Chapter 1-3
その日の夜中、なずなは寝付けずにいた。再び自分がやってきたことで、亜沙希を、瑞希を苦しめてしまうことになってしまったという罪悪感でいっぱいだった。
気分転換に飲み物でも飲もうと思い立ち、下の階に降りて行くと人の気配を感じた。
「電気はつけないでくれ」
瑞希は静かにそういった。なずなはその場に立っている。
「……眠れないのか?」
「えぇ……まぁ。瑞希さんは……」
そこまで言って自分の失言に気づく。寝られるはずがない。唯一の家族が人質になっているのだ。自分が先ほどまで考えていたことをなぜ忘れるのか、泣きたくなってきた。
「別に、なずなさんのせいだなんて思い込まなくていいよ」
「しかし……私が関わっていることは紛れもない事実です…」
「でも……」
「遅かれ早かれ、戦う意志があろうがなかろうが、母さんが狙われることは考えるべきだった。でも、母さんを放置したのはオレだ。オレが勝手に出て行くって決めたんだしな。それにこんな藩士はやめよう、はたから見れば傷の舐め合いにしか見えないし」
「……はい」
なずなは瑞希の隣に座った。手を組んで下を向いたまま、何も言おうとはしなかった。少し震えているようにも感じる。
「肩に、手をおいてくれる?」
「は、はい……」
言われるがままに肩に手をおいた。やはり震えていた。しかし、それ以上に体が異様なほど熱くなっている。
「熱でもあるんですか!?」
「いや、そういうわけじゃない。帰ってきてからロードワークにも行ってないし、運動らしい運動もしていない」
「………!」
なずなはひとつの結論に至った。彼もまた、亜沙希の血を引く者だったのだ。極度の興奮状態に陥ると、身体が発熱するのは火龍独特の体質である。しかし、彼がその能力を自在に扱えないのは半分がその体質だからだろう。
「……昔からそうだったんだ。緊張したりすると身体が熱くなって、どうしたら良いかわからなくなる」
「その時は、どうしていたんですか?」
「母さんが近くにいるときはリラックスさせてもらったから、試合中も普通にやれてた」
声色はとても落ち着いている。顔を見れない以上表情を理解することはできないが、かなり昂ぶっているのだろう。声にも少し震えが出てきていた。
「……怖いですか?」
「怖くないって言ったら嘘になるよ。いつだってそうさ、特にボクシングの試合の時はね」
「そんな……あなたは強いじゃないですか……どうして……」
「わかるかい?試合に負けたりでもしたら捨てられるかもしれない。そう思いながら戦う恐怖が、さ。
ガキの頃は当然まともな試合なんてできないから、延々と血反吐吐くようなきついメニューを繰り返し、時間までに終わらないと量がどんどん増えていく……そんなことばっかりやっていた、で、中学に上がってからミット打ちを始めたんだ。
いやぁ、ひどかったね。母さんも手を出せる環境になったから、そりゃもうボコボコさ。そんななか試合とか組まれてね……負けたらオレにはもう行くところはないんだって思いながら必死に戦ったよそのお蔭でこうして誰かを守れたり…」
そこまで言って瑞希は言葉を切って頭を振った。なずなは次の言葉を待ちながら、肩においた手を背中に回した。
「いや、守れてないな……オレは母さんを見捨てちまった……母さんを助けないと…!!」
「………大丈夫……大丈夫ですよ………あなたなら……きっと……」
なずなは彼の身体を抱きしめながらそう告げる。どれだけ自分を作る鎧を固めても、中身はまだ少年なのだ。怖いのもあるのだろう。肩に置かれた手を握り返して、
「………ありがとう……ありがとう……!!」
そう言った。
遠くなっていた意識がはっきりとしてきた。揺らめいている蛍光灯がやけに脳に焼き付く。妙にすえた匂いが辺りに満ちているのを感じた。
「……くっそ……!」
凄まじい激痛だった。身体が思うように動かない。身体が軋んでいるのを感じているが、それが逆に意識をはっきりさせてくれた。
寂れたビルのような場所だった。ここにはそういった建物はゴマンとある、そこからどこかを特定するのかは難しいだろう。亜沙希はため息を一つ吐いた。
「囚われの身……ねぇ」
「笑えない冗談よ」
声の方ではアシュレイがむくれた表情で座っていた。その足には鎖が巻かれているのが見える。自分の足にも同じように鎖が繋がれていた。
「はは、アタシの悪運もここまでかしらね」
「冗談じゃないわ。………せっかく姉さんが取り戻してくれたものが、全部無駄になっちゃう」
「あのね?一族復興なんてただのおまけでしか無いの。アタシが惚れた男についていった結果で起こったことなんだから、別段気にすること無いってー」
「お祖母様は………喜んでたけど………」
「あの不老不死ババァ、いい加減くたばっちゃくれないかね。顔思い出すだけで嫌になるっつーの。アタシが奉公に出る時だってそうだわよ、文句たらたら文句たらたら」
「姉さん!!!」
鋭い叫びが空間に広がって反響していく。亜沙希はおちゃらけるのをやめ、ポケットのタバコに火をつけた。手荷物は取られていないらしい。もっとも、狙いは別のものだろうが。
「どうして……どうして、あなたは……!!」
「落ち着きなさいよ。今アンタが叫び声を上げたところで誰かが助けに来てくれるの?ここで大人しく反省会開くほうがいいとでも言う気?だったら簡単よ、アンタは考えが甘すぎる」
「そういうことを言いたいんじゃありません……!私が未熟なのは十分承知しています……!でも、姉さんがいたから、私は!!」
「これ以上言い訳する気なら、今すぐにでも首の骨へし折るわよ」
殺意、殺気、殺伐とした空気。アシュレイの喉笛を噛み切る勢いで何かが襲いかかろうとしている。亜沙希の目は本気だった。確実に、殺される。
「説教したいことは山ほどあるわ。勝手に人間界にやってきたこと、姫様を放置した挙句心配をかけ自ら追ってこさせ危険に晒したこと」
「姫様には、今力が必要なんです!支えるものが誰もいない、たった一人の姫様にはそれを支える力が……!!」
「んなもんクソ食らえだわ。アンタもわかるはずよ、そのうちね。本当に大事なのは相手を殴り殺す腕力の力じゃない。それに気づかない限り、アンタは変わらないわ。…………それとも、アンタの適性が、そうさせるのかしらね……」
「牢屋ン中で喧嘩かァ?活きがいい女はイイねェ。食いでがある」
入り口から聞こえてきた声に目を向ける。白いパーカーを着て、下はダメージジーンズを履いていた。背は亜沙希の感覚でだが、かなり大きいほうだろう一八〇、ヘタしたら一九〇あるかもしれない。肌の色はよく日に焼けた茶色だが、体つきはとても運動している人間には見えなかった。
「ケホッ……ケホッ……!!」
アシュレイが深く咳き込んだ。亜沙希はある程度の体制があるから平然としていられるが、本来邪龍種は龍族にとってはイレギューラーな存在なのだ。身体に以上をきたす者は少なくない。
「そうね、ガキの頃入れられたオシオキ部屋によく似てるわ。跡は無知とか三角木馬があれば完璧かも」
「そういうプレイがお望みだってンならすぐにでも準備できるぜゼ?確かに歳はいってる見てェだが、よさそうだ。そこいらの風俗街に売り飛ばすのは持ったいねェ」
「ごめんなさい、アタシは攻めるほうが好きなのよね。テメェの力もろくに測れないような糞ガキには躾してやらないといけないし」
「あァ!?ンだとテメェコラァ!!今すぐその皮引っぺがしてやるァ!!」
亜沙希はため息を吐いた。相手にするだけ無駄だ。確かに邪龍は手軽に用意できるし、力もかなりある方だ。だがしかし、当然反動がやってくる。この男は相当量を入れられたらしい。情緒不安定になっているのもそのためだろう。最も、この咲ノ森市ではそういった人間は腐るほどいる。誰も気に留めはしないはずだ。
「いいからなんお話しに来たのか話しなさいな、ティアマット。この晩年発情期の糞ガキじゃ話にならないわ」
入口の扉に持たれるようにしていたティアマットは黒髪をかきあげながら話を始める。
「ふん、まぁいいさね。ここの始末と、アンタたちの処分はこの連中に頼んである。今日は別件さ。先日あんたらを捕まえたあのビルだけど、今日行ったら綺麗サッパリ元通りに鳴ってたのよねぇ。監視に配置させてた試作型も腸ぶちまけて殺されてたわ。答えな、どこに龍使いがいるの?」
「アタシの息子よ。テメェらがターゲットにしてる風月なずな……いえ、シルヴェルヴィント=エメラルディア姫とつい先日契約を済ませたばかりだけどね。そこの発情期ならよだれを垂らして喜ぶんじゃないの?かなり従順ないい女よ。スタイルも抜群」
「姉様……!?」
「ただ、あの子に手をだすってんなら覚悟なさい。一筋縄じゃあ行かないわよ?」
「ふん、それが知れただけでも充分だよ。指定の場所に来るようには伝えてあるしね。そのときに全部わかるさ。アンタが知らないこともね。うくくっ……」
「おい、こいつらはどうする……!!」
「気を静めたいんなら別の女にしな。アンタが手を出したら、死体が増えるだけだしね」
言いたいことだけ言って満足したのか再び静寂が訪れる。亜沙希は吸っていたタバコを地面に押しつけ、二本目を咥えた。
「いいの?あんな事言って……」
「アタシの息子もご多分に漏れず正義感の塊よ。あんな連中を見たらどうなるかは想像に難くないわ。
私達が望んだように、瑞人さんのように育ってくれた。生まれ変わりと言ってもいいかもしれないぐらい。まぁそれでも心配なことはあるけどね」
「どんなこと?」
「確かに、あの子を作ったのはアタシだけど。あの子が限界を超えて、本能だけで戦ったらどうなるのか………実は。アタシも知らないのよね」
「………大丈夫かい?」
「あぁ、今にでもブチ切れちまいそうだが、俺は至って冷静だ」
それは冷静とは言わないんじゃないかと突っ込みたくもなったが蒼汰はその言葉すらも発せなかった。瑞希がここまで神経を集中させているのは初めて見た。
「あまり入れ込んでもプレッシャーになるだけだよ。もっと体ほぐして」
昨日訪れた廃ビルのある町並みの一角。学校は霧恋に頼んで病欠ということにしてもらい、二人は平日の朝から閑散としたエリアに来ている。
「わかってる……わかってるよ……」
『いきましょう。目的地はすぐそこです』
目的地には一つプレハブの小屋が建っているだけだった。違和感を感じながらも二人は食堂の時と同じように、ドアを蹴破って中にはいった。が、そこには誰もいない。
「デマ……か?」
「瑞希!」
蒼汰の言葉に鋭く反応した。右がフックになり何かに直撃した。とっさの事で手加減ができなかったが食らった何かはそのままゴロンゴロンと回転し、ソファーに直撃して止まった。
「大丈夫?」
蒼汰が声をかけたのは無論瑞希にではなく被害者だ。瑞希は拳を見せないようにしながら、被害者に近づき押し殺した声で訊ねる。
「…母さんは…どこだ……!」
「ま、待ってくれ………!お、おれはただ……うぐぇっ……!」
「敵じゃあねぇだァ……!?だれたこと抜かしてっとぶち殺すぞ………?」
「お、おれぁこのへんの不良集団を統括してるシマダってもんだ……アンタに頼みがあるんだよ…」
「頼み?」
「…おれらのリーダーでもあるうちの兄貴がここ二週間ですっかりおかしくなっちまって……仲間内でも平然と殴りかかるし……前はそんなことするような人じゃなかったのに……」
『邪龍と契約したことによる弊害作用ですね。人格崩壊、中毒性が強いため摂取できなくなると情緒が不安定になります』
「……なるほどな。で、オレをここに呼び出して頼み事しようってわけか」
「代わりに居場所を教える!だから兄貴を……!!」
「甘ったれたこと言ってんじゃねぇぞ?」
瑞希の拳が壁にめり込んだ。そこに巨大な穴が空くほどの猛烈な衝撃だった。その音におそれをなしたのかシマダは顔を引きつらせたまま小さく悲鳴を上げる。
「別にテメェらの兄貴がどうなったとか興味はねぇんだよ。どうせクスリでもやってるようなクズの集まりだろうが。そんなクズを助けろだ?冗談じゃねぇよ。寝言は寝てから言いやがれ」
「俺達はクスリに手を出したことはねぇ!ただ、世の中の不満言いたいだけの集まりだったんだ…。ムシの良い話だってのはわかるよ…!でも、たった一人の家族なんだよ……!」
たった一人の家族。母の顔が頭をよぎる。瑞希の至高が少しストップした。
「頼むよ!おれも兄貴も…もうこの世界は足を洗うことにしてたんだ……!その矢先に、こんな…!」
シマダの口から漏れてくる言葉はおそらく、紛れも無い本心だった。心の底から変わろうと思っている人間の言葉に聞こえた。
「どうする?」
「悪人にも悪人の私生活があったってことだけだ。やることには変わりはねぇ。こいつの兄貴をぶっ倒して、全てを元通りにするんだ」
「えっ……?」
「テメェの兄貴が変わっちまったのは余計な不純物が入り込んだからだ。それを取り除いてやれば、戻るかもしれん。だが、機体はするなよ。殺し合いになる前に止められるようにやってみる」
「………ぅぅぅううっ……!ありがとう……!」
「その性根も叩きなおしてやる。うちのジムにきな。クスリやってねぇんなら体力有り余ってんだろ。見たところ若そうだし、鍛えれば使い物になりそうだ」
「こ、これ……兄貴の居場所だ……よく、ここにいる……」
差し出されたメモには細かく住所が書かれていた。蒼汰がスマホで場所を検索しおおまかな位置が特定できた。
「ここは……そう遠くなさそうだな。急ごう、時間が惜しい」
「兄貴を、頼むな……」
「……心配なら、テメェも見に来たらどうだ。草葉の陰からでもこっそり見てろよ」
そういって二人はプレハブ小屋を後にした。外に出るなり蒼汰が大きくわざとらしいため息を吐いた。
「あんだよ」
「甘いねぇ、瑞希。もとより殺す気なんて無いくせに」
「………なずなさんとの約束だからな」
地図に示された場所には思いの外時間はかからなさそうだった。支持されているのは地下に通じるちっぽけな通路。ここの先に続いているらしいが詳細な地図が出るわけもなく、二人は携帯での追跡を諦め乗り込むことにした。
「準備してるかな?」
「ほぼ、確実にな……さっきから頭の後ろ辺りがずっとちりちりしてやがる」
『道中の雑魚は斬って構わないんだろう?』
『それでも、極力急所は外してくださいね』
『わぁーってるよぉ、オヒメサン。くくくっ……』
「あァ?侵入者ァ?」
「どうやら連中がここの場所に感づいたみたいね。とりあえずアタシは撤収の準備をしてくる。ここは頼んだよ。貸し出したもんもあるしね」
「ケハハッ!!任せなァ!!」
亜沙希はこのチャンスを待っていた。遅かれ早かれ瑞希が来ることは予想できたので、脱出のチャンスを伺っていたのだ。眠っているアシュレイの方を揺らして起こす。
「あによぉ……」
「脱出するわよ。準備してなさい」
「おい、女どもそこから出ろぉ!」
巨漢の男がそう言いながら檻の鍵を持ってやってきた。解錠している間にアシュレイに素早く耳打ちをして作戦を伝える。
「ナニをこそこそシてやがるぅ!」
「あっ……」
アシュレイが気絶のふりをして男にもたれるようによりかかった。その一瞬の隙を突いて、亜沙希がボディブローを放つ。
「ぐぅ……!?」
「ちょろいもんね。不摂生すぎるわよ、少しは運動と健康的な食事をするべきだったわね」
ポケットから鍵を入手すると、足にかけられていた鎖を外して立ち上がった。ずっと座りっぱなしだったからか、軽いめまいがするが気にかけてもいられない。
「さて、こっちも脱出といきましょうかね」
『了解』
トンファーを握りしめ通路を進んでいく。亜沙希の中でアシュレイは懸命に操作を取り戻そうとしているが、そこで異常に気づいた。
『なによこれ………尋常じゃない量よ……!?』
表示されるレーダーには無数の反応があった。個々の施設の人間はほとんどが邪龍種に取り込まれてしまっているのだろう。
『右です!』
小気味よい音とともに亜沙希の右フックが顔面に炸裂した。しかし、その先には大量の人間が配備されておりこちらに進むのはどう考えても無理そうだった。
「迂回路を探すわ。警戒、怠らないでね」
うねうねと広がる迷路のような地下を歩き続ける。極力発券はされないようにしたいが、以上に気づいた連中、もしくはティアマットが感づいているかもしれない。そんな不安を抱えつつ通路を進む。
やがて、広いホールに出た。周囲には反応もなく、やたらと静かな感じだった。一目見ただけで罠だとわかった。しかし、進まないわけにも行かない。と、一歩踏み出した時。
『姉様!!』
上空から巨大なパネルのようなものが降ってきた。すぐさま身をかがめてそれをやり過ごすが、降ってきたものは亜沙希の目に捉えることはできない。
「これは……!?」
「マジックミラーってやつだよォ。中から見えるけど、外からは見えねぇってやつだァ」
吊るされている巨大モニターに二人を捕らえていた男の顔が映り込む。
「ハッ。アタシとサシでやるのが怖いのかい。まぁ、無理もないけどね」
「テメェはメインディッシュだよォ。姉妹揃って美味しくいただいてやるからちぃっと待ってろォ。今は余計な腰巾着を殺すのが先だァ」
「ぜぇっ……!!ぜぇっ………!!ちくしょうが!!手間かけさせやがってよシマダァ!!」
ここに来るまでにどれだけの戦いを強いられてきたのだろうか、瑞希達の身体はあちこちに傷ができているボロボロの状態だった。瑞希は額を切っているのか、右目が使えない状態になっている。
「いやァ、まさかここまで来れるとはねェ。あの女が言ってたことはあってたってわけだ」
「母さんはどこにいる!!返す気がねぇんなら……!!」
「おいおい、そう意気込むなよォ。じっくり行こうぜ?まだまだ先は長いんだからさァ」
「貴様ッ………!!」
「おぉっと、そうだった。そっちの兄ちゃん。武宮って言ったか?テメェ、武器を置いて下がりやがれ。こいつが一人でやらないといけねェことだからなァ」
「屑が………!!」
いきり立つ蒼汰の方を瑞希が叩く。そのまま後ろに押しのけ、右の親指を力強くたてた。
「任せろ相棒。あんな屑に負けやしねぇよ」
その言葉を信じ、蒼汰は過穴を鞘に納めると腰にかけ直して部屋の入口まで下がった。その様子を見ながら亜沙希はほぞを噛んだ。
おそらく、瑞希の右目はほとんど見えていない状態だ。それだけならさほど問題ではない、ボクシングの試合で顔面が腫れ上がるのはよくある事だ。問題は、中にいるなずなの方だ。契約対象者とリンクしている身体情報はおそらく彼女の視界をも塞いでいるかもしれない。戦闘初心者が頼るべき感覚器官の一つを潰されている状態でどこまで戦えるのか。
「短期決戦で決めないと……!!」
「ケヒャヒャッ!!お前のママが心配してるぜェ!!安心しなよォ!たっぷりかわいがってやるぜェ!!」
『…………やれるかい、姫さん』
『片目が潰れていようと、問題はありません。あの男がしようとしている行いは許すことができません。なにがあろうとも、その罪を白日のもとに晒さねば』
「オーケー……んじゃ、行こうか!!」
ギュオン!!と音を立てて両腕に竜巻がセットされた。それにあわせるようにシマダがホールの中心に姿を見せた。手にはすでにハンドアックスを握りしめており、戦闘態勢を整えている。
「でも、ただやるんじゃ面白くねェよなぁ?」
シマダが指を弾く。瑞希と翔太の間にもう一枚壁が現れ、蒼汰の姿を完全に隠してしまった。さらに無数の邪龍種の気配をなずなのレーダーが感じ取る。
「なにを!!」
「なぁに、転身って知ってか?俺達みたいにこいつらに深く取り込まれた連中は他のやつにダメージを肩代わりさせることができんだってよ。それを利用させてもらうのさ。おれにダメージを入れればボロボロのお仲間を助けることができる。でも?おれを倒せなかったら……?くくくっ、わかるよなァ?」
『外道が……!!』
『外道とはひどい。あなたがいなければ、ここにいる連中は誰も被害を被ることがなかったんですよぉ?あなたが来たことでこうなってしまったんですからねぇ』
「耳貸すな!行くぞ!」
瑞希が力強く地面を蹴った。瞬時に間合いを詰め攻撃態勢に入る。きっちりブレーキを掛けて体重移動を行いながら左を体の中心めがけて放つ。
「おァ?」
「うぉらぁッ!!」
そのまま全力で振りぬいた。身体がくの字に折れ曲がるのと左手に残る確かな感触がクリーンヒットだということを物語っている。が。
「へェ、やるねェ」
「な、にぃ!?」
「そらぁ!!」
振り下ろされたアックスが地面に突き刺さり鋭い刺が襲い掛かる。すんでのところで一発はガードしたものの、右の脇腹の辺りを掠った感触が残る。たまらずに距離をとった。
「瑞希!?少し数が減った!僕も極力応戦するけど……死ぬんじゃないぞ!」
「バァカ野郎………誰に向かって言ってんだ?たかだか、一発じゃねぇか!!」
もう一度踏み込む。まだ力は残っている、出血も大した量ではない。
「そうだよなァ、一発当てりゃァいいんだもんなァ!!」
アックスを地面に突き刺したかと思うと、シマダの体を覆うように土の壁が現れた。かなり分厚いらしく瑞希の一撃は表面を削りとっただけで終わってしまう。
「なに!?」
「一発当てられりゃあの話だろうが!!当たんなきゃいいんだろォ!?」
死角から土の無知が振り下ろされた。首の後を殴打されて瑞希の意識が歪む。倒れかけたところに板のような太い塊が腹部めがけて突き出てくる。
「なずなさんふうしょ……!?」
言い切る前に猛烈な衝撃が襲ってきた。鍛えてきた腹筋を粉々に破壊する、まるで鉄球のハンマーのような一撃だった。
「もしかして、意識がないんじゃ!?」
『中の我々が意識失うなんてことは絶対に有り得ませんよ!原意あいつは意識を保ってるじゃないですか!意識が絶たれなければ、気絶なんて……!!』
「………へへっ……ぜんっぜん効いてねぇぞ………!!なめんなよコラァ!!」
土壁の上からもう一度拳を振りかぶる。衝撃が伝わるがダメージが通ったようには見えない。もう一度振りかぶる。今度は再び死角からの攻撃、今度は右腕に直撃した。
「なずなっ!」
ギリギリでは会ったが寸前で彼女がシールドを張った。今度はさほどのダメージはない。
「バカの一つ覚えかよォ!大したことねェなァ!!中のオヒメサンもそんなもんか!!」
「………あぁ?全く理解してねぇのはテメェの方だよチキン野郎が……!!」
『おまたせしました、計算終了です。もう瑞希さんにダメージなど与えさせません』
「食らったら、今晩添い寝な」
両手の竜巻を一転に集中して、まずは風神瞬靠で間合いを詰めながら外装を剥ぎ取る。素早い三連撃を加えたあと、振り下ろされる無知を捕らえ思い切り引きちぎった。
「つぉらぁぁぁぁあ!!!」
攻撃が飛んでくる箇所は全てなずなが予測済み。瑞希はそれに合わせてがむしゃらに拳を振るった。
「通れ……!!通れ!!とおおおれええええええええええええええ!!!!」
暑い外壁を剥ぎ取るために無数のラッシュが襲い掛かる。その一発一発が殺人級の破壊力をもち、瑞希の身体のスタミナを削っていく。それでも懸命に両足を踏ん張りながら拳を叩きつける。
「よぉ………また会ったな」
「ぐっ………オルァッ!!」
「ぬるいんだよ!!!」
左フックがシマダの側頭部にめり込んだ。ここを殴ることによって瞬時に相手の意識をぐらつかせ、動きをストップすることができる。
「杭ッ!!」
その勢いのまま右ストレートが鳩尾に炸裂した。身体の中に残っていた僅かなスタミナを吐き出させるように呼吸をさせながら拳をめり込ませていく。
『破ッ!!』
そして身体が伸びきり、ダメージを吸収しきれない身体に暴風が塊になってたたきつけられた。そのまま自身の体を覆っていた土壁とともに、背中から壁に直撃する。
「ぃぃぃってぇな…………!!」
「魔法でも使ったのか……?一瞬でいなくなったけど……」
「バーカ。ワンパンあれば試合ひっくり返すぐらいどうってことねぇよ」
『申し訳ありません、いくら計算のためとはいえ、かなりのダメージを……』
「なぁに、気にすんな。アレぐらい耐えられないようじゃ、チャンピオンのパンチなんか食らってらんねっての。オレとしては、若干ヘコんでんじゃねぇかと思ったけど?」
『ここまで来てしまったら、思いっきり迷惑かけてやろうと思ったんです。覚悟してくださいね?』
「オーケー、そんじゃまずはあのクソ野郎をぶちのめすぞ」
再び神経を集中させる。集中している時のリズムは、なずな自身体でわかるようになっていた。呼吸の間隔、身体の動かし方、全てが今は手に取るようにわかる。
「上等だ……クソガキィィィィィ!!」
アックスが手から放たれた。飛んでくるのを弾き飛ばし手に戻るよりも早く、風にのって再びゼロ距離で接敵。
「ふっ………!!!」
まずは勢いを殺さないように右膝をそのまま叩きこむ。ヒットしたのを確認してその足を力強く地面におろし右肘を上体狙って突き出す。
「ぐぇっ……!?」
そのまま膝のバネを使って顎に向かってアッパーカット。人の体が軽く浮き上がるほどの衝撃がシマダの体を襲う。
「行くぜ?オイ」
『システムコネクト!各システム、オールグリーン!始めます!』
左足で蹴り飛ばし、大きく距離を作った。そして右腕を腰の後ろで構え、足をしっかりと開き、身体の支えにする。
『かくとだに――えやはいぶきの―――さしも草――さしも知らじな―――燃ゆる思ひを――――』
「うぉぉぉおおおおおおぉぉぉおおあああぁああああああああぁぁぁあ!!!!!」
先ほどまで両腕にあった竜巻が右腕に集められ、人一人をゆうに飲み込めるほどの巨大な暴風となって力がまとめて形成される。あまりの衝撃に瑞希自身の体が歪み、全身がきしむような悲鳴を上げていく。
「一撃必殺!これぞオレ式究極パンチ…………!!」
間合いを詰めて走りだす。その背後に追い風が加わりぐんぐんスピードが上がっていき、必要射程距離まで辿り着いた。まずは通常状態の左腕で肝臓に一撃。ボクシングの試合中なら、ここですぐに拳を引っ込めるが今はその限りではない。そのまま腕を振りぬく。
「『ディザスター………テンペストォォォォォ!!!』」
そして、身体が右に流れてきたところに右腕に溜められた力が鳩尾に向けて一斉に放たれた。
なずな曰く、瑞希の実力がなくても4トントラックを片手で吹き飛ばすほどの衝撃が一斉に身体を伝って流しこまれていく。そして、解き放たれた。
「行けオラァッ!!」
膨大な質量が一点に収束し、はじけ飛ぶ。シマダの身体はまるでゴムボールのようにはじけ飛び、亜沙希のいるマジックミラーを突き破り、壁に激突して止まった。
「母さん……!?」
「おう、ピンピンしてるよ。しっかし、ド派手にやったわねぇ……こりゃ死んだんじゃないの?」
「いんや、ボディブローだから殺すまでには至ってねぇだろ。ガラスの破片が刺さってるかもだが」
『一応、殺すなと依頼も受けていますし』
『姫様………!?ご無事で何よりです!』
「とりあえずは何事も無く収まってくれたようでよかったよ。でもさ、あれ手加減して撃たないとほんとに死ぬんじゃないの?」
壁を乗り越えてやってきた蒼汰がシマダを見ながらため息混じりにそういった。
『いえ、死ぬことはほぼ無いかと思います』
「なずなさん曰く、巨大な力をぶつけるか王家の力でその場で浄化できるらしいんだなこれが。今は反動で気絶してるだけらしい。もっとも、武器を介さない物理攻撃じゃないとダメだけどな」
『もっとも、そういった特殊環境下でないとこの技は確かに死人を生み出すようにも思えますが……』
「風の属性は瞬間火力だけだったら最強だものね。他の三属性には罫線能力で劣るけど」
『あの、姫様………』
極力そういう空気をしないようにと会話を逸らしていたが、アシュレイ本人が口を開いてしまったのでどうしようもなくなった。
『良いのです。私のことを思ってやってくれたことですものね。私にはあなたを責めることができません。しかし、ある程度の罰は受けていただきます』
『はい………』
『これからも私に身命を賭して仕えなさい。あなたには、期待していますよ。それから』
「お待たせ致しました、姫様」
『いいえ、ですが決心してくれたようでなによりです。もう、よろしいのですか?』
「えぇ。十分な休養はいただきましたし、瑞希が戦っているのに寝てるわけにはいきません。今回は足を引っ張ったみたいですけど」
『また辛い役回りを押し付けると思いますが、これからもよろしくお願いします』
「仰せのままに」
そこまで言うと装備を解除して、元の姿に戻った。瑞希がもらったダメージがあるのか、ややふらついてはいるが自分の足で立っている。
「お強くなられました」
彼女の姿を見た亜沙希は目を細めてかつての彼女を思い出す。まだあどけない少女だったはずが、いまや王家の風格を漂わせて自らの進むべき道を見据えていた。
「私一人では成し遂げられませんでした。瑞希さんのおかげです」
「そいつァどーも」
「素直じゃないねぇ。ラストのコンボ、痺れたよ」
亜沙希は我が子の頭をくしゃくしゃっと撫でた。瑞希の成長無くしてはこの勝利は有り得なかった。
「ただし。改良の余地はあるけどね」
「例えば?」
「んー...ネーミングセンスとか?」
「ねーわ」
なずながやってきてから、まだ1ヶ月ほどしか経っていない。にも関わらずその何十倍もの長さを感じていた。季節は移ろい、間もなく五月の半ばになろうとしていた。ゴールデンウィーク返上でなまった体を鍛えなおすということでジムに通いっぱなしだった。
「腰が入ってない!腰が!!角度も甘いわよ!リズムリズム!!」
亜沙希の声がジムに響く。激を飛ばされる度に瑞希の回転が上がって、ミットを付けている腕が弾け飛んでいる。
「そこまで!休憩入りなさい」
「ぜぇっ.......!!ぜぇっ.......!!相変わらずバケモンみてぇなスタミナだなおい........!!」
「ドリンクよ」
アシュレイがぶっきらぼうに飲み物の容器を放り投げて渡す。その姿は小豆色の芋ジャージだった。赤い髪とのミスマッチ具合がおもしろい。
「似合わねぇな」
「うっさい。焼き殺すわよ」
アシュレイの態度は瑞希に対してはそっけないものだった。というのも、なずなのパートナーとして瑞希を認める気がないということらしい。
「やれやれ........」
「タオル、こちらに置いておきますね」
声に振り向けば、なずながこれまた芋ジャージの緑を着てタオルを差し出していた。それを受け取ると、他のジム生にも同じように渡しに行く。
「すっかり板についてきちゃってまぁ」
「やっぱり納得いかないわ、姫様にこんなことさせるなんて...。王家に知れたら重罪モノよ」
「いいのよ別に。人と人との関わりを大事にするのも王としての大事な資質でしょ?」
「まぁそれはそうだけど。マズイこともひとつあるのよね」
「なんだよ、マズイ事って」
「知らないの?アンタの相方の契約龍、向こうの世界じゃとんでもない重罪人なのよ」
まずはここまで読んでいただきありがとうございました。お楽しみいただけたでしょうか。
私としては誤字が酷くて目も当てられません...。なんとか改善していければ、というかしないとマズイですよね...すみません...。
とりあえずこれにて第一話は終了になります。まだまだ始まったばかりですので温かく見守っていただければと思っております。あと二、三話ぐらいまではプロットがあるので比較的早く投稿できると思いますが、現状pcが使えないこともありもっとかかってしまうやもしれません。
それでもお待ちいただけたら嬉しいです。
それでは。