第19話:黄薔薇の君
たま代、高宣、宗嗣の関係に不穏な影が…第19話黄薔薇の君 ご覧下さいませ。(礼)
今日もダンスホール《モダリスタ》の営業が始まる。
私は紺地に赤い花柄の着物を着て白いレースの付いたエプロンを纏った。
「さぁてと、今晩も頑張るか」
気合いを入れて階段を下りていくと、たまちゃんがテーブルを拭いていた。
高さんの姿は見えない。
きっと裏で仕込みでもしているのだろう。
「たまちゃん、他にやる事はある?」
私はたまちゃんに尋ねる。
「じゃあ、カウンターのグラス片付けておいて」
「了解!」
カウンターには色々な形や大きさのグラスが布巾の上に伏せられて並んでいた。
高さんはいつもお酒を作る時、その作るお酒の種類によって使用するグラスも替えている。
酒に使われるグラスは切子風の物や、少し珍しいものが多く、夜の営業が始まる前に一度すべて乾拭きするのが日課となっていた。
私はカウンターにあるグラスを、丁寧に一つ一つ拭きながらたまちゃんに話しかけた。
「ねぇ、たまちゃん。今日はあの人来るのかな?」
「ん?」
たまちゃんはテーブルから顔を上げた。
「あの人って?」
たまちゃんは首を傾げる。
「ほら、最近たまちゃんの舞台の時間が近くなると、一人で来るお客さんがいるでしょ?」
「一人で来るお客さん?」
「そうそう。いつもきちんとした身なりで山高帽被っててさぁ、もの静かだけどちょっと目付きが鋭い人」
私は例のお客の特徴をたまちゃんに伝えた。
「そんな人いたっけ?」
たまちゃんは顎に手をあてて考えこんでいる。
「ほら…」
私はたまちゃんに、彼の存在を私に印象付けさせた先日のあの事件の話をした。
「この前 たまちゃんが大きな花束貰ってた人だよ」
そうなのだ。
その紳士は先日いつものようにたまちゃんのステージを鑑賞し終わると、唐突にホールに歩み出て大輪の黄薔薇の花束を観衆の面前でたまちゃんに贈ったのだ。
その姿はまるでプロポーズしている男性のようで、その後何日間は私や従業員達の間でちょっとした話題になっていた。
「ああ、彼」
たまちゃんはやっと思い出したようだった。
「ああ、彼 って、それだけなの?あの花束を見てたまちゃんはそれしか思わないの?」
「なにが?」
「何がって…」
たまちゃんは大きな瞳をパチクリさせている。
(ったく、この人はっ!何でこういう事に疎いんだ!)
高さんの事だってそうだ。たまちゃんに好意を持っているのは傍から見てても明らかだし、あの紳士の事だってあれ程の花束 普通気の無い女に贈ったりしない。
それにあれは、ほらあれだよ‥らぶらぶなカップルが
“毎年誕生日に君の歳と同じ数の大輪の花を贈るよ”
“まぁ嬉しいっ(ハート)”
とか何とか言って、とうとう還暦迄送り付けちゃった感じの花束だよ!
ある意味
女の子が一度は夢見る
《憧れの代物》
なんだよっ!
それを
「あぁ、」で済ますなんて…
笹川たま代、あんた全国の夢見る乙女を完全に敵に回したね。
やっぱりあんたは正真正銘の列記とした
“小悪魔”
ニョロよ!!
ホント、あんたにゃ負ける…
私は大の男二人を手玉にとる、この鈍感な乙女に感心してしまった。
当の本人はと言うと、“だって興味ないも〜ん”などと言いながら鼻歌混じりに楽しそうにテーブルを拭いていた。
(何処までマイペースなんだか…)
私はたまちゃんに操られる男子二人に心の中でお悔やみを申し上げた。
と、その片割れが店の奥から爽やかな微笑みと共に現れた。
「マヤちゃん そっちの仕事が済んだら、もうそろそろ時間になるし表看板代えてきてくれるかな?」
彼は私にお悔やみを言われたとは露知らず、優しく指示をした。
「解りましたっ!」
私はそう言うと、いつも以上に満面な笑みを高さんに返した。
「あれ?今日は何だかいつもよりご機嫌だね、マヤちゃん」
高さんが爽やかに笑う。
(こんな好い人を振り回すなんて、余りにもかわいそうだよ)
高さんっ!私は何時までも高さんの見方だからねっ!
そう心に誓って私は看板を営業にするべく、ドアへと向かった。
◇◇◇
店の奥にあるアンティークな振り子時計の針が八時半を少し回ると、一人の男性がカウンターにやってきた。
ヨレた着物に袴姿、モジャモジャの黒い髪を後ろで一つに束ねている。
右手には緑色の表紙をした本を持っていた。
彼は何も言わずただ静かにカウンターに座ると、持っていた本を徐ろに開いた。
突然店に現れた珍客に気付き、カウンターで他のお客の相手をしていた高さんが声をかけた。
「こんな所で読書か?酒の弱いお前が店に来るなんてどういう風の吹き回しだ、宗嗣」
そう言いながら高さんは松木宗嗣の前に麦酒を置いた。
「うるせぇな、ちょっと飲みたくなったんだよ」
そして彼は出された麦酒を一口飲んだ。
「そうか。何かあったのか?」
「別に」
そう言うと、松木宗嗣は再びカウンターの上の本に目を落とした。
(あれ?宗嗣さんだ。夜のお店で見かけるなんて珍しいな)
私はカウンターに座っている宗嗣さんを見つけると、不思議に思った。
初めて宗嗣さんに会った時のように、朝方カウンターでつっ伏して眠っている姿はたまに目にしていたが、夜営業している《モダリスタ》で見掛けることは、私がこのお店で働き出してから初めてだった。
「相変わらず賑わってるな」
「お陰様で」
「毎晩々 ご苦労なこった」
ダンスフロアにはいつものように、大勢の紳士淑女が軽快なリズムに合わせて体を揺らしていた。
「お前もたまには踊ってみろよ。スッキリするぞ」
「は?冗談だろっ、あんなかったるいの誰がやるかよ」
そして自分の頭を軽くコツコツ叩くとこう言った。
「俺はこっち専門なの」
そしてフロアで踊っている男女に一瞥くれると、本を一枚捲った。
「そうかぁ?僕はお前のダンス 洗練されてて好きだけどなぁ?」
高さんは悪戯っぽく微笑む。
「冗談っ」
宗嗣さんはそう吐き捨てると、麦酒を煽った。
◇◇◇
「お隣いいですか?」
それから手元の本が何ページか進んだ頃
宗嗣さんは突然声をかけられた。
そして振り向く。
そこには深緑色のシックなスーツに清潔に磨かれた革靴。そして頭には黒い山高帽を被った細身の紳士が立っていた。
女性のようにサラサラとした栗色の髪の毛を軽く後ろに流し、切れ長の細い瞳はその男性の聡明さを表しているかのようだった。
歳は二十代半ば。
「どうぞ」
宗嗣さんは右手で隣の席へ彼を促した。
「有難うございます」
紳士は軽く会釈すると、宗嗣さんの隣の席に座った。
「何にしますか?」
高さんが紳士に微笑みながら尋ねる。
「じゃあ、私も彼と同じ酒を」
そういうと帽子を脱いでカウンターに置く。
(あ、あの人だ)
私は紳士の顔に見覚えがあった。
そうだ
彼こそたまちゃんに大輪の花束を贈った《黄薔薇の君》
その人だ。
(あの人 やっぱり又来たんだ)
私は給仕をしながら、カウンターの男達の様子を見守っていた。
《黄薔薇の君》は麦酒を一杯飲むと、饒舌に話し始めた。
「この店はいつ来ても活気が有りますね。お酒は美味しいし、流行りのモダンな音楽も聞く事ができる。本当に素敵なお店ですね」
そしてグラスを傾ける。
「有難うございます」
高さんが微笑んで軽くお辞儀をする。
「それに…」
《黄薔薇の君》はそう言うと、ダンスフロアを見つめた。
「ここの歌姫は素晴らしいですね」
フッと微笑む。
その言葉に、今まで彼の話しに無関心だった宗嗣さんが、本から目を上げて彼の方へ顔を向けた。
「おや?貴男もそう思いますか?」
《黄薔薇の君》は宗嗣さんに気付くと話しかけた。
「…別に」
宗嗣さんはそう言うと、又本へ目を落とした。
紳士は笑うと、話しを続けた。
「私は、以前友人にこのお店を紹介されましてね、その時初めて歌姫の声を耳にしたんです。それは素晴らしかった。彼女の声はまるで、地上に舞い降りた天使のようで 私は直ぐに虜になってしまいました」
彼は遠くを見つめる。
その様子を見て、高さんは彼に優しく微笑みを返した。
「そうですか。それは嬉しいですね。私も彼女の歌は大好きなんです」
「そうなんですか。それなら私達はきっと気が合いますね」
「そうですね」
二人は顔を見合せると、お互い静かに笑った。
宗嗣さんは彼の隣でまだ黙って本を読んでいた。
(何の話しをしているんだろう?)
男が三人、でもその内の一人は全く上を見ないし、かと思えば後の二人は仲よさそうに微笑み合っている。
(あの二人…趣味の話しでもしてるのかな?っていうか 松木宗嗣!あんた何でこんな所で本なんて読んでられんだよっ!)
まったく、やっぱり訳がわからん奴だ。
でも…《黄薔薇の君》とたまちゃんを一途に想う高さん‥
あの二人がお互いにどんな事を思って何を話しているのか…
(やっぱり、めちゃくちゃ気になるよぉ〜っ!)
やばっ、これじゃまるで芸能スキャンダルをソワソワして待ってるオバタリアン(←古いっ!)だよ、私ってば!
でもやっぱ
気になるモノは気になるんだから仕方ないっ!!
よね?
それに、雲行きが怪しくなったら私が何とか仲裁しなくちゃならないしっ!
私は不謹慎にも、これからの展開に胸を躍らせながら二人ぷらす一人の男の行動を見守っていた。