俺は天下の征夷大将軍ですが居並ぶ皆の前で結婚破棄を宣言されたのでこれからは自由に生きて行きます
「ええい、上様とて構わぬ!お前との婚約を破棄する!」
そう言われて固まった。え、俺は何を言われたのか。婚約破棄?誰が誰に?。あいつが俺に?俺、あいつと婚約していたの?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ここは江戸城より一里ほど離れた外様大名、微家流藩の江戸屋敷。俺はまさに江戸家老多義留道三の悪行を暴いて成敗せんとしているところだ。言うまでもないことだが八代将軍徳川吉宗としてこの国の全ての武士を統べる俺は人など殺さぬ。いつも引き連れている立板水之介が次から次へと狼藉者を切り倒す中、隙をついて襲ってくる武士をひとりひとり峰打ちしている。
峰打ちとて腕に受ければ腕が折れ、胸に受ければあばらが砕け、腹に受ければ臓腑が破れる。しかし血が流れぬだけよかろう。苦しければ己で腹を切ればよい。それが武士というものだ。
そんなさなかの事だ。庭で戦う俺を無礼にも廊下から見下ろしていた微家流藩江戸家老、多義留道三が言い放ったのだ。
「ええい、上様とて構わぬ!お前との婚約を破棄する!」
そう言われて固まった。婚約破棄?多義留がこの征夷大将軍である俺に?白刃きらめく死地において動きを止めるのは丸腰で首を差し出すにも等しい。だが、動きが止まったのは俺だけではなかった。
「上様……婚約とは」
既に20人は切り殺した立板が「嘘だと言ってくだされ」といった表情で俺を見ている。え?なに?お前その顔。多義留の言ってることを信じるの?切れ味が落ちてもはや人を切るより撲殺するだけになった得物をぶら下げて、そんな顔する?
「多義留様と上様が……婚約?」
今にも俺に刀を振り下ろそうとしていた多義留の手の者が上段の構えのまま凍り付いてきょどってる。
「待て」
思わず手を突き出した。パーの形で。
「俺は多義留と婚約などしておらぬ」
しんと静まった庭。松と大岩が美しく配され、流水を模した白い砂利が敷き詰められたその庭に居る武士が俺を見、そして一斉に多義留を見る。切られて血を流しながら横たわっている武士も多義留を見る。この者が死に際に見るのは見るからに悪人面のおっさん家老が征夷大将軍に婚約破棄を言い渡す場面なのか。いくら自業自得にしても哀れな。そんな武士の最期があって良いのか。
「この期に及んでしらを切りますか、上様っ!」
廊下に仁王立ちした多義留が涙を流しながら叫ぶ。ちょっと待て、マジで。何で俺が悪役みたいに言われているの。
「松之大廊下でそれがしの手を取り『浅野内匠頭の刃傷が世に忘れられようも、そちの事は忘れぬ』とおっしゃった、あの月の夜のことをお忘れか!」
「そのような覚えはない!多義留、そちは悪い夢でも見ているのではないか」
身に覚えがない。あるはずがない。日々大奥の女たちに情けをかけるのに忙しい俺がなぜ外様の悪人顔なぞ相手に衆道にふけようか。台所とか側室ひとりひとりの性感帯をちゃんと覚えていないとやきもち焼かれて大変なんだぞ。
「上様、畏れながら申し上げますっ!」
俺の前に武士が飛び出して来て白洲に手を突いた。俺を殺そうとしていた武士だ。畏れるなら斬りかかるなよ。その男が泣きながら白洲の上でもろ肌を脱いでいる。
「拙者、肝煎蚤三郎と申す者。先ほどから聞くところ、上様においては多義留様のお言葉を戯言と一笑に付すご様子。されどもこれでは多義留様があまりにも哀れ」
「何を申すか」
あれを一笑に付さないと俺は衆道疑惑を認めることになるんだぞ。
「この肝煎、多義留様にお仕えしたものとしてこの場で腹を掻っ捌き、上様を御諫め申す」
頭に蛆でもわいているのか。しかし何故か庭にいる連中はこの乱心した武士に同情的になっている。
「おお、肝煎殿!」
「これぞ武士の本懐!」
なにが本懐やねん。おい立板、頷いてる場合ちゃうぞ。そうこうしているうちに肝煎何某は腹に脇差を突き刺し、真一文字に掻っ捌いて果ててしまった。
「肝煎殿、あっぱれ!」
あっぱれじゃねえよ!まじで犬死だぞこいつ。
「上様、いい加減にお覚悟を」
「多義留おのれ!何を申すか」
「ええい黙らっしゃい!それがしの純真を弄び、我が藩に大罪を着せようとしたこと、万死に値する!」
いやほんと、何言ってるんだ。江戸屋敷を利用してご禁制の品の抜け荷を働いていたのはお前たち……あれ?
「多義留、後ろのそれは何だ」
多義留道三の後ろに町人がいる。いかにも毎晩うまいもの食ってそうな顔のそいつが多義留の後ろに粘っこく取り付き、首だけ出して悪い笑みを浮かべている。そうか、そいつが廻船問屋甲州屋主人、狒々衛門か。おのれ正ヒロインめ。後ろから糸を引いていたのだな。どうやら多義留に何を言っても無駄なようだ。
「よし、多義留。わかった。そちの言う事を認めよう」
おおっ、と庭にいる生き残りの武士が声をあげる。
「何と!」
「婚約破棄でもなんでも好きにするがいい、俺はこれよりお主の婚約者ではない。自由気ままに生きることにする」
「では、上様……」
廊下に仁王立ちして喜色満面の多義留を見ながら大きくため息をつく。
「立板」
「は、これに」
先ほどまで馬鹿面下げて俺の衆道疑惑を信じそうになっていた立板が何事もなかったかのようにさっと横に控えた。キリッじゃねぇよ。
「成敗!」
「はっ!」
えっ、という声を多義留が上げるが早いか立板が廊下に飛び上がり袈裟に微家流藩江戸家老を斬る。既に切れ味の落ちた大刀を放り捨てると、立板は斬られ役五本指ポーズを決める多義留の大刀を引き抜き、振り向きざまに棒立ちの甲州屋の首を刎ねた。愚か者め、海無し県のくせに廻船問屋などやっておれば怪しまれるに決まっておろう。
ぽーんと飛んだ甲州屋の首が庭にいる武士の手にぽんと収まる。
「やった!ウェディングブーケ、ゲッ」
言い終わる前に廊下から飛びかかった立板がその男を切り伏せる。三本指でポーズを決めながら倒れる武士。アロサウルスだったか。多義留を失ってうろたえる武士たちはたちまちのうちにに立板に切り伏せられた。立板は頭は悪いが腕の立つ奴だ。
俺は決め顔で刀を鞘に納めると、いつものように大きく息をついた。
「立板」
「はっ」
「城に帰ったら綱紀の粛正だ」
「御意」
「まずは江戸市中のBL本を全て召し上げ燃やし尽くす。そして以後は発行を禁ずる」
「はっ。百合こそが至上かと存じます」
「百合の間に男が挟まるのも禁ずる」
「えっ」
「ま、俺は大奥で挟まりたい放題だがな」
「ぎゃふん」
ナレーション:「江戸城に桜が咲き始めるころ、微家流藩藩主は責めを負って切腹。藩はお取り潰しとなった。江戸の悪は必ず滅ぼす。そう桜に誓う吉宗であった」
(完)
この作品は歴史上の実在の人物をモデルとした歴史創作です。史実、実在の人物、テレビ番組とは関係ありません。




