。

不満な様子を隠しもせずに狭間進歩はドリルに向かうが、ほとんど手つかずに時間が過ぎていく。


流川綺羅は実畑八雲の手を借りながら読書感想文を進めており、その笑顔は幸せ満面というに相応しかった。

反対に狭間進歩は花山静香の監視の目に辟易し、そこまで必死に宿題を終わらせなくてもいいだろうと考える。

来週には世界が終わるのだから、そうすれば宿題など……とまで考えて約束を思い出す。


南エリアの遊泳場よりも大きな海に一緒に行く約束。破ればはりせんぼんだ。

しかも先程海林厚樹にその約束を守れと念押しされてしまっている。仕方ないと溜息をついて狭間進歩は少しだけ真面目にドリルに向かった。

その真面目も数分後に胡散霧消しているのだが、約束を守ろうとした姿勢だけは本物だった。



少しだけ雨が弱まった頃に狭間進歩達は帰ろうとする。

結局ドリルは途中までしか進まず、狭間進歩はニャルカさん最新刊を見ることは叶わなかった。

でもまた来週に図書館に来て読めばいいかと気を取り直して、家に向かって帰ろうとした。


その矢先で海林厚樹が声をかけてくる。少しだけ辛そうな表情をしているが、傘によって影が落ちただけかと狭間進歩は思う。


「進歩は……物語の主人公になれたら、どうする?」

「なんだよ急に……うーん、ヒロインでも助けに行くかな?ニャルカさんみたいにかっこよく!」

「……忘れるなよ。その言葉」


そう言って海林厚樹は早々と帰ってしまう。一体何なのだと狭間進歩は混乱するだけだった。

昔からあんな奴だったかと思い出そうとするが、やはりどこか記憶がぼやけている。

そういえばいつから友達になったのかすら、上手く思い出せない。なんとなく小学校で同じクラスになった時からの気がする。


狭間進歩はこの三日間、ほとんど昔のことが思い出せないことについて深く考えなかった。

別に今が幸せなら過去がどうであれ、関係ない話なのだ。なにも不満のない夏休みなのだ。

それに来週の月曜日が来る前に世界は滅亡してしまう。そしたら過去も未来も現在もなくなる。


全てがなくなることがどんなことかも知らず、狭間進歩はいつも通りに自宅へと帰っていった。


豪雨は全てを洗い流すかのように、狭間進歩の感じていた違和感も流して消してしまった。



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