今は昔の時代
夏になれば無条件で思い出す
胸の痛みと、懐かしさと、憤り・・・今は昔の夏の日
子供の頃・・・私は夏休みになると
人見知りを具現化した様な妹の「千晴」を自転車の後ろに乗せて
気の置けない親友・・・いや、微妙にニュアンスが違うかもしれない
気遣いの「気」を置いても、邪魔にしかならない・・・
「気遣いを置く」必要性すら、存在しない相手なのだが・・・
隙を見せると「弄ばれてしまう」油断大敵な「悪友のアキラ」と一緒に
涼を求めて・・・ほぼ毎日、自転車で図書館まで遊びに行っていた。
そこに向うに当たって・・・
長い道のり・長い坂道・駅へと向かう日蔭の少ない通り道
行きしの上り坂で、私達は汗だくになってしまう。
だがそれでも、図書館に到着した時の達成感と、清涼感・・・
給水機の冷たい水が、私達を虜にして離さなかった。
まぁ、昼には一度家に帰って昼食を食べなければいけなかったのだが・・・
面倒でも、その後で図書館に向かう時・・・遠回りをして
神社の近くで御婆さんが一人でやっているレトロな駄菓子屋で
小額の駄菓子を買って舞い戻るのは楽しみの一つになっていた。
夏休みの度に私達が「基本、一日に二度」通っていたそこは・・・
池に面した、池の名前が付いた図書館
当時、私達の住む市の南の地域には
その図書館しかなく、幅広い地域の人が利用していたのだが
2本もの路線の電車駅が近くにあり、立地条件の良い場所でありながらも
微妙に小ぢんまりとした正面の外観と
絶妙な辺鄙さ加減を醸出す場所に存在する為
来館客は多くなく割と空いていた。
だから、そこで遊んでても大丈夫だったのだ。
そんな図書館に来る人と言えば、鴨や鷺等の水鳥を撮影する為に来ている人
夏休み前半の午前中には
図書館の解放されたテラスから蓮の花の写真を撮る人達
近所の人と言う感じの「子供連れ」や「老人・老夫婦」
そんなのが日がな一日うろうろしていて
後は、私達みたいなのが頻繁に出入りしていたりする。
それ以外には、保育園や幼稚園にも行ってなさそうな小さな御子様が
池の鯉や鴨に餌をやっているのをよく見かける・・・
長閑過ぎて・・・いつも、田舎か・・・
大きな自然公園にでも遊びに来ているような感覚に襲われる。
取敢えずどんな場所かと、図書館全体を総合してみると・・・
長閑で素朴な雰囲気と図書館特有の硬さを併せ持った、知る人ぞ知ると言う
「隠れ家的な雰囲気が好きな人達が集まる図書館」と言えるだろう。
そんな特異な雰囲気がそうさせるのであろうか?
複数の学区の生徒達が、同時に何人も利用していたとしても
そこだけは、小学生特有の御子様ルールも何故か治外法権になっていた。
御子様ルールに巻き込まれた事の無い人間には、理解できないであろうが
仕様もない小学生の縄張り争いが存在しないその場所は
私達にとってある意味「聖地」だったのである。
と、言うか・・・縄張り争いしてる奴等は
「群れてないと不安になるのか?」校区から出て遊びに出る事は少ない。
学区内でサッカーや野球のチームに入ってる奴等は
群れて動いてはいるけれど・・・敵じゃない
「社会的に認められたチームやクラブに所属」している連中の中で
「一般社会的ルールを破って平穏を乱す奴等の対処」は簡単なのだ
何処所属かをきっちり調べ上げ
大人を上手く使って足元をすくえば良いのだから
ただし・・・今は昔と違って
親が子供の為に、レギュラーの座を権力や賄賂で手に入れたり
子供の為にと、暴徒化・・・
今風に言うと・・・モスターペアレント化と言ったらいいのだろうか?
まあ、取敢えず・・・脅し取ったりするだけではない。
ママ友とその子供達の心理を巧みに利用し
「有る事・無い事」色々(いろいろ)吹聴し・・・
追い詰め、社会的に排除しようとする・・・
悪徳で、巧妙な罠を仕掛けてくる親御さんが思いのほか多いので
この手の策略が現在、通用するかどうかは疑わしいので真似しない様に!
そんな、今とは違う・・・今は昔の夏の日
あの頃は、今より少しだけ社会的に平和な時間が流れていた。
そう、あの「今は昔の夏の日」は、そんな中に存在していたのだ
それぞれが、それぞれの地域の御子様ルールに馴染めなくて
家に閉籠るのにも向かなくて・・・
居場所がなくて、図書館に集まってしまったメンバー
幾つか年齢の違う、住んでる地域も学校の校区も違う
自由を愛する者達の集まり・・・
偶然に偶然が重なって、仲良くなった
「夏休み限定の友達集団」が・・・「今は昔の夏の日」には存在していた。