5-6:宴の後で
・・・!
何かの気配を感じ、俺は反射的に飛び起きた。
また、あの女性兵士の蹴りを喰らうかと思ったからだ。
しかし、そこはベッドの上だった。
そして、すぐ目の前には、長い茶色の髪の毛を綺麗に後ろに束ねた、小柄の若い女性の姿があった。黒を貴重とした、白のフリルがついている、いわゆるメイド服と呼ばれるアレだ。普段の自分なら、本物のメイド服を目前にして、感慨にふけったことだろう。
しかし、今はそんな心の余裕が全くない。
「気が付かれましたか、勇者様。パルティア殿下にお知らせしますので、しばしお待ちください。」
彼女は、手に持っていた物をすぐそばのテーブルの上に置くと、急ぎ足で部屋を出ていった。
扉が閉じて、部屋に静けさが広がる。
「・・・いったい、どうなったんだ?」
俺は上体を起こし、自分の腕や脚を見る。剣で打ち付けられ、血が滲んでいた自分の体には、傷どころか痣ひとつなかった。
ベルナデットという女性兵士にさんざん殴られ、それこそ満身創痍だったはずだ。体を動かしてみても、どこも痛くない。
あの兵士との戦いは、夢だったというのだろうか?
「うっ!」
その瞬間、ずきんと鋭い痛みが胸の中を走った。慌てて服の中に手を入れてみる。しかし、胸には傷はない。
だが、胸の痛みは続いていた。
一瞬、内臓にダメージを受けたのかと考えたが、すぐにそうでないことに気が付いた。
この痛みには覚えがある。
精神的なダメージだ。
思えば、大勢の人の前で罵られることは、自分でも驚くほどに、あまり精神的なダメージにはなっていなかった。しかし、自分より小柄な女性の兵士に、手も足も出ずにボコボコにされたことが、予想以上に堪えたらしい。
・・・勇者召喚で異世界にやってきたのだから、少しは自分も強いんじゃないか?
彼女と戦う前は、そんな甘い期待を持っていた。
勇者の剣で戦えば、無茶苦茶強くて相手を圧倒するかもしれない。これは、手加減したほうがいいのだろうか?
戦う前は、そんなことも思っていたくらいだ。
しかし、そんな期待は完全に打ち砕かれた。勇者の剣は予想以上に重く、振り回すだけでも一苦労だった。一方の彼女は、軽々と剣を振っていた。女兵士が持っていた剣は、勇者の剣よりは細身だとはいえ、そう軽いものではないことは想像がつく。
勇者の盾も、そこそこの大きさがあるというのに、相手の剣がそれに触れることはなかった。相手の攻撃を防げない盾なんて、ただの重しだ。彼女は、盾など無いかのように、軽々と俺の体に攻撃をヒットさせていった。
「名ばかり勇者、おっと、名前もない、名無しの勇者だったな!」
俺が倒れるたび、貴族や騎士団の連中が口にしていた、嘲りの言葉がよみがえる。
「弱いな、俺・・・」
どさっとベッドに倒れ込む。
そこで、すぐ脇にある壁に掛けられている、勇者の剣と盾に気が付いた。
俺は思わず目をそらす。
情けなさ、虚しさ、恥ずかしさ。そうした感情が、胸の中を満たしていく。
・・・この世界でも、俺はダメなのか?
視界がゆっくりと歪んでいくのを感じた。
バタン!
大きな音がして、ドアが勢いよくあいた。
俺は慌てて目をこする。
「勇者様!」
パルディア王女が駆け込んできた。
例えではなく、文字通り彼女は駆け込んできた。後ろから慌てたように、俺の世話をしてくれていた侍女が追いかけてくるのも見える。彼女が「殿下、走らないでください!」と、息を切らしながら言っているのが聞こえた。しかし、王女はその声にも構わず、俺のそばに駆け寄ってきた。
「ああ、勇者様、お気づきになったのですね。お怪我は直したのですが、意識がもどらなくて、心配いたしました。」
彼女も息を切らしている。しかし、そんなことを気にする様子もなく、息を継ぎながらもそう俺に声をかけた。
「ご、ご心配をかけまして、すみません。とりあえず、大丈夫です。」
俺は急いでベッドの上に身を起こす。どう対応したらいいのか分からず、そのまま適当に受け答えしてしまった。だが、王族相手にベッドで寝ているのはマズいに違いない。俺は反射的にそう思い、ベッドから降りようとする。
「勇者様!無理をなさらないでください。そのままで宜しいのです!」
王女が慌てて俺を静止しようとする。
「大丈夫です。勇者様、そのままお話し下さい。」
王女が俺に触れるより早く、侍女が俺の肩を押さえて静止した。驚いて一瞬動きを止めると、侍女はゆっくり頷いて俺を見る。無表情ではあったが、彼女からは何としても俺を立たせまいとする、強い意思を感じた。
「わ、わかりました。」
俺が立ち上がろうとするのを止め、ベッドに上体だけ起こした状態で座ると、侍女はすっと俺から離れて、王女の脇へと退いた。
「本当に、大丈夫なのですか、勇者様。」
ぐっと顔を近づけられ、思わずのけぞった。彼女の美しい金色の瞳が、心配そうに俺を見つめる。
「だ、大丈夫です。傷もありませんし、ほら、この通りです。」
そういいながら、俺がぐるぐると腕を回して見せる。すると、彼女の表情が少しだけ緩んだ。ふうっと小さく息を吐く音が聞こえる。
「申し訳ございませんでした。勇者様。まさか、兄上があのようなことをなされるとは・・・もっと早くに気が付くべきでした。」
王女が深々と頭を下げる。
「これは、誰かが直してくれたのですか?」
「わたくしが直しました。回復魔法が少し使えますので」
「え!王女様が、ですか?それは、ありがとうございました。」
あれだけの傷を、跡も残らず直してしまうなんて、この王女はかなりすごい回復魔法使いなのだろうな。そもそも、回復魔法なんてものがあるということは、やはりここは異世界なのか・・・。
「謁見の後に、すぐこちらのお部屋にお連れする予定だったのです。ですが、私がお父様にお話しをしようとして時間を取ってしまった間に、お兄様が勇者様を訓練場に連れていくように兵士に命じられたようで・・・。勇者様がどちらに行かれたか分からなくて、見つけるまでに時間がかかってしまいました。本当に申し訳ございません。」
確かに、あのときは強そうな兵士がやってきて、有無を言わせない感じで俺に一緒に来るように言った。あれは、エイギス王子が強引にやったことだったのか。
「王女様のせいではありませんよ。王子様のご指示だったんですよね?」
「そうです。お兄様は謁見の前から、その、勇者様をどうしても試すとおっしゃって・・・」
王子のやり方はともかく、勇者を試したいという気持ちは分からなくもない。
いきなり異世界からやってきた、俺みたいなヒョロい若造が、魔王を倒せる勇者ですとか言われても、普通は信じられないだろう。
そもそも、俺自身が、信じられていない。
その上に、記憶喪失で名前もわからないと来れば、訝しまれても当然といえば当然だ。
「今日のようなことが起こらないように、わたくしはできるだけ、勇者様のおそばにいるように致します。」
王女は何かを決心したように、ぐっと両手を握る仕草をした。
「お心遣い、ありがとうございます。でも、王女様にずっとついてきてもらうのは、さすがに申し訳ないです。」
「いえ、勇者様に何かあっては大変です。わたくしがご一緒できない時は、私の侍女に参らせます。もしもの時には、何を置いてもわたくしが駆けつけます。」
「ロゼッタと申します。勇者様、以後、お見知りおきを。」
王女のすぐ横にいる侍女が深々と頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
俺も急いで頭を下げる。
挨拶がすむと、ロゼッタと名乗った女性は、王女のほうを向き直った。
「失礼ながら殿下、そろそろ参りませんと、午後の訪問に遅れてしまいます。」
すると、王女ははっとしたように顔を上げた。
「そうですか、わかりました。勇者様、本日はしばしお休みください。大変申し訳ないのですが、わたくしは戻らなければなりません。ロゼッタは、今日は勇者様に付いていて下さい。」
「それでは、殿下のお世話ができません?」
「ターニャを連れて行きます。」
その言葉を聞いて、ここまで完全に無表情だったロゼッタさんが、初めて少し困惑するような表情を見せた。
「ターニャですか、ですが、ターニャは・・・。」
「大丈夫です。ロゼッタ、あなたには勇者様についていて欲しいのです。二度と、このようなことがないように。」
王女はそういうと、じっと侍女を見た。
王女のほうが背が低いので、自然と見上げる形になる。ロゼッタさんは少しの間、だまって王女を見つめていた。しかし、やがて何かを決意したように目を閉じると、深々と頭を下げた。
「承知いたしました。殿下。くれぐれもお気を付けください。」
「大丈夫、心配しないで。」
王女はそれだけ言うと、俺のほうへと向き直った。
「では勇者様、あまりお話しができなくて残念ですが、失礼いたします。明日、あらためて伺います。」
「あ、はい。」
俺が何か答える間もなく、ロゼッタさんは部屋の扉を空け、王女は慌ただしく部屋を出ていってしまった。
彼女は廊下で王女を見送ると、再び俺の所へ戻ってきた。そして、ベッドの脇にある小机に、小さなベルを置いた。
「勇者様、私は控えの間におります。何かございましたら、こちらのベルでお呼びください。」
「分かりました。ありがとう。」
俺がそう答えると、ロゼッタさんは部屋を出ていき、扉を閉めた。
部屋に静けさが戻る。
「・・・これからどうなるんだろうな。」
再びベッドの上に寝転がる。
・・・俺は本当に勇者なのか?
俺は回復しきれない精神的ダメージと、王女の期待にこたえたいという焦りに苛まれた。しかし、肉体的なダメージがまだ抜けきっていなかったのだろうか。再びベッドに横になった瞬間、すぐ眠ってしまった。




