第16話:三村
約一時間半かけて、私達はブラジルコーヒーとサンドイッチとドーナツをお腹の中へ納めると、《カフェ パウリスタ》を後にした。
「あんた 自分から誘っておいてお金持って無いってどういう事よ」
「私は金など持たないわ」
そう言って私の隣で平然と歩く少女。
お金持たないって、普通小学校あがってたら財布ぐらい持っているはずだ。お買い物とかしないのかな?
まぁ、もしお財布持ってても八歳の子に払わせるつもりは無かったけど…
一応弁解しておく。
これでも主人公なので、読者の皆様には嫌われたくない。
「それにしても安いね。コーヒーもドーナツもたったの五銭なんて」
私は感心してしまった。
この時代の五銭とは今即ち平成の世の250円にあたる。
こんな本格的なコーヒーをこの時代で、それもこの値段で味わえるのは、コーヒー党の私としては誠に有難いことだ。
「これからも利用させて貰おう」
「そうね、いくら只の使用人でもこの位は経験していないと素敵な戀は出来ないわよ」
そして、私は高様がいるけど と言ってニッ、と笑った。
(このマセガキがっ!)
私は彼女に笑顔で応えると、心の中で悪態をついた。
キキキーッ!
突然うるさいブレーキ音をたてて、一台の黒い車が止まった。
そして中から初老の男性が走り出てきた。
「お嬢様!華子お嬢様!」
そう言うと飛び降りてきた男性は隣にいる少女に抱きついて膝をおった。
「探しましたぞ!一体どちらにいらっしゃったのですか?」
紳士は涙ながらに少女を抱き締める。
「苦しいじやない!三村」
少女が紳士を払い退けようとした。
「駄目でございます!今度こそ絶対放しは致しません!三村がどんなに心配したとお思いですか!私は放しませんっ!」
泣きながら必死に縋りつく紳士。
「あのぉ…」
恐る恐る紳士に話しかける。
「えっ?」
やっと私がいる事に気が付き、顔を上げる。
「貴方は何方ですか?」
そしてハッ、とした顔をすると再び少女を抱き締める。
「不埒者!!お嬢様は渡さんっ!人を呼びますぞっ!」
「えっ?」
驚く私。
人を呼びますぞっ、てまさか私‥
人攫いだと思われてる?!
ジョーダンじゃないっ!勝手に連れ出された挙げ句に無知だ何だと罵倒され、オマケに金まで払わされたっていうのにっ!
訴えたいのはこっちだぞ、ジジイ!
「ちょっといい加減にして貰えませんか?人を誘拐犯扱いして!勝手に家から連れ出されのは私なんですよ!おまけにこの子に金まで払わせられて!訴えたいのは私の方です!」
ガツンと勘違い三村に言ってやる。
「えっ?」
あまりの剣幕に圧倒されキョトンとする三村。
「そうよ三村。この者は誘拐犯なんかじゃないわ。大切な高様の使用人よ!暇を持て余していたから共に過ごしてもらったのよ」
少女が三村を睨む。
「左様でございますか?」
「そうよ。私が嘘をつくと思って?」
すると三村は少女に抱き付いたまま私の方へお辞儀した。
「それは申し訳ございませんでした。お嬢様と共にいて下さりこの三村、なんとお礼を言えばよいのか」
すると三村は立ち上がって胸元のポケットから小さな封筒を取り出すと、中に入っていた名刺らしき物を一枚私に差し出した。
「申し遅れまして。私 羽林家で華子お嬢様のお世話役をさせて頂いております 三村と申します。」
「お世話役?」
「はい。爺やのような者でございます」
「爺や?」
「はい」
ってことは、やっぱりこの子お嬢様だったんだ!
あの偉そうな物言い、人を見下した態度、そして八歳児とは思えない生意気な応対。
今考えれば、そのすべてがお嬢様である事を物語っている。
「浅野様の所の方とか?」
三村さんが私に問うた。
「浅野様?あ、はい《モダリスタ》で女給をしています」
(そうか、確か高さん《浅野》って名字だったっけ)
私が三村さんにそう言って返すと、彼はキッ、と少女を睨んだ。
「お嬢様!又浅野様のお店に行かれたのですか?
今日はいらっしゃらないと三村があれ程申し上げたではございませんか!」
すると負けじと少女も睨み返す。
「だって今日は前から華子と約束があったのよ!華子の約束よりも大切な事なんてないでしょ!」
「今日は無理なのです!浅野様はご実家の御用で外出されておいでなのだから。奥様もそう仰ってたではありませんか!」
「でもでも、もう帰って来てるかも知れない!マヤが2〜3時間で戻ると言ってたわ!少しでも高様に会いに行くっ!」
駄々を捏ねる少女。
「いけません!」
三村さんが少女の両方を掴む。
「本日は買い物があるからと外出されたのでしょう?それに今晩は旦那様もお早くお戻りになられる予定です。日が傾く迄にお屋敷に戻らなければ奥様にも怒られますよ!」
奥様と言われて、う゛〜と少女はうなだれた。
「ささ、お車に戻りましょ」
そう言って三村さんはうなだれている少女を車に乗せると、再び私に会釈した。
「大変お騒がせ致しました。浅野様にもどうぞ宜しくお伝えください」
そして車に乗り込むと、車は速やかに大通りを走り去っていった。
「いったい何だったんだろう…」
宜しくお伝えください と言われても何と伝えたら良いのか悩んでしまう。
(取り合えず、女の子が来たことは伝えよう)
私は一人で歩き出した。
◇◇◇
私は《モダリスタ》に戻ると、既に帰宅して夜の準備をしていた高さんに少女が訪ねてきた事を伝えた。
「華子ちゃんが来たんだ」
高さんは買ってきたお酒を棚に並べながら答えた。
「うん。高さんの事許婚だって言ってたよ」
「許婚?」
「うん」
高さんを伺い見る。
「許婚なの?」
恐る恐る尋ねる。
すると高さんは、ははは と笑って言った。
「許婚かぁ、それは可笑しいね。でも羽林家から申し出があったら正直 断れないかもね」
頭を掻きながら困った顔をする。
「羽林家って?」
「うちの本家だよ」
「本家?」
「そう。で華子ちゃんはそこのお嬢様だよ」
「そうなんだ」
「でもね、今の所何も申し出がないから僕は只の家庭教師だよ」
「家庭教師?」
「そう」
そう言うと高さんは、ウイスキーどこだっけ…などと言いながら店の奥へ消えた。
本家か…。ん?て事は高さんもさっきの子と同じ一族って事だよねぇ、ってことはつまり‥
高さんもお金持ちってことぉ〜!?
(いったい 彼は何者なんだ…)
又 謎だらけだよぉ〜っ
一人悶々とした気持ちを抱えながらカウンターに座り込む私であった。