灼け尽くような火曜日
『皆さんおはようございます。本日は雲一つない快晴となるそうです。世界滅亡の前に熱中症にお気を付けを。それでは良い火曜日を』
強い日差しが窓を通して部屋に入り込む。その熱気に負けないように冷房が大きな音を立てて部屋を冷やす。
氷と麦茶という最強の組み合わせを一気に飲みほし、口に入った氷は歯で砕きながら狭間進歩はテレビの電源を消して外出する。
青と光りすぎて何色かも判別できない太陽だけが存在する空は、今にも全てを焼いてしまいそうだった。
しかし世界滅亡前にどんなに太陽が輝いたとしても、意味などどこにもない。
精々日射病や熱中症で搬送された人が今年の最高記録として報道されるくらいかもしれない。
子供用マウンテンバイクを走らせていた狭間進歩は、急に耳をつんざく声に驚いて足を止めてしまう。
声がした方を見れば通行人の大人達も多くが振り返っており、その先には嘆くように熱されたコンクリートに這い蹲る男。
涙をいくつも流して青い空を強く睨み上げて、言葉にすらならない声を上げている。
終末予言を真に受けた奇人が叫んでいる、と狭間進歩は受け取った。周りもそう思ったらしくすぐに通り過ぎていく。
狭間進歩もすぐに無視して待ち合わせ場所へと急ぐ。あんなのに関わって幸せな時間を失うのは惜しかった。
そんな少年の背中には男の悲痛な叫びが届くことはない。
「全て終わりだ!!また終わりだ!!何度続くんだよ!?もう止めてくれ!!完璧な幸せより、完全な終りを!!もう……続けたくないよぉ……」
その声に応える者はいない。男の涙も夏の暑い日差しの前ではすぐに乾いて消えてしまう。
幸せないつも通りの日々を過ごす者達にとって、男の声も消えていく涙と同じように誰の心にも残らなかった。
狭間進歩が通り過ぎた電柱に貼られたポスターは真新しく、ヴァイオリンコンサート開催を告げる旨が記されている。
仁寅奏という天才が若い音楽家達との交流を目的とした、発表会に近いものである。
そのポスターを母親と眺める少女のような愛らしい顔をした少年の顔は笑顔だ。楽しみだねと笑っている。
ビルに飾られた大型テレビではケイトというアイドルがオリコンランキング一位の曲を華やかに歌っている。
狭間進歩はそのビルを通り過ぎた際に聞き覚えのある曲の歌詞を思い出して、鼻歌で続きを歌う。
確か地底遊園地でも流れていたと思い、土曜日には子供達だけでなく家族と一緒に行く予定も立っている。
待ち合わせはNYRONの観光地でもある南エリア。小さいながらも砂浜と海が見える遊泳場である。
夏といえば海だろうという実畑八雲の鶴の一言により、水着を持っての集合となった。
しかし同じことを考える人は多く、小さな遊泳場は茹蛸の集まりのように人の熱気が高まるすし詰め状態だった。
花山静香は今日は海で遊ぶのは無理だろうと近くの甘味屋を指差す。
カキ氷始めましたという暖簾が風に揺れ、またもやフリル服を着てきた流川綺羅は誘われるように近付く。
中では同じフリル服を着ているというのに汗一つ掻いていない美少女が十杯目のおかわりをしているところだった。
横では目つきのきつい少年が腹壊すぞと注意し、赤い鳥のアンドールとリスのアンドールが積み上がっていくガラスの器を見上げていた。
そこで負けじと実畑八雲と狭間進歩がおかわり勝負しようとしたが、海林厚樹に却下された。
仕方なく五人で一杯ずつ食べることになり、談笑しながら冷たい氷に痛む頭を抑える。
先程の大食い少女と待ち合わせしていたのか、少し白い肌をした少女が西洋人形のようなアンドールを連れて店内に入る。
すると少年はきつかった目つきを柔らかくし、大食い少女は嬉しそうに少女を呼ぶ。
どこも欠けていない、完璧なほどの幸せな光景に狭間進歩は気付かなかった。それがいつも通りの光景だからだ。
海林厚樹は窓から見える青い空を見上げて、雲一つないのに明日は雨降ると言い出す。
天気予報を見ていた実畑八雲もそれを知っていたが、俄かには信じがたいほど空は青く晴れ上がっていた。
風鈴が鳴り響く店内で花山静香は思い出したように全員に告げる。
「明日は図書館で宿題やろうよ!」
「わー、嬉しくねー。どーせ世界滅亡まであと少しなんだし……」
「だーめ!そう言って最終日手伝わされる私や厚樹の身にもなってよ!」
と言っても花山静香も一日で全てが終わるとは思ってないので、図書館でもできるドリルだけでも持ってくるように指示する。
ちなみに海林厚樹はすでに全部終わらせているらしく、オススメの本を探すつもりのようだ。
流川綺羅はそれを聞いて路地裏ニャルカさんの最新刊が入荷したというニュースを思い出す。
「ニャルカさん!?もしかして最後の金龍伝説!?」
「そうだよ!!作者が最高傑作というほどの内容だってネットでも噂になっているのが入荷したって!」
「うおー!宿題よりもそっちを……」
「進歩」
「……うっす」
流川綺羅と一緒に盛り上がっていた所を花山静香に諌められ、狭間進歩は明日持っていく宿題の数を減らそうと考える。
別に世界滅亡までに全部終わらせる必要はない。夏休みはまだ半分も残ってて、来週の月曜日は問題なくやってくるのだから。
なにより世界滅亡なんかより大人気作品の続きの方が気になる、というのが本音だった。
五人でカキ氷を堪能し、明日の予定も立てたところで少しだけ日が暮れ始める。
もう帰るかと店を後にして出ていく最中、狭間進歩は海を眺める花山静香に気付く。
沈む前の夕焼けに照らされて海は黄金色を広げて、まるで幻想のような雰囲気を漂わせる。
「あーあ、今週はもう海に行けないや」
「そうだなー。予定ぎゅうぎゅうだもんな」
「来週は世界滅亡だし、最後に海行きたかったなー、どうせならもっと大きな!」
「じゃあ来週行こうぜ?少しだけ遠出してさ、大きな海」
「本当!?あ、でも約束しないつもりでしょう?」
疑うような目に心外なと憤慨する狭間進歩。だが今まで約束の時間に遅れたことが多々あるため、反論はできない。
なので小指を差し出して指切りをする。昔から花山静香としてきた、絶対に約束を破らないという誓い。
花山静香は少し戸惑っていたが、すぐ嬉しそうな笑顔を向けて指切りする。
「嘘ついたらはりせんぼん?」
「うーん、静香と結婚するとか」
「なんではりせんぼんより私と結婚の方が罰ゲーム仕様なのよ、進歩の馬鹿!」
いつも通りの他愛ないやり取りをして、とりあえず嘘ついたらはりせんぼんと告げる。
そういえば昔からと狭間進歩は思い出していたが、本当はいつからこうやっていたのだろうか。
思い出そうとするとぼやけて消えてしまう記憶に対し、狭間進歩はあまり重要な記憶じゃないのかとあっという間に忘れる。
「……覚えてないか」
「なんだよ?」
「なーんにも!結婚のこと覚えてない人には教えませーん」
少し寂しそうに呟いた花山静香に対し狭間進歩は聞き返したが、はぐらかされてしまう。
結婚のこととは何の話だろうかと思い出す前に、狭間進歩の耳に朝聞いたばかりの叫び声が届く。
振り向けばまた違う女が熱を持ったコンクリートの上で泣きじゃくっていた。
困った顔した髪の短い若い警官と、一人娘の写真を胸ポケットにしまう刑事が女を連れていく。
「なんでぇえええ……なんで皆笑ってるのよぉおおお……終わっちゃうのよぉ……けどまた終わるのぉ……もう嫌ぁあああ」
聞いているだけで辛くなるような訴えはパトカーの中に消え、女は警察署の方へ連れていかれた。
実畑八雲もさすがに嫌そうな顔をしており、流川綺羅はなにも見なかったと自己暗示をかけている。
花山静香もすぐに忘れようと目を背ける中、海林厚樹だけが冷静な瞳で去っていくパトカーを見送る。
そしていつも通りの南エリアが戻ってくる。交差点でカーネーションの花束を持った少年が母親と手を繋いで帰る途中だ。
事故多発地域の交差点だったが、信号は正常に動いていて、車も安全運転を続けている。不幸なことなど起きる様子もない。
そのはずなのに狭間進歩は首を傾げた。なぜそうしたのかすら自分でもわからず、そしてすぐに忘れることになる。
不幸なことがないなら、皆幸せで笑っている世界なのだから、何も問題ないのだ。それが正しいはずだ。
例え一週間もしない内に世界が滅亡すると言われても、結局は幸せないつも通りを過ごすだけなのだ。
沈む夕焼けが全てを赤く照らす。まるで世界が炎に包まれているような錯覚に、誰かが鼻で笑った。