閑話:王都の夜(上)
「なに、あのエルフが地下牢から逃亡した、だと?」
灰色のフードを被った男の報告を聞いて、黒いフードを被った体格の良い男が頭を上げた。その動きで、机の上の蝋燭の光が揺らめく。黒いフードの男の背後に掲げられている旗に描かれた黒い龍の紋章が、まるで生きているかのように蠢いた。
「団員の一人が、地下牢を通りがかった時に、突如として同行の者を襲い、そのままエルフと逃亡したらしい、とのことです。」
「らしい、とは、どういうことだ。」
黒いフードの男が、部下らしき灰色のフードの人物を詰問する。
「はっ。同行していた二名は、エルフを逃がした者に気絶させられたそうです。そのため、逃亡の詳細については不明です。」
「逃亡者が誰か、分かっているのか。」
「ラルフにございます。」
「ラルフだと?」
そう言いながら、黒いフードの男は自らの顎鬚に触れた。報告に納得がいかない様子だ。
「 奴に、二人を気絶させるほどの腕があった、というのか?」
「襲われた者は、不意をつかれたと申しておりました。」
部下の言い分を聞いて、黒いフードの男は、ゆっくりと自らの顎鬚を摩る。
「それで、足取りは掴めていないのか?」
「はい、申し訳ございません。」
「ふうむ。」
「・・・いかが致しましょう、ヘルマン様」
部下の男は、恐る恐るという様子で尋ねる。ヘルマンと呼ばれた黒いフードの男は、その部下の男の顔をじろりと見た。
「・・・捨て置け。あの『魔食い』のエルフに、追う価値などない。」
「はっ。」
部下の男は、ヘルマンの言葉に恭しく頭を下げる。
「あのエルフ、かなりの魔素に侵されていた。逃げ切ったところで、遠からず死ぬ。」
「御意。」
部下が答えると、ヘルマンはコツコツと机の上を人差し指で叩いた。
「あの若造の処理についてはどうだ。」
「元勇者様でございますか?」
「ふん、勇者、か。」
ヘルマンはその黒いフードの奥で、あざけるような笑みを浮かべる。
「そうだ。何か分かったか?」
「いえ、特に何もございません。魔導士団の者に密かに死体を解析させましたが、何ら特別な所見はなかった、とのことです。」
「ふむ。」
そういいながら、ヘルマンは再び机の上をコツコツと叩く。机の上に置かれた蝋燭の炎が静かに揺れ、黒龍の模様がじりじりと動いているように見える。
「奴は、勇者スキルを持ってはいなかったはずだ。しかし、何やら怪しげな能力を使っていたことは間違いない。」
ヘルマンは、王都での任務のことを思い出していた。
元勇者との戦闘の時、ヘルマンの剣先は間違いなく奴の首元を捕えていていた。しかし、奴はそれを躱した。それだけではなく、ヘルマンにも全く捉えることができない動きで、背後に回られていた。
元勇者は、勇者スキルを持っていなかった。しかし、レベルの高いスキルをいくつか持っていることは知っていた。少なくとも、身体強化スキル、火、土、水魔法スキル、回復魔法スキル、鑑定スキル、探索スキル、を保有していることは分かっている。
身体強化と魔法については、取り立てて言うことは無い。鑑定と探索スキルは、王宮でも大司教が持たない程度にはレアなスキルであるが、過去の召喚勇者の多くも保持していたと聞く。そうであれば、さほど特別とは言えないだろう。
召喚直後の大司教の鑑定では、いずれのスキルもレベルが1だったそうだ。勇者スキルも所持していなかったそうだ。勇者スキルを持たずに召喚された勇者というのは、過去に記録がないと聞く。そのため、ヘルマンは「勇者ではない何者か」が間違って召喚されたのだろうと考えていた。王子や国王をはじめ、王宮の多くの者も同様に考えていたようだ。
だが、奴は召喚当初こそ見習いの騎士団員より弱かったが、短期間でスキルレベルを急速に上げた。
最初の1か月は、スキルのレベルが上がらず、周囲も勇者を見下していた。しかし、その後は3か月とたたないうちに、いずれのスキルもレベル5まで上げてしまったのだ。戦闘技術の向上にも目を見張るものがあり、いつのまにか勇者に並び立てるものは、騎士団にも魔導士団にも数えるほどになっていた。
これには、さすがのヘルマンも驚いた。
レベル5といえば、人族が人生の半分以上を費やして、ようやく到達するかどうかというレベルである。実際、レベル5以上の身体強化スキルを持つものは、騎士団の中でもベテランの者ばかりだ。そのままレベルが上がり続ければ、遠からずレベル上限であるレベル10に到達する可能性もあるのではないかと、王宮では期待とともに警戒感も広がっていた。
勇者は、召喚契約によって「勇者の剣」と「勇者の盾」が使うことが許される。剣は持ち主の勇者のスキルレベルを一時的に高める効果をもち、盾は勇者の受けるダメージを身代わりする効果をもつ。高いスキルレベルに加え、これらの武具を駆使すれば、たとえ勇者スキルがなくとも、人族として最強に近いレベルに到達するのではないかと思われた。
とはいえ、あまりに強い勇者は、この国にとっても、この世界にとっても諸刃の剣となる。実際、過去に強大な力をもつ勇者が暴走し、人族の国を滅亡寸前まで追いやった、という伝説が残っている。
それ以来、勇者を召喚する儀式を受け継ぐ国々では、勇者が自分たちに歯向かうことがないように、念入りな対策を取るようになった。無論、召喚直後からそういった対策は行ってきたわけだが、さらなる対応が必要か、王宮でも議論され始めていた。
しかし、その議論を始めた途端、どういうわけか奴のスキルレベルは上がらなくなった。
新しいスキルを覚える様子もない。結果的に、強さとしては「騎士団でも魔導士団でも、団長をのぞいて2番目に強い」程度の位置で落ち着くことになった。しかも、勇者の剣と盾を使ってその程度なのだ。勇者の剣と盾がなければ、騎士団の上位の連中にも負けるだろう。
王宮では、安心感とともに落胆も広がった。
勇者が強ければ、王国にとっても脅威となる。しかし、弱い勇者は魔王を倒せない。
これは、魔王が復活するたびに、毎回のように陥るジレンマだ。
魔王が復活するタイミングで、人間の世界では4人の勇者を召喚できる。それぞれの勇者は異なる国、場所で召喚される。この4人のうち、いずれかの勇者が魔王を倒せば、問題はない。実際、過去に勇者が魔王を倒せなかったことは無いので、人間の敗北を心配する声は王国内でも聞かれたことは無かった。
しかし、自国で召喚した勇者が弱ければ、魔王を倒した後の他国との関係が不利になる。それに、勇者が弱い国は魔族の被害も大きくなりやすい。
強力な勇者をいかに制御するかは、この世界の国々が古来より腐心しきたところである。
その勇者の制御方法について検討が行なわれている間に、さらに状況が変化する。
あろうことか、大司教が「真の勇者」に召喚したという報せが届いた。聞くところによれば、大司教の長年の研究をエイギス第二王子が援助することで、新たな召喚に成功したそうだ。
これには、王都の要人たちの誰もが驚いた。過去にも、異世界人を短期間のうちに2人も異世界人を召喚できたという記録は残っていない。
新たに召喚された勇者は、元勇者とは異なり「勇者スキル」を持ち、なおかつ制御も極め良好だそうだ。所持スキルとレベルだけ見ても、召喚された時点ですでに元勇者よりも強いという。勇者の剣と盾を持たせれば、十分に魔王に対抗できる戦力になるだろう。
こうなれば、元勇者に存在価値はない。勇者の剣と盾を取り上げるためにも、さっさと追放するべきところだ。
とはいえ、それなりの力を持つ異世界人を野放しにするのは、何かと不安の種になる。そもそも元勇者は、王宮内でも異端である第三王女パルディアの庇護下にあり、元勇者は王女にずいぶんと恩義を感じているようでもあった。
そして、第三王女は、元勇者を召喚するまでは、王宮内では迫害に等しい扱いを受けていた。彼女が、王宮に大きな不満を持っていても不思議ではない。
そのような状況で元勇者をクビにすれば、王女は元勇者と手を組んで、王宮に対する反乱を企てるかもしれない。これは、十分にありえる事態だ。
各地における魔族の侵攻、魔物の活性化、帝国の不穏な動きなど、王国が警戒すべきことは多数ある。そのような中、不安要素は増やすことは避けるべきことである。不安は芽のうちに取り除いておくことが望ましい。
もともと奴は、間違って召喚された者なのだ。除去したところで、何ら問題があろうはずがない。
王国上層部は、そう考えたようだ。
そこで元勇者には、表向きは「契約解除」という扱いにし、国内での居住の自由を与えることにした。録に功績の無い、下賎な異世界人に、王国の市民権を与えるなど、まさに破格の対応である。奴も泣いて喜ぶであろう。そうして油断を誘った後に、すみやかに行方不明ににする。もちろん永遠に。
この「元勇者を永遠に行方不明にする」命令が、ヘルマン率いる黒龍旅団に下されたのだ。
ヘルマンは、命を受けてすぐさま行動した。




