1-18:呼び名
内心の動揺はさておき、結局エイトは彼女を連れていくことにした。
他の事情はさておいたとしても、行く当てのないエルフの少女を、一人で置き去りにすることなど、できるわけはない。
・・・しかし、本当に自分に付いてきていいのだろうか?
エイトは少女に問う。
今日、初めて会ったばかりの、どこの誰とも分からない男で、不可抗力とはいえ隷属魔法の主人となっている相手に自分から付いていくとか、危険しかないと思わないのだろうか?
それに対して、彼女は答える。
地下牢で助けてもらえなければ、自分は今頃死んでいた。助けてもらった後も、足手まといにしかなってなかった自分を見捨てないで、最後まで守ってくれた。悪い人なら、そもそも助けてくれないし、守ってもくれないはず。
隷属魔法のことも、黙っていてもわからないのに、わざわざ教えてくれた。それどころか、頑張って解除しようとしてくれた。無理と分かっても、エルフの里まで送り届けてくれるという。そんな人が悪い人なわけないじゃないですか、と。
「私にとって、エイトさんは命の恩人です。一生かけて、恩をかえします。魔法もとかなくてもいいです。エイトさんが言うことは何でもします!」
エイトは、ううむと唸った。そもそも褒められることに慣れてない上に、命の恩人とまでいわれては、いったいどう反応したらいいか分からなかった。
ただ、彼女がエイトを信じているということだけはよくわかった。そこまで真っすぐな信頼を向けられては、エイトもその信頼に答えないわけにはいかない。彼女を助けた以上、自分には彼女を守る義務がある。
・・・誰が言ってたんだっけな。「途中で投げ出すくらいな、安易に助けるな」って。
エイトは今、その言葉をかみしめている。
「わかった。いつでも気が変わったら言ってくれ。君が行きたいというところまで、必ず送り届ける。」
「私の行きたいところは、エイトさんが行くところです。」
・・・ぐはっ。
躊躇のない彼女の返答に、エイトのなけなしの精神力は大きく削られた。
「き、君が嫌がることを無理やりさせたりしない。」
「はい、分かっています!」
ミリエンヌはにっこり微笑んだ。
「エイトさんの命令は絶対聞きます!」
・・・えーと、俺の話、聞いてる?
彼女は構わず続けた。
「あ、でも一つお願いがあります。」
「は、はい?」
「私のことは、ミリーと呼んでください。」
「え・・・。」
唐突に硬直するエイト。
「私のこと、名前で呼んでもらえないのは、少し寂しくて・・・」
・・・うわ、気づかれていたのか。
エイトは、彼女との距離感を測るとができず、ここまでずっと「君」と呼んでいた。気が付かれていないと思っていたのに、彼女はそれに気が付いていた。おそらく、距離感をエイトがつかめてないことまで含めて。
エイトは気恥ずかしさで、つい目線を逸らせてしまった。
「・・・だめですか?」
・・・ああ、もう!そんな目で見られて、ダメとかいえるわけがないじゃないか!!
「わ、わかった。ミリー、さん」
「ミリーと呼んでください!!」
「じゃあ、ミリー・・・」
「ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべるミリエンヌ。完全に彼女のペースだ。
「では、エイトさんのことは、ご主人様とおよびしますね!」
ガタン!
その言葉で、エイトは椅子から転げ落ちそうになった。かろうじてその衝撃に耐えきったが、エイトの理性に受けたダメージは深刻だった。
・・・なんという攻撃を!
エイトはゆっくりと深呼吸をして、再び椅子に座りなおした。
「・・・ミリー、すまないが、命令しないという言葉を今だけ撤回する。」
「は、はい?」
「ご主人様と呼ぶのは禁止だ。」
「え、えぇぇ・・・」
「とにかく禁止!!」
エイトはきっぱりと告げる。
「わ、わかりました、エイト様。」
「エイト様もダメ!」
「はい、エイトさん・・・」
「・・・それでいい。」
エルフの美少女が、三十路の独身男に向かって「ご主人様」なんて言うことが、どれほどの破壊力を持つことなのか。この少女には分かっていないようだった。いや、この世界では深い意味はないのかもしれないが、そんなこと関係なく、エイトにとっては危険な言葉だ。
そもそも、人前で「ご主人様」とか呼ばせていたら、奴隷をつれていると思われてるかもしれない。それはさすがに気分がよくない。実際には隷属魔法がかかっているから、間違ってはいないのだけど。でも、そうなったのは彼女を助けるためにやったことで、不可抗力なのだから・・・などと言い訳をしてしまう自分が情けない。
「・・・分かりました。」
彼女は納得できないという表情をしてはいたが、何とか了解してくれたようだ。
・・・ふう、これでひと安心だ。気は抜けないけど。
「もう命令はしないからな。」
「はい、いつでも命令してくださいね!」
・・・あの、ミリーさんや。俺の話聞いてる?
「・・・ええと。お願いはたくさんすると思うよ。でも、命令じゃないから、聞かなくてもいい。嫌なら嫌といってほしい。」
「エイトさんからのお願いですか? 嫌なわけないじゃないですか。全部嬉しいに決まってます!」
元気よくそう言うと、ミリエンヌはぐっと身を乗り出した。
その迷いのない蒼い瞳に見つめられて、エイトはすっかり気圧されてしまった。そうして結局、彼は何もいい返せすことができなかった。
・・・この子の保護者みたいなつもりをしていたけど、本当はこの子のほうが俺よりずっと強いんじゃないかな。
「あー、う、うん」
エイトは、何だか負けたような気持ちをごまかそうして、大きく咳払いをした。そして、ミリエンヌの入れてくれたお茶を飲む。すうっと、心地よい香りが彼を包んだ。
「・・・へえ、このお茶、すごくいい香りだな。」
彼はそう言って、持っているカップの中を見つめた。淡い緑色をした半透明の液体からは、わずかに湯気が立ち上っている。
「ほんのり甘くて、とてもおいしいよ。」
「そういってもらえて嬉しいです。」
ミリエンヌは得意げにそう言い、自分もカップに手を伸ばした。




