元凶
「兄さんは…狂ってた…誰よりも…」
取調室で、星賀は水肩に向かって話した。
水肩はため息をついた。
「山界くん。お父さんは警察が来るまで、お兄さんがお母さんを殺したと、ずっと呟いていたそうです。それから急に、何か思い出したようにその場から走り去ったそうです。
お父さんの居場所に、心当たりは無いですか?」
星賀は虚ろな目をしている。視点が定まっていない。警察に捕まってから、憑き物が落ちたように緊張感が消えてしまった。しばらく沈黙が続いたあと、天井を眺めて、少し、笑った。
「僕は、兄さんが怖いんです。とても。僕が小学生になった時、学校で飼育されてたうさぎがみんな死んだことがありました。兄さんがやったんです。兄さんは飼育係だった。朝の当番の前の日、あれは放課後でした。兄さんは僕の教室に来て、明日の準備をするから星賀は先に帰っていて、と言われました。その頃はたまに兄さんと一緒に帰ってたんです。兄さんは僕の教室で飼われていたメダカをまじまじと見て、笑ってました。
それで、次の日…朝、学校に行くと…
小さい頃の僕にとっては大事件でした。
僕のクラスで飼ってたメダカが、みんなうさぎ小屋の中に投げ込まれて、引き千切られたりして…うさぎもみんな変な殺され方をしていたそうです。
兄さんはいつもより2時間も早く家を出た…前の日、メダカをにこにこしながら眺めてたし…
それだけじゃありません。僕たちが施設にいた頃も、兄さんはたくさん生き物を殺した…それをね、ご丁寧に、僕に発見させるんです。僕がそれを見つけた時の表情を、兄さんは楽しんでた…怖かった…」
星賀は震えていた。小さく笑いながら、縮こまって話を続ける。
「僕は、自然とそういうものを見たときに、笑顔になるようになっていました。兄さんの機嫌を取らないと、今度は自分が何をされるかわからない…
父さんが母さんを殴っている時も、にこにこしながら、楽しそうに見るんです。好奇心に任せて、母や僕の腕をカッターで切ったこともありました。家族みんな、兄さんに怯えてた…母が死んだのもそのせいです。あんな化け物を育てきれないって…いつも父と喧嘩していました。母はストレスから男遊びが酷くなったそうですし…
なのに僕たちと縁を切った途端、兄さんは…全部忘れたみたいに…なったから…」
「それでお父さんと、お母さんの復讐をしようと決めたんだね。」
水肩が優しく語りかけた。
「そうです…でも、父さんは僕の作戦を全く知りませんでした。僕が全部考えました。兄さんが記憶を取り戻したら、僕たち、本当に生きたまま解体されるかもしれない…
そんな恐怖の中、もう一度、兄さんに残虐な場面を見せれば昔のことを思い出して、罪を認めると思ってました…
結局わかったのは、自分も兄さんと同じ、恐ろしい人間だったということだけでしたけどね…」
星賀は水肩の目をしっかり見つめて、静かに微笑みながら涙を流した。
「刑事さん。父さんや白蛾かのはは、何にも悪くありません。僕がみんなを脅したんです。」
そう言って、優しく、笑った。
水肩は、なんと言っていいのか、わからなかった。山界星賀が嘘を言っているとは思えない。だけど、火高と尾行していた間も、あの兄はそんな風には見えなかった。
本当に彼が、そんなに残虐な人間なのだろうか…
ーーーーーーーーーー
「ねえ、思い出した?」
りせちゃんが僕の顔を覗き込む。息が上がって苦しい。僕は、僕は、母さんを、殺した…?
鮮明になっていく記憶は、全部偽物みたいに感じる。映画を見ている気分だ。でも確かに、忘れていた訳ではなく、僕の中に流れていた記憶なのだ。そこに光が当たっていなかっただけで、その記憶は紛れもなく、僕の一部だった。
「りせちゃん…全部知ってて、僕に近づいたの…?」
りせちゃんは混乱する僕の頭を撫でながら、ゆっくり話した。
「…そうだよ。私は普通の人間に興味無いもん。でも、あなたと付き合って、ちょっと考えが変わった。
確かに最初は人の中身には興味なんて無かったけど、自分の中身を全部さらけ出しても愛してもらえるなんて…
不思議な感覚だった。私、あなたのことが、本当の意味で好きなのかもしれない。いや、きっと好きだよ。1人でいる時、あなたに会いたくて仕方がない。もっと話してたいし、もっとあなたにくっついていたい。それが例え、あなたが人殺しじゃなくても、今はきっと、そんな気持ちが確かにある。」
「りせちゃん…」
僕自身も、こんな状態でも僕のことを好きだと言ってくれる人がいるというのは、なんだか夢を見ているみたいだ。家族にだって、見捨てられたのに。
そうだ。
いつも僕は、自分を押し殺して生きてきた。苦しかった。僕もりせちゃんとかのはさんのように、分かり合える人が欲しかった。でも好奇心に身を任せると、どうしても何かを傷つけてしまう。そうしないと落ち着いていられない…
なんて、不幸な、僕たちの秘密。
でももう、いいや。
どうあがいても、母さんを突き落としたのは僕だ。愛してもらいたかった。きっと、それだけだったのだ。
あの日、父さんが家を出る音がして、リビングに行った。母さんはベランダの手すりに寄りかかって、静かに泣いていた。僕は励ましに行ったつもりだったけど、喧嘩の元凶は僕だ。そりゃ、こっちへ来るなって怒られるわけだよ。
ついカッとなって、そのまま母さんを突き落とした。
カッとなったのは本当だ。でも、突き落としてみたかったというのも本当だ。結局僕は、自分の興味に逆らえなかった。
「今は色々思い出したばっかりだから、ちょっと混乱してるでしょう?私、一旦お父さんの所に行ってくるね。」
りせちゃんはすっと立ち上がる。
「え?お父さん、あのまま警察に行ったんじゃ無かったの?」
「それがね、自首するとか言って、お母さんに会いに行ったみたい。お母さんにメールが来てたんだって。でも今はお母さんは家にいないから、私が説得してくるよ。
落ち着いたら、また、連絡してね。」
りせちゃんはそう言うと、僕をもう一度抱きしめて、そのまま玄関に向かった。鞄が置き去りだ。
「りせちゃん、鞄、持っていかないの?」
するとりせちゃんはこちらを振り返って、
「うん。もう、いらない。」
と言って笑った。
バタン。そのまま扉は閉まった。
模型が無くなって、力なく潰れた鞄。
いつも持ってたのに、いらないなんて珍しいな。
何も考えずに鞄に手を伸ばして、開けてみる。そこには…




