理解と逸脱
迅達は、聞くに限りがある法則に基づいて活動していることに気がついた。
ペタペタという足音は、聞かせる相手を選んでいる。
つまり──“迅には足音が聞こえているのに、隣のオルガには聞こえていない”。
不可解だが、そういった現象が起きている。
足音が聞こえている間は、手を止め音を立てないよう注意する。そして、聞こえなくなったら活動する。
迅達は、そういったルールの下で作業を継続することができるようになった。
だが、彼らがこれを理解するまでに4人が殺された。
別の組から聞こえた悲鳴と鈍い打撃音から反対側の組も何人かやられているだろう。
しかし、このルールが生き残った者達で共通認識となることで彼らには生存の希望が生まれていた。
“ルールを守って少しずつ作業を進めていくこと“ これさえ守れれば生きて帰れると考えていたのだ。
だが、迅の胸の内には一つの不安要素が残っている。
縄張りだ。
彼らが最初に死体を発見した時に感じた、聞くに限りが生み出したであろう魔力で作られた縄張りと思わしきもの。
あの時、採掘隊は進むことも引き返すことも出来なくなっていた。
それが違和感として、迅の胸の中でしこりのように残っていた。
例えば、もし恐ろしい存在の縄張りに踏み込んでしまったら、それに気づいた生物はそこを離れようとするだろう。
しかし、あの時の彼らは動苦ことができなくなっていた。もっと言ってしまうと、逃げたいと思っているのに実行に移せなかったのだ。
迅は、ある仮説を立てる。
(あの魔力の縄張りには、迷い込んだものを逃がさない力があるんじゃ無いのか?)
(つまりこれは縄張りではない……となると……まさか!?)
──狩場か……!!。
ペタッ ペタッ ペタッ
(この足音は「ペタ、ペタ」ではなく、「ペタッ、ペタッ」だ。つまり──跳ねている)
(こんな足音は楽しんでいる時以外には出さないだろう。奴は俺達が怯え、耐え切れなくなり音を上げるのを待っている。タイミングによって足音が聞こえる人間とそうでない人間がいるのも対象を選んでいるからだ)
迅は聞くに限りを、いたずらに命を奪うことを楽しむ化け物だと仮定した。
(本当に、このまま法則を守っていればいつか出られるのか?)
ガキンッ!!
「!?」
突如、オルガを挟んで迅の向かいで作業をしていた男の持っていた破砕機が、ルーミナイトを削り損ねたのか上方向に大きく弾かれる。
弾かれた破砕機はルナクタの照明、その管に当たると、そのまま引き千切った。
照明の一つが破壊され、洞窟内に先程よりも濃い闇が訪れる。
壊された管からは白く輝くルナクタが溢れ出し、そして真下に立っていた男は、それをもろに浴びてしまった。
「あ…やべ」
「まずい!早く服を脱げ!!」
オルガが叫ぶ。
そして、ルナクタが物質を黒く変色させ、崩壊させてしまう、”収光現象”が訪れた。
「あああ、あああああ、あああああああ!!」
「くそッ!迅!!」
オルガが迅を呼ぶ。
しかし、足音が聞こえ続けている迅は動けずにいた。
「うううああ!!くそっ!!!痛ぇええええ!!!!!」
男の叫び声が、洞窟内に反響する
オルガがすぐさま駆けつけ、男の服を破く。すぐに汚染された衣服を脱がせ、応急処置をしなければならない。
しかし、衣服はもちろん顔や手など上半身に隈なくルナクタを浴びてしまっており、洞窟内での応急処置では助からないことは確実であった。
(くそ……何が起きた!?足音、早く消えてくれ……!)
数秒は経っただろうか、やがて迅の耳から足音が聞こえなくなる。
「……ッ!」
自由に動けるようになった迅は、急いで怪我人の元へ駆けつけた。
そこで応急処置をしていた筈のオルガは、目を閉じ俯いている。今度はオルガに足音が聞こえているのだ。
つまり、今、処置が可能なのは迅一人である。
(くそっ!こんな状態でどうすれば!?)
ガシッ!
「!?」
男は、俺の腕を強く掴んでいた。
「…ぎ……!……く……!!………!!……ふ………………!!!」
痛みによる痙攣で近場にあったものを強く掴んでしまったのだ。
男の服はボロボロに崩れており、隙間からは黒くただれた皮膚が見え隠れしている。そして迅の腕を掴んだ手もまた──黒く染まっていた。
(まずい、この手で掴まれたら俺の腕も…!)
──ゴリュッ!
その刹那。
何か長い物体が男の顔面を踏み抜くように貫いた。
断末魔すら許さないその一撃は、先ほどまで痛みで叫んでいた男の命を一瞬で刈り取ったのだ。
そして、迅は──その瞬間を、見てしまった。
(脚だ……)
人間の脚が、どこからともなく現れて──男の顔を踏み抜いた。
顔を致命的に潰された男はぴくぴくと痙攣している。
それは、先ほどまでの痙攣とは違い、完全に壊れことを示す、ただの肉体の反応であった。
思わず迅は、その脚が来たであろう方角を見てしまう。
そこには、二本の人間の脚が立っていた。
つま先から太もも辺り、それ「だけ」しか存在していない、非常の存在がそこに立っていた。
脚の付け根から上の部分は存在せず、今まで何人を踏み抜いたのか、おそらく黒色のズボンを履いているであろうその足は、血と肉の汚れで覆われ、もはや布地の判別すらできず、時間の経った血液がぬめるようにその脚全体を包んでいた。
──いや、それよりも、
迅はみてしまった
(やばい、やばいやばいやばい!)
脚がゆっくりと歩みを進める。
見てはならない
その禁忌を破った迅に向かって。
ペタ…
ペタ …
ペタ…
やがて二本の脚は、迅の目の前でぴたり歩みを止めた。
(……見られてる……!)
それには、視るための器官など、どこにもない。
それなのに、迅には頭の先からつま先まで、ねっとりと、嘗め回すように見られている感覚があった。
(ひと思いに殺されない。他の犠牲者と同じように顔を踏み抜くんじゃないのか?)
* * *
何秒……いや、何十秒は経っただろうか。
時間の感覚さえも、すり減って曖昧になっていく。
無限にも思えるほどに引き延ばされた沈黙の中、幾度となく、死のイメージが脳内を巡った。
けれど、何度想像を重ねたところで、死の覚悟なんか、できるはずがない。
…こいつは、俺が怯える様子を見て楽しんでいるのか?
殺すなら、早く殺せ。早く──。
いや、でも…
死にたく…ねぇ!!
* * *
しかし、二本の脚は迅の想像を裏切るかのようにすっと後ずさり、
そのまま──洞窟の入口の方へと走り去っていった。
理由も意味もわからないまま。──迅は、助かってしまったのだ。