1-3:予期せぬトラブル(上)
気が付いた時には、すでにエイトは囲まれていた。
狭い路地の前後を、黒いフードですっぽりと身を覆った連中にふさがれている。左右は石造りの建物だ。一見して逃げ場はない。
「誰だ!」
エイトは正面のフードの人物に向かって叫んだ。答えはなく、正面の二人は同時にエイトに切りかかってきた。
「身体強化」
エイトはすばやく自身に身体強化のスキルを使う。そして、切りかかってきた二人の襲撃者の攻撃を難なくいなした。
その直後、今度は上から何かが飛んできた。エイトは反射的に短剣でそれを弾く。キン、と金属的な音がして、石畳の上に何か尖ったものが転がるのが見えた。
上にもいるのか。
「探索」
探索スキルで頭上を確認すると、3m以上ある建物の屋根の上にも、黒いフードを被った人物の気配があることが分かった。
「・・・ほう、意外に歯ごたえがあるな。少しは楽しめそうだ。」
正面の一番奥にいるフードの人物が、エイトの動きを見てそう呟くのが聞こえた。
低い声と、体格からして男のようだ。騎士団長ほどではないにしても、エイトよりは良い体格をしている。身体強化抜きで純粋な力比べをしたら、エイトに勝ち目がなさそうだ。他の襲撃者に比べても、明らかに身のこなしが洗練されている。明らかに、こいつがボスだ。
「失礼ながら、お名前を伺えますでしょうか。私のことはご存じのようなので、自己紹介は省略させていただきます。」
エイトは周囲への警戒を緩めることなく、わざと慇懃にそう言った。
「・・・随分と余裕があるな。」
ボス格の男は、エイトの問いかけには答えなかった。返答の代わりなのか、エイトの前後にいる二人が今度は同時に切りかかってくる。
エイトはぎりぎりのところで身をかわす。空を切った襲撃者の剣が、石壁にあたって火花を散らした。
「ぐはっ」
直後、一人の男の胸を、エイトの短剣が貫いていた。一瞬、襲撃者たちの動きがとまる。
しかし、その時間はごくわずかだった。エイトが動くより早く、背後からもう一人の襲撃者がエイトめがけて剣を振り下ろす。
その剣先が、エイトの背中を切り裂いた・・・かのように見えたが、そこにはエイトの姿はなかった。
エイトは転がるようにして、襲撃者の剣をよけると、倒された襲撃者の剣をいつのまにか掴んでいた。
そのまま、エイトは剣をどこへとなく投げつける。
・・・どさっ
屋根の上からエイトを狙っていた襲撃者が、路地の上に落ちて大きな音を立てた。
わずかな時間の間に2人も仲間を失い、さすがの襲撃者にも怯む様子が見て取れた。その一瞬の隙をつき、エイトは短剣を引き抜いて再び構える。
6対1という圧倒的に降りな状況にもかかわらず、エイトの動きには焦りが見られない。今までのところ、最小限の動きで、最大の効果を上げていた。
「なるほど、レオポルドのいう通り、王宮の連中はこやつを侮りすぎていたのかもしれん。」
ボス格の男が、関心したようにそういう。エイトは、聞き覚えのある名前を耳にして、わずかに眉をひそめた。油断なく短剣を構えたまま、ボス格の男のほうを見る。
「・・・騎士団長のお知り合いですかね。」
激しい動きをしているにもかかわらず、そう言うエイトは少しも息が乱れていない。エイトの動きには、明らかに余裕がある。エイトには、ボス格の男の表情はフードに隠れて読み取れなかったが、わずかばかり頭が動いているのが分かった。何か、感じるところがあったのだろう。
「奴には因縁がある。」
ボス格の男は、そう短く答える。
返答があると予想していなかったエイトは、少しだけ目を見開いた。しかし、その言い方からすれば、レオポルドが襲撃を命令したことはないのだろう、という推測をすることはできた。
「では、騎士団長に免じて、このあたりで引き上げていただけませんか。」
「・・・面白い奴だな。」
そういうと、これまで一歩も動かなかったボス格の男が、ゆっくりと剣を抜く。
「残念だが、貴様を見逃すことはできなくなった。」
「そうですか。それは残念です。」
まずいな。
口先では余裕をかましてみたが、内心では焦りがはしる。
他の連中は、束になってかかってきても、少しも負ける気はしなかった、しかし、こいつは強い。ひっそり使ってみた、鑑定レベル5のスキルは、やすやすと相手に弾かれてしまった。エイトの鑑定スキルを弾く存在など、魔族でもそうそういない。
勇者スキルをもたないエイトが勝てるかどうか、正直なところ自信がない。
一か月後なら勝てたと思うんだけどなあ・・・
つくづく、何の用意もなく解雇されてしまったことが恨めしい。いや、解雇されること自体はいいんだけどね。ただ、何ごとも準備ってものが必要でしょ? 心の準備とか・・・
「手は出すな。」
ボス格の男がそう言った直後、エイトの目の前を剣先が通過した。エイトのフードにわずかな裂け目が走る。
「うおっ!」
思わず声が出る。剣先はかろうじて避けられたものの、わずかでも反応が遅れていれば、エイトの頭と胴体は今生の別れを告げているところだった。
・・・だから心の準備がまだだっつーの!
「瞬動」
キーン!
瞬動スキルで一瞬のうちに距離をつけてきた男の剣を、エイトの短剣が弾く。
「ぐっ」
エイトは気圧されて、半歩ほど後ろに下がる。
相手の素早さに対抗するため、エイトは身体強化を素早さに全振りして、限界までかさ上げしていた。そのことで、先よりは少し余裕をもって受け止めることができた。
しかし、素早さをあげるためにスキルを使ってしまっているため、力や防御力といったパラメータの底上げができていない。剣は受けきれたものの、相手との力の差に負けて、わずかではあるが押し込まれてしまった。
「ふむ、そういうことか。」
わずが数合の打ち合いだけで、男は何かに気が付いたようだった。
「部分強化」
男の呟き、というには大きすぎる声が聞こえた。わざと、何のスキルを使ったかわかるように言ったようだ。部分強化は、片腕や片足など、身体の能力を一時的に高めるスキルだ。部分的にしか強化できない代わりに、強化度合が強い。
まずいなあ・・・
男は、エイトの実力を正確に把握して、対策を講じてきているようだった。
キーン!
再び、男の剣をエイトが弾く。しかし、先ほどよりも押し込まれる距離が大きくなった。どうやら、素早さはエイトが若干上回っているが、筋力のパラメータでは男のほうに軍配が上がるようだった。
キーン!キーン!
エイトは相手の剣筋を見切り、着実に短剣でさばいていく。しかし、わずかな力の差によって、次第に路地際に追い詰められていった。
筋力の差だけでなく、短剣と片手剣のリーチの差も、地味ながらエイトに不利をもたらしていた。男との素早さが拮抗しているエイトは、リーチの差を覆して男の懐に飛び込むことはできない。このままでは、一方的に押し込まれるだけだ。
・・・まじでやばいんじゃね??
エイトの額に汗がにじみ出す。
キーン!キーン!
彼の目の前で火花が散る。
・・・まさか、ここで死ぬのか?
こんな、異世界のこの暗い路地裏で?
誰にも邪魔されない、念願のスローライフを送るために、あれだけ用意をしてきたのに。
彼には、元の世界にさして良い思い出はない。
青春時代は、思い出したくないことばかりだ。大学を出て就職した会社はすぐ倒産し、どうにか入れた会社はブラック企業。そこからから脱出したと思ったらブラック王国に飛び込んでいた。
そして、今度こそ自由を得たと思えばすぐに襲撃者に襲われて、今はまさに絶体絶命の大ピンチだ。
・・・ああ、こんなことなら、あのとき、パルディア王女からの誘惑に負けておくんだったなあ・・・
「なかなか楽しませてもらったよ。」
勝ち誇ったような男の声が、エイトを現実に引き戻す。
エイトには、もはや後がなかった。ボス格の男に押され、完全に壁に追い詰められていた。逃げ場はない。黒いフードの奥に、口角を上げる中年の男の顔が見えた、ような気がした。
「死ね!」
男の剣がエイトを襲う。
今度は避けられない。
・・・だめか!
「位置交換」
エイトは無意識のうちにスキルを使っていた。いや、使ったつもりだった。
失ったはずの勇者スキルを。
男の剣先がうなる。その切っ先は、エイトの首を確実に捉えていた。
「・・・っ!」
エイトは短剣で防ごうとする。剣先は捉えてはいたが、それを押し戻すだけの力が足りない。
・・・斬られる!
そう思った瞬間だった。
「・・・な!?」
男が驚愕の声をあげた。
キーン!
男の剣は、何もない空間を切り裂き、背後の石壁にぶつかって火花を散らした。そこにエイトの姿はなかった。
「!?」
男がただならぬ気配を感じて振り向く。
そこにエイトはいた。
何が起こったか全く分からない、というように男の目が大きく開く。
その瞳は、フードの奥に隠れてエイトからは見えてはいない。しかし、男の握る剣先がわずかに震えていることから、かなりの動揺が走っただろうことだけは、エイトにも感じられた。
・・・あれ、俺、今何かした?
「何をしたーー!?!?」
・・・えっと、それは俺が聞きたいんだけど。
叫ぶ男を目の前に、エイトは再びスキルを使った。
今度は自分から。
意識的に。
余裕をもって。
男は間髪いれず、エイトに斬りかかる。しかし、結果は同じだった。剣を振りぬいた背後にエイトがいる。
どん、と男の背中を蹴とばすエイト。ボス格の男は、たまらず石畳の上を転がる。
それを見て、エイトは満面の笑みを浮かべる。
「なーんだ。」
エイトは確信した。
・・・使えるじゃないか、勇者スキル!