プロポーズ
ダイナンは、淑女に対するように手を取り、ソファーへとエスコートされる。
その間、わたしはされるがままだ。
ダイナンの、とろけそうなほどに幸せそうな笑顔から目が離せない。
どうしてそんなに嬉しそうなのだろう。
さっきまで、父に怒鳴っていた人とは思えない。
私がソファーに座ると、ダイナンは、その隣に座った。
兄妹だとしても、近すぎる距離だ。
彼が、私をまだまだ幼い妹と
してみているようだと、そっと距離を取ろうとして……
「どうして離れようとしているんだい?」
失敗した。
腰に腕を回され、引き寄せられてしまった。
「おっ……お兄様!」
あまりに近い距離にうろたえて、ひっくり返ったような声が出てしまった。
この家に来たばかりならまだしも、城に行く前には適切な距離をとってくれていたはずだ。
「私は、もう小さな妹ではないのですよ!」
「知っているよ」
ダイナンの大きな手が、私の頬を覆う。親指が目元に残る涙を拭ってくれる。
「可愛いチェリー。私に弁解させてくれるかな?」
ダイナンがすまなそうに眉を下げて、私を見つめる。
弁解と聞いて、私はすぐに婚約の話だと分かった。ダイナンは、私を傷つけるつもりなどなかったことなど、分かっている。
「いいえ。分かっていますから、大丈夫です。私はお兄様の幸せを祈って……」
「弁解をしたいんだ」
強い口調で言われて、強く肩を掴まれた。
怒ったようなダイナンに、私は目を丸くしながら小さく頷いた。
「私は、結婚相手が誰だか聞いていなかった。チェリーだと分かっていれば、拒否などしない。喜んで結婚する」
真剣な表情に、喜びがこみあげるが、同時に同じだけの悲しみも湧き上がる。
彼が言っていた『愛する女性』を、ダイナンは私を幸せにするために忘れようとするのだろう。
胸が苦しい。息ができなくなりそうだ。
だけど、黙ってダイナンの言葉を受け入れることは許されない。
「お兄様。私は大丈夫です。無理をしな……」
「ああ、さっきの父との会話を聞いていたんだったな。愛する人とは、お前のことだ。チェリー」
口をぱかっと開けて、驚く私を見て、ダイナンは困ったように微笑む。
動かない私の手を取って、恭しく手の甲に口づけを落とす。
「ずっと好きだった。城になど行かせたくなくて、連れて逃げようとしたことさえあった」
私の反応が無いのを良いことに、ダイナンは私の手に何度もキスをしながら、手首の方へ唇を動かす。
「だけど、チェリーを逃亡者にするわけにもいかないし、チェリーは父のことも姉のことも好きだろう?あいつらを捨てて私とだけ生きてくれるとは思えなかったし」
ダイナンの唇が、啄むように手首から段々と上にのぼってくる。
「あ、あの、お兄様、そこらへんで……」
「ん。チェリーはここにキスをされるのが好き?」
ちょうど二の腕に差し掛かったところで唇が止まる。
好きとか嫌いとかの話ではないのだ。……あえて言うなら、ぞわぞわする。
「諦めきれなくて。チェリーが王子と結婚して幸せになったなら、諦めもつくかと思って待っていた」
二の腕に唇をあてたまましゃべらないで欲しい。
「ああ。待っていてよかった……!」
「きゃうっ!?」
柔らかなところに突然吸いつかれて、変な声が出てしまった。
「ああ、ごめん。感極まってしまったよ」
ダイナンが唇を放すと、そこは少し赤くなっていた。
謝るように鬱血痕をぺろりと舐めて、ダイナンが顔を上げた。
私は、舐められたことももちろんだが、言われた内容にも動揺して、きっと顔は真っ赤になっているに違いない。
「お、お兄様は、我慢してはないですか?」
我慢さえしてなければいい。
彼が幸せならば、ダイナンと結婚できることが嬉しくないはずがないのだ。
「我慢はしている」
「えっ!?」
しかし、間髪入れずに返ってきた言葉に、私はさらに驚く。
「チェリーを寝室に連れ込みたいのを、必死で我慢している。――まさか、我慢しなくていいのか?」
「それは我慢してください!頑張って!」
応援までしてしまった。
元々、貧しい農場で育ったのだから、営みはそれなりに知っている。目にしたことは無いが、父と母がそれをして、妹と弟ができたはずだ。
不満げに口をとがらせてダイナンが見てくるが、私が言ったのはそんな我慢ではない。
「そ、そうではなく!あの、私と結婚することについて……」
「ああ、なるほど。それも我慢の連続だな」
眉を寄せるダイナンを見上げる。
連続?
「すぐにでも籍を入れて夫婦になりたいのに、父がドレスだ、会場だと邪魔をするだろうな。一月は必要だとか言いだすかもしれない。しかも、着飾った可愛いチェリーを大勢に見せなければいけないことも我慢しなければならないのだろうな。ずっとチェリーを抱きしめていたいのに、多分挨拶もさせられるし。部屋だって……」
「そ、そうですね!頑張りましょう」
滔々と流れだした甘い言葉に耐え切れなくなってしまい、遮った。
何を我慢だと感じるのかは、人それぞれなのだなと思った。
ダイナンは、私の返答に不満げな顔をしてから、諦めたように息を吐いた。
そうして、真面目な顔をして立ち上がる。
首を傾げて見上げた私の前で、ダイナンは跪いて手を差し出した。
「チェリー。俺と結婚してくれるか?」
ダイナンが、『私』ではなく『俺』と言った。それは、言葉を繕うことをしないとき。家族内でも、ほとんど使わない一人称だ。
ダイナンが『俺』というときは、とても動転している時か、緊張している時だと知っている。
改めて言われた言葉に、私の胸が高鳴る。
さっきまで悲しみでつぶれそうだったのに。
こんなにしぼんだり膨らんだりしたら、私の心臓が壊れてしまうかもしれない。
一度口を開けて、声が出なくて、一度胸に手を当てて大きく息を吸った。
その間も、ダイナンは真剣な表情で私を待っていてくれる。
嬉しくて。幸せで。
「はい」
心の内から湧き上がる悦びのままに笑みを浮かべて、返事をした。
「~~~~~っ、やっぱり少しだけ!」
突然、ダイナンが抱き付いてきて、押し倒される。
「えっ?ええっ?」
「キスしていい?」
嬉しそうなダイナンが、覆いかぶさったまま私の目をのぞきこんでくる。
――そんなこと聞かれても!
じわじわと確実に体温が上がって、私は、これ以上ないくらい真っ赤になっているはずだ。
「王太子は、何もしなかったのだろうね?」
ダイナンを見上げたまま動かなくなった私を、楽しそうに見下ろしている。
「は……はい。話も、ほとんどしたことが、ない、のでっ」
私の返事に、ダイナンは満足げに微笑む。
「俺も初めてだから。初めて同士、ゆっくりと練習しよ……痛えっ!?」
突然、ダイナンが頭を押さえて落ちてきた。
受け止めようと手を伸ばすが、触れる前にダイナンは浮かぶように離れていく。
何が起こったのか分からずに、ダイナンを追いかけるように体を起こすと、彼の襟首をつかんだお父様が立っていた。
「お、お父様!」
こんな状態を見られたことが恥ずかしくて、慌てて立ち上がろうとするが、手で制される。
「チェルシー、大丈夫だ。ゆっくりしていなさい」
「痛い!」
優しい言葉とは真逆に、ダイナンを引きずりながら部屋を出て行く。
「チェルシー!後からまた来っ……痛いですよ!」
「当たり前だ!このバカ息子が!」
親子げんかしながら出て行く二人を、座ったまま見送ってしまった。
「チェルシー様、お顔を冷やしましょうか。お菓子の準備もいたします」
アナが私を覗き込んで微笑んでいた。
顔を上げると、外に逃げたように見せかけるための細工はあっという間に無かったことになっている。
「ありがとう。……ごめんなさい」
外に放り投げたシーツも、洗濯に出されるのだろう。手間を増やしてしまった。
アナは、私の謝罪は聞こえなかったように微笑んで冷やしたタオルを差し出してくれた。
冷たいタオルで目元を覆い、ほっと息を吐くと、落ち着いて来て……じわじわと顔が熱くなってくる。
冷やしているのに、顔が熱くなるとは。
ゆっくりと深呼吸をして、落ち着こうとするのに、ダイナンを思い出せば、顔が熱くなってしまうのだ。
ついでに、勝手に顔がにやけてしまう。
一生懸命冷やしているふりで、タオルで顔全体を覆ってみる。
周りにも分かってしまうだろうが、仕方がない。
だって、嬉しい。
嬉しくて、幸せで、感情なんて隠せない。
本当だったら、飛び跳ねて回りたいのに、ソファーに座ってタオルで顔を覆っているのだ。私には上出来だ。
だけど、ダイナンがもう一度来てくれるまでには、赤くなった顔は戻したい。からかわれたりしたら、もっと赤くなってしまうもの。
私は、幸せな悩みを抱えながら、ゆったりと座っていた。
侯爵の庭にある植物が、全て一斉に花を咲かせ、王都中の話題となってしまうことを、私はまだ気が付いていない。




