Chapter1-2
「つーわけで、星森の親戚の風月なずなだ。みんなー仲良くするよ~に」
「ご感想は?」
「死にたい」
一日開けた月曜日。予定通りなずなは瑞希のクラスに編入することと相成った。もとより、好奇の視線にさらされていた瑞希だったが、これにより更に痛い視線を感じるようになった。主に男のほうから。
正面の席に座る蒼汰は、そんな瑞希を楽しそうに眺めている。恨み事の一つでも言ってやろうかと思ったが、あいにくと瑞希にそんな気力はなかった。
「いやぁ、しかし意外だねぇ。瑞希にあんな清楚できれいな親戚がいたとは」
「オメェにだったらくれてやる。だからこの視線の嵐を何とかしてくれ」
「僕の専門外かな。よろしくね、風月さん。僕はこのバカの親友武宮蒼汰」
瑞希の隣の席に座ったなずなににこやかに挨拶をした。こういう時だけ蒼汰の社交的な正確が羨ましくなる瑞希だった。ホームルームが終わり、一限はそのまま霧恋の古文の授業が始まる。普段の性格からは想像できないほど、細かい解説が霧恋の授業の売りだった。
「………くぁぁ」
だが、いくら授業の内容が良かろうと、瑞希のキャパシティの少ない脳には一文字も残らない。そのまま耐え難い睡魔に押し負けて、ゆっくりとまぶたが落ちていく。周りの連中も、この学園では居眠りで怒られることが無いためか、すでに心地よい寝息を立てているものもいる。が、今日の瑞希はいつもと違った。
「はい次ね。君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思いけるかな」
「ん?」
「どしたー?星森。オネムの時間じゃないのかい?」
「いや、その。聞き覚えがあったもんで」
「へぇ、あんたからそんな言葉が出るとは思っても見なかった。なかなかのロマンチストじゃない。
この短歌の作者は藤原義孝、百人一首にも読み込まれるほどの有名な歌で訳すとこうなる。
あなたに逢えるなら、死んでもいいと思っていました。でもこうしてあなたに会えた今は、いつまでも長く生きてあなたといっしょにいたいと思うように感じるようになった。
なによ、こんなことが言われる相手にでも巡りあった?」
「テメェ………!楽しんでねぇか…!?」
「ま、転校生も来たしねー」
そういって霧恋はあっはっはと豪快に笑った。隣の席ではなぜかなずなが顔を赤くしたまま俯いている。そこで、思い出した。先日の契約の時に、彼女が言っていたものと一緒だった。
「ふーん、そういう意味だったのか……」
「あの、違います……。その、お昼の時にお話しますから」
結局その場では発言の真意を探ることができず、なずなの言い分を信じ深く追求することはしなかった。瑞希はそこで限界を迎え、ゆっくりと眠りに落ちていった。
「ご一緒しても?お邪魔じゃなければだけど」
「あー……邪魔だ。今日はちょっとかんべんしてくれ」
「オーケー、何やら大事な話があるみたいだしね。それじゃ」
蒼汰からの昼食の誘いを断ると、なずなと連れ立って屋上へと向かった。朝、コンビニで買ったパンとおにぎりに彼女は興味津々だった。
「ん、見たことねーのか」
「えぇ、まぁ……。というか、商店が休まずに丸一日休みなしで営業している理由が不思議です」
まぁ、コンビニなんて向こうの世界にもあるとは思えないが、という言葉を紅茶とともに腹の奥へと流しこむと、彼女が先に切り出した。
「あの、今朝の歌のことですけれど」
「あぁ、あれか?契約時に歌ってたみたいだけど」
「祝詞といえばよいのでしょうか。私達にとって、人間界の文化は大変異質なものなので、それぞれの中に特殊な波長として宿るものが多数あるそうです。それを使うことで、力を練りやすくし、発現しやすくするという効果を担っているのです」
「ふーん。じゃあ意味はなかったと?」
「えぇと………そう言われるとその………」
ゴニョゴニョと途中から聞き取れない言葉を発するなずなを傍目に見ながら、二個目のおにぎりを口に入れた。
「……あの、これはどうやれば?」
「ん?真ん中に出っ張りがあるだろ?それを下に引っ張って、一周させて…。跡は片方ずつ脇の引っ張ればオーケー」
「できました……!これは……我が国でも活かせそうです!」
「ところで、そっちの世界の文明ってのはどのくらいまで進んでるんだ?」
「およそ、ですけど…こちらよりやや遅れているといったところでしょうか。部分的には発達しているものもありますし、技術関係が根本的に違うものもありますから一概には。あ、でも携帯電話とこんびに?は無いものですね」
なんとなく想像しにくい世界でもあるが、会話のつなぎとして使っただけで特に瑞希の興味はなかった。
「…………っ。あの、なにか感じませんか?」
「さっきから頭ん中でちりちりしてんのはそれか……。この感覚前にも感じたことがあるな」
朝から妙に落ち着かない感じが続いていた。なにが起こったのかわからないが、なずなと契約したことにより瑞希の身体の中で何かしらの変化が起こったのは明らかだった。
「おそらくは、邪龍種の類いかと」
「そういや、初めてあのホテルであった時もそんなこと言ってたな。そりゃなんだ?」
「邪龍種…私達龍種とは似て非なる存在の龍種で、特定の属性を持つということはありません。ただ入手、使役が容易なのと、手軽に数を増やすことが可能なため、急場しのぎの戦力として扱われることも多いのですが、これが人間に憑依すると厄介なのです。それは、一昨日私達が行った契約を強制的に行い、人間に内包されている以上の力を引き出します。人格も豹変させて、純正龍種の力を流し込まなくては除去することができないのです」
話を聞けば聞くほど厄介な存在に思えた。なずながこちらにいるということはすでに向こうの世界には漏れてしまっている情報だろう。ということは、彼女の存在を疎ましく思うものが対抗勢力としてそれを送り込んできたとしても不思議ではないだろう。
「ってことは、姫さんが狙われてるってことなのか?」
「それもあるでしょうし、なにより契約時に膨大な量の力が流出しちゃいましたから…それで感づく者もいたのでしょう。王家の力ともなれば絶大ですし、なによりもそれに勝ったとなれば箔が付くというものです。私達には、負けは許されていないのですから」
さりげない一言に並々ならぬプレッシャーを感じる。負けは許されない、そのひとことが瑞希の中にずっしりと重い塊になって残る。
「簡易装備の方はどうですか?」
「あぁ、具合は悪くはねぇが……。目立つんだよなぁ、これ」
指を弾くと瑞希の両手に指ぬきグローブが装備された。籠手ほどのものではないが、なずなの力を半分ほどまでなら『装備なし』で扱えるというものだ。
「当分はこっちで慣らしてからのほうがいいかもな。いきなり馬鹿でかい力を実戦投入なんて破滅の未来しか見えねぇ」
「ですね、どこかで訓練できるような場所でもあればいいのですけれど………」
「蒼汰にでも聞いといてやらァな。あいつなら山の一つや二つ持ってるだろうしな」
「それについては否定しないけど、お願いだから山一つ消すのだけはかんべんしてくれよ?」
「ゲッ!?テメなんでここに……!?」
屋上の給水塔の上にいつの間にやら座っていた蒼汰が、苦笑を浮かべながら下に降りてきた。
「なんでとは、命の恩人に対して失礼じゃないかい?瑞希。君たち二人…あぁ、亜沙希さんと君のことだけど。僕達武宮家が責任持って守っていたっていうのに」
「どういうことです?」
「瑞人さんとうちの父親は戦友ってやつでね。前回大戦の時が初対面だったらしいんだけど、その時に言伝として君たちを守るように保険をかけていたんだって。でも、父さんはもう歳だし引き継ぐのは僕しかいないんで、最近は僕が寄り付かないように護衛してたってわけ」
「なんだよ、それぐらい話してくれたって……」
「瑞人さんなりの配慮なのさ。もっとも、僕の父さんもそうだけどね。出兵する我が子に対して諸手を上げて喜ぶのは、腐った軍国主義の中だけなのさ」
「くくくっ……腐っているのはオマエも一緒だがね……」
蒼汰の背後にはいつの間にやら少女が立っていた。鮮やかなスカイブルーの長髪、小柄だが芯の通った体つきをしている。瞳の色は鮮やかな赤だった。病的なまでに白い肌とのコントラストで、赤い瞳が狂気じみた色のように見えてくる。服装は、服と呼べるか怪しいラインだが、白いワンピース状のものを上からつけているだけにしか見えない。
「わたしは氷月緋雨だ。よろしくな、オヒメサマ。くくくっ……」
「氷月………?あなた、もしかして……」
「その話はまた今度だ。そっちのあんちゃんはともかく、どうやら戦いはズブの素人みたいだしな。わたしたちが面倒みてやらにゃあな?蒼汰?くくくっ………」
「気にしないでくれ、笑うのが癖なんだ。まぁ、それはともかくとして緋雨がいうことは事実だ。確かに、瑞希は僕と同じぐらい人間最強の部類には入るがこっちの世界の戦闘に巻き込んだらどうなるかわからないからね。ちょうど週末が開校記念日で連休になるし、軽くトレーニングと行きますか」
トントン拍子に進んでいく話に困惑を隠せない瑞希だったが、蒼汰が味方というのは心強かった。味方がひとりいるということだけでも安心感がある。
「オーケー。じゃ、午後の授業もあるしボチボチ行こうか」
「そうだね」
歩き出した瑞希となずなの背中を蒼汰はじっと見つめていた。
「くくくっ……相手の心配をしてやるなんてお優しいことだな」
「当たり前だろ?極力死なないようにーなんて言うんだったら、力のコントロールを覚えることは急務だ。親友を人殺しにはしたくない」
「それもそうか……。まぁ、オマエにはそれ以外の目的もあるみたいだがね」
いうだけ言って緋雨は引っ込んだ。引っ込んだというよりは刀になったといったほうが適切だった。その柄をきつく握りしめると瑞希の後を追った。
そして迎えた週末。純和風邸宅の広大な敷地を誇る武宮家にやってきたふたりは門前で蒼汰がやってくるのを待っていた。
蒼汰の話によると、瑞人は蒼汰の父、武宮士道に表舞台に出るように頼み、自らは深い王家の歴史の闇について調べていたらしい。消された理由はどうやらそこにあるようだという。
「…久し振りだね」
「士道さん……父がお世話になりました」
「とんでもない、むしろあの人がいなければ今頃私はこうしていないよ。あの人が指示したことをやっただけなのに、私は向こうでは体制成立の立役者扱いさ。
……当初は星森さんもここに住むように誘ったんだ。でも彼女は、あの人が遺したものを継ぎたいんですと言って、今の家に住むことになったのさ」
電車賃を出すことはない、と士道自ら送迎を引き受けてくれたので、今はその車中になる。咲ノ森市を出てからはや数時間、車は長野市内を走っていた。車内では瑞希の質問に答えられる範囲で士道が答えている。
「ちなみに蒼汰のお母さんは……」
「私の妻は普通の人間さ。私は、もともと向こうの出身でね。龍種ではないんだけど、向こうで鍛えられた龍刀と呼ばれる刀を使って戦闘に臨んでいた。その技術も、今やほとんど残っていないがね」
「聞いたことがあります。わたしたちの世界を作られた初代の息子…龍王様が使われていたという技術ですね?折れず、曲がらず、研ぎいらずのすべてが揃った刀としての理想形。究極の技術故に、作れるのは龍王のみと言われていましたが……」
「あー……考えてみたらそのへんの話は聞いてなかったな」
と、瑞希が言うとなずなは小さく咳払いをし、
「わたしたちはもともとは神話上の生物として存在しないものと言われています。まさしくファンタジーの象徴ですね。しかし、この世界の変遷を一人見続けた男がいました。それが、我々の原点でもある、初代の龍皇様です。王子の王ではなく皇帝の皇の字を書きます。
もともと、この方はある病を治すために人間界にやってきたそうなのですが長い間打開策は見つからず、長い年月をこちらで過ごしたとされています。その病も、失われた技術の一つなのです」
「あの方はつい最近までこちらにいたらしい。ここ十年の出来事だからね」
「じゃあ、あんたらの世界ができたのもつい最近なのか?」
「十年と言っても、わたしたちの時間の流れではその何百倍もの時間が流れていますから。文献上では二〇〇六年に病を治したものの神殺しの汚名を着せられ幽閉、正当性が認められた後、姿をくらませていたそうです。
それ以降、彼は自らを二宮と名乗り、争いの芽をつむために活躍したそうです。人々はそんな彼を龍皇と呼んだそうです。しかし、彼の下の名前はわかっていないので様々な学者が懸命に研究してくれています」
「彼には五人の巫女がいたそうだ。その巫女たちは運命を捻じ曲げる力を持っており、それを危険視した神々が追放したなんて話もあるくらいだ」
「彼には三人の息子がおりました。
二代目龍王、龍刀、龍護魔法技術を編み出した二刀三刃流の使い手、二宮スバル。
陰陽道、暗殺術に長け、『殺し』を専門とした二代目のクローン。三代目長剣使いの二宮昂。
龍皇と同等の力を持ち、人間から成り上がったとされる龍帝で双刃剣の使い手。四代目二宮瑞希
すべての始まり、息子三人を同時に相手をしても無傷でいられる神殺しの拳を持つ二宮龍皇」
「あれ?オレの名前?」
「キミの名前は瑞人と星森さんから一一字ずつとったものでもあるんだが、彼の名前にもかけられているらしいよ」
「この四人相手に当時の神々は戦争をけしかけました。しかし、結果は神々側が惨敗するという形で幕を閉じたのです。この時の戦争で勝ち取ったものが、今の我々の世界なんです」
「龍種は滅びていたはずの存在だったんだが、彼らの手によって力を取り戻し現在に至る。ということだ。さすがです姫様。深い教養、感服いたします」
「いえ、私には友人と呼べる友人は亜沙希ぐらいなものでしたから、本を読みふけっていたもので…。
あ、亜沙希といえば……初代から四代目までの時には地水火風を操る龍種はいなかったとされています。四代目までがそれぞれ色は違えど、炎を操る龍種だったと言われています」
「炎にも色があるのか」
「石や化学物質を加えて色つきの炎は作れますが、彼らの炎はそれぞれに特性を強く表していると言われています。
唯一無二、この世の真理を知る者のみが扱える炎、銀炎エクシード。
知識を得、誇りを知り、友の死を乗り超えた者に送られる金炎エクザナレーション。
漆黒の復讐者、より高き力を欲し戦うことを生きがいとする者に送られる黒炎、エクスキューション。
終焉を望み、最も努力を重ねた者に送られる灼熱の赤炎エクサート」
「だから現在でも炎を扱える龍種は始祖の血を継ぐものだと言われているんだ。彼女がそうかはわからないけどね」
「なるほど、瑞希は生まれながらにしてサラブレッドなわけだ」
「なにをおっしゃいますか、あなたの家もサラブレッドなのですよ」
「龍皇には、その生涯を共にした相棒がいた。細身の日本刀を使い、神速とも言われる居合剣術を持った相棒がな。彼らが操る刀は雷を帯びており、銘を千鳥といった。もっとも、それは現在どこにも存在してはいないがね。私達はね蒼汰、彼らの遺志を継ぐものを守るために人間界に残ったんだよ」
「あなた達のルーツを辿れば元は龍ではないはずです。しかし、代が変わっていく過程の中で二宮を守るものが必要と考えたときに龍化したそうですね」
「えぇ、まぁ。属性変化やら何やらの葛藤に揉まれもしましたが、今もこうして初代から続く教えを守れているのは良いことですよ」
瑞希も蒼汰も知らないことばかりだった。だが、自分たちのルーツや先祖がなにをしてきたのかを知ることができたのは二人にとってある種の変化を促していた。もともと、漠然と戦うことしか考えていなかったが、どうあるべきなのか、なにが望ましいかを知ることができた。
「さぁついたぞ」
湖が近くにあり、近くにはペンションもあるかなり立派な場所だった。しかし、一度後ろを振り向けば鬱蒼と木々が生い茂る山々がそこにあった。これだけ深い山の中ならば人目につくこともないだろう。
「迎えは明後日でいいのかな?」
「それでお願い」
「了解した。それでは瑞希くん。頑張ってくれ」
そういって士道は車を反転させると元きた道を帰っていった。瑞希は自分の持ち合わせから交通費だけでも支払おうとすると、
「あれ電気自動車。うちの父さんが自家発電してるから、別にいいよ」
実にファンタジーな世界であった。
荷物をひと通り預けて最低限の装備だけで山に入る。途中までは登山コースを登っていたが、二手に分かれる道のところで看板とは反対方向に進んだ。そこからしばらくは急勾配の山道が続く。二人はそれぞれのパートナーを装備した状態で軽快に山道を走って行く。
「結構、勾配が、きついな」
「そうだね、ロードワークとは、また違った感じがするね」
「お前、刀装備したままで、重くねぇのか?」
「これ、思った以上に、重くないんだよ」
中腹のあたりにある川が流れる場所までやってきて蒼汰は足を止めた。適度な広さの広場のように開かれた地形があるこの場所がどうやら修行場らしい。
「この広場みたいに開かれている場所、わかる?」
「自然に出来たのか?だったらすげぇな」
「いや、これは全部僕が切り拓いた」
よく見れば確かに同じような切り口の草が多かった。とりあえず、ここまでのロードワークでの消耗を解消するためにしばらく休憩することになった。
「そういや、お前んちの道場が壊れたってのはもしかして?」
「そう、こいつのせいさ。夜中にトイレに起きてみれば、自分の庭にドラゴンだよ?まったくもって信じられなかったね」
「で、倒したのか?」
『倒すなんて大層なものじゃなかったさ。もとよりわたしは手負いだったからね』
『今は……その話はしないほうがいいでしょう』
エメラルドの宝石から聞こえる声はなぜか悲しそうだった。なずなは何かを知っているようだが、彼女の言うとおり今はそんなことは問題ではない。
「さぁて、はじめようか」
「なにをだい?練習メニューは伝えてないはずだけど?」
「バカ言え。そんだけ殺気ビンビン出されたら、嫌でも気づくぜ」
「くくくっ……それもそうか。初めての相手は、手練のほうがいいだろう?何事もね」
「簡単に負けてくれるなよ。お前とは、一遍やってみたかったんだ」
お互いが構えをとった。瑞希はいつものファイティングポーズ、蒼汰は刀を後ろにしたまま右肩を見せるようにし、右手はすでに刀の柄の上にかけられている。
「お先にどうぞ?」
「んじゃ、お言葉に甘えて!!」
「おす。久しぶり」
「………今日はどんなお話でしょうか、土屋先生」
咲ノ森市ショッピングモール、その中で土屋霧恋は星森亜沙希を待っていた。呼び出しに応じるかどうかは微妙なラインだったが、応じてくれたのはおそらくは。
「お宅の息子さんについてのお話よ」
「少なくとも、学校方針に逆らう学校生活はさせてないはずだけど」
「そーいうことじゃねーのよ。すみません、アイスコーヒー一つ」
「……払わないわよ」
「あたしのおごりだっつの。で、いつまでくすぶってるわけよ?もういい加減吹っ切れたんじゃないの?」
「アンタにゃわかんねーでしょーよ。大学の時だってそうよ、男をとっかえひっかえ、とっかえひっかえ……尻軽女」
「かもねー。今考えてみれば、あの頃はアンタみたいにのめり込むのが怖かったのかも」
運ばれてきたコーヒーにミルクを流し込み、亜沙希はため息を吐いた。大学時代の友人とはいえ、こうして霧恋とまともに会話を交わすのは本当に久しぶりだった。何を話すべきなのか、お互いの共通の話題は一つしかない。
「あの子に聞いたのね」
「自分が言ったところでどうしようもない。友人だったのなら何とかできないかって頭を下げられちゃってね。王族なのに腰が低すぎんのよあの子は」
「………アタシはどうすればいいと思う?」
「キレられるから言わない」
霧恋は昔からこうだった。肝心な話には深入りせず、一歩引いた位置から常に見ているだけだった。戦争にも介入せず、自分のことだけ行っている霧恋を、大学時代の亜沙希は臆病だと揶揄したことも会った。でもそれは違う。彼女は冷静に状況を見ている。
「そういう内容ってこと」
「あたしからすれば、いい加減鬱陶しいのよ。その点、あんたの息子は全然違う。サバサバしてるし、決断力もあるわ。ありゃ父親似ね」
「……アタシはあの子に何も伝えてないから」
「でもね、だからこそイライラすんのよ。アンタの顔した、アンタの息子が堂々と、正面から立ち向かう覚悟を決めたってのに、その母親がいつまでも被害者面して駄々こねてることにね」
霧恋は冷静に、感情を込めずそういった。本当なら彼女の心のなかはもっと大きな感情があるだろう。しかし、それを隠したまま伝えたいことだけを伝えた。今の霧恋に出来る精一杯だろう。
「アンタの言うこともわかるわ。瑞希が正しいのもわかってる……でも……失うのは怖いわ…」
「………あんたさ、バカじゃないの?」
「えっ……?」
「リスクのない選択肢なんてこの世にあると思ってんの?大なり小なり、あたしたちはなにか道を選ぶ度に何かしらのリスクを負ってる。あの二人だってそう。あいつらは自分たちの命を賭け金にしてこの勝負に乗ったのよ。奪われることも、奪うことも覚悟してね。あんたは何よ?息子を取られたくない、でも旦那を葬り去った連中に復讐をしたい。ガキじゃねぇんだからそれぐらい自分で考えられるだろってんのよ。リスク無しで最良の結果を生み出すなんての夢物語よ、理想よ。んなもんはドブに捨てるほど余ってるってんのよ。昔のアンタは良かったわよ、切り捨てるもん切り捨てて、抜身の刀みたいだった。で、ちょういと年月経ってみれば子供のおままごとに使われる包丁と同レベルじゃない」
霧恋の声は終始抑揚はなかった。淡々と作業するように自分の感情を吐き出した。亜沙希はただ黙るしかなかった。悔しいが正論だ。同仕様もできない。正論を返す方法を今の亜沙希は持ち合わせていない。
「……ごめん、言い過ぎた」
「別に、構わないわよ……ホントのことだし……」
「…契約も済ませて、あの子たち、今頃は長野の山奥で修行してるみたいよ。力の使い方に慣れておく必要があるって。ご立派になっちゃってまぁね」
「………一つ、聞かせてちょうだい」
「なによ」
「……今回は、アンタはどうするの……」
「必要があるなら、あたしも出るわ。まだパートナーがいないけど、いずれ見つける。あの子たちだけじゃ不安だもの。頭の切れる保護者役が一人はいないとね。もう一人は再起不能みたいだし」
霧恋はそこまで言うと、隣の椅子においてあったハンドバッグを手に取り伝票を持ったまま店から出て行った。亜沙希は自分が飲んでいたコーヒを―をしばらくじっと眺めていた。清濁混ざり合って、どうしようもなくなった状態が自分に重なって見えた気がした。
「はあ………情けないなぁ、アタシ」
考えてみれば、ここまで自分が戦ってきたのは一体何のためだったのか、それは明らかだった。思い出すのが怖いと勝手にふさぎこんでいた自分が恥ずかしくなる。
「瑞希に胸張って向き合えるようにならないとね……アタシのためにも、瑞人さんのためにも」
そうと決まれば、まずは墓参りに行こう。今までの自分とはここで別れるべきなのだ。全てを水トに報告しよう。戦うすべはある。彼女の話を信じるのなら、自分だって戦える。
「おっし、行くか!」
「っ……姉様?」
『良かった、交信範囲にはいるみたいね』
『どうして?力は失ったはずじゃないの?』
『やりようはいくらでもあるのよ。それで、姫様の話だとこっちに来てるらしいじゃない。今どこにいるの?』
『……辿ってこれる?ちょっと今厄介なことになってるのよ』
『オーケー、じゃあそうさせてもらうわ』
姉からの突然の交信にやや戸惑ったものの、彼女と連絡がとれたことが一番ありがたかった。なによりも信頼出来るのは姉だけだったが、肝心の彼女が戦いに参加したがらないのではないかと考えていたからだ。
夕日に染まる咲ノ森市、廃ビルの中で片腕を抑えながらアシュレイは久しぶりの姉の顔を思い出す。少し老けているのだろうか。もしかしたらあれから顔はあまり変わっていないかもしれない。少し楽しみができた。
「ふーっ……!ふーっ……!:
そばに転がっている鉄パイプを握りしめ、それを龍の力を込めて再構築する。これで、略式的にだが契約時とほぼ同等の力で戦うことができる。アシュレイの武器は昆だった。三節棍にもなる身の丈よりも少し長い程度の棒の形をしている。
「さぁて、姉さまが来るまでもうひと踏ん張りと行きましょうか!」
昆を振り回す度に、鮮やかな炎が周囲にきらめいていく。それにこうするように複数の唸り声が、彼女の方に近づいてくる。それを楽しそうに見やると、群れに向かって突撃していく。黒炎を纏いながら。
「ぶちかます!」
「……ぃやっ!!」
蒼汰の剣戟は出処がわかりにくい。剣技なのだからそれは仕方のないことである。それでも、リーチの短い瑞希が戦えているのは他ならぬなずなのおかげだった。
『次、右から来ます!』
必要最低限のガードを行いながら自分の距離に持っていく。そして。
「射程内だ……!」
居合は刀を鞘に収めた状態からの剣技、だからこそ懐に入られることを嫌う。瑞希はこの一瞬を待ち望んだ。しかし、蒼汰もただでは終わらない。刀を捨て、殴り合いに打って出る。
「ッキェア!!」
徒手空拳でも蒼汰はそれなりに強い。合気道、空手の稽古を積んでいるのもあるが、何よりも身のこなしが軽かった。それでも、瑞希には問題はない。
「風壁!」
放たれた手刀を、風の流れで防ぐ。なずなの力の一つだった。そのままほぼゼロ距離の状態で左の拳が肉体を捉えた。
「う、がァ……!」
瑞希にはこれがあった。蒼汰にはない筋力で作り上げられた巨大な大砲。それが自分の体に炸裂した。感じたこともない激痛が身体を走り抜ける。
「ッだまだぁ!!」
返す刀でその位置から肘打ち、八極拳肘撃の構え。本来なら踏み込むことによって威力を上げるそれを、なずなが風で後押しする。
「ィアッ!!」
が、それは両手で止められる。しかし、衝撃までは殺しきれなかったのかそのまま大きく後ろに吹き飛んだ。
『あれ、試してみっか』
『了解です。シークエンスに移ります』
ボクシングの構えはそのままに右腕へとエネルギーを収束させる。巨大な力に制御がやっとの一発だが、試す機会がなく終わるのはもったいなかった。
『充填率、フルパワー!行けます!』
「ぉぉぉぉぉおおおおぉおぉおおおおおっ!!」
ギュンッ!と蒼汰の目の前から瑞希の姿が視えなくなった。超低空状態から鳩尾へ一発。瞬間、先ほど感じた痛みが電撃のように走り足が動かなくなる。
(マズイ……!)
「でぃありゃっ!!」
ゴッ!!という音とともに、蒼汰の意識が飛びかけた。緋雨が咄嗟に障壁を張ったために、直撃は避けたが、それでもこのダメージだ。並の人間が食らったらただではすまないだろう。
「ふぅっ……立てるかー?」
「あぁ………なんとかね。サンドバッグ役も、楽じゃあ無いよ」
ちら、と瑞希がこの三日間で砕いた巨岩の山を見た。なるほど、この威力なら納得だ。このままでは環境破壊になりかねない。
「完成したね、瑞人さんの技」
「いや、これはオレ式だ。完成形はもっと鋭く撃てる。母さんにトレーニングしてもらわねぇとな」
「いやぁ、それにしたってここまでの見込みがいいとは思わなんだ。くくくっ、お前が守る必要なんてどこにもないのかも」
「黙ってろ、緋雨」
緋雨を一蹴して刀に戻す。瑞希はまだ装備したままだった。どうやら自分の納得の行く一撃ではなかったらしい、まだトレーニングを終わりにしたくないのだろう。
「まぁ、今日はもう帰らないといけないから」
「ったくよぉ、いい環境だったのになぁ。今度からジムの合宿ここでやらせてもらおうかな」
「使用料は友達プライスで考えさせてもらうよ。さ、まずは下山だ」
来た時と同じ山道を下って忘れ物がないかを再度確認、ペンションの前にはすでに士道さんが迎えに来ていた。
「や、見させてもらったよ」
「どうやってです?」
「まぁ、遠くからだけどね。どうやら、蒼汰はもう一度鍛えなおさないといけないみたいだ。瑞希くんに負けてるようじゃ、相棒としてやってられないからな」
「今回の僕はサンドバッグ役だよ。もっと技を使っていいならもう少しはやれるさ」
「はは、違いない。車の中では休んでくれて構わない。さぁ、帰ろうか」
車に乗り込むと来た時の道を戻っていく。疲労感はあったが、どこか落ち着かない気分だった。蒼汰もそれは同じらしく、気を紛らわせるためにスマホをずっといじっている。お互いに会話することはなかった。
「そういえば、最近妙な噂を聞くようになったよ」
「噂?」
「うん、繁華街の方あるでしょ?あっちに行くと妙な連中に絡まれるって。まぁあそこがやばいのは昔からだけど、ちょっと話題の増え方が異常っていうかね。なんか載ってる?」
スマホで検索していた蒼汰に話を振ると、調べたページを声に出して読み始めた。
「学校裏サイトだけど、妙な連中ってのは増えてるみたいだね。うちの学院はそういうことには割と厳しいし、自己防衛できる人間ばかりだから他人ごとってかんじだけど……これが気になるね。いきなり襲いかかってくる奴がいるって話」
「邪龍種かもな。拡散して、オヒメサマの位置を調べようってハラだろうさ。さっさと帰ったほうがよさそうだ。ゴミは駆除しないとな」
「それに関しては同感です。これ異常邪なものが増えるのは許せません。ただし、感染者の保護を再優先にしますよ」
「面倒な事するねぇ……まとめて切っちまえば楽だろうに……」
小さく漏らした緋雨の言葉を咎めるように、武宮の二人が厳しい表情を作った。いや、もしかしたらこの二人は緋雨の意見のほうがいいと考えているのかもしれない。今までも守ってきてくれたことは確かだが、「どのように守ったか」までは聞かされていない。
「とにかく用心した方がいいよ。でも、今はまず体を休めることを優先してね」
目を閉じれば、すぐに猛烈な睡魔が襲ってきた。なずな曰く、一度の全力戦闘でフルマラソンを走り切るのと同じぐらいの体力を消耗するらしい。特に瑞希や蒼汰は限界まで自らの集中力を高めているために、常人よりも疲労のたまりが早いとの事だった。現状はスタミナでカバーできているが、いずれはもっときちんとしたコントロールを学ばないと、長期間の戦闘は不可能らしい。
肩を揺らされているのに気がつくと自宅の前についていた。例を言って三人が去っていくのを見送ると、我が家に入った。
「洗濯あったら出しちゃって。今のうちに回しておくからさ」
日は傾きつつあったが、まだまだ力強い。なずなは瑞希のドラムバッグの中から、ビニール袋にくるまれたものを手渡すと風呂場に消えていった。
「さぁってとぉ……ちゃちゃっと片付けますか………ん?」
自分の着替えを洗濯機の中へと放り込んでいく。その途中で、妙な感触のあるものを掴んだ。今までに触ったことのないような材質をしている。というか、装飾がやけに豪華な感じがした。なずなのドレスだろうか?
「………こ、これはっ……!?」
二つの球体状の膨らみを持ち、しれうぃ支える細い紐には引っ掛けるフックのようなものが付いている。独特の形をしているそれを見て、瑞希は慌てて周囲を確認する。
「……誰も見てないよな……」
「見てるよ」
「おあぁぁぁぁッ!?」
「ちょ、ま、落ち着いて瑞希!?いきなりそんな殺人攻撃はさすがに死ぬっての!!」
いつの間にやらやってきていた蒼汰に、修行の時以上のパンチを繰り出すと肩で息を繰り返しながら手に持っていたそれを洗濯機の中へと押し込んだ。
「なんの用だよ!?」
裏声だった。
「いや、忘れ物……。まぁ、ある意味で安心したよ。白狼学院応援団所属吹奏楽部の連中は、君のことをそっちの気があるんじゃないかと疑ってたけど、どうやらそんな心配はなかったようだ」
「お前……あそこの連中と関係持ってたのかよ……」
「まぁね。二、三回遊んでみたけどどいつもこいつもいい声で鳴かないもんでね、最近は遊んでないよ。とにかく、風月さんには黙っておくから。じゃね」
蒼汰が確実に去ったことを確認すると、液体洗剤の量を測り洗濯機を回した。なんだか今の一瞬がどんな訓練よりも疲れた気がした。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いやぁ、別に。蒼汰が忘れ物を持ってきただけ……」
再び時と思考が止まった。お風呂あがりのなずなの恰好はバスタオル一枚を肌に巻きつけているだけで、瑞希の位置からはいろいろ見えたらいけないものが出血大サービスと言わんばかりに出現していた。できるかぎり目をそらすべきだとはわかっている。わかってはいるが縫い付けられたようにその場から動けない。
「どうなさいました?お顔が赤いようですけれど……」
「いやっ!?別に!?なんでもないっすよ!あは!あはは!ハハッ!!」
最後のハハッまでが裏声だった。
「瑞希、さん」
「……なんでしょうか」
一刻も早くこの場から逃げ出すか、泣き出したかった。
「あの、今までなんとお呼びすればいいのか決まってなかったではないですか……。お互いのことを呼ぶときに苦労してましたし……」
「まぁ、確かに外で姫さんと呼ぶわけにも行かないしなぁ」
チラチラと胸元に行きそうになる視線を懸命によそへと持っていく。一体何が詰まっているのだろうか……果物でも入っているのではないだろうか。だとすればメロンだろうか。
「私のことはなずなで構いません……ですが、あなたのことはどのようにお呼びするべきなのか……瑞人さんは私達にとっても恩人ですし、呼び捨てにするわけには……」
「別に、親父は関係ないさ。オレはオレだからな。姫さんが呼びたいように呼んでくれ」
「ですので、あの……瑞希さん、でいいでしょうか……」
「んで?要件はそれだけかい?なずなさん」
返事をすると、彼女の顔に光が宿った。不安でいっぱいだった時から喜びに変わるとき、ここ数日を共にしてわかったことは彼女の表情変化が実にわかりやすいことだった。
「んじゃ、頼みがあるんだが……早く服着てくれ、目のやり場に困る」
早口でまくし立てた。なずなも自身の恰好のことを忘れていたのか、りんごのような色に変わると、二階にダッシュで上がっていった。
「………やれやれってかんじだな」
だが、今までにはなかった充足感を感じる。なずながやってきたことで実に濃密な時間を過ごしているように思う。父のこと、母のこと、これからのこと……不安は多いし、正直不安でもあったが、これならば何とかやれそうだと、大きく伸びをする。
「おし、次は晩飯だな」
「これで、最後かしらね」
廃ビルの中で亜沙希は両腕のトンファーを下におろして大きく息を吐いた。現役を退いてから長いが、瑞希とのトレーニングのお陰で呼吸に乱れはない。
『さすがは姉様。やるときはやるものね』
「ハッ。アンタみたいなひよっこと勘違いされちゃ困るわよ。にしても結構な数ねぇ……よくもまぁこれだけ準備できるもんだわ」
『準備って、これ全部自前じゃないっていうの?』
「アタシが瑞人さんと組んで戦ってた頃、といっても終わりの頃だったけど、その時に開発された技術がそんな感じだったかしら。人間にも取り込ませることが可能な粉末状のものや、液体状のものなんかもあったわね。正式な契約ではないから力はかなり低いし知能もほぼ無いと言ってもいいけど、数は力なのよね、どうにも」
トンファーから姿を変えたアシュレイは姉が加えたタバコの先に火をつけた。前々から禁煙すると言ってはいたがどうやら失敗したようだった。
「で?いつまでこそこそしている気?見てたんだったら出てきなさいよ」
部屋の入口、エントランスホールに近いところに立っていた人物はゆっくりと姿を見せる。亜沙希が構えを取らないので、アシュレイは身構えることぐらいしかできなかった。
「気づいてたの?」
「生憎と、あんたらの匂いはあんたら以上に嗅ぎ慣れているんでね。お久しぶり、でいいのかしら?前はボコボコにされてくれたっけね?」
その姿を見てアシュレイは驚きを隠せなかった。今や、龍界では誰一人知らないものはいないだろう人物が目の前で不気味な笑みを浮かべている。
「ティアマット=ブリュンヒルデ……!?」
「お初にお目にかかるわね。おチビちゃん。女として必要な部分は姉に持っていかれちゃったのかしら?」
「なめないでちょうだいよ、この子も今や重要なキーの1つなんだからね」
「あぁ、前任者が職務放棄をしたんだっけ?確か名前は……ドレッドノート=モードレッド。あんたのことよねぇ?星森亜沙希ちゃん?」
その言葉に、アシュレイの表情が曇った。事情を知らなかったとはいえ、姉が龍界も力も何もかも捨ててしまった時に一番身近にいたはずの自分が何もできなかったから。憧れのの代わりを務めることが怖かったから。
「ふぅん、見た目じゃ大したことなさそうだしぃ。最悪頃しちゃおうかなぁーなんて考えてたんだけど……そりゃ、事情が変わったねぇ……」
「なるほど、事情が変わったってことはそういうこと」
「おっと、元天才策士さんにしゃべりすぎちまったかな?まぁ、それぐらいなら漏らしても構わないだろ。あのアマちゃん姫を手に入れるためには悪どい手段をやる連中だっているってことさ」
「姫様の宝珠狙いか………!」
「渡してくれなくてもいいさ。いずれ、総取りの時が来る。だが、まずはアンタの最強宝珠『ガーネット』をいただくよ!」
「やるわよアシュレイ!火巫女が伊達じゃないってとこ、見せてやるわよ!」
『オーケー……姉様!』
亜沙希の構えに応じて再びトンファーが両手に現れる。構えは瑞希と似ているようなところはあるが、左手のガードを下げ、脱力した状態の構えだった。
瑞人を苦しめたボクサーは今までも数えるほどしかいなかったが、彼が認めたライバルと呼べる人間が使っていたか前の一つで、ヒットマンスタイルという。本来は両腕とも顔の前に構え相手の攻撃をガードするのが一般的だが、この構えは左が下に降りるので防御力は落ちる。だが、ゆらゆらと揺れる左腕が死角からも攻撃を飛ばしてくるので、間合いを詰めることさえできればかなりの強さを誇る。
それに構わず、ティアマットは突っ込んだ。亜沙希の戦い方出方は充分に承知しているつもりだ。
「シャアッ!!」
自らの爪が素肌に食い込んだと思った矢先に、真横から衝撃が飛んできた。痛みに振り返るとそこには何もいない。今度は下からだった、
「うごぉっ……!?」
「へぇ、初めて使ってみるけど、なかなかやれるじゃない。でもうちの子向きじゃないわね」
瞬間、幻でも見ているものだと思った。そこには亜沙希がいた。一人ではなく何十人という群れで存在していた。
「顔色が悪いわよ?『病原菌』のティアマット?」
「どこに……いやがる!!」
「ここよ」
下から猛烈な勢いの右ブローが突き刺さった。身体がくの字に折れるのを感じ、咄嗟に『転身』する。ダメージを殺し、右腕をふるった。
「させんっ!!」
「ぐぅっ………さすがにやるな……」
(はいったはずなのに……ダメージが少ない……!?どうして!?)
「アンタ、こいつらやるのは初めて?」
『ないです。姫様の護衛任務が主でしたんで……』
「こいつらには『転身』という技術がある。ダメージを存在する別の邪龍種に転移させることができるのよ」
『でも、それじゃキツイんじゃない?全部壊滅されたら………』
「そんなこたぁないさ。アタシは『病原菌』のティアマット、アタシがいなくたって病のように広がっていくさ……」
改めて自分が何と戦おうとしていたのか、その恐ろしさを知った。こんな連中を相手に姉は。
「来るわよ!」
『ッ……!!』
「なんてね。肉弾戦はアタシの領分じゃないのさ」
一瞬のうちだった。亜沙希の下から隆起した土に天井へ押し付けられてしまった。壮絶な衝撃が朝期からアシュレイへと伝わっていく。
「あッ……がぁッ……!?」
『そんな……二人目………!?』
「そいつでいいのかよぉォー?さすがにオレでもこんな年上は遠慮したいねェ」
「海老で鯛を釣るのさ……そいつの息子が、最上級のものを持ってる……でも、その前に……ガーネットを……」
と手を伸ばしたティアマットが宝珠に触れた瞬間、光が炸裂して特殊な紋が彼女の身体に刻まれる。
「保険かけといて……正解だったわ……アンタの戦闘能力は奪わさせてもらった……ザマァみろ…」
「はめられたな」
「うるさい……アタシは一回本部に帰る……あとは、頼んだよ……」
「瑞希さん、お昼は何にしましょうか」
「瑞希さん、お選択しちゃいますから洗い物出しておいてください」
「瑞希さん、ロードワークお疲れ様です。お風呂行って来ちゃってください」
何かがおかしい。なずなと名前で呼び合うことを決めてから数日が経ったが、やたらと名前を呼んできているような気がしていた。口を横に開いたら出てくる言葉は間違いなく「み」だろう。どうにも廣にも浮かれているようにみえる。
「なずなさんさぁ」
「なんでしょう?」
「そんなにオレの名前呼びたいのか?」
「えっと、お名前呼ばれるの嫌ですか?」
「いや、そういうワケじゃねぇんだけど……やたら呼ぶからさ、気になっちゃって」
「……私、家の中ではまともな友人なんてアシュレイぐらいでしたから……はしゃいでもしまったのかもしれません……すみません……」
いや、それは別にいいんだけど、と言おうとした瑞希を遮るように瑞希の携帯が鳴った。しかめっ面のまま電話にでる。
「もしもし?」
『あ、瑞希くん?ども、ジムでお世話になってます』
「あぁ、高橋さん。母さんじゃなくてオレに用ですか?」
『うん、ここ最近ジムがずっと締めっぱになってるんだけど、何かしらない?長期休業にしては変だから、亜沙希さんにも電話したんだけど』
「……すみません、母さんは今体調不良で。高橋さんから伝えてもらえませんか?」
『あ、そうなんだ。分かった。こっちはうまくやっておくよ、それじゃあ』
「……なにかあったのですか?」
「母さんがここ数日ジムに顔を出していないらしい。体調が悪いわけはないだろうからもしかしたら」
「アシュレイと合流できたのではないのでしょうか……でも連絡がつかないのはわかりませんね…」
と、再び瑞希の携帯が鳴った。今度は蒼汰からだった。
「もしもし」
『大変だ瑞希。繁華街の近くの裏通りわかるよな?ヤバイ連中のたまり場になっている場所だ。そこで見回りをしていたら、見覚えのあるものを見つけた』
「何をだよ」
『銀のジッポーライター、AHとNMってイニシャルが刻まれている』
「待ってろ、すぐに行く!なずなさん、事情を説明している暇はなくなった。母さんの手がかりが見つかったらしい、急ごう」
なずなは頷くとすぐに装備の形態へと変化した。外に出ると、風にのって高く飛ぶ。そのまま風の上を滑るように移動する。
なずなの能力の一つであるこの能力、彼女は「風龍転瞬」と呼んでいるが、かなりの制約があり、閉所だとコントロールが難しく、短い距離にしか使用できない。また広い場所だと、大雑把な移動しかできないため使い所を選ぶものだ。しかし、長距離移動には役立つのでたまに学校へ行く時に使っている。
「蒼汰!」
「ずいぶん早かったね……まぁいいや、それよりこれ……」
「……間違いない、母さんのだ」
『ってぇことは、星森亜沙希は一度ここに来たってことかい?なんだってこんな辺鄙なところに?』
『微弱な力の残りを感じます。おそらくはここでアシュレイと合流したのでしょう。しかし、敵がいて戦闘になった』
「その可能性のほうが高そうだ。というか、それが答えだね」
蒼汰が呟きながら刀を構えた。エントランスホールの中から何印加黒い影が揺らめきながら動いているのが見えた。瑞希も構える、蒼汰は呼吸を整えた。
『あの、瑞希さん』
「わぁってる、極力殺さないようにはするが相手次第だと言っておくよ」
『……殺す気ならば、ということですか』
「だがこいつらは見た感じ、ただのカカシだ。その辺は、どうとでもなる!」
強く地面を蹴りつけた。瑞希も蒼汰も、どちらかと言えば一対多よりも、タイマンで生きる武装だ。囲まれる前までに何とかしなければならない。
「『風神瞬靠!!』」
八極拳の型の一つ、靠の攻撃。鉄山靠がもっと有名な形ではあるが、瑞希のそれはオリジナルアレンジ版。肩口からなずなの突風により威力を加速させ、背中からまずは一度大きくぶつかり、その勢いのまま、二度三度と肩を叩きつけ大きく吹っ飛ばす。
「よし、次!」
右から襲ってきた男にボディブロー一閃、まともな人間が喰らえば悶絶程度では済まない一撃を浴びてその場に膝をつく。
『後ろです!』
振り返りざまに右足が伸びた。間合いを詰め、下から蹴りあげる。浮いた身体へかかとが炸裂した。
「蒼汰!」
「オーケー、こっちも片付いた。急ごう、数を増やされたら厄介だ」
『この上の回にまだ力の残りを感じます、行きましょう!』
二階へと駆け上がるとそこもまた邪龍種が道を塞いでいた。今度はかなり数も多く、この前へ通したくないということが伺える。
「面倒だな……まとめて片付けるぞ」
「了解、タイミングは任せて」
瑞希が右腕を構え、蒼汰が目を閉じる。一瞬の間の跡、瑞希の拳から暴風が吹き荒れた、そこにあわせるように風の中に蒼汰が飛び込んだ。
「キィアッ!!!」
竜巻と蒼汰の斬撃が重なりあい、無数の刃の斬撃が伸びていった。風が収まる頃には通路にいた影はその大半が切り伏せられていた。
「安心を、急所は外してあります」
『ありがとうございます。関係者に解呪に当たらせましょう』
「……この奥か」
通路の先にあったのは食堂のような広い場所だった。扉は閉ざされているが、瑞希たちでもそこから流れ出る力を感じることができた。鼓動が早くなるのを感じながら、蒼汰と顔を見合わせると、ドアを蹴破って中に入る。
「……なにも、いない?」
「いや、そんなことはないようだ」
声がした。獣のような唸り声がホールに響き渡った。まず驚いたのはその大きさだ。およそ人間のご倍近くはあろうかという巨体が四足で待ち構えていた。
「おいおいおいおい……!邪龍種ってのはこんなになんのかよ……!栄養とりすぎだぜ……!」
『さすがにここまでのサイズは見たことがないな……突然変異か?』
『……もしかしたら…でも、そうすると誰が……』
二人の元へ巨大な手の部分が降ってきた。横に別れそれを回避すると、衝撃に耐えられなかった床がひび割れて分断されてしまった。
「話は後だ!今はこいつを止めるぞ!こんなもんが外に出てみろ!街中大パニックだ!」
「オーケー……!!」
『弱点を探し出します!時間稼ぎを!』
なずなの言葉に頷くと、土手っ腹に渾身の一撃を叩き込んだ。確実な手応えはあるようだが、本体にダメージがはいったようには思えない。
「ダメージ通らねぇのか!?」
『いえ、少ないですが入っています!もっと効果的な部位が……!』
「とは言われてもねぇ!!」
素早い三連撃、普通ならば凍傷になってもおかしくないレベルの攻撃を受け何も大きな変化は見られなかった。体に対して攻撃は通らない。
「……ここは、基礎に戻るか……!蒼汰、足場作れるか!」
「どうするつもりだ!?」
「いいから作れ!建物がもたなくなるぞ!」
言われたように蒼汰は崩壊した足場の上に氷をはって足場にした。その上に瑞希が飛び乗り、左ジャブ、右ストレート、膝蹴り、蹴り上げ攻撃を叩き込んでいく。
繰り出される殺人級の連撃にとうとう限界が来たのか、大きな叫び声を上げ体をのけぞらせた。その時、
『弱点見えました!お腹の部分にある腫瘍のようです!』
「ちょっと待って!このうつ伏せになってるやつをなんとかして一回転させろってことかい!?」
「冗談じゃねぇぞ……!」
どうやら今の一撃で活性化されたのか徐々に姿が変わってきていた。しっぽのようなものが生え、先ほどの泥の塊のような姿からは抜けだしたようだ。
「やるしかねぇんだろ!行くぜ!」
作られた足場から降り、再びサイドからそれと向き合った。確かにサイズ的には圧倒的不利だが、やる手立ては充分にあった。
龍の体型がどのようになっているかは分からないが、おそらくは人間と同じ構成だということを信じる。そうすると瑞希は正面から見ると左側、肝臓がある方に位置している。
「だったら!」
再びラッシュを叩き込む。自分なりのコンビネーションで無我夢中で全力攻撃を放ち続けた。さすがに効いたのか、もう一度首が持ち上がる。
「やれ!!蒼汰!」
「紫電一刀流……!!川蝉・瞬撃!!」
すれ違いざまの居合い抜き一刀両断が決まった。が、致命傷には至らず大きな咆哮が当たりに満ちる。
「一撃で決めろよ!」
「刃の長さが足りなかった……!来るよ!」
気がついた時にはもう遅く、瑞希の身体は敵の手に握られてしまった。もがいて脱出しようとするが、かなりの力で押さえつけられるため脱出できない。
「ちっくしょ……!!」
「梟・宵鳴!!」
上空から蒼汰が切りつけ、手首を切り捨てた。力が緩んだ隙を見逃さず、そこから脱出すると腕をつたって再び頭部へ接近する。
「おおおおおおぁっぁぁぁあああああ!!!」
身体を左右に揺らしながらフックを懸命に連打していく。体重移動をきちんと行いながら放つそれは速度を次第に早め、どちらの拳で殴っているのかわからないほどになっていた。
「もういっちょ行くぜオラァ!!!」
地面の割れ目の下に潜り込み、瓦礫を巻き上げながら竜巻を纏ってのアッパーカット。再び敵の体が浮き上がった。
「『紫電氷雅ノ構エ……氷葬一閃!!』」
巨大な氷の刃を握りしめた蒼汰が今度は逃さないとばかりに待ち受けていた。刀を抜いたまま腫瘍のところへ切り込むと無数の斬撃を浴びせる。
「キィアッ!!」
横に回りこみ、縦に切り伏せた。確かな手応え、弱点にクリーンヒットした。
「どうだ!?」
とうとうダメージが身体に回ったのか、再び巨大な咆哮を上げるとその巨体を左右に振りながら大きく暴れ始めた。廃ビルが振動し、瓦礫が降ってくる。建物の崩壊は時間の問題だった。
「ワンチャンぶっぱと行きますか……!!」
「お、おい瑞希!」
地面の割れ目から下の階に飛び降りると、両腕にエネルギーを集中した。姿勢制御はなずなに任せ、瑞希は目の前の一撃に集中する。
『無謀ですね……!』
「やるかやらないかだったら、やって後悔する方を選ぶね!でねぇと、何もわからねぇままだしな!」
『……そうですね。エネルギー充填オーケーです!』
烈風が吹き荒れる。狭い建物ノン中を無数の風が駆け抜けていく。
「見っけた!!」
その風邪に飛び乗り上の階へ上の階へと上昇していく。そして先ほど自分で撃ちぬいたところから弱点が丸見えになっていた。まず最初に左を引き絞った。
「うおらァッ!!」
そのまま弓を引いた。暴風が凄まじいエネルギーとなり、次第にその体を浮かせていく。その間に蒼汰が再び刀を構えていた。
「もう一発ぁぁぁッ!!」
二発目が炸裂した。巨大な風圧が瑞希の目の前でぶつかり合い、台風のような状態になっていた。
『このまま押し切ります!全部持って行ってください!!』
なずなの一声で更に威力が上がった。やがて、下から吹き上げる猛烈な風によってとうとう身体がひっくり返った。
「蒼汰ァッ!!」
『ここで決めなきゃ男じゃあ無いよッ!!一撃で仕留めな!!』
瑞希が作ってくれた風に飛び乗り蒼汰は上空にいた。そしてそのまま正面で刀を構え今再び目を見開く。
「氷葬!!」
☓字に腫瘍を切りつけ、その中心に深く突きを放った。腫瘍の部分から漆黒の力が流れ出ていく。蒼汰は刀を引き抜くと、汚れた頭身を布で拭って鞘に戻した。
「さんきゅ、決めるとこはお前に任せてよかった」
「一時はどうなることかと思ったけどね……。ありがとう」
建物は半崩壊したが、なずな達王家が修復してくれるそうなので現状心配はいらないとのことだったので修復が終わるのを待ってから、くまなく周囲を探索してみる。そこで、瑞希が奇妙なものを見つけた。
「なんだこれ?」
宝石のような光り輝くそれは廃ビルには似つかわしくないものだった。ここにジュエリーの店が入ったという話も聞かなかったが、誰かの落とし物なのだろうか。
「これは……ガーネットですね……」
「ガーネット?なんでそんなもんがここに?」
「以前、私達の起源についてお話したのを覚えていますか?」
「あー、最強の一家から派生していったってやつ?」
「えぇ。元は二宮家は全てが火属性の龍種でした。しかし、四代目が家を継いだ時に、多数の属性を操るためにあるものを作りました。それが『宝珠』と呼ばれるものなのです。
『宝珠』は各属性それぞれにあり、その当時の各種族最強の龍が持つことになっています。瑞希さんの籠手に埋まっているエメラルドもそうなのですよ。
炎を操る武術の宝珠『ガーネット』
水を操る知識の宝珠『アイオライト』
地を操る恵みの宝珠『トパーズ』
風を操る奇跡の宝珠『エメラルド』
この四つの宝石を持つものがいなければ力を示すことはできません。それを明らかにするために宝珠を持つそれぞれの派閥が戦いに出るのです」
「なるほどねぇ……で?この本来の持ち主は?」
「現状、火属性最強は亜沙希です。彼女が力を放棄したのでその力はアシュレイに受け継がれたはず…」
「瑞希、これ見てよ」
蒼汰が何かを見つけたらしい。そちらの方へ行くと、倉庫のような部屋にスプレー文字のようなものでこう書かれていた。
『母親は預かった。返してほしかったら、オヒメサマを連れて来い。所定の場所で待つ』
「………どうする?」
「明らかに罠だろ」
「でも、行くんだろ?」
「………肉親人質に取られて黙っていられるかよ。オレぁ行くぞ」
瑞希が苛ついていた。今までに見たことがなかった彼の姿に蒼汰は軽い恐怖を覚えた。同時に、瑞希が本気を出した場合、どのような戦いになるのか興味があった。
「僕も行くよ」
「すまん……頼む」
瑞希は大きく拳を合わせた。自らを鼓舞するように。