2-1:護衛の牙狼族
旅の商人の馬車が三台、王都から辺境伯領へと向かっていた。
その馬車隊は、通称「西の森」と呼ばれる、王都の西にある大きな森の中央を貫く街道を進んでいる。
「暇だな・・・」
先頭の荷馬車の御者台で、周囲を警戒している体格の良い若い獣人の男がつぶやいた。
男の顔は人族のそれと大差なかったが、狼のように頭の上から飛び出している、ふさふさとした銀色の毛の生えた耳と、同じくふさふさした毛の生えた尻尾が、獣人であることを主張していた。
「暇でいいじゃんか。楽な仕事でさよぉ。」
その呟きに答えたのは、荷馬車の中に寝転がっている、やや小柄な若い獣人の男だ。こちらはまだ少年と言ってもいい。顔の輪郭にわずかながら幼さが残っていた。その少年にも、濃い茶色の毛の生えた耳と尻尾がある。
「おい、マティアス、真面目に仕事してるのか?」
銀髪の獣人が、荷台に向かって声をかける。
「してるぜ兄貴。たまーに探索はしてる。何も見つからねえけどな。」
マティアスと呼ばれれた少年は、そう言いながらも、寝転がって目を閉じたままだ。
「いつものことだが、探索スキル持ちのお前の役割は重要だ。油断するなよ。」
「わかってるって、ジルベール兄貴。でも、そうは言ってもよぉ。この森は魔物も弱ぇし、ごろつき連中は騎士団にやられてちまって、ろくな敵がいねえと言うじゃねえか。いったい、何を警戒してるんだ?」
少年は面倒くさそうに、ごろんと寝返りをうった。そうして、狼のようなふさふさとした尻尾をぱたぱたと揺らす。その仕草がどこか幼い。
「わざわざ俺たちを護衛につけるくらいだ。何か理由があるんだろう。」
ジルベールと呼ばれた若い男は、そう言いながら隣に座っている御者の商人のほうを見た。
「私も、危険はないと思っているのですが・・・クラヴィウス様は用心深いお方ですので。」
ジルベールの隣に座っている、御者台の商人の男がそう答えた。
クラヴィウスというのは、後ろの馬車に乗っている少年のことだ。マティアスたちを雇った人物でもある。見た目には10歳くらいの少年にしか見えなかったが、非常に落ち着いた雰囲気を感じる人物だ。大人の商人たちは皆、その少年の指示に従って動いている。
「まあ、楽でいいんだけどよぉ。毎日寝てるだけだし。」
「気は抜くなよ。」
「はいはい、わかってるって、兄貴。あ・・・」
マティアスの耳がぴくっと動いた。
「どうした?」
「姉ちゃんら、何か食い始めたぞ。何食ってんだあいつら。」
「・・・コレットの奴。」
ジルベールが顔に手を当てる。
「あー!俺も何かくいてーっ。肉とか!」
「さっき、飯は食ったばかりだろ。」
ジルベールは、やれやれというように首を振った。
その頃、最後尾の荷馬車では、二人の獣人の乙女二人が、美味しそうに焼き菓子を食べていた。
「いいんですか、本当にいただいても?」
そういいながら、喜々として菓子を頬張るのは、淡い黄色の毛の生えた耳と尻尾をもつ、獣人の若い女だ。かなり若くは見えるが、すらりと背が高く、体つきも大人のそれだ。
「コレット姉様、お行儀が悪いですよ。」
年長の獣人をたしなめつつも、はむはむと菓子を味わうように食べるのは、灰色の耳と尻尾のある少女だ。こちらは、コレットと呼ばれた獣人に比べるとかなり背が低い。一見するとかなり幼くも見えるが、その立ち振る舞いは、年上に見えるコレットよりも落ち着いて見える。
「何をいってるの、ヴァレリー。こんな美味しいお菓子、辺境じゃ絶対食べられないよ?」
コレットと呼ばれた若い女の獣人は、菓子を食べる手は緩めない。
「それは同意します。ですが、私たちを雇っていただいている方の前ですから、お行儀はよくしなければなりません。」
ヴァレリーと呼ばれた獣人の少女は、そういって年上のコレットを窘める。しかし、言葉とは裏腹に、彼女の目は焼き菓子に釘付けだった。
「ははは、宜しいのですよ。王都での試食用に作ったものの余りですから。残しておいても、悪くなるだけです。」
御者台に座る中年の商人の男が、振り返りながら、二人に遠慮なく食べるようにと促す。
「恐れ入ります。」
それを聞いて、ヴァレットは商人に向かってぺこりと頭を下げると、遠慮なく焼き菓子に手を伸ばした。
「ヴァレリー、あなた、本当にしっかりしてるわね・・・。」
「私は普通です。コレット姉様がいい加減すぎるのです。」
そういいながら、ヴァレリーは小箱の中から焼き菓子をひとつ選び、つまみ出す。
「あーっ!それは私が食べようとしてたのに!」
「姉様はもう二つも食べたではないですか。これは当然、私のものです。」
ヴァレリーは菓子を持った手を、すすっとコレットから遠いほうへと動かした。
「ちょっと!年長者には譲るのが牙狼族の掟でしょ!」
「姉様がそれを言いますか。掟を守らずおじい様に怒られていたのは姉様です。いつも私は巻き込まれて、いい迷惑でしたよ。」
そういいながら、少女は躊躇なく菓子にかぶりついた。
「ひっどーい、ヴァルのいけずーっ!!」
「ははは、お仲がよろしいのですね。」
その様子を横目に見ていた御者台の商人は、笑いながらそう言った。
「いえいえ、出来のいい妹を持つと、苦労が多くて大変なんですよ。」
「苦労が多いのは、私のほうですっ!」
間髪入れずにヴァレリーが反論する。それを聞いて、コレットがはあっと息を吐き、商人は二人の様子をみて再び「ははは」と笑う。
嘆くコレットをよそ目に、菓子でぷっくりと膨れたヴァレリーの頬は、満足そうにゆっくりと動いていた。
冬の季節からも遠ざかり、王国はまもなく夏にさしかかろうかという時期だった。あたたかな日差しと、荷台に流れ込むさわやかな風、そして馬車の規則的な揺れが、獣人たちの眠気を誘う。
「おい、起きてるのか?」
ジルベールはそう言いながら、振り返ってマティアスを見る。
「・・・お、起きてるに決まってるだろ!」
そう答えるマティアスの尻尾が、一瞬ピクンと動くのが見えた。
「返答に間があったぞ。本当に探索してるんだろうな。」
「ちっ!探索してるに決まってるだろ!だいたい、どうせ探索したって・・・ん?」
そこまで言うと、マティアスは突然その場に起き上がった。
「なんだ、どうした?」
「・・・何か来る。森の中から。右側だ。」
「敵か?」
「わからねえ。でも、魔素の匂いがする。」
「魔素だと? 魔物か。」
ジルベールは森の中を睨む。しかし、彼の目には森の木々しか見えない。
「5匹以上はいる。」
「馬車を停めてくれ。」
ジルベールが指示すると、馬のいななきと共に馬車がとまった。
そこは森が少し開けた小高い丘の上のような場所で、ちょっとした広間のようになっていた。少しでも戦闘を有利にするために、ジルベールは見通しのよい場所を選んで停めさせたのだ。
「グレーターベアぺぇな。中くらいのやつ。見えるのはそれだけだ。」
マティアスはそう言いながら、荷台に置いてあった彼の弓を手に取った。
「グレーターベアだと!?何故こんなところに。」
マティアスが探索で得た情報を聞いて、ジルベールは首をかしげる。グレーターベアーは巨大な熊のような魔物だ。魔素に侵された熊が、グレーターベアになると言われている。
このあたりの森でも出現する魔物ではあるが、かなり強いほうだ。それが、何頭も同時に襲ってくるというのは、ただごとではない。
ジルベールは、馬車を降りると背中に、背負っていた盾と斧を構える。
「何かあったの?」
後ろの馬車からコレットが顔を出して、大声で言うのが聞こえた。彼女の手にはすでに細身の剣が握られている。
「右前からグレーターベアーが来る。5匹ほどだ。ヴァレリーは馬車を守れ。俺とマティアスは前を守る。コレットは後ろに行ったグレーターベアを倒せ。」
「グレーターベアー?了解!!」
コレットはグレーターベアーという単語を聞いて一瞬眉をひそめたが、すぐに冷静な表情に戻った。そして彼女は、荷馬車から降りて、真ん中の二人乗り馬車に近づいていく。
すると、その馬車の窓があいて、黒い髪に白髪が混じる壮年の男が厳つい顔をのぞかせた。獣人のジルベールよりもさらに体格が大きいように見えるその男は、険しい目つきでコレットのほうを見た。
「何かありましたか。」
男は、言葉少なに彼女に尋ねた。
「敵襲です。おそらく魔物かと。しかし、ご安心ください。私たちで問題なく撃退できます。馬車は結界で守るので安全です。そのまま、動かないでいただけますか。」
彼女は、極めて落ち着いた様子でそう答えた。菓子を食べていたときとは全くの別人のようだ。
「任せて宜しいでしょうか。」
「もちろんです。カルディーノ様。」
そう答えると、カルディーノと呼ばれた壮年の男は、馬車の窓を閉めた。
「ヴァル、結界をお願い。」
「はい、お姉様。」
コレットの指示を受けるとほぼ同時に、ヴァレリーは杖のようなものをかざした。
「防御結界」
彼女がそうつぶやくと、青白い壁のようなものが、三台の馬車の周りを包んだ。
「これが結界ですか・・・。」
お菓子を彼女たちに勧めていた商人が、ヴァレリーのいる馬車の御者台で、感心したように青白い光の壁を眺めている。
「この壁がある限り、私たちに敵意を持っている者は、入ってこれません。ご安心ください。」
コレットはそう言いながらも、剣を構えて周囲を警戒する。
「見事ですね。このようなスキル、初めて拝見しました。さすがはクラヴィウス様が直々に指名された冒険者の方々です。」
商人がそう言い終わる前に、右前の木々の間から、大きな灰色の動物のような影が出てくるのが見えた。
「来たぞ。油断するなよ!」
ジルベールが盾を構えながら大声で言う。
「おうよ!」「もちろん!」「当然です。」
マティアス、コレット、ヴァレリーがそれぞれに応じる。
その直後、グレーターベアと牙狼族四兄弟との戦いが始まった。




