閑話:王都の夜(下)
もともとヘルマンは、召喚直後から元勇者に不信感を抱いていた。
奴はとにかく口を開かない。自らについて、ほとんど話さない。常に、他人を避けているように見えた。そして、王国やこの世界の伝統を尊重し、順応しようとする姿勢も見られなかった。
たとえば、スキルの訓練や戦闘訓練について、王国の伝統的な手法を完全に拒絶した。そうしておいて、自己流の訓練のみでスキルレベルを上げたのだ。驚いた周囲が、スキルの鍛錬方法について尋ねたが「異世界人以外にはできない方法だ」と答えるのみで、全く方法を説明しなかった。これは、大いに周囲の不信感を高めた。
さらには、騎士団と魔物の掃討作戦に出た時も、勇者はほとんど単独行動を行ない、騎士団との協力を拒んだ。そして魔物の残骸を手にして戻り、「多数の魔物を倒した」と奴は言い張ったのだ。しかし、奴が魔物と戦うところを見た者はほとんどいなかったので、誰も奴の言い分を信じなかった。
おそらく元勇者は、実際にはほとんど戦わず、魔物の残骸のみを集めていたのだろう。さして強くもない勇者が、それほど数の魔物を倒せるとは、ヘルマンには到底思えなかったからだ。
・・・実力の無い者が、姑息な手段で実績を誇示しようとするとは、なんと浅ましい。
こうした様々な事柄が積み重なり、ヘルマンの元勇者に対する不信感は、やがて嫌悪感に変わっていった。
「あの、ヘルマン様。」
フードの男が、口を開かないヘルマンの様子を見て、恐る恐る声を掛けた。
「何だ?」
思考を中断されたことで、やや不機嫌そうにヘルマンが答える。
「お、恐れながら、勇者契約を解除する前に排除しなかったことには、何か理由があるのでしょうか。」
「ほう、というと?」
ヘルマンはフードの男のその言葉を聞いて、ゆっくりと顔を上げた。
「元勇者様には、束縛の呪いが掛かっていると伺っておりました。その呪いがある限り、元勇者様は王国に逆らえません。勇者契約を解除すると、その呪いも解けるのではありませんか。」
「つまり、契約を解除する前なら、抵抗されることなく簡単に排除できた、と。」
「ご推察の通りにございます。」
フードの男は深々と頭を下げてそう言った。
「ふむ」
ヘルマンは考える。
確かに、この男のいう通りではある。勇者を手名付ける『念入りな対策』の一つが、この男の言うところの『束縛の呪い』だ。束縛の呪いと、勇者が召喚者の命令に背けなくなるというものだ。
つまり、呪いがかかっている限り、召喚者である第三王女パルディアの命令には、勇者は必ず従うしかない。たとえば、勇者に抵抗しないよう命じてから害すれば、勇者を容易に排除することができるだろう。
実際、過去にはそのような方法で勇者が『処分』されたこともあると聞く。
だが・・・
「あの王女が、その命令を聞くとも思えぬ。」
王女は、勇者の召喚前は、王宮内では迫害に近い扱いを受けていたのだ。それが勇者を召喚したことにより、大きく立場が変わった。その、自らの立場を強化する要因である勇者を、処分するように命じたとして、はたして素直にその命を聞くであろうか。
逆に、王女が元勇者に命じて反乱を起こしたとしても、ヘルマンは驚かないだろう。
奴も、それが自業自得であるとはいえ、王宮で冷遇されていたという点では、王女との共通点がある。そのこともあってか、元勇者もパルディア王女とだけは、ある程度の信頼関係を築いていたようだ。元勇者は、自らすすんで王女に助力する可能性すらある。
「あの王女が召喚者でなければな。」
ヘルマンは呟くように言った。
仮にエイギス王子が召喚したのであれば、元勇者に直接命令を下して排除することは、極めて容易であっただろう。
よりによって、あの王女が召喚に成功してしまうとは。これでは『対策』の意味がない。
「・・・忌々しい」
ヘルマンの怒気を含む呟きを聞いて、フードの男は瞬時に深々と頭を下げる。そして、それ以上の意見をすることはなかった。
王女が勇者の制御に使えない以上、勇者を処分する日が来る可能性については、ヘルマンも考慮していた。その時のためにも、元勇者の実力については、ヘルマンは常に情報収集を欠かさなかった。
命令を受けた時点の情報では、自分の実力は元勇者を大きく上回っていた。勇者の剣と盾を取り上げられてしまえば、ヘルマンが勇者に負ける可能性など万に一つもないと思えた。そういう意味では、解雇してから排除するという、王宮の判断は間違っていなかったと言える。
事実、戦闘ではヘルマンの力が元勇者に勝り、もう一息で倒せるところまで追い詰めることができたのだ。
しかし、そこで予想外のことが起きた。
奴は突如として未知の能力を使い、ヘルマンの攻撃を回避したのだ。
・・・転位スキルか?
ヘルマンは、当時の状況を思い起こす。
転位スキルは、一瞬にして自分を離れた場所に移動させることができる、非常に珍しいスキルだ。王国でも使えるのは魔導師団長しかいない。
だが、ヘルマンの知る限り、転位は一瞬でできるものではなかった。スキルが発動すると、まず転位対象が小さい光の粒の集合体に変化する。その光の粒が、順番に転位元から転移先に「瞬時に」移動する。すべての粒が移動し終わると、それらの粒が集結して元の物体に戻る。
これらの過程に要する時間は1秒にも満たないほどではある。しかし、それでも瞬時に移動するわけではない。わずかな隙がある。
ところが、元勇者は本当に「一瞬で」移動した。つまり、ヘルマンの知る「転位スキル」とは挙動が異なる。転位とは違うスキルなのか、あるいは、同じ転位スキルでも、より高位のレベルなのか。
解約直前に大司教が行った元勇者の鑑定によれば、既知のスキルがレベル5のまま止まっているという状態から、何ら変化はなかったそうだ。もちろん、転位スキルなど無い。
「ううむ。」
ヘルマンは唸る。
机を叩く指の速度が、無意識のうちに上がっていく。
長年の戦闘経験から、直感でヘルマンは元勇者に何らかの秘密があると感じていた。しかし、それが何なのかについては、皆目見当がつかない。
そもそも、奴はもう死んでいるのだ。謎を、確かめる方法すらない。
だが・・・
「念のため、パルディア王女の監視を強化せよ。何らかの動きがあるかやもしれぬ。」
「はっ」
もし、奴に関して何かが起こるとすれば、それに王女が関与する可能性は非常に高い。ならば、王女を見張ることが、今できる最善の行動であろう。無論、杞憂に終わるかもしれないが、油断はできない。ヘルマンの勘が、自身にそう告げていた。
「下がれ」
その言葉を聞いた瞬間、灰色のフードの男は一礼すると、ヘルマンの執務室を逃げるように出ていった。
蝋燭の炎が静かにゆらめく。
扉が閉まると、ヘルマンは椅子からゆっくり立ち上がった。そして、自身の執務室の窓から、すっかりと日が落ちた王宮の中庭を見下ろした。
ちょうどエイギス第二王子の一行が、中庭の回廊を歩いていくのが見えた。そして回廊の反対側には、白い法衣を纏った大司教と、それに付き従う何人かの人影が現れた。回廊の途中で双方が出会うと、そこで会話が始まったようだ。もちろん、この距離では話している内容は聞こえてこない。
一見、王子と大司教が回廊で偶然出会ったようにも見える。しかし、もちろんヘルマンはそうは思わなかった。何らかの意図があってのことに違いない。
「なるほど、調整は順調のようだ。」
ヘルマンは呟く。そして、王子のすぐ横にいる、痩身の黒髪の男を遠目にじっと見た。王子と大司教が会話している横で、まったく表情もかえず、身じろぎひとつしない。
そうして大司教が、別れ際に少しだけ黒髪の男に何か声をかけると、男はわずかに頭を下げた。王子が黒髪の男に何か言ったようだが、大司教は「気にしないように」という様子で軽く手を振る。
「真の勇者、か」
ヘルマンのその言葉には、僅かではあるが、嘲るような響きが含まれていた。
「精々、踊るがいい。」
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次話から2章になります。




