第5話 再会
村の奥、森に近い小屋の前に立つ。煙突からはかすかな煙が上がり、窓の格子越しに人影が見えた。
「ここ?」
ミオはヴォイドの横で小さく息を呑む。
「……ああ」
ヴォイドの声はいつも通り淡々としていたが、僅かに視線をそらした気配があった。生き残りの傭兵ハルツが、ここにいるはずだ。ミオは胸を張り、力強く扉を押した。
「こんにちは。ハルツさんですよね?」
中から現れたのは、肩に軽く傷を残したの壮年の男。髪は乱れ、日焼けした肌に深い皺が刻まれている。目が鋭く光り、一瞬ミオを警戒したように睨んだ。
「……誰だ、あんたは」
ミオはにっこり笑った。
「私は夢師ミオ。あなたの仲間、ヴォイドさんの夢を紡ぐために来ました」
ハルツの瞳が一瞬揺れた。
「……ヴォイドか」
その名前を口にした瞬間、ヴォイドは少しだけ表情を変えた。無感情の灰色の瞳の奥で、何かがきらりと光る。
「ヴォイドさんの記憶が曖昧だから、教えてほしいの。戦場のこと、仲間たちのこと――そしてヴォイドさんのことも」
ハルツは深いため息をつき、椅子に腰を下ろした。
「……分かった。長くなるから、少しずつな」
ミオは頷き、ノートを取り出す。
「ありがとう。全部、忘れずに紡ぎますから」
ハルツが口を開く。
「あの頃の俺たちの部隊はな。戦争が終わっても、ここにたどり着くまでの間にたくさん死んだ、俺とヴォイドは生き残っちまったけどな……」
ミオはその言葉に心を打たれた。
“死なずに生きること”――それは呪いのような孤独なのだ。
ハルツは少し視線をミオに向けた。
「ヴォイドはどんな傷を受けても死ななかった。戦場では、仲間がどれだけ死んでも、あいつだけが立ち上がる。最初は助かると思ったが……やがて恐ろしくなった」
ミオは眉をひそめる。
「恐ろしく……?」
「あぁ。あいつのおかげで助かったやつもいる、でも、死なないあいつを見てると、自分が無力に思えて、恐怖しかなかった」
ヴォイドは微動だにせず、ただハルツの言葉を受け止めていた。しかし、ミオは見逃さなかった。灰色の瞳の奥で、一瞬だけ苦い影が揺れたことを。
「ありがとう、もう少しだけ聞かせてくれる?」
ミオは力強く言った。
「私がその呪いを少しでも和らげてあげる。あんた達2人まとめて、夢を見せてあげるわ」
ハルツは少し驚いた表情を見せ、そして小さく笑った。
「夢師ってのは強いな」
ミオはにやりと笑う。
「勝気なのは昔からよ。さあ、始めましょうか、ハルツさん、ヴォイドさん。そこの横になってもらえる?」
ヴォイドは無表情のまま頷いた。
――それでも、その頷きは、ミオにとって小さな勝利だった。
「……よし、準備はできたわ」
ミオは机に広げた夢糸を指先で撚りながらつぶやいた。光る糸は淡く揺れ、ハルツの記憶の断片を映し出している。戦場の音、笑い声、仲間同士の掛け合い――生々しい断片が、糸の中で色彩を帯びていた。
「これで、あなたに見せる。初めての夢――覚悟はできてる?」
ヴォイドはいつも通り、淡々とベッドに横たわる。
「……不要だ」
「はいはい、またそれね。でも、観るわよ。絶対に」
ミオはにやりと笑い、香を焚き、淡い光で部屋を満たす。糸をハルツとヴォイドの胸にそっと置き、指で軽く弾いた。光が糸から飛び出し、二人を包み込む。糸を紡いで断片を繋いでいく。夢を織りあげる。
――そして、夢の世界が立ち上がった。
草原、戦場、火花が散る鉄の匂い。ハルツの声、仲間たちの笑い声。どれも鮮明で、だがどこか温かい。
ヴォイドは目を閉じたまま動かない。初めての感覚、胸の奥に、微かな震えが伝わる。
夢の中で、ヴォイドは仲間たちの姿を見た。自分を笑うハルツ、互いに肩を叩き合う兵士たち。生き生きとした声、風に揺れる草の感触。ヴォイドの唇がわずかに動き、誰にも気づかれない声で呟いた。夢の世界で、ヴォイドは仲間たちに手を伸ばした。しかし、指先は空を切る。光が収まり、夢の世界は静かに消えていく。
ヴォイドは目を開け、初めて、心の奥で微かに動く感情を感じた。
それは、言葉にはできない、暖かさと痛みの混ざった感情。
「……お前、何をした」
「言ったでしょ、ハルツさんの記憶を織り込んだの。あなたが見逃してきた温かさ、仲間との思い出……その色を紡いであなたに見せたのよ、きっとハルツさんも同じ夢を見ているわ」
「初めての夢、どうだった?」
ヴォイドは無表情のまま少しだけ首を傾げた。その動きは、無感情の仮面の奥で、初めて何かを認めた証だった。
「…………悪くない」
「よしっ!」
ミオは心の中で小さくガッツポーズを作った。
「……俺も、こんな時間を生きたかったのか」
ミオはその声を聞き、微笑む。
「そう。生きるって、こういうことなのよ。夢を通して、あなたも感じられる。死なないだけじゃなく、生きることを、ね」
「だから夢で紡ぐの。心の欠片を、思い出を、繋ぎ直すのよ」
ミオの声は強く、温かく、揺るがなかった。
「よし。次はもっと深く、あなた自身の夢を見せてあげるわ」
ヴォイドはわずかに息を吐いた。――生きること、感じること、夢を見ること。長きに渡り生きてきた彼に、それを教えてくれたのは、目の前の夢師だけだった。