老魔女は楽しく過ごす。
魔女は、ある日、十歳の少年を拾った。
見た目は七十代というところだが、実際にはその倍は生きている、常にマフラーを巻いた老魔女。
対して少年は、馬車の事故で両親を亡くし、一人で泣いていた。
魔女はその少年の泣き声に興味を示し、後ろからゆっくり近寄る。そして、担いで帰った。
「良いの拾ったわ! なんて若くて元気そうなんだろね!」
歓喜の声を上げながら、空を飛んで。
魔女は家に着くと、少年を放った。
少年は恐怖に頬を引き攣らせながら、魔女を指差した。
「あ、あんたが、森の魔女?」
「うげ、呼ばれ方が……森の魔女。いいけど、森抜けたところに数人住んでるからすごく微妙な名前だこと。まぁいいかい」
老婆は、老婆と思えない軽快な足取りでくるりと回る。
「そうさ、あたしが森の魔女マニエ。お子様、あんたは? 名前くらいあるんだろう?」
「……お、俺は、ガラン・グランシュだ!」
一瞬怯えた顔をしたが、それでも少年はキッと魔女をにらみつけた。
負けるものかと、殺されてたまるかと、なんなら殺してやるぞと、そんな目でにらみつけた。
すると、マニエはギロリとその少年の頭から爪先までを眺める。
「ほぅ。なかなか威勢が良いねぇ、愉快だねぇ! 生きようって気持ちが伝わってくるよ。魔法に掛かるまでもなく、放り出してやれば餓えても死ぬし獣にも食い殺されるだろう幼子がなかなか骨を見せるよ! 身なりが良いくせにその気骨、よほどの餓鬼と見た」
「う、うるせぇ! バカにしてんのか、俺をどうする気だ! この魔女、老いぼれ!」
少年は吼える。そして辺りを見渡すが、武器になりそうな棒は何一つない。
「そうさ、あたしは老いぼれでね。あと三十年生きられないのさ。だから、お前の健康な体を貰うよ。そうして生きてきたのさ」
「体? 体がなんだってんだ!」
そう問われ、魔女はニヤァと口の端を釣り上げて笑った。
「お前の体と、あたしのボロボロの体を交代するのさ、お前は老婆に成って、あたしは元気な少年に成る。だから健やかに育ちなクソガキ。飯も掃除も仕込んでやる。老い先短いあたしの世話を頼むよ、最後はあんたの体になるんだ」
そう言って魔女は高らかに笑った。
***
十五歳の少年は常に思っていた。
不慮の事故で死んでしまえ、と。
ある日、少年は魔女を刺した。切れ味の良い、良く研がれた包丁だった。昨晩南瓜も難なく切った包丁だった。
けれど、何事もなく、魔女は傷を癒やし、手にした杖で、バシンと少年の股を叩いた。
「いっだ!?」
少年は床を転がる。
「おや、ごめんよ。後ろに居たのかい。気付かなかったよ。蚊にでも刺されたのかと思って……」
そしてニヤリと笑う。
「く、くそ……!」
***
二十歳の青年は常に思っていた。
どうしたらあの魔女を殺せるのか、と。
ある日、青年は毒を盛った。魔女が作った無味無臭の劇毒を、魔女の紅茶に幾らも混ぜた。
「そういえばガラン、毒味って文化を知っているかい?」
ティーカップを手に取ってから口を付ける前に、マニエがガランにそう訊ねた。
「毒味? 知ってるけど、なんでだよ」
平然と返すが、僅かに震えた。
「そおうだ、試しにあたしとお前の紅茶を交換してみる、っていうのはどうだろう」
「何を馬鹿馬鹿しい……早く飲めよ」
そう言って、ガランは紅茶を飲み干してしまおうとカップを手に取る。
「なんてね。もう入れ替えたよ、魔法で」
「っ!」
その言葉に、ビクンと震えて、思わずガランは紅茶をこぼしてしまった。
「かかか。嘘じゃよ。それにどんな毒でも、私は殺せん。うっかり死んでくれるなよぉ?」
魔女は笑い、紅茶を飲み干して部屋に戻っていった。
***
二十五の青年の前に、二十代ほどの女性が腰を下ろしていた。
女性は、ガランのテーブルの向かいで、マニエの為に作った料理をもぐもぐと食べている。
「……あ……あ? あんた、いったい、だ、れ?」
むしゃむしゃと素知らぬ顔で食べていた女性は、ガランを一瞥すると、また食事を再開する。
「ちょ、ちょっと! ここには性悪なクソ魔女ババアが居るんだ! 早く出て逃げろって!」
ガランがそう小声で言うと、どこからともなく杖を取り出した女性が、ガランの頬を杖で叩く。
「だぁれがクソ魔女ババアだい。語感が良いじゃないかい、腹の立つ」
「へっ? ……ば、ばば、あ?」
ガランは女性を指差す。
「ババアはババアだねぇ、魔女ババアなら許そう。だがクソはお前の名前の前置詞だよクソガキ。師匠の見分けくらいちゃんとつけな」
言うと、またもニヤリと女性、いつもとは違う若い女性のマニエは笑った。
「み、みわけ、つくわけねぇだろ! なんだその若作り! 魔法か、似合わねぇんだよクソババア!」
「なんだ焦って? 可愛いから惚れたかい?」
「ば、っかなこと言ってンじゃねぇぞ!」
「かかかか! 図星か! 女に縁のない生活じゃったしなぁ!」
「うるせぇバカ野郎!」
ガランは暴れ、襲いかかり、そしていつも通り、マニエに打ちのめされた。
***
三十になった青年は、魔女に問い掛けた。
「……なぁババア。まだ交換しねぇのか?」
「なんだい。ババアになりたくなったのかい」
「お断りだ」
魔女は未だに、体の交換をしようとはしなかった。
まだ幼い、まだ幼いと、結局今日まで、散々脅しておきながら、交換をしようとは一切しなかった。
***
三十五になったガランは、マニエに詰め寄った。
「おいてめぇ! もうあんま時間ねぇんだろうが! 早く体交換しろよ、死んじまうぞクソババア!」
「あんたの体ゴツいから嫌」
「て、てんめ、この期に及んで!」
マニエは最近、休むことが多くなった。
刺しても死なず、毒でも死ななかった魔女が、ベッドで休むことが増えた。
体を交換した場合、どんなに若くても、どんなに健康でも、そんなに長くは保たないのだという。要するに、今の体がもはや限界に近かったのだ。
「じゃあ手頃なやつを捕まえてきてやるよ!」
「バカだねぇ、いつまでもあんたは」
魔女は笑う。
「体入れ替えの魔法は、それこそ体が馴染むまで一緒に暮らさないとならない、アンタ以外無理なんだこれが。でもあんたごっついし、おっさんだし……しくったわ」
かっかっかっと魔女は高らかに笑う。快活に。悲壮感は、欠片もない。
「なんでそんな楽しそうに笑うんだバカ! 俺でいいだろ、俺で我慢しろよ、どうせ見た目いじれるんだろ! 最近もたまに若い娘になってるじゃねぇか!」
「ふとした切っ掛けでムキムキのおっさんになるババアとか最悪じゃろ?」
「最悪だけど!」
素直なガラン。
「ま、まだあと五年あるじゃろ。大切に介護しろよぉ、最後にはお前の体なんだからねぇ」
「……おう。俺の体なんだから……精々大事にしてやるよ」
「あたしは美青年が良かったな……こんなクソ筋肉クソゴリラじゃなくて」
「うっせぇ! あんたがこき使うからだクソババア!」
魔女が死ぬまで、あと五年。