聞くに限る
見る夢はいつも同じだった。
燃える街と、響く悲鳴。
皮膚が焼け付くように熱く、悲鳴が耳に届くと、心臓を捕まれたかのようにキュッと苦しくなる。
たまらず耳を塞いでも尚、その叫びは聞こえ続けてしまうような。そんな非現実感でようやく気づく。
……これは夢だ、と。
夢だと認識すると、自分がとうの昔に記憶を失っていることを思い出すが、この夢が自身の記憶のリプレイであることには確信が持てた。だって、燃えている街並みはどこか懐かしく思えたし、逃げ惑う人々の喧騒には聞き覚えがあったから。
そして、1人で歩くこともままならない状態の俺を、誰かが担ぎ連れていくのだ。
連れられ、過ぎ去っていく街の情景を眺めているも、やがてどうしようもなく悲しくなって泣きたくなる。
見る夢はいつも同じだった。
* * *
“天城迅”はいつもの粗末な小屋で目を覚まし、夢の内容を頭の中で反芻する。
新鮮な夢の記憶から失った記憶を掘り返すように。毎朝続けているが今日に至るまで実りは無い。
やがて、同居人の起床に気付いた男が声をかけてきた。
「おう、迅。ま〜た難しい顔をしてんじゃねえか?」
「オルガ……」
オルガ、齢はもう初老を過ぎたあたりだが、言動や行動に年齢相応の老いが感じられない男だ。
半年前、フラッと現れた迅を何も言わず迎え入れてくれた。
記憶を喪失し、唯一覚えている名前でさえ聞き馴染みの無い発音をする迅が、この地でなんとか生きているのはこの男のおかげである。
「オルガさんな。またいつもの記憶の夢か?なにも覚えてないのに変なやつだよ」
笑いながら揶揄うオルガに対して、迅は悪態の1つでもついてやろうかと考えていると、その前にオルガが続けて話した。
「眠そうなとこ悪いが、そろそろ仕事の時間だ。早く準備してこい」
オルガはそう言うと、迅の返事を待たずして小屋から出て行ってしまった。
(もうそんな時間か……)
しかし、支度をする……と言えるほどの準備は必要ない。服は時折支給される程度なので2着くらい残っているマシな状態の服をずっと着回している。
当然寝巻きのような上等なものは貰えないので寝る時も同じ服だ。そのままの服で外に出られる。
迅は、飲み水兼用として桶に溜められている水で簡単に顔だけ洗うと、寝る時は邪魔で着けていなかったベルトをスボンに通して締め、オルガの後を追い外に出た。
小屋の外はいつ見て変わらない風景だった。何件かの小屋と、いくつかの粗末な畑。広大で荒れた土地。
そして30メートルはあろうかという壁。
王国とその周辺の街を囲う巨大な壁の外側だ。
ここは、魔力を持っていなかったり、魔力をもっていても必要とされる水準に届いていないことで王国に入ることが許されていない人間達がこぞって生活している、壁外集落である。
20年前の戦争の後、人類に残された国はここ"アルカディオン王国"のみとされており、各地で生き残った人類は突如現れたモンスターから逃れるため王国に集まったと言われている。
しかし、王国は魔法を使える者だけを受け入れた。残された人類は、同時期に発展したルーミナイト技術のための採掘要員として壁外に取り残されてしまったのだ。
無論、壁外であれ最低限のモンスター避けの措置はされてる。
しかし、戦後の荒れた大地に作られた壁外集落で作物は実らず、人口に対して屋根付きの建物が明らかに不足していた。
皆ルーミライト採掘作業の疲弊で発展もせず、王国から配給される僅かな食料で食い繋いでいるのが現状だ。
迅も半年前ここに来た時、古株のオルガが気に入られなければ野晒しで眠ることになっていただろう。
ここの唯一の希望は、いつか壁内で暮らすこと。
「監視員に気に入られれば壁内に行ける」
「魔力さえ覚醒すれば楽園で暮らせる」
「腕っぷしが認められれば傭兵として壁内で働ける」
実際に壁内に招待される住民も稀に見られていたため、このような根拠の無い噂が広がり希望として定着しているのだ。
壁外は、最底辺に居ながら抜け出そうと足掻く人間と、既に諦めて地獄を受け入れる人間で二極化していた。
迅とオルガは後者である。
オルガ自身、言動からは想像できないくらいリアリストであり、自身の年齢もあってか既に諦めてしまっているのだろう。
迅に至っては少々事情が異なっていた。通常、魔法の適性が無くとも知覚できる筈の魔素が、彼には全く感じられなかったのだ。
皆がかろうじて持っているモノすら持たず、特別力が強いわけでもない。
彼自身、天地がひっくり返っても壁内に入る希望が無いことは、ここに来て1ヶ月が経つ頃には自覚していた。
* * *
「なんだ、あれ?」
迅がオルガに追い付き、雑談しつつ集合場所の広場に向かい歩いていたところ、王国の壁際にできた人だかりを見つけたオルガが声を出した。
近づいてみると、その人だかりの中心でうずくまっている男性がいる。
壁の方を見てピクリとも動かない。
普段ならこのような奇行に走る人間がいても、気が狂ったと思われて見向きもされないだろう。
人だかりの一番外側で見物していた男に、オルガが話しかける。
「おいおい、なんだこの集まりは?」
男が「ああ、オルガか」と反応すると、詳細を話し始めた。
「昨日、西の洞窟に行った採掘隊が帰ってこなかったろ?今朝になって一人だけ帰ってきたんだよ……」
昨日、採掘に出てから帰ってこなかった採掘隊があった。
監視員(採掘隊を監視し、モンスターの脅威に対処るため壁内から派遣される人員)だけ逃げるように戻って来て、何も言わずに壁内へ帰ってしまったので、迅達は詳細が何もわからないままだったのだ。
その採掘隊のメンバーが、一人だけ帰ってきた。
「しかしなぁ、戻ってきてからあの調子なんだよ。なにも喋らない。埒が明かないから連絡係が監視員を呼びに行ったらしいぞ」
呆れた様子で話す男に、オルガは軽く礼を済ますと独り言のように言った。
「じゃ、あれはもうダメだな。処分される」
「処分……使えなくなった人間を壁内に連れていくっていう」
処分というのは、過去の出来事からオルガ達がそう呼んでいる住民の最終処理のことだ。
過去に似たような出来事があり、一人の男が壁内に連れて行かれたことがあった。
その後、それを見た住人の一人が「正気を失ったフリをすれば壁内に行ける」と本気で勘違いし、実践したところ見事に壁内に連行される。しかし数日後、一人の監視員がその住人の首を持ってくると、「もう二度と馬鹿な真似はしないように」と言い残して去っていくという事件があったのだ。
それ以来、自ら処分されたがる住人は出てきていない。
つまり、現在うずくまっている男は本当にダメになってしまったということだ。
オルガは「ああ」と相槌を打つと。
「処分……はいいが、ちょっと嫌な予感がするな」
と何かを考え込むように、顎に手を当てながら言った。
「嫌な予感?」
「ああ……」
迅の問いにオルガは心ここにあらず、といった様子だ。
「貴様ら、全員そこで静止!」
(……!)
いつの間にか、壁外集落には似合わない小綺麗な装いの男が現れた。
濃紺のロングコート。見慣れない金の刺繍が入れてある。腰に差された剣には、剣と流線型の紋様が刻まれている。どう見ても壁外の人間ではない。
「私が今日の採掘監視を務める。そこ、動くな」
横柄な態度の男は名乗ることすらせず、そそくさと逃げようとした一人の男を指して注意した。
「ああ、逃げられる雰囲気じゃねえな……」
オルガも逃げる隙を伺っていたような口ぶりだ。
ロングコートの男が監視員と自称していたことから、採掘業務に関わる連絡がされると予想できる。
しかし、先ほどの男もオルガもこの場から立ち去ろうとしたのだ。さらに、通常広場で行われる業務連絡も、今日に限っては広場でない道端で行われようとしている。
そうしなければならない理由が迅にはわからなかった。
「なあオルガ、それってどういうこと……」
「じきにわかる」
迅が何やら難しい顔をしているオルガに問いかけても、途中で遮られて答えを得られなかった。
「早速だが採掘隊を組む、この辺りにいるやつ全員だ。とりあえずそこの広場に集まれ」
男の指示通り、その場にいた皆は広場に移動させられた。最中、何人かがこっそり離脱しようとしたが男に連れ戻されていた。
現状を理解していないのは迅だけなのか、迅はそれに対して不満そうに歩いている。
やがて広場に集められると、監視員の男はつまらなそう書類を取り出して話を切り出した。
「知っての通り、昨日、西に新しく発見された洞窟へ赴いた採掘隊が全滅した。いや、一人を残して……か」
巨大な壁の方を向いて微動だにしない昨日の生存者を一瞥すると、男は続けた。
「もちろん、採掘されたルーミライトは持ち帰られていない。ルーミライトは王国の貴重な資源だ。つまり、貴様らの命より重い。貴様らにはその回収および追加の採掘作業に行ってもらう」
「くそやっぱりか」
何人かがどよめく中、そう呟くオルガの症状は若干青ざめている。
ここまで来たら迅にも皆が逃げ出したがる理由を理解できた。
きっと過去にもあったのだ、迅が知らないだけで似たようなことが。
「出発は半刻後だ、また西の洞窟の注意事項がある」
つまりは、採掘隊が全滅し、ある程度の装備と魔力を持った監視員が逃げ出す程の何かがいる。
そんな場所に、迅達は失敗した採掘隊の尻ぬぐいに行かなければならない。
そして、男は一瞬だけ気の毒そうな表情をすると、最後にこう付け加えた。
「洞窟内には"聞くに限り"が生息している可能性がある」
* * *
半刻後、迅達は3台の耀輪車に詰め込まれ、件の洞窟に連れてこられた。
総勢18名、内監視員が3名だ。
通例通り、監視員は洞窟の外で待っているようだ。彼らの仕事は作業の監視ではなく送迎とモンスターが現れた際の対処である。既に洞窟内にはモンスターが生息していると思われるが、監視員が先に入って処理をするということは無かった。
採掘隊が逃げ出したところで、帰る場所はあの壁外集落かモンスターの胃袋しかない。迅達は言われるがまま洞窟に入るしかないのだ。
* * *
迅達が洞窟に入ると、洞窟の中はルーミライトから精製される"ルナクタ"と呼ばれる液体を燃料とした光源で照らされていて、そこそこ明るかった。
心もとない灯りの下で、恐る恐る進んでいく。
すると、やがて据えた臭いが漂ってきて、迅達は思わず鼻をつぐんだ。
血の臭いだ。
臭いの発生源。そこには昨日の採掘隊と思わしき12名の死体が放置されていた。
顔面の中心にぽっかりと、しかし歪な形をした穴が開けられており、既に流れるものは流しきったと言わんばかりの血溜まりが、洞窟内の湿度のせいか粘性を残したまま残っている。
傍らにはルーミライトが詰め込まれた荷車に採掘道具。採掘中に殺されたと思われる死体や、逃げようと試みたところを殺された死体など様々だが、皆顔に穴を空けられて死んでいたことがわかる。
採掘隊の数名はこの光景と臭いにあてられ、たまらず洞窟の壁際で嘔吐した。
そして、残ったものは動くことも喋ることもできず、ただ死体を見つめて硬直している。
迅を含め、採掘隊のメンバーが死体を見るのは初めてではない。
壁外では餓死、衰弱死、採掘中の事故死、モンスターの脅威など、常に死と隣り合わせであるからだ。
だが今回の洞窟は異様な雰囲気を纏っていた。
心許ない光源だけが頼りな中、そんな灯りさえも裏切るかのように惨劇の痕跡を照らし続けている。
てらてらと照らされた死体、その顔に空けられた穴からは乾きかけの血と肉、そして白く濁った脂肪が此方を覗き、死のグラデーションを奏でていた。
(…………)
迅は、それらの穴がじゅぶじゅぶと蠢いているかのように見えた。
不安定な灯りにより肉がうねうねと揺らぐ様を見て、迅はある想像に至った。
(──口に見える……)
(例えば、苦痛を音に、呪詛に変えて発信する器官である口。
例えば、彼らを深い、深いところに丸ごと呑み込む口。
例えば、──入口)
入ってしまったら二度と元いた場所に戻れないような。そんな異様な空気に呑まれた彼らの思考は逃げる事も進むも事も拒絶し、その場で立ち尽くすことしか許されなかった。
✳︎
「お前ら、ボーッとしてないで働け」
迅は、オルガの言葉で顔に水をかけられたかのように我に返らされた。
「とっとと集めて、掘って帰るぞ」
オルガは、散らばったルーミナイトを淡々と回収していた。他の誰もが動けないでいる中、オルガだけは率先して作業を開始していたのだ。
「オルガ……平気なのか?」
迅は心配半分、「なぜ平気なのだろう」という気持ち半分で訊ねた。
洞窟内の空気は異様だ。恐ろしい死体とむせ返るような死の臭いやジメジメとした空気。それらとは無関係に感じる、ヌメっとした手がずっと背中に張り付いたような気分の悪さがある。
人間を捕らえて一切の動作を許さない空気。それをオルガはものともせずに作業に取り掛かっていた。
「ああ、初めてじゃないからな」
初めてじゃない。オルガの発言は字面だけ見れば頼りになる言葉だ。しかし、当のオルガに自信は見られない。ただ淡々と表情すら変えずに答えた
「初めてじゃない?」
オルガが短く頷いて肯定をすると、現場を片す手を止めずに答える。
「モンスターの中には魔力で縄張りみたいなのを作る奴がいるんだ。魔力の無いやつが多い俺達はそれに当てられちまう。こういうのは……根性でどうにかすんだ」
経験談として話すにはその母数が少ないのか、オルガ自身、確信は持っていなさそうな口調だ。
縄張りは通常、他の生物が近寄らないようにフェロモンなりなんなりを用いて作り出されるものだ。
(でもあれは……)
「迅、手ぇ止まってるぞ。とりあえず急ごう。な?」
「あ、ああ……」
迅は、既に片付けを終えたオルガに急かされ、頭に一瞬だけ思い浮かんだ思考を飲み込む。
そのまま、流されるかのように採掘に加わった。
✳︎
8人と7人の組に別れて、それぞれの組の持ち場で一列になって採掘を行う。
洞窟の低い天井には、前日の採掘隊も使っていたであろうルナクタの光源がロープ状に張られていた。
「灯りが近いな、気をつけろよ」
ルナクタは人体や物質に対して有害だ。照明に使われている管は、そんなルナクタに唯一耐性がある物質によって作られている。
灯りが近いということは、何かの拍子でそれを壊してしまった場合、管に封じられたルナクタが漏れ出してしまう事故を危惧して出た言葉だ。
これまでに無い緊張感の中、作業を進めていく。
死体は既に運び出した。しかし、未だに嗅覚を刺激する死の残香と、そしてなによりも充満した魔力の力場がその主の存在証明となり採掘隊を蝕み続ける。
「なるべく早く終わらせるぞ」
そう小さく呟くオルガに、皆無言で頷いた。
* * *
沈黙の中、採掘機器の鳴らす音だけが響く。
そんな沈黙を破ったのは、迅の右隣で採掘を行っている男性だった。
「え?」
男が間の抜けた声を発した刹那、ゴリュッという鈍く、濡れた肉を揉み潰したような音が聞こえると、俺の右頬に温かい液体がかかった。
血だ…!
反射的に男の側を向こうとする迅の左肩を、左隣で作業をしていたオルガがそうはさせまいと掴む。
「…!」
オルガは迅の方向を見ずに、ただ神妙な面持ちで目を閉じていた。
(そうだった、それを見てはならない。オルガに助けられたのか。)
迅はオルガと同じ様に作業の手を止め、目を閉じる。音を立てないように。
(隣の男は殺された。おそらく、顔に大穴を開けられて)
何秒こうしていればいいのだろうか?
視界が閉ざされたまま直立し続けていると、緊張も相まってバランスを崩してしまいそうになる。それが、生死がかかっている場面なら尚更だ。
音を立ててはならない
(姿勢を変え、座った方が良いのだろうか?)
(その瞬間に音を立たせてしまったら?)
(今この瞬間にでもバランスを崩し、倒れまいと身体を捩らせて音を立ててしまったら?)
そんな不安に駆られている迅に、聞こえてくる音があった。
ペタッ ペタッ ペタッ
足音だ。
この状況で足音を立てられる者、ただ一つしか考えられない。
"聞くに限り"
* * *
出発前
「洞窟内には"聞くに限り"が生息している可能性がある」
「"聞くに限り"?」
監視員の男は「黙ってろ」と、口を開いた一人の男に吐き捨てると、話を続けた。
「"聞くに限り"はランクB-7に指定される異形型のモンスターだ」
B-7という言葉に皆がどよめいた。
「オルガ、B-7って……?」
知らない言葉が出た時、迅はオルガに聞くことにしている。
しかし、いつもは明確な回答が得られていた筈が、今回に限り「とにかくヤベェってことだよ」なんている釈然としない回答が返ってくる。
驚くもの、戦慄するもの、俯いたまま絶望している者など反応はさまざまであったが、監視員は気にせず「1回しか言わないぞ」と前置きし、
「いいか?洞窟内で聞き慣れない足音がしたら、目を閉じて絶対に音を立てるな」
それだけ説明すると、出発準備を始めてしまった。
* * *
どのくらいの時間が経っただろうか?
しばらくそのままでいると、少し離れた所から鈍い音とそれに続く悲鳴、もう一つ鈍い音が聞こえた。
もう一つの組でも犠牲者が出たのだ。
迅はふと、昨日の発掘隊の生き残り、終わってしまった彼を思い出す。
彼はただ、壁の方を向いて静止していた。その理由が今の迅には理解できた。
彼が安心していたことを。
目を閉じてもこの先に居るかもしれない。なにかの拍子に見てしまうかもしれない。
そういった形の無い、だが確かに存在する脅威に対応する手段。
それが、ただ沈黙して壁を向くことだったのだ。
目を開いてもそこは壁。そこには必ず何も存在していないと思える。
ペタッ ペタッ
ペタッ ペタッ ペタッ
足音が聞こえたら、目を閉じ、音を立ててはならない。
その禁を破ったら殺される。
彼らの行動は聞くに限られていた。