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読書記録「本書を読まずに障害者を雇用してはいけません」

 障害者労働組合書記長の久保修一さんの本です。

 この方はテレビで見たのだったかな。

 即検索して一冊本を注文しました。


 障害者支援の本、当事者の本、理解に関するものやノウハウなど色んな本を読んできたけれどこちらの本は異色。

 だいたいの本は障害者にアプローチすることを前提に職業を選んできた人間や、家族、当事者など障害とのっぴきならない関係にある人間に向けた話です。

 こうすればうまくいく、こういう工夫をしてきた、こんな感覚なのだ、困っているポイントは、そのメカニズムは、必要な支援とは。

 そういう話を積極的に手にとるのは目の前の相手に対し支援したい、理解したいという気持ちを持った人間に限られていると思います。


 私も理解や支援の本にを読むとき、積極的な読者でした。

 日々対応するためのヒントが欲しくて読んでいたから。

 書かれていることは典型的ではあるけれど、実際接した感覚としてこの子の場合どこで引っかかっているのだろうか? どのような方法なら適切な配慮と言えるのか? と考えるとき当てはめにくいものもあり、関わる人みんなでいつも試行錯誤していたように思います。


 学校でははなから支援したいという姿勢のある人間がその子のためにみんなで考えて対応しています。

 子供が学ぶことができるよう、叶いうるベストな環境を作ろうとします。

 それでも日々はびっくり箱だけれど。


 支援環境では刺激を限定し必要なスキルを身につけ能力を高めることに専念します。

 と同時に巣立ち、いつかその子の選ぶだろう社会で良い人生を送ることができるように、最適な状態を保つのではなく、課題を共有し超える力も身につけられるように取り組ませていきます。

 いつも当事者に視点が向いているのです。


 けれど社会は違います。



 この本は職場で対応に困り相手に反発心を持つに至った人間の、貢献してもらうために雇ったはずの人間をなんで支援しないといけないの? ここは学校や支援施設じゃないし私の仕事は支援職じゃない、こんなはずじゃなかったという気持ち。

 と同時に障害を打ち明けて就職した人間の、障害をわかっていて雇ったはずなのに配慮がされていなくて能力が発揮できない、障害が壁になって人間関係が対等に築けない、孤独だと言う気持ち。

 フェアな立場で双方の気持ちに寄り添った内容になっています。



 日頃読み慣れている支援の本に出てくるケースより、ずっと心理がダイレクトで刺さりまくります。

 当事者や当事者家族が見たくない、周囲の本当の気持ちが包み隠さず表現されているから。

 歯に衣着せぬ表現です。

 無理解だと怒りが湧く人もいるかも知れません。

 身内に発達障害を持つ人間としては、これが社会だと実感し震えます。

 言えなかったことをよくぞ言ってくれたと感じる人も大勢います。

 この気持ちを私は同時に感じています。

 対立を解く必要があります。

 相手は敵ではないのです。



 誰もが自分の人生に必死で、人間として対等な存在です。

 家族は一生関係し日々をこなしていくために快適でありたいし、支援者は当事者が能力を発揮するための支援をするのが仕事。

 だからそこの環境を最適にすべく自然に動いています。


 でも会社は彼らとは全く違う存在です。

 会社には会社の目標がありそれに貢献すべく働く人たちがいる。

 障害者であろうとなかろうと会社員ならその点では同じです。


 ただ障害があるということは、日々のっぴきならない不便がある。

 だから障害なのです。

 毎日欠かさず一定の配慮が必要だから障害者。

 目の悪い人がメガネという配慮がない人生を考えられないのと同じです。


 だからこそ「できないことはなにか」「必要な配慮はどのようなものか」明確にし、「できないことは求めません」「明示されたことに配慮できます」と合意した上で就職しなければ不幸が起きます。

 相手の視点は当事者ではなく仕事に向いています。

 当事者が言わなければ気付きようがありません。

 普通周囲は障害そのものに対しても「どうすれば仕事できる?」以上の興味関心もありません。


 普段仕事の詳細を曖昧にしても就職がうまくいくのは相手が能力を平均的にもつマジョリティだからです。

 私の感覚で配慮すれば、おおむね相手も気にかかる不便がないという状態。

 凸凹の大きい障害者は私の感覚の範囲の配慮では届きません。


 私達は障害者を知りません。

 そのことについての考えのあちこちを書き続けると永遠に終わらない気がします。


 この本ではずっと配慮を求めなければならない障害者の心。

 障害者の心がわからず事態に困惑する心が赤裸々に表現されています。

 特に精神障害、発達障害など当事者が特性や必要な配慮がなにか認識しにくく、認知に歪みがおこって心の動きが掴みづらい障害に関してのトラブルは非常に実感できるもで、当事者関係者双方の困惑が手にとるように伝わってきました。

 目の悪い人のメガネのように単純には行かないのです。


 ADHDの「本人にすら本心がわからない」という視点はこれまで読んだ本では見たことがない指摘でしたが、対応してきた実感として実に的を得ていると感じました。


掲載日2018年 11月30日 11時34分

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