第17話:万引き
ある日の昼下がり。
《モダリスタ》のランチ営業が終わると、私は駅前の書店に足をのばした。
何故なら、今いるこの世界には屋内娯楽が何もないからだ。
それこそテレビもねぇ、レンタルビデオもねぇ、iPODや携帯だって有りはしないのだ。
いや、携帯電話は持っているが何せ此方では充電が出来ない。
元の世界では、仕事の休憩時間や通勤電車内とか暇さえあれば必ずケータイをいじっていた私にはどのようにして時間を潰したら良いのか解らない。
初めの内は、たまちゃんや高さん達とお喋りしたりしてそれなりに楽しかったが、元々が自分の時間を大切にしたい人間なので一人で過ごす時間も欲しくなった。
という事で、読書なんかしようかなぁ〜と書店に向かっている。
通りを歩いていると、以前宗嗣さんに出会った書店に辿り着いた。
書店の前には様々な雑誌がうず高く積み上げられていた。
ガラガラ…
引き戸を開けて中へ入る。
店の中へ入ると、新書を扱っている本屋の筈なのに、何故か古本独特なあのきな臭い薫りが鼻をついた。
平日の昼下がりという事で、あまり店内にお客さんは居なかった。
私はまず入って直ぐの棚に目を落とした。
棚の前には当時のベストセラーなのか緑色の表紙をした分厚い本が何冊かに分けて置いてあり、その棚の前を占拠していた。
本には『白樺』と書いてある。
「白樺?」
って何だ?白樺って長野とか寒い地方に生えるあの白い木だよな…木の本か?確かスノボー行った時皆で写真撮ったっけ。
私はその本に興味を持ち、棚の方に近づいた。
と、その時。
棚の前でその本を立ち読みしていた男の手が動いたかと思うと、隣に置いてあった別の本を着物の懐に忍び込ませた。
(万引き?)
一瞬私の気配に気付いて振り返った男と目が合った。
男の顎には傷があった。
男の目が私を睨む。
蛇に睨まれた蛙のように私は動けなくなった。
(怖い…)
私がどうする事も出来ずそこに立ち尽くしていると、男はそのまま何もせず、入口の方へと向かった。
(どうしよう、言わなきゃ。でも逆恨みされたら嫌だし…)
《美少女 万引き犯に逆恨みされ 刺殺》
明朝の新聞の見出しが脳裏に浮かぶ。
いかん、いかんっ、タイムスリップした先で刺し殺させるなんて!それじゃ誰が死体を現代に送り届けてくれるんじゃっ!
って違うだろぉ〜っ!
それどころかこの世界で殺されたら元の世界には永遠に戻れないじゃん!
私は頭を左右に振る。
(ここはやはり、黙りを決め込むのが妥当だ)
私は黙りを決め込む事にした。
「おい、お前止まれ!」
入口の方から店主らしき男性の呼び止める声が聞こえた。
(あいつバレた?)
私は振り返る。
入口の手前で、袴姿の男が店主に腕を捕られて暴れていた。
店内にいた他の店員が走って来て入口を立って塞ぐ。
「いい加減に勘弁しろ!」
「放してぇな!」
「放せだと?盗人が図々しい」
店主が強く男の腕を捻る。
「痛い、痛い、痛いっ!止めろ言うとるやろ!うちは盗人なんかやないで!」
腕を掴まれた男は下を向いたまま激しく抵抗する。
「何ぬかすかっ!早く懐に入れたものを出しやがれっ!」
店中にいた客が興味深く近寄ってくる。
私も少し近づいてみた。
店主が男の着物の懐に手を入れる。
「や、や、止めぇてっ‥ハハハハハハく、こそばいって、ギャハッハッ‥無理っ!もう無理や、でぁっはっはっはっ!!」
店主の手が盗まれた本を探し出そうと動く度に、男が敏感に反応して、涙を流しながら悶える。
(な、なんか 可哀想になってきた…)
あの男 あのままだと自白する前に悶え死ぬな…
男に悶えさせられて死ぬなんて、絶対成仏出来ないよなぁ…。
顔を真っ赤にして泣き笑う男に同情してしまう。
「んっ?」
上を見ながら引きつって笑う男の顔を見て、重大な事に私は気付いた。
「傷…」
私はハッキリと男の顔を見ようと、もっと近くに寄った。
「だはぁ、も、もぅ解った。解ったからっはっはっ、放してっヘッヘッヘッ、し、死ぬっ!堪忍や!」
男が悶えながらこっちに顔を向けた。
(やっぱり…無い!)
一瞬だったが、
あの万引き犯と目が合った時確かに確認した。
あいつには顎に深い傷があった!
でも今目の前で店主に体をマサぐられて悶え泣きしている男の顎には傷がない!
彼は無実だ!
「あ、あのぅ…」
勇気を出して声を出すが、小さ過ぎたらしく気付いて貰えない。
「あ、あのっ!」
声を大きくしてみるが、泣き笑いする男の声に掻き消されてしまう。
「ちょっと聞いてくださいっ!!」
腹の底から声を出す。
すると店主が手を止めて私の方を向いた。
「なんだ!」
私は店主に歩き寄りながら話す。
「私見たんです!その人万引き犯じゃないですよ!私が見た人と違いますっ!」
「えっ?何を言ってるんだ、あんた」
私は店主の傍に行くと、男から店主の手を離した。
そして自分の顎に人差し指を当てる。
「ここ。ここに深い傷がありました。それは確かです。私ハッキリこの目で見たんですから」
店主に訴える。
店主は不信がりながら私の顔を見つめると、男の顔に手をかけて上を強引に向かせた。
「うぉっ?!」
男の顔が上を向くと綺麗な顎が現れた。
顎には傷一つ無かった。
「こ、これは…」
その時、人混みの間から一人の店員らしき人物が店主の方へ歩いて来た。店長に捕えられている男と同じ背格好の男を連れている。
「だんなぁ!こっちが本物でさぁ!」
店員はそう言うと連れて来た男を店主の前に突き出した。
「何だと?」
店主がその男の顔を見る。
顎に刃物で斬られたような深い傷があった。
「こいつ、このどさくさに紛れて逃げようとしたんでさぁ」
店員が男を突き飛ばす。
「入口の近くで何だかソワソワしてましてねぇ、
ちょいと怪しかったもんで観察してたんでさぁ。したら懐に手ぇ突っ込んで…こいつ懐から盗んだ本戻そうとしてやして。そこをしょっ引いて来たんでさぁ」
そう言われると店主は突き飛ばされた男の懐に手を突っ込んで調べた。
懐からは薄手の本が一冊出て来た。
「よし。こいつを向こうの部屋に連れて行くんだ」
「へぃ!」
店員は観念して力なく倒れている男を立ち上がらせると、腕を掴んで裏の部屋に連れて行った。
男と店員の姿が見えなくなると、店主は先程誤って捕まえてしまった男性の方へ向き直って深々と頭を下げた。
「も、申し訳ございませんでした!私の間違いでございました!どうぞお許し下さいっ!」
店主の頭は膝にぶつかりそうだ。
周りにいた他の店員達も深々と頭を下げている。
そんな様子に間違えられた男性は怒鳴る訳でもなく、ただ頭を掻いていた。
「だから違うって言ったやろ。もぅ、ホンマに死ぬかと思ったやないか」
ただ飄々と頭を掻きながら苦笑いする。
店主はまだ男性に深々と頭を下げている。
「だから もうええって。解ってもろうたらそれでええねん。そんな頭下げられたら、うちの方が困るわぁ。はよ 頭上げてぇな」
男性は店主達に頭を上げるように促す。
(この人 好い人だぁ)
私はこの男性に感激してしまった。
だって、普通ならこんな多人数の面前であそこまで犯人扱いされたら謝るだけでは済まないだろう。
私なら精神的苦痛を味わった、とか何とか言って慰謝料をガッポリ巻き上げてやるところだ。
「まぁ、うちも懐なんかに手ぇ突っ込んで歩いてたさかい、間違えられてもしゃ〜ない、しゃ〜ない」
そして 男性は軽く手を振りながら明るく笑った。
「でも旦那はん。あの盗人、あれきっと初犯でっせ。あんまり虐めんといてやってぇな」
そして男が去った方を見ると呟く。
「何か 嫌ぁな事でもあったんかも知れへんしなぁ」
そして向き直ると、私達にこう言った。
「人類皆兄弟や。力で抑えつけても 何ぁんも変わらんて」
そして又明るく笑った。
(こ、この人。何と言うか、好い人と言うか‥単なるお人好しと言うか‥)
男性が笑顔でこちらを向く。
でも、こういう人…
案外嫌いじゃないかも。
でも現代にいたら直ぐにオレオレ詐欺とか給付金詐欺とかに会いそう…
私はこの人の好さそうな男性を呆れ顔で見つめた。