表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/12

第2話 空っぽの箱

「さて、と」

 夢師ミオは、目の前に横たわる大男を見下ろした。薄暗い夢師の間。灯火がゆらめき、壁に掛けられた布がかすかに揺れる。ベッドに横たわるのは、昨夜現れた依頼人ヴォイドと名乗る傭兵だ。


「まさか、本当に夢を一度も観たことがないなんて……」


 ミオは思わずつぶやいた。人なら誰しも眠れば夢を観る。それは心の奥底が紡ぐ映像であり、記憶の断片だ。夢を観ない人生など、聞いたことがない。だが彼の瞳は嘘を言っているようには見えなかった。あの冷ややかな灰色の目。感情を拒んだ瞳孔。人の心を覗くのが仕事であるミオには、彼の“空虚”が本物だと直感できた。


「いいわ。夢師の力を信じなさい。夢がどんなもんか教えてあげる」


 ミオは机に置かれた木箱を開ける。中には糸巻きのような光る糸――夢糸が並んでいる。

それぞれは過去の依頼で使った余りで、心の残滓を吸い取っている。彼女は真新しい透明の糸を取り出し、指先でふっと息を吹きかける。


「夢はね、人の心から溢れる想念を糸にして紡ぐの。あなたの深層を探り、映像に織り上げれば、あんたは初めて“夢”を体験できるわけ」


 説明する声は勝気だが、その胸の奥には妙な緊張があった。

 ――本当に、この男に夢を観せられるのだろうか?


「少し眠くなるけど、心配しないでね」


 ミオは香を焚き、ゆっくりと空気を満たす。淡い煙が部屋に広がり、ヴォイドの瞼が徐々に重く閉じていった。


 「おやすみなさい、傭兵さん。夢の世界へご案内~」


 ミオは夢糸を男の胸にそっと置き、指で弾いた。すると、光の粒が舞い上がり、糸が心臓の鼓動に合わせて揺れる。……が。


「……あれ?」


 通常なら、糸はすぐに色づく。青や緑、時には赤や金色。依頼人の心の記憶や感情が染み出して、夢の素材となる。しかし、ヴォイドの糸は――無色のままだった。


「うそ……?」


 ミオは眉を寄せ、再び糸を撚る。


「来い、感情……記憶……何かしらの欠片でも」


 しかし、光は淡く瞬くだけで、色は現れない。糸はただの空っぽな透明。まるで彼の中に、織り込むべき心そのものが存在しないかのように。


「どういうこと? こんなの、初めて」


 夢師になって以来、数えきれない依頼を受けてきた。罪人の悔恨、恋人の未練、戦士の恐怖。どんな心にも必ず“何か”があった。それが夢の材料となり、ミオは夢糸を織り合わせてきたのだ。だがヴォイドには――何もない。糸は虚空を掴むように震え、やがてぴんと張ったまま動かなくなった。ミオは唇を噛む。


「夢が、織れない……」


 数時間後。薬の効果が切れ、ヴォイドが目を開けた。


「……終わったか」


 冷たい灰色の瞳が、ミオを射抜く。ミオは椅子に腰を下ろし、頭を抱えていた。

「ごめん。失敗したわ」

「そうか……」

「ええ。あなたの中には材料がなかったの。感情も、思い出も。空っぽの箱を覗いてるみたいだった」


 ヴォイドはまばたき一つせず、淡々と答えた。


「そうか……」

「“そうか”って何よ」

「俺は戦場でしか生きてこなかった。望むものも、恐れるものもない。ただ戦い、生き残るだけだ。――だからこそ、夢など無縁だと、どこかで思っていた」


 その言葉に、ミオは苛立ち混じりに笑った。


「無縁って……それ、人間として欠陥でしょ? 夢を見ないなんて、生きてる証が欠けてるようなものよ」


 ヴォイドの口元がわずかに動いた。笑みとも嘲りともつかぬ影。


「欠陥、か。そうかもしれん。仲間はみな死に、俺だけが残る。夢を観る資格なんてないのだろう」


 ミオは返す言葉を失った。冷静に語るその声は、虚ろで、どこか寂しげだった。

 ミオは立ち上がり、彼に歩み寄る。


「あなた、自分から夢を知りたいって言ったじゃない。だったら簡単に諦めないでよ」


 ヴォイドは目を細める。


「方法があるのか」

「あるわよ。夢を織れないなら、まずは探せばいい。あなたの中に“欠片”を見つけるの。記憶の底、忘れてるだけの感情とか……」


 ミオはにやりと笑った。


「夢師ミオに任せなさい。必ず見つけてあげるから」


 その勝気な声に、ヴォイドはほんのわずかだけ、表情を揺らした。それは、誰も気づかないほど小さな変化だった。夜は更けていく。夢を見ない傭兵と、夢を織る少女。空白を埋める物語が、いま動き出そうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ