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MOON  作者: 冴木悠
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第5話:歌姫

《モダリスタ》の住人となったマヤ。そこではどんな生活が待っているのでしょうか…。

夜の《モダリスタ》は想像以上に綺麗だった。



フロアの彼方此方にある、昼間は存在感の薄かった間接照明が、橙色の暖かい光を放つ。


カウンターにはウイスキーやらバーボンやら麦酒等が並べられ、スーツを着た紳士達が談笑している。


テーブルや椅子が片付けられた広いホールでは、ピンクや青や黄色と、色とりどりのドレスに身を包んだ女性達と山の部分が円筒形で、黒い帯の付いた帽子を被った男性達が、スピーカーから流れる音楽に合わせて踊っていた。


皆頬が仄かに高揚している。




「かわいいよ」



オレンジに格子模様の着物に白いレースの付いたエプロン姿の私を見て、たまちゃんは微笑んだ。



「そうかな?ちょっと恥ずかしいかも…」



レースが付いた物なんて、何年ぶりに着たんだろう。二十半ば過ぎから、敢えて避けてきたのだ。



「そんな事ないって、似合ってる。身長も体つきも似てたから、あたしのが着られて良かったよ。可愛い 可愛い」



そして頭を撫でる。


くすぐったい気分になる。


私は長女だ。幼い頃たまちゃんのように妹の頭を撫でたことはあっても、早くから母がいなかった私は、頭を撫でられた事など無かった。


父は私達姉妹のことを大切にしてはくれていたが、いつも忙しく、遊んでくれた事など無きに等しい。




「どうしたんだい?何ぼっとして」


過去を遡っていた私を呼び戻す声。



「あ、えっ?」


「そんなに嫌かな?あたしは案外気に入ってるんだけど。」



レースのエプロンを広げて首を傾げる。



「でもお嬢様にはちょっと抵抗あるかな」



「……。」(苦笑)



そうなのだ。

たまちゃんは未だ私の事を深窓のご令嬢だと勘違いしている。


否定した方が良いのだが、今度は何処から来たのか、とか質問されても面倒なので、そのまま放置することにした。




「そ、そんなことないよっ、確かにこんなフリフリは趣味じゃないけど、けど、悪くはないと思うっ!」



困った顔のたまちゃんを見て慌てた。




(し、しまった!慌て過ぎて、若干本音がっ…マズイ)



するとたまちゃんは豪快に笑い出した。



「あっはははははっ、マヤって可愛い顔してるのに結構ハッキリ言うねぇ。あたしはそういう子好きだよ!」



ぎゅ〜っと抱きしめられる。



(たまちゃんに言われたくないよ…)



たまちゃんとの出会いの一幕を思いだす。



(あの言葉はかなりキツかった…)




そんな事を考えていると、たまちゃんが耳打ちしてきた。



「案外高さん、こういう可愛いのが趣味だったりして」



そう言ってカウンターでお酒を作っている高さんをチラッ、と見る。


高さんはいつもの菩薩様のような微笑みで接客していたが、私達に気づくと軽く手を挙げて挨拶してきた。



「ぶっ、」

「くっ、」



思わず二人で目を合わせて吹き出してしまった。




◇◇◇




「ゴーン、ゴーン…」



高さんが作ったお酒をお客様へ運んでカウンターに戻ると、店の奥にある振り子時計が九時を告げた。


すると先程までフロアで楽しげにリズムを刻んでいた紳士淑女や、振り子時計の横にあるビリヤード台で賑やかに〈ナインゲーム〉に勤しんでいた若者達が、窓辺にあるソファーやフロア脇の席に散り始めた。




(?どうしたんだろ)



音楽が止まる。




「さぁ、始まるよ」



高さんが不思議そうな顔の私を見て、フロアを指差す。



突然ホールの照明が消えた。



(なにっ?停電?)



慌てる私を余所に、お店中から歓声があがる。




(えっ、なに、なにっ?どうなってるの?)



この店の中で、今の状況を全く把握していないのは、恐らく私だけだろう。


高さんは全く動揺していないようだ。


…気配だけだが。




ダンスフロアの方を見ると、一ヶ所だけに丸くスポットが当たっていた。


その中には深紅のドレスを着た一人の女性が立っている。



女性が現れると、店内の歓声が止んだ。


(だれ…?)




スピーカーからアリアのような緩やかなメロディが流れ始めると、女性が歌い出した。




(!!!!)



艶のある高めのソプラノ。高音は清々しく透き通っているようだ。


こんな美しい声、オペラの《椿姫》を見て以来だ。



「すてき…」



一瞬にして虜になる。



(讃美歌みたい…)



歌姫の美声が高らかに響き渡る。

それはまるでクリスマスの聖歌隊の歌声のように、心の中を清らかにする。


歌姫のアリアに聞き惚れていると、途中からバントが加わって、今度はアップテンポの曲調になった。


女性が軽やかにフロアをクルクルと回り出した。

その姿はまるで、大輪深紅の薔薇が咲き誇るように、可憐で華やかだった。



「すごい…」



鮮やかなステップに息を飲む。




「凄いだろ、たまちゃん」


高さんが傍から話しかけてきた。



「たまちゃん?」今度はしっかりと目を凝らしてフロアを見る。




深紅の口紅に黒く大きめに描いたパッチリ二重。頬にはほんのりと淡くピンクのチーク。



普段の可愛らしいイメージと違って、大人の女性らしい艶めかしい魅力に溢れているが、あの茶色掛かった黒髪は紛れもなくたまちゃんだ。



「たまちゃん綺麗だろ。この店一番の売れっ子なんだよ。」



高さんが目を細めてフロアでスポットライトを浴びて歌うたまちゃんを見つめる。


「彼女は歌っている時が一番輝いているんだ」



そういって微笑む。


その瞳はとても優しく、それでいてその奥深くには小さな焔を宿しているような…そんな印象を与えた。




(まさか、高さん…)




私は納得がいった。


だからたまちゃんの突拍子もない言動や破天荒な行動に、あれ程まで寛大でいられるのだ。そしてそれを温かく見つめていられるのだろう。




そう、

高さんはたまちゃんを愛している。




私はその夜、高さんの秘められた想いに気づいてしまった。

《一口MEMO》 当日のファッション事情…この時代、女性は着物に袴、髪は耳隠し。それに洋傘持参が最先端だったようです。男性はお洒落で、ロイド眼鏡(セルロイド製の黒丸縁)や真鍮縁楕円形眼鏡(縁は真鍮製、レンズは楕円形)等いろんな形の物を使用していました。因みに高さんは後者を使用中。

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