1-6:NDA
「えぬ、でぃー、えー?」
エルフは、きょとんとした顔でエイトのセリフを繰り返した。
「あ、ごめん。」
エイトは思わず頭を掻いた。
「俺の国の言葉で、お互いに相手の秘密を守る、という約束のことだよ。」
エイトはそう言うと、懐からチョークのようなものを出した。このフードをかぶっていた男は、都合のいいことに魔法陣を掻くための道具を持っていた。
ボス格の男も懐からこれを取り出していたし、奴らは全員これを持っているのかもしれないな。ということは、奴らは全員魔法陣が使えるのか?
ふと、エイトはそう思った。
・・・いやいや、そんなことを考えている場合じゃあない。
「ちょっとした訳があって、俺は他の人に知られては困る秘密があるんだ。一緒に行けば、その秘密を君が必ず知ってしまう。そうすると、その秘密を狙う連中が君を狙うことになるかもしれない。」
エイトはそこで言葉を区切って少女の反応を見る。彼女は、黙ったままエイトを見上げている。その表情に変化は見られなかった。
狙われるかもしれない、という言葉を聞いても、彼女は動揺しなかった。それを見て、エイトは言葉を続けた。
「この契約をしておけば、君が俺の秘密を知ってしまったとしても、まるで何も知らないかのように、他の人に対して振舞えるようになる。」
そこまで聞いて、エルフは少し首を傾げた。
「知っているのに、知らないふりができる、ということですか?」
エイトは頷いた。
「だいたいあってるよ。でも、知らないふりではなくて、他の人の前では「完全に忘れてしまった」状態になるんだ。知らないことは話せない。知っていて隠そうとするのとは違うんだ。もちろん、君の秘密を俺が知った時も同じだ。」
真面目に説明するエイトを見て、エルフは小首を傾げていたが、すぐに納得したような顔になった。
「分かりました。とにかく秘密は守る、ということですね。私、約束します。」
そういうと、エルフはじっとエイトを見た。
「・・・ありがとう、話が早くて助かるよ。」
少女の純粋でまっすぐな眼差しを受けて、エイトは思わず目線を逸らしたくなった。言っていること自体は本当だが、言っていないことがあるからだ。
エイトの勇者スキルには「多くの人に知られる」ことで弱体化するという、大きな弱点があった。
もちろん、仮にこの少女がスキルの秘密を知ったとして、他人に積極的に話して回るとは思っていない。しかし、自分から話さないにしても、言葉の端から漏れてしまうこともある。思考を読みだすスキルや魔法で、読み取られる可能性もある。そうしたリスクは、できるだけ潰しておきたい。
逆に言えば、NDAさえ結んでおけば、彼女の前ではスキルを制限なく使うことができる。それは、彼女を守るためにもメリットになるし、そもそも彼女にはデメリットはないはずだ。もともとNDAというスキルをわざわざ創作したのも、このような場合を想定してのことだったはずだ。
エイトは、そうやって自分の心に何とか整理をつけた。
「よし、少し待ってくれ。」
そういうと、エイトは洗浄魔法で綺麗になった牢の地面に、取り出したチョークのようなもので手早く魔法陣を描いていく。その早さは、転移のための魔法陣を描いていた、ボス格の男に勝るとも劣らないほどだ。
エルフの少女は、エイトの手際のいい魔法陣の構築の様子をみて、蒼い目を大きく見開いた。
「すごいんですね。こんなに難しそうな模様をすらすらと描けるなんて。」
それは、少女の正直な感想のようだった。
「昔、仕事でこういうことをやっていて・・・」
あまりにエルフが驚いた顔をするので、何か言い訳をしようとしたが、エイトは途中で口をつぐむ。
こちらの世界の魔法陣の構築は、プログラムを書くのとよく似ている。自分は元の世界でITエンジニアをやっていたから、その手の作業は得意とするところだ。キーボードを打つのと、チョークで描く部分はだいぶん違ってはいるが、そこさえ慣れてしまえばやること自体は大差ない。そう言おうとしたのだ。しかし、そんな説明がこの世界のエルフの少女に通じるとは思えなかった。
・・・何を言おうとしてるんだ。いつも、技術的な単語を並べたどうでもいい言い訳をして、女の子たちをドン引きさせてきたことを忘れたのか、俺!
心の動揺を隠すように、エイトは魔法陣を書き上げることに没頭した。数分もかからず魔法陣は完成した。
最後に、魔法陣に名前を書き込もうとして、エイトは自分が名乗っていないことにようやく気が付いた。
「俺の名前はヒラツカ、エイト。苗字がヒラツカ、名前がエイトだ。知り合いにはエイトと呼ばれていた。名乗るのが遅くなって申し訳ない。」
改めててそういうと、エイトは軽く頭を下げる。
「私はミリエンヌと言います。エイトさんのような、苗字はないです。」
エイトが名乗るのを聞いて、エルフの少女はすこしだけ居住まいを正した。
「こちらこそ、助けてもらったのに、名前も言わずにすみません。」
ミリエンヌと名乗ったエルフの少女は、そういうと、ちょこんと頭を下げた。その仕草の可愛らしさを見て、エイトは顔がにやけそうになるのを咳払いでごまかしつつ、ミリエンヌの名前を魔法陣に描きこむ。
「あー、じゃあ魔法陣を発動させるから、そっちの端を触ってもらえるかな。」
エイトは、最後に少女の名前を描き込んだ場所を指さすと、ミリエンヌは言われる通りにその場所に両手を置いた。エイトはそれを見て、自分の名前を描いた場所に右手を添えて、スキルを発動した。
「エヌ、ディー、エー」
魔法陣が輝くと同時に、エイトとミリエンヌの二人も淡い光に包まれていく。
このスキル「NDA」は、エイトがオリジナルで開発したものだ。この世界では、スキルを新たに作り出すと、自分で名前を付けられるらしい。初めて使ったときに、これってNDAじゃね?と思って口に出したのが運の尽き、本当にNDAというスキル名になってしまった。
二人を覆った光はすぐに消え、それと同時に魔法陣も綺麗さっぱり消滅した。
「立てるかい?」
エルフはゆっくり立ち上がった。
「大丈夫です。」
足元のふらつきもないようだ。
・・・これで後顧の憂いはないな。
さっそくエイトは倒れている男たちに手をかざし、何やらスキルを使う。フードの男たちは倒れたまま、スキルの発動にあわせてぼんやりと光った。
「少しだけ記憶を書き換えだ。時間稼ぎにはなるだろう。」
エイトはそういうと、床に置いてあった灯の魔道具を拾い上げて、ミリエンヌに渡した。
「この地下牢の下に水路がある。そこから街の外に出る。」
エイトは廊下に倒れている男が持っていた灯をとりあげ、それを持って水路へ続く階段を降りていった。
再び、ざああっという水の音が聞こえはじめた。ミリエンヌはエイトに遅れまいと階段を降りてくる。
「探索」
エイトは目を閉じると、探索スキルを使って水路の構造を再確認しはじめた。フードの一味に化けて歩いている間に、水路の構造は探査スキルでおおむね把握していた。その時に把握した構造に間違いがないか、また水路の中に他人の気配がないか、探査スキルを使って慎重に調べていく。
・・・フードの連中はいないようだな。
「ごめん、また頭を触るよ。」
エイトは、自分のすぐ後ろにいるミリエンヌの頭に手を伸ばした。今度は少女も怯むことなく、エイトになされるがままに頭を触れさせる。少女の背丈は、エイトより頭ひとつほど低かった。見た目の年齢に比べると背丈が低いとは思ったが、あくまで人間基準というか日本人基準なので、エルフにとっては普通の背丈なのかもしれない。
「自動誘導」
エイトの手が光り、それにつられるようにミリエンヌの頭も薄い光におおわれる。ミリエンヌは反射的に目をつむった。
「これは道案内のスキルなんだ。もし俺とはぐれてしまっても、出口までの道が分かるようになっている。矢印が見えいるか?」
ミリエンヌがゆっくり目を開けると、目の前にぼんやりと二つの矢印があるように見える。赤と青の二つの矢印があり、赤い矢印はエイトを指している。一方の青い矢印は、左の方角を指していた。
「赤は俺の位置を、青は出口の位置を指しているんだ。通路もみてごらん。」
ミリエンヌはそういわれて、灯に照らされた水路脇の通路を見る。すると、通路の一部がぼんやりと黄色く縁取りされたように浮かび上がって見えた。
二人は通路を速足でかけていく。エイトは油断なく周囲を探索しながら、ミリエンヌが離れないように歩く速度を調子しながら進んでいった。
10分ほど進んだところで、大きな池のある場所にでる。真ん中には石碑のようなものがある。石碑の上から水があふれだし、これが地上にあれば、日本でいうところの大きな公園の中央にある、噴水がついた広間みたいな場所にみえることだろう。
四方から水が滝のように流れ落ちていて、中央は大きな池のようになっている。池の中央に、小さな小島のようなものがあり、そこに石碑のようなものが建っているのがみえる。
「ん?」
何かの気配を感じて、エイトは周囲を探索しなおす。生き物の気配はない。しかし、何かが動いた気がする。ざあああという滝の音が広間に響くが、それ以外の音は聞こえない。
「気のせいか。」
池のある広間の反対側には、灯に照らされて水路のない通路が続いているのぼんやりと見える。その向こうには僅かだが、灯のようなものが見える。誘導スキルの矢印は、その通路のほうを向いていた。
「・・・問題なさそうだな。」
エイトは探査スキルを使って通路の先まで危険がないかを確認する。自分に害意を持つような生物や、罠は見つかなかった。
通路の先は外に繋がっているようだが、エイトのいまの探査スキルでは、詳しいことはわかない。
・・・ま、行ってみれば分かるだろう。
エイトは軽い気持ちで足を踏み出した。ミリエンヌが遅れまいと後に続く。
その時だった。
「え!?」
突然、ミリエンヌの足元に光が輝き出す。
「!?」
エイトはとっさにミリエンヌの手を掴んで引き寄せようとした。しかし、その光はミリエンヌを中心に広間全体を覆うほどに広がった。
「魔法陣!?」
一瞬だが、エイトには光の筋が複雑な文様を描いたように見えた。
唐突に、二人の視界が光に包まれる。
「転送魔法か!?」
気が付くと、二人はぼんやりと青白く光る、だだっ広い円形のドームのような場所の真ん中にいた。不気味なほどに静かで、何の音もしない。探査スキルでざっと調べた限りでは、ドームは完全に閉じていて、どこにも出入口がない。
自動誘導スキルで表示されていた赤い矢印も消えている。おそらく、水路から遠い場所のどこかに飛ばされたのだ。
「罠か・・・」
エイトは、掴んでいるミリエンヌの手が小刻みに震えていることに気が付いた。ミリエンヌに声をかけようと振り向くと、ミリエンヌはドームの壁のほうを凝視している。
その時には、エイトの目にもドームの周囲の壁に、ゆっくりと無数の赤い光の点が浮かび上がるのが見えはじめていた。赤い光源に、大量の魔力が急速に集中していくのを感じる。
「これは、全力でいかないとヤバイかもな・・・」
エイトは、無意識のうちに身構えていた。