08
「やあ」
玄関前を掃いていると、知った声がかけられた。目を向けるとやはり思った通りの人物で、声を聞く前から来ることを予想できていた。
「こんにちは、アラン。どうぞ、入って。」
「えっと…」
「どうせラルの話でしょ?往来ではできないわよ。」
「じゃあ、お邪魔します。」
アランは魔法の塔にいる、ラルの同僚だ。
スイッチの切れたラルはちょっとポンコツな普通の人間だが、他の人は事務的なやりとり以外ちょっとできない人が多い。
その中でアランはちょっと天然だが気のいいラルの友達で、私も自然と仲良くなった。こうして家に訪れるのは初めてだが、2人きりで会っても大丈夫だと思えるくらいには信用している。
リビングに通してお茶を出すと、一口だけ飲んで、すぐに本題を切り出した。
「ラルが、君が…えっと、会ってくれないって…」
「いいわよ、はっきり言って。『セックスしてくれない』でしょ?」
「……」
「ホント、こんなことでわざわざ…」
「ごめん。2人のことだとはわかってるのに首突っ込んで。」
気まずそうな顔をしていて、冗談でも面白がっている節はない。本当にこういう事は苦手な人なのに、彼の為に一肌脱いでいるのだ。
「違うのよ。あんなに友達がいのないヤツなのに、みんなラルに甘いんだから。」
「子供、出来たんだって?結婚、しないの?」
「うん、しない。ラルもするなんて言ってないでしょ?」
「ラルは確かに……だけど、ひとでなしじゃないよ。
悪気があって言わないわけじゃないんだ。
だから…」
「確かに悪気はないわね。わかるわ。
でもそういうことじゃないの。」
「何か他に問題があるの?」
「悪気がない。
でも愛情もない、執着もない。」
「そんなこと!」
「私だけだったら、それでもよかったの。どうせ諦められないって諦めてたから。
だけど子供は…自分に関心のない父親をどう思うかしら?
自分から話しかけないと話せない、見てくれない。
あるいは今まであった興味がある日突然向けてもらえなくなったら?
そんな残酷なことってないわ。」
「でもラルだって…」
「『責任とって』って言ったら結婚してくれると思う。言ったら一緒に住んで、生活費もくれて…。
でもね、ラルと初めて寝た日に言ったの。
『好き、愛してる』って言って始めるのよって。
そしたらそれから毎回『好き、愛してる』って全く同じこと言って始めるのよ。
だんだん言われるたびに虚しくなった。心にもないことを無理矢理言わせてるって。
同じことなの。義務だから仕方なくでしてくれたことを、ずっと嬉しく思っていられないと思う。」
アランはしばらく何か言いたそうに口を開けたり閉じたりしていたが、結局はそれ以上何も言わずに帰っていった。
ラルは本当に友達がいのない奴だ。
なんせブームが来るとそれ以外の全てを捨て去ってしまう。俗世を厭った仙人の方がまだ霞を食べるだけ上等なくらいのものだ。
それ以外の時期もポンコツだし、年々何かにハマる期間の方が長くなってきているし…でも、やさしい。
私が心底落ち込んだときはいつも、不器用に、見当違いに、うっかりブームの方に気を取られたりしながらも寄り添ってくれる。
レース編みを始めた頃、出来た作品を見せたら親に褒められた。多少の親バカは入っていようが、本当に良い出来だったのだ。
それに勢いを得た私は、レース編みで憧れの花嫁のベールを作り始めた。もうラルのことを笑えないくらい朝も昼も夜も作り続けた。
そして出来上がったベールを意気揚々と友達に見せて歩いた。
結果は惨敗だった。
今でもそれは結構出来が良かったと思う。
そしてほぼ初めての作品で、ベールを編み上げたその情熱も我ながらすごいと思う。
ただ、全体がレース編みで作られたベールは子供の思う花嫁のベールとは違っていた。
曰く、「穴だらけで変」「モコモコしてて変」だった。
確かに一般的なベールは薄く透ける素材で縁取りにレースやリボンが使われている程度なのに、全体がレース編みだとまるで網のようになってしまう。そして下手に手先が器用だった為に細い糸でひたすらモチーフを編んだそれは重苦しく不恰好だった。
私は泣いた。
それは自分のその時持てる全ての情熱を傾けた作品をこき下ろされただけでなく、私の憧れまでダメ出しをされた気持ちになったから。
レース編みが手につかないのは勿論、ラルの隣で何もする事なくグズグズとしていた。
しばらく彼は私の方を伺い、色々話しかけていたが、生返事ばかりだったからかそのうち話すのをやめて何かし始めた。私は聞いてもラルのハマっている事の面白さがわかることはないからいつもその内容に興味を持つ事はなかった。
でもその時のラルはよく見るといつもと違ってなんだかブツブツ言ったり途方に暮れたりと、いつもの迷いなく突き進む感じがなかった。ひたすら糸の重さを測っていると思しき彼に、手芸系なら少しはわかるかもしれないと思い何に悩んでいるか聞いてみた。
「ふわっとした透明なベールを作るにはどうしたらいいのか実験してる。」
なんとラルは私の憧れのベール作りのために研究していたのだ。
呆気に取られた後、真面目にトンチンカンな彼の言葉を聞いていると段々と笑いがこみ上げてきた。
透明で軽いレース編み用の糸の開発からしようだなんて!
ついに声を出して笑い始めた私に情けなく眉尻を下げて「まだ全然うまくいかなくてごめん」と謝ってきた彼に私の心は軽くなった。
そして笑ったのはおかしかったからではないと謝り、その研究はやめてくれるようにお願いした。
これは私の課題であるから、いつか誰にも素敵だと思わせるベールを作り上げてみせるから、と。
その時から私の部屋には常にウエディングベールがトルソーに1つ掛けてある。時々変わるのは、その時その時自分の持てる全てを使って作ったものを置いているから。
今はコードレースを使ったマリアベールが掛かっている。バラのモチーフの立体感のある幅広の刺繍が美しいだけでなく、試みでレースで別に作った花も縫い付けてある。その花は、花びらをベールと同じ基布で作り、細く縁取りをし、幾重にも重ねて八重咲きのバラの花のようにしている。
ラルは納得して、そして私の元気が出て良かったと言った。
よくわかんないけど、私が笑ってくれたなら良かったと。
本当に不器用に、見当違いに、やさしい。
そんな過去のことを思い出し、甘苦い感触を振り返っていた。
思えばラルが私に悲しい思いをさせたのは初めてだし、心底落ち込んだ時に側にいてくれないのも今回が初めてだ。
でもきっと幼馴染ってそうやって少しずつ疎遠になっていくんだろう。ただの幼馴染以外にはなれなかった私には自然なことなんだ。ずっとするつもりのなかった決定的な失恋と同時だからこちらのダメージは大きいけど。