読書記録「不幸論」
中島義道さんの本をムンク展で購入。
というのも表紙がムンクのマドンナなのです。
中島義道さんの本は「人生を半分降りる」に始まり20代の頃に何冊か読みました。
極端さ、潔癖さ、かたくなさがとても気になって、見かけると手にしてしまうタイプの方でした。
この人はどこまでもどこまでもこうして生きていくのだな、思っていつの間にか手にしなくなりました。
2002年の作。
久々に手にとってみて、社会を世界を憎み、相変わらず怒っている姿を目にしてそうかあ、とおもいます。
それから自分の中に世界がどんどん入ってくる感じがするのかなあと思いました。
だから私が私でいるためには必死で追い出さなきゃなんない。
自分の輪郭を守るために攻撃しなきゃいられない。
追い詰められたネズミみたいに。
自他分離の問題なんだろうと思う。
相手に変われと怒りまくるのを見ると、不思議と頼もしく感じました。
相手は社会や世界。
無謀にもソクラテスみたいにひっ捕まえて食ってかかる。
こだわりややってることはよくわからないけどすごいエネルギーだなぁと圧倒されるのです。
わけがわからないしめんどくさいけど生きている感じがしました。
多分私がこの人を好きでもないのに手にしてしまうのは、感覚として自分の内側を侵されていく感じがあったからだとおもいます。
そしてそのころの私は彼のように怒りまくれたかと言うと、思うように扱えばいい、好きなように解釈すればいい、都合よく使えばいいと自分を投げ出していました。
なんでもどうでも良かったのです。
めんどくさくてたまらなかった。
危うくもエネルギーにあふれているのを見ると愉快だったのかもしれません。
掲載日2018年 11月29日 13時22分