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リトル・サイナー・サーガ ★☆ ボクっ娘エコノミカ。   作者: すとうえいち ( e@st.)
タケキリ
4/7

日比谷線秋葉原駅にさしかかると。

 僕の夢の中で延々と繰り広げられる妄想。脳みそお花畑な母ならではの独特な子育ても、その一因かもしれない。

 

 バイト先の六本木へと向かうリニアカーが、ネオ・スカイライナー線から日比谷線に入り秋葉原駅にさしかかる。すると僕は、しばしば母と二人で過ごした幼少期と、その後の小学生時代を思い起こしてしまい、少し切なくなる。とりわけ、ホワイトデーである今日、3月14日は。

 

 娘の頃の母は、中学に入る年からアイドルグループのメンバーとなり、無邪気な愛らしさでそこそこの人気者になったのだという。愛らしさを売りとしたアイドル活動に限界が見えてきた年頃に、投資詐欺ビジネスの広告塔となる。そして、その詐欺ビジネスで人々に生じた大きな損害についての道義的責任を取らされアイドルを引退すると、僕を出産する前に夫(僕の生物学上の父)が一発逆転を狙った事業に巻き込まれ、家計は破産。まもなく臨月という頃に、失踪してしまっていた夫が自殺と思われる遺体で発見され、母はシングルマザーとなる。

 生計が成り立たない貧乏暮らしの中での不幸。僕を産んだ頃の数少ない母の楽しみは、昔買い集めていた乙女系のライトノベルを読み返すこと。黙って読んでいるならば赤子の僕には関係のないことだが、あろうことか、母は赤子である僕に向け、毎日乙女なラノベを読み上げた。子供向けの絵本を買うお金すらなかったからなのだと、後の母は言うけれども。日々の楽しみがほぼそれだけということもあり、僕を授乳している時も、僕が泣き止まない時も、僕が寝付いた後も乙女なラノベを読み上げ続けたのだった。

 母は、僕の機嫌に応じて読み上げるジャンルは変えていた。

 未熟児寸前で生まれ小さな赤ん坊だった僕は良くぐずっていたらしい。そうした時には、いつも悪役令嬢ものの乙女ラノベを読んでいたのだという。脳みそお花畑な母には、何度読んでも怖いという悪役令嬢ものがある。そんなラノベを読む時の母の声色は震え声になる。赤ん坊の頃の僕は、その震える声を聞くうちに泣き止んだのだという。それが何の共感覚なのかは知らないが、物心ついた頃にはたしかに「悪役令嬢」という言葉は知っていた。

 

 そして、僕がハイハイを始めた頃から、家のディスプレイには、たいていヒロインもののアニメが映し出されていたらしい。こちらは母の仕事と関係していた。僕を産む直前の夫(つまり僕の父)の、自殺に限りなく近い死。そんな夫(父)を愛していた母が悲嘆に暮れる姿に、かつてのアイドルグループの姉貴分は胸を痛めた。そして、母の生計のためにと伝手をたどってアニメ声優の仕事を母にあてがった。投資詐欺広告塔のおバカアイドルの夫が自殺したらしい、との週刊誌ネタの報道、の影響もあってなのか、母には、非業の死を遂げるヒロインの友人や悲劇のヒロインの母親といった役どころが割り当てられることが多かった。役になりきるために、乙女ラノベを読んでいないときの母は、自身が出演しているアニメをリピートで流し続けていた。ハイハイを終え物心ついた後に耳にしたのであろうアニメのヒロインたちの決め台詞のいくつかを、その声色と共に、今でも僕はそらんじることができる。

 僕が普通の絵本を読んでもらえるようになったのは、三才も半ばになった頃。ちょい役声優の仕事だけで食べていくことは難しいと思い知らされた母が、別の伝手をたどって保育園の絵本先生になったのだ(なお、保母資格を持たない母の雇用形態は、保母助手である)。プロの声優となっている母が読む絵本は園児たちのウケが良かった。僕は幼な心に母の絵本を読む姿を誇らしいと思ったものだ。夕方に家に帰ってから、母が読み上げる乙女ラノベも、まだ内容を良く理解はできないながらも、一層真剣に聞くようになった。幼児の記憶力は馬鹿にできないもの。真剣に聞いた乙女ラノベの母の声色のままに、僕はそのストーリーを空んじることができる。もちろん、人前では絶対にやらないけれども。

 なお、保育園の中のお姉ちゃんみたいな存在だった幼馴染の咲花えみかと、乙女ラノベのヒロインたちは、その頃の僕の頭の中では、概ね同一人物だった。

 僕が卒園し地元の千間春日部市せんげんかすかべしの小学生になった頃、母も卒園し転職をした。母の次の職場は、修道院併設の伯爵家という設定のメイド喫茶『フォアリーブ・エンジェルス』だった。小学校入りたての僕は、授業が終わると、年の離れた僕のいとこに手を引かれて下校した。その後、いとこは、ちょっと大きな車で、母と僕を秋葉原のメイド喫茶まで送ってくれた。当時高校を卒業したばかりだったいとこは、秋葉原の家電店で夜間運送員として働いていたのだ。

 いとこが運転する家電のマークが入った営業車の中でも、母は乙女ラノベを読んでくれた。小学校に入った僕は、それをちょっと恥ずかしいも、と思うようにはなってはいたのだけれども、いとこが母の読む乙女ラノベ好きなようだったので、僕は何も言わずに聞き続けた。

 

 小柄で、三十歳を過ぎても童顔な母に与えられた『フォアリーブ・エンジェルス』での役割ロールは、ちびっ子メイド長だった。周りのメイドさんんは二十歳そこそこのばかりだったが、ちょい役が多いとはいえ、いくつもの有名アニメの声優を務めた実績のある童顔母の人気はなかなかのものだった。当時の店の月次の人気投票では、母はナンバー・ツーとなることも多かった。

 

 そして、僕が通いだしてからほどなくして、店に不動の人気ナンバー・ワンが誕生した。伯爵邸の中庭に併設されたという設定の修道院に住まう天使の。つまりは小学校に入ったばかりの僕がなぜだか店の人気ナンバーワンとなったのだった。


 メイド喫茶での仕事が決まった頃の母は相変わらずの貧乏暮らしだった。学童保育に通わせるお金を節約しようと考えた母は、メイド喫茶の敏腕経営者である敦子あつこさんに相談をした。母に連れられた小1の僕を見た敦子あつこさんは、ひらめいたのだろう。この子は少し磨けば、天使のになる、などと。

 敦子あつこさんが紹介してくれたビューティサロンで僕は何らかの(おそらくは第二種医療行為にあたる)施術を受けている。僕がもっと可愛くなったらいいなと思っていた母と同じく、僕はビューティサロンのどこか楽しげな雰囲気を楽しんだだけで、何の施術を受けたのかに関心はなかった。今更なので、今の僕にもその施術の中身に関心はない

 そして、放課後の僕は『フォアリーブ・エンジェルス』に入るとナチュラル・メイクを施され、天使の羽を身に着けた。時報が鳴りパイプオルガンの音が鳴ると、神聖なる修道院から顔を出し皆に微笑む天使のとなった。

 店に通ってくださっているお客様、すなわち、旦那様方やお嬢様たちと僕との間には充分な距離があった。つまりは、お触り禁止、どころか修道院に接近することも許されていなかった。けれども、時報が鳴り僕が窓から微笑むと、旦那様、お嬢様の多くは膝まずいて、僕に祈りを捧げる。僕は少し困惑しながらも日々、微笑みつづけた。

 『フォアリーブ・エンジェルス』で、僕が天使のとして過ごしていた修道院は、メイドさんたちの休憩室を兼ねていた。修道院の壁は外見そとみには中世ヨーロッパ風のステンドグラスがあしらわれていた。敦子あつこさんの采配で、ステンドグラスはマジックミラーとなっていて、、修道院の中から外の様子を見ることができるようになっていた。僕は休憩中にメイドさんにかわいがってもらったり、一緒にお菓子を食べたりしながら、フォアリーブ・エンジェルスで働くみんなの姿を見ていた。

 時報と共に、修道院の窓から天使のとしてただ微笑むだけの僕とは違い、メイドさんたちは皆、良く働いていた。微笑みを絶やすことなく、お店にいらっしゃった旦那様、お嬢様のためにみんなは尽くしつづける。

 しばらくの後に僕は、気がついた。小学校にいる間以外はいつも当たり前のように一緒にいた母が、メイド長として、皆と同じく皆に負けずに笑みを絶やさず頑張っていることを。僕は、母とメイドさんたちの頑張りをすごいなぁと思うようになった。僕は、時報と共に行う天使のの笑みを、いらっしゃった旦那様、お嬢様だけではなく、、母とメイドの皆さんたちにも贈りたいと心から思うようになった。

 今の僕には分かる。ぼんやりしてニコニコしてはたまにダダをこねたりグズったりするだけだった僕を、シングルマザーの母が育てることは決して容易なことではない、と。懸命に頑張ってくれた母に、僕は感謝している。

 天使のがナンバーワン人気のメイド喫茶『フォアリーブ・エンジェルス』は、秋葉原のメイド喫茶ランキングでも最上位格となっていった。天使のが登場する午後3時の前には、店の日々の賑わいは始まる。敦子あつこさんがプロデュースしたスペシャル・イベントがあると、旦那様たちはフォアリーブ・エンジェルスの前に長い行列を作ってくださった。、

 秋葉原の風物詩のひとつとなった行列の作り上げたフォアリーブ・エンジェルスには、当然、メディアからの取材要請が相次いだ。当時のメディアの秋葉原特集では、四葉のクローバーと天使から構成された店のロゴと、「そして、四葉の天使たちは伝説となる」というキャッチフレーズとが幾度となく登場した。それと、伯爵邸と修道院という店内の様子を案内する男装執事役の美少女アヤコさんの笑顔とが。

 店のメイドたちも天使のも、メディアには一切顔を出さなかった。それは、やり手経営者の敦子あつこさんの希少価値戦略であった。そして、男装麗人のアヤコさんが店の案内した後に落ち着いた口調で「おかえりなさいませ、旦那様」と一礼し挨拶した後の笑顔の破壊力は、世の人々たちに十二分に伝わった。中性的な魅力の出で立ちと、女性らしさがを極大化する笑みを併せ持つ麗人アヤコさんには、世の旦那様のみならず、世のお嬢様方のファンも多かった。アヤコさんの笑顔は僕も大好きだった。僕と母が店の人気ワン・ツーで、アヤコさんが人気ナンバースリーという発表があった月には、僕はとても不可思議な結果発表に思えたものだ。

 

 そして、敦子あつこさんが店のメイドたちの顔出しをNGとしたことには、もう一つの理由もあった。僕が母の子であることを知られないがためだ。10年ほど前まで、母はそこそこ人気きアイドル・グループの一員だった。グループの中ではナンバー・ツーの人気を誇っていたらしい。今の世間的には、「最後のおバカアイドル」という名で通っている。もちろん、頭のゆるさを感じさせるアイドル時代の母のおとぼけ言動のためでもあるが、前述の通り、何よりも悪質な投資詐欺グループの広告塔になったことでアイドルを引退した後に、だめ夫と結婚した後に破産したという母の強烈な週刊誌ネタがあるがための通り名だった。ただし、声優としては悲劇のヒロインやおバカヒロインを熱演してきた母のそんな過去をも、フォアリーブ・エンジェルスを訪れる旦那様方は愛してくれていた、ようだったが。

 幸い、未成年者のプライバシーを確保する法律のおかげで、最後のおバカアイドルに子供がいる、つまり僕がいる、という報道は控えられている。しかし、『フォアリーブ・エンジェルス』は、四葉のメイド喫茶という通り名で、今や秋葉原の伝説のひとつとなっている。そのつながりで、学院に通う僕の母が、実は伝説のおバカアイドルであるという事実が探り当てられていないのは、当時の敦子あつこさんのおかげだろう。今の僕は国民総投資という世界的な政策制度を支える信認署名人トラステッド・サイナーを目指す特別奨学生だ。その母が、投資詐欺の広告塔をしていた、などというのは世間体が悪すぎるどころではない。

 

 ともあれ、決して安売りはしない人気メイド喫茶のナンバーワン・ツーとなったことで、僕ら母子の経済状況は一気に好転していった。小学校三年生に進級する時、僕たちは都内(巣鴨)のセキュリティ付きのマンションに引っ越した。天使の、つまり僕を店外で探し回る旦那様方が増え過ぎたためなのだという。僕の転校先はまもなく創立二百年という、カトリック系の名門お嬢様学校の初等科だった。もちろん、僕が通えるのだから、世間的にはお嬢様学校として知られてはいても、初等科は共学である。余りにも長く都民に御三家のお嬢様学校として親しまれてきたがために、御三家の中で唯一初等科を共学とした後も、御三家のお嬢様学校と呼ばれているのだ。もちろん、初等科に通うのも大多数がお嬢様である上に中等科と高等科は女子校である。ほぼお嬢様学校なのだから、呼び名の間違いは誤差の範囲内と言える。

 そんな淑女の園に、僕は、すりガラス装備の黒塗りで通学することとなった。お店の常連の旦那様方の目に僕の通学姿を入れさせないがためとのことだった。その頃には、きちんとした男の子になろうと考えはじめていた僕だったが、ナチュラルメイクなしでも遠目には女の子に見えてしまいがちだったらしい。 

 クラスでは、僕は二人きりの男子だった。9割近くの多数派である女子たちは、僕たちふたりをしばしば小ネタにした。ませた子たちは、既にティーンズ向けの乙女ラノベを何冊も読んでいた。僕たちふたりは、ラノベに登場する誰に似ている彼に似ていると何度も話しかけられた。はじめのうち、女子たちの中で、僕の性別は揺れていた。あのラノベのヒーローにちょっと似ている、このラノベのヒロインに似ているといった風に。

 そのうち、某人気ティーンズ向けラノベの主人公である男装騎士姿が似合う姫様ヒロインが一番僕に似ている、というのが定説化してしまった。漫画化された後にアニメ化企画も進んでいたそのラノベは、保育園に通っていた頃から母が何度も読んでくれていたものだ。ヒロインの名セリフを僕が全て記憶していることは、女子たちには絶対に知られてはならない秘密だった。もちろん、製作中のアニメでは、ヒロインのライバルである悪役令嬢一派の一人の声優が、母であることも。

 そして何より、男装麗人姫様なヒロイン役には、『フォアリーブ・エンジェルス』の男装執事の美少女アヤコさんが一番お似合いなのだ。その時は、まさか、その2年半後に、まさしく男装麗人姫様なヒロインのコスプレ姿のアヤコさんが表紙を飾ったアニメ雑誌が母の元に送り届けられることになるとは思ってはいなかったけれども。

 

 僕が御三家お嬢様学校の初等科に通ったのは3年半ほど。共学となった後も男女分け隔てなくお嬢様教育を施してくださるその学校を僕は何だかんだ言っても気に入っていたのだけれど、母の経済事情が僕の卒業まで通うことを困難にしたのだった。


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