新たな結婚話
それなのに。
どうして、こうなってしまったのか。
夕食の席について、私は改めて大きく頭を下げた。
一緒にテーブルについているのは私とお父様だけだ。
ダイナンは留学先からまだ帰ってきていない。
久しぶりに娘と食事ができてうれしいと、彼は微笑んでくれた。
「申し訳ありません」
王太子妃を輩出するという名誉を、この家に与えることはできなかった。
私にはそれ以外にできることがないのに。
私の聖女としての力は、本当に微弱だ。
自分が育てた作物はよく育つが、飢饉が無ければ気が付かれないほど。飢饉が起こったとしても、私が育てる量などたかが知れていて、何の役にも立たない。
聖女なんてもてはやされても、出来ることなどないのだ。
優しくしてくれた彼らに名誉を与える。
この家で教育を受けていた最後の一年は、そのために頑張っていた。
「謝る必要はない。お前を蔑むものがいないように、権力でしっかりと守れるようにと考えた相手だ。――失敗だったが」
いつも穏やかなお父様が眉間に皺を刻む。
そうして、私の表情を見て、小さく首を振った。
「本当だ。チェルシー、お前がこの家に来てくれて、この家がどれだけ明るくなったか。ソフィアもダイナンも、お前がいたからこそ、立派に育った」
それこそ、とんでもない過大評価だ。
二人は、私がいてもいなくても、立派で素晴らしい人たちだ。
「最初から、こうしておけばよかった。うちの愚息――ダイナンと結婚してくれないか?」
目が飛び出るかと思った。
声よりも先に、震えながら必死で首を横に振った。
「だ、ダメです。そんな。私なんかが。私にはもったいない」
「ああ、チェルシー。良く聞きなさい」
低い声に促されて、お父様を見れば、彼は真面目な顔で真っ直ぐに私を見ていた。
「私が、娘が可愛いからというだけで、跡継ぎの妻を選ぶと思うかい?オルダマン侯爵家は、さすがにそんなに甘くない」
オルダマン侯爵家は、王族、公爵家に次ぐ有力貴族だ。
口出しをしてくる親族も多いし、領地は広大だ。それに伴う責任も、莫大なものとなる。
「どの家から令嬢を招いても、どこかが文句を言う。ダイナンは、それを黙らせる力を学んできてもらっている」
跡継ぎとしてふさわしく、彼はさらに立派になっているのだろう。
「だが、聖女を娶るとなれば、どの家も反対はしない」
思ってもみないことを言われて、私は目を瞬かせる。
「しかも、その力は豊穣の女神の力。領民からの指示は絶大だろう」
「こんなに微力な力が、ですか?」
「力の大きさなど、実際に見たわけじゃないから分からないよ。ただ、教会に認められた聖女という肩書は、オルダマン侯爵家にとって、有益だ」
肩をすくめて、聖女など崇拝の対象でいればいいのだと嘯く。
「3年前は王の命令でチェルシーを差し出したが、返してもらったのだ。もう文句は言わせない」
じわじわと、体温が上がっている気がする。
さっきとは別の意味で手が震える。
お父様は、そんな私を見てふっと視線を和らげて、聞いた。
――それで、ダイナンと結婚してもらえるかな?
ダイナンと結婚する。
『チェリー』
私を優しく呼ぶ声が思い出の中から鮮やかによみがえる。
お父様と同じ黒い髪と、深い海の底のような碧い瞳。
陽の光の中ではサファイアのように輝いて私のその美しい瞳に映してくれた。
温かくて大きな手を、もう一度取れる日が来るなんて。
それも、妹ではなく、妻としてだ。
私は浮かれていた。
これは、聖女だと教会に言われて、これからどんなに大切にされるのだろうとどきどきしたときの高揚感と似ている。
だからこそ、どこか、不安がつきまとう。
どこか、思っていたのと違う現実が待っているのではないかと、12歳の私が不安がっている。
「チェルシー様。もうすぐダイナン様がお帰りになるようですよ」
私がそわそわしているのを微笑ましそうに見ていたアナが、教えてくれる。
私とダイナンの結婚が決まって、お父様は、すぐにダイナンを呼び戻すために手紙を書いた。
今日、ダイナンが帰ってくるのだ。
「私、どこかおかしくない?大丈夫かしら?」
「まあ。もちろんですとも。どこから見ても完璧な淑女です」
完璧な淑女とまでは言いすぎだと思うが、彼女の優しさに、ほっと力が抜ける。
すると、階下が突然騒がしくなった。
大きな足音が、階段を上ってくる。
「ダイナン様!」
執事の慌てたような声が聞こえた。
「お兄様?」
さっきまでの緊張などより、喜びが勝る。
ああ、早く会いたい。
足音はお父様の部屋へ向かっている。
本来ならば、私は部屋で待っていて呼ばれるのを待つべきなのだろうが、待っていられない。
私が促すと、アナも心得たようでドアを開けてお父様の部屋へと向かわせてくれる。
私がダイナンの姿を見つけたのと、お父様の部屋のドアが乱暴に開けられるのは同時だった。
「父上!どういうことです!?」
明かな怒声に、私の足はピタリと止まった。
「どういうこと、とは?」
ドアが開け放たれたままなので、声がよく聞こえる。
きっと、聞かない方がいい内容だ。
それが分かるような、ダイナンの声だった。
「私は結婚などしないと言ったでしょう?」
喉が詰まって、息ができない。
ああ、どうして、ダイナンも結婚を了承してくれると思ったのだろう。
「事情が変わったのだ。だから、お前に結婚してもらおうと――」
「どんな事情が変わろうとも、私は、愛する人がいると言ったでしょう。私は、彼女以外と結婚する気はない」
心臓が、壊れてしまう。
こんなに、痛くて痛くて、それでも、私の心臓は止まってくれない。
「だから、話を聞け」
「ああ、何度も聞きましたよ。彼女を手に入れることはできないと。だからこそ、私は結婚しない。彼女が他の男のものになって、幸せそうに子供でも抱いていたら、本当に諦めて、後継のために若い女でも娶りますよ」
こんなに役立たずで、邪魔にしかならない私が。
「それまでは、私は決して彼女を諦めることはできません」
「いや、だから――」
大好きなダイナンの幸せを邪魔するようなことがあってはならないのに。
呼吸などできなくなればいい。
心臓をとめて、彼を縛り付けようとする私を殺して――。
「チェルシー様っ!?」
隣に立つアナが悲鳴を上げた。
「――チェリー?」
懐かしく私を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
昔と同じように、優しく呼ぶその声を聞かないように、私は逃げた。




