敗戦の10年と精神の静寂
戦後、日本は本州・北海道を除くすべての南方領土を喪失した。中国はそれら地域において「平和維持」「再教育」「安定化」を名目に、言語・歴史・文化を抹消する統治政策を進行させた。
これに対し、本州・北海道の政権は、事態の悪化を防ぐために親中路線を採用。国民感情の統制が進み、国家としての一体感は著しく低下した。
敗戦後の日本の政権を握っていたのは、紛れもなく
___日本を敗戦に追いやった親中政党であった。
なぜ敗戦後も政権を握れているのか。
たしかに戦前と比べ、若者の政党への投票数や世論調査による支持率は断然低下している。しかしながら、中国による裏工作支援や、母数が増加し影響力を増し続けている高齢者達による厚い支持により、政権を握り続けることができたのだ。
中国による内政干渉が明らかなものとできない以上、日本の民主主義システムに則り、政権を握り続けることが可能だったのだ。
戦後、中国に渡った北海道・本州以外の旧日本列島地は特別州・東海省として支配された。
共産党は、支配地域の「平和維持」「再教育」「安定化」を名目に、中国語を使用すること、日本史を否定して中国史を正当なものと認めること、日本文化に関するすべてのモノ_____建物や図書資料、料理などを排除することを強要した。
占領当初には従わなかった日本人はたくさんいたが、度重なる弾圧により、今ではそれらの地域に日本人を意識的に名乗る者は居なくなってしまった。
戦前の日本政府高官は、私財・権力のために自ら共産党の指導下に下り、戦後は共産党とともに日本を支配しようとしていた。しかし、戦後の日本民族による反中運動は思っていたよりも影響が大きく、彼らの思い通りには行かなかった。
そのため共産党は、親中政府に対し、表向きは選挙で選ばれた民主主義政府として機能し、実態として共産党指導下の傀儡政府として機能するよう求めた。
戦後政府は、共産党の要望に応え、行政機関に権力が集中していた戦後の動乱に乗じて事態の悪化を防ぐためという名目のもと、親中路線政策_____反中運動・言論の取締り、特別警察の再組織、教育要領の変更、中国人に有利な経済補助政策等を行った。
そして敗戦から13年後、戦後の日本の建て直しという大義名分を掲げ、政府は国民投票を行わずに緊急事態条項を強制採択・施行した。
最高裁から違憲判決が出されたものの、政府に対抗する他勢力もおらず、国民にも政府を批判する気力すらなかった。
_____自分達が何もしない選択をした結果がこの惨状だと歯を食いしばりながら、心の奥にある、どうにかなる希望に従っていたのだ。
緊急事態条項の採択により、正式な三権分立の停止及び普通選挙の停止が行われた。
これにより、日本は事実上、共産党による一党独裁支配・傀儡国家になったのだ。
もはや今まで長い歴史を積み上げてきた日本という国は滅亡したことと同義であった。
そのことは、無気力に生きる敗戦国の人々にさらなる絶望を押し付けた。希望の声は届かず、静かに打ち消されるだけであった。
しかしながら、全ての日本人がこの地獄絵図をただ眺めているだけではいなかった。
いつの日か、また、日の丸の旗が空にはためくときが来ますよう_____無気力な希望を持ちながら_____いつ来るかわからないその日のために備えているのであった。




