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短編

盗み

作者: 水月美ツ夜

 ある夕方のことだ。

 空はどんよりと曇っていて、夕方の、あの何とも言えない暖かい光は見えなかった。そのため、というべきか、関係ないが、というべきか、僕も少し疲れていた。

 心が天のように濁っていて、ストレスが溜まり、イライラしていた。

 いつも通りの下校中にちんたらと喋りながら五、六人で並走し、当たり前のように信号で自転車を走らせ、危なっかしいいたずらをしている奴らを見たこと。

 それから、それを注意できない自分に対して腹を立てていた。

 そういう余裕のない時は、嫌な考えの一つよぎるものであり、僕も例外ではなかった。

 鬱鬱とした目を彼らの車輪に向けながら、いっそわざと事故ってやろうかなどと不穏な思考を張り巡らせつつ、歯を食った。ギリギリと擦る。

 心の中で、正しいのに注意できずにいる自分、目の前の彼らに絶え間なく悪口を書き殴る。

 叫びたいのに勇気がない。勇気がないなら耐えるしかない。どうしようもなかった。

 そんな不愉快な状況からやっと脱出し、家に帰ることができるという達成感や喜びに浸っていた時だ。

 僕は駐輪場に自転車を押し込み、はあー、と息をついた。カゴから鞄を取り出し、肩にかける。自転車の鍵を抜き取って、右手で鈴をリンリンと鳴らす。

 人差し指にかけ、指をまげて手を握る。僅かな冷たさが僕の手をつたった。

 ふと、そう、ふと、隣を見た。

 そこには鍵が差されている自転車があった。新品だろうか、傷一つ、汚れ一つない。

 駐輪場と垂直くらいの位置。駐輪場の屋根で日陰になっているため、その色は定かではなかった。

 僕は奥のインターホンを見た。この自転車の持ち主だろう青年が何やら口を開いて話している。

 真面目そうだな、という印象を受ける。

 きっちりと整えられた青っぽいジャンパー。スーツのスラックス。

 彼はまだ話し込んでいて、自転車のことなど気にしていない。

 そして僕の格好は、ヘルメットに鞄。あとは指に鍵がかかっている。なによりも、ストレスが溜まっていた。

 気づけば僕は、その欲しくもない自転車をじっと眺めていた。心臓がバクバクする。喉がカラカラに渇く。薄明かりが家を染める。それが合図のように、ぽたぽたと雨が降り始めてきた。

 ここで僕がこれを盗んだら、どう思われるだろうか。真面目だったのに。責任感が強かったのに。曲がったことが嫌いなのに。なんで、どうして。

 そうすれば、僕だって、楽になるだろうか。

 それに、ほんの少し、面白そうだと思い、そして興味が湧いていた。

 瞬きすら無意識にできなくなった。

 かっと脳が熱くなるような錯覚に陥り、頭を振った。

 盗んだら、あの人は困るだろうな。両親だって怒るだろうな。友達や先生には失望されるだろう。

 徐々に雨が勢いを増してくる。斜めに降っているそれに濡れながら、やはり彼は話し続けている。

 僕はため息をつき、歩き始めた。

 好奇心は猫をも殺す。

 世の中にはやっていいことと悪いことがあり、『その欲求』はやってはならないこと、やるべきではない間違ったことだ。

 僕は世間から後ろ指を指されるのは御免だ。今までの頑張りはどうなるんだ。

 ザーザーと降る雨が僕を打ち、僕から体温を遠慮なく奪っていく。

 青年はまだ話している。

 僕は僕の家のインターホンを押し込んだ。
































 それだけで終わったら、僕がちょっと変な奴ってことだけで終わるんだけど。

 次の日、学校に着き、先生から何気なく伝えられた言葉に僕は一時言葉を失った。

「昨日の午後六時頃、近くのアパートで盗難が起きた。くすんだ緑色の自転車で、まだ新品だったそうだ。犯人は二十代ほどの男らしい。青色のジャンパーを着ていると。見つけたら学校か警察に連絡を、とのことだ。その自転車には鍵がささったままだったそうだから、みんなはきちんと鍵を外しておけよー」

 と軽い口調で言った。

 多分僕は、ポカンと間抜けな顔をしていたに違いない。二十代……男……青色のジャンパー。これだけでは情報が少ないが、自転車の特徴もあっているし、おそらくあの青年ではないだろうか。

 彼が、あの自転車を。

 じゃああれは、誰の自転車だったんだろうか。

 そう思いつつも、僕はやはりなにも言えずに、この出来事をそっと胸にしまい込んだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] そっち……!? と読んでいるこちらもすっかり騙されました。 人は見た目によらないですね。 好奇心は猫をも殺す。その通りで、理性で踏みとどまれた主人公とそうではなかった相手の間には大きな隔絶が…
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