第19話 姉妹でお風呂
新学期初日の放課後に、姉妹が俺の家に来た時。
夜7時頃に帰ることになった双葉は、こう ごねた。
———『兄ちゃんの家に泊まりたーい!』
希美はそれを見かねて、『なら、今週の金曜日にお泊まり会をやろーよ』と提案。
俺たちがそれを仕方なく受け入れてしまった結果が……
今のこの状況である。
「映真姉ちゃ〜ん、一緒にお風呂入ろーよー!」
「やだよ! 中2の妹と風呂に入る兄がどこにいるんだ?!」
まだ日が沈みきってない夕方。
外でやかましく鳴いているアブラゼミと同じくらいの騒がしさで、双葉と映真は家の中を駆け回っていた。
「でも、映真姉ちゃんは、『兄』じゃなくて『姉』でしょ?
だから、だいじょーぶ!」
「お前が大丈夫でも、俺がダメなんだってば!」
「え〜なんで〜! 姉妹同士のお風呂なんて、何も気にすることないって〜!」
「はあぁっ……『女子として生活する』って意気込んでた1ヶ月前の自分を殴りたくなってきた……」
映真は頭を抱えた。
今さら妹と風呂なんて、なんの罰ゲームだろうか。
流石に俺は、映真のことが不憫になる。
「こら双葉。少しは映真の気持ちも考えてだな……」
「まあまあ、せっかくの機会だし、双葉と映真の2人で一緒に入ってきたら?」
まさかの希美まで、こんなことをぬかす始末だ。
「はあぁっ?」
映真は顔を歪めて、全力で抵抗感を表現した。
だが、姉妹2人には効果が無い。
双葉は映真の腕を引っ張り、強行手段に出た。
「ほら、洗面所に行こうよ、映真姉ちゃん!
『観己』は妹のワガママは断れない、って私は知ってるんだからね!」
この妹もとい悪魔め……観己の性格の弱点を突いてきたな。
『映真』と『観己』という2つの名前を、小器用に使い分けてきやがって。
妙にずる賢いんだよな、コイツ。
「……チッ」
「あれっ、映真姉ちゃん、舌打ちした?」
「してない。分かったから、さっさと風呂行って終わらせるぞ」
「やったぁーっ!」
映真は抵抗を諦めて、重い足取りでリビングを出て行った。
ーーーーーーーーーー
映真は洗い場の椅子に座り、シャワーを浴びながら髪を洗う。
その腰には、しっかりとタオルが巻かれていた。
「もー、隠さなくたっていいのに。映真姉ちゃんは抜かりが無いね」
そう言う双葉は、少しだけ湯を溜めた浴槽の中でバチャバチャと遊んでいる。
映真は、目を瞑りながら話した。
「仕方ないだろ。せっかく俺が一緒に入ってあげてんだ。このくらいの妥協はしてもらわなくちゃ困る」
「へいへーい。……あ、でも1つだけ質問いい?
映真姉ちゃんのあっちの毛の色って、髪と同じ緑なの?」
「だからそんな下品なことを聞くなって」
「別にいいじゃん、減るもんでもないし。教えてよ~」
「…………黒」
「えーっ、そーなのー?!」
「うるさいなぁ黙ってくれ。デリカシーという概念が、お前には無いのか?」
映真の声が、浴室内で反響する。
中途半端で中性的な観己の声とは違う、透き通るような癒される声だ。
……とは言っても、家族の前だから、口調はあまりよろしくない。
毒舌美少女ボイスを性癖とする人の要望になら、今の映真でも応えられるかもな。
(にしてもまさか、自分がこんな可愛い声を出せるようになるとは……。
ミ〇キーさながらの裏声を出して、『女子の声ってこんな感じ?』とか試してた中学生時代の自分が恥ずかしくなってきたわ……)
そう映真が考えていると、いきなり背中にスポンジが当たる感覚がして、思わず「わっ」と叫んでしまう。
「双葉、お前 何して……」
「映真姉ちゃんの背中を洗ってあげる!」
「……は?! ちょ、おま、待て……」
映真は急いで立ち上がろうとするが、双葉にズドンと肩を抑えつけられた。
「映真姉ちゃんはじっとしててね~」
「おいおい、何が目的だ」
「目的も何も、私はただ、映真姉ちゃんに楽しんでもらいたいだけだよ~」
「…………」
こんなんを、映真が楽しむとでも思ってるのか?
微妙に感性がズレている妹を相手に、映真は言葉を失った。
双葉はそのまま、映真の背中をゴシゴシと洗い始める。
「それにしても、映真姉ちゃんの肌ってキレイだね〜。撫でてもいい?」
「……別にいいけど」
「わぁ、髪もキレイ~。触ってもいい?」
「まあいいけど……」
「〇っ〇い 大きい〜! 揉んでもいい?」
「いい……くない! ダメに決まってるだろ!
しれっと許可を取ろうとするな。双葉の考えは見通してるからな」
「あちゃー、これは作戦失敗だ」
「まったく……」
小学生の頃から、双葉はずっとこんな感じの調子者だ。
双葉が中学生に進級してからも、彼女から恥じらいや思春期といったものを感じた記憶が無い。
兄(映真は事実上は姉だけど)の身としては、そんな妹がどこか心配になる。
「双葉、お前な……そんなんじゃ彼氏できないぞ?」
映真はそう忠告するが、双葉はニコニコと笑っているだけだ。
「そんなこと言うなんて、映真姉ちゃんはシスコンだねぇ」
「…………」
「私は、彼氏なんてまだいらないよー。今は、友達と遊んでる方がずっと楽しいからね!……っていうか、兄ちゃんの方こそ、今までで彼女できたことないじゃん」
「ぐっ……タシカニ ソウデスケド」
生まれて15年間で彼女ができないことくらい、ごくありふれたこと。
別に気にしたことはないのだが……
こうやって双葉に指摘されると、無性に腹が立ってくる。
「まーでも、兄ちゃんは勉強ばっかしてるヤバい奴だからなぁ……。兄ちゃんと付き合いたい女性なんているのかなぁ?」
「失礼な。人をガリ勉陰キャみたいに言うなよ」
「だってそうでしょ? 兄ちゃんはいつも、家で何時間勉強してんの?」
「平日は、2時間半だけど」
「ほらやっぱり多い!
全然そんな素振りを見せてない割には、なぜかしっかり勉強してるよね!?
部活も家事もやってるのに、そんなに暇な時間ある?」
「ちゃんと探せば、案外 時間はあるぞ。……まあ、最近 俺が勉強量を増やしてるのは、夏休みに勉強する時間があまりなかったから、っていうのもあるけど」
「そういえばそっか。時間大切主義のあの兄ちゃんが、勉強も部活も捨てて、買い物や遊びを優先するってこと自体が珍しいもんね。映真姉ちゃんの為ならなんでもする、ってことかな?」
「そりゃあな。『分身ができた』という一大事の対処に、時間は多く割かないとな。
……あと一応 訂正するけど、俺は別に、勉強も部活も捨ててないから」
「おっ、さすがは文武両道〜!」
手を叩く双葉。
ようやく、コイツとまともな会話が出来るようになってきたか。
……と映真が思ったのは、束の間のことだった。
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「おいこら! やめろ揉むな!」
風呂場からそんな映真の叫び声が聞こえてきて、リビングにいた希美と俺は、顔を見合わせた。
「な、なんだろう今の……」
「多分、双葉が映真を弄んでんだろう。散々だな」
そう言って俺は、冷蔵庫から取り出したキンキンの麦茶を飲む。
やっぱり、2人を一緒に風呂に入らせるなんて間違ってただろうに。
そう思っていると、希美が口を開いた。
「ふと思ったんだけど……観己にとって、映真ってどんな存在なの?」
「……ん?」
突然、哲学的な質問が出てきて、俺は聞き返す。
希美は続けた。
「映真にとって、観己は『自分自身』。これは確かだと思う。
でも観己は、映真のことを他人のように扱ってる気がして。
そこらへんの所、観己の口からちゃんと聞いた事なかったな、と思ってさ」
「なるほどね……」
俺は、顎に手を当てて少し考えた後、答えた。
「少なくとも、俺は断じて、映真のことを他人事だなどとは思っていない。
俺にとっても、映真は対等な『自分自身』。だけど、それと同時に、映真は『助ける対象』でもある。
男子のままの俺が、女子になった映真を助けない理由なんて無いだろ。
何より、映真の事を最も理解しているのは俺だ。
だから俺は、映真が求めているサポートを、精一杯尽くす。
これに限るな」
「へぇ……。なんか堅苦しくない?」
「希美の問いに、ちゃんと答えただけなんだけどね」
俺はそう言ってソファから立ち上がると、リビングのドアを開けた。
「観己、どこ行くの?」
「映真を助けて来る」
そう言い残して、俺は歩いて洗面所に向かう。
すると、風呂場から何やら騒がしい声が聞こえて来た。
「はぁ?双葉、何言ってんの? やだに決まってんじゃん」
「えー、いいでしょー? ほらほら!」
「うわっ、ちょ!」
ドン!
何かがぶつかるような、大きな音が響く。
そして、辺りがしんと静まり返った。
「……えっ? おい、2人とも大丈夫か?!」
まさか、風呂場で滑って事故か?!
俺は急いで風呂場のドアを開け、中の様子を確認する。
すると目に映ったのは……
窮屈な浴槽の中で、絡まるように横たわっている、映真と双葉の姿だった。
俺は咄嗟に、何も無い右下の方に目線を逸らす。
「……そんな狭い所で、何やってんの? 2人とも」
「映真姉ちゃんと、一緒に入ってみたの!」
「こ、これは……双葉が、俺を浴槽の中に力ずくでぶち込みやがっただけで、別にやましいことは何も……! って、観己ちょっと待って!話を聞け!」
まごついて言い訳をする映真に背を向け、俺は無言のまま風呂場を出てそっとドアを閉めた。
映真は、魂が抜けたように呆然と天井を見つめる。
(……あ……俺の尊厳がまた1つ失われた……)




