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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第一章 始まらないドラマ
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第六話 私に絶対カメラを向けないで

 どうして一限から授業を入れてしまったのだろうと後悔しながら、流空は九号館の階段を上っていた。

 月曜日の朝というのは、社会人でなくても気が重い。

 九号館が正門から近いことがまだ救いだろう。

 十一号館だったら、少し寝坊しただけでもさぼり決定だ。

 正門から遠すぎて、辿り着く前にチャイムが鳴る。


 開いたままのスライド式ドアから教室に入ると、すでに半分ほど席が埋まっていた。

 真面目組が教壇を中心に前二列を、そこそこ普通に授業を受ける気のある連中がその後ろを固めている。

 窓際の後ろの席がいいなと見上げたが、残念ながら窓際はすべて埋まっていた。

 仕方なく、通路側の最後尾に荷物を下ろした。

 その途端、「あれ」と同じ机の窓際の男子学生が声を上げる。


「渡会じゃん」


 顔を上げて二秒、誰だっただろうと脳内を検索する。

 幸いすぐに、先週細谷教授の授業で隣になった野本だとわかったが、流空が思い出すよりも早く野本が破顔した。


「先週会った野本洋平な。そっち行っていい? あ、誰か来る?」


 野本はすでに荷物を手に取っており、遠慮しているのかいないのかよくわからない。


「せっかくの窓際席いいの?」

「いいのいいの。誰も知り合いいないから端っこ取っただけだし」

「なら、窓際席譲って」

「なに、渡会って窓際好き?」

「うん。気持ちいいから」


 嘘ではないが、流空が窓際を好む本当の理由は別にある。

 本当の理由は、窓際の、それも後ろの席からは他の学生がよく見えるからだった。

 人間観察ができるので授業が退屈でも暇にならないし、反対に誰かから見られることも少ない。

 みんなそんなものだと思っていたが、野本は例外だったようだ。


 野本に席をずれてもらうことで、無事に流空は窓際席を手に入れた。

 春はまだカーテンを引くほど日差しも強くなく、少し開いた窓からは心地よい風が感じられる。


「知り合いいないって、アニメーションはシナリオ演習あんまり取らないんだ?」

「目指してる方向性にもよるけど、この時間、CG演習と被っててさ。って言っても二年次に取れるやつな。普段つるんでる奴らがそれ落としてるせいで、ぼっち」

「なるほど」


 授業の内容でいったら、写真学科で受講している流空のほうが珍しい。

 野本もそれに気づいてはいるだろうに、いちいち突っ込まない辺りがいい奴だなと思う。

 ただ興味がないだけなのかもしれないけれど、なんにでも首を突っ込みたがるよりよほど好ましかった。


「そういや、あの子もこれ取ってるっぽいな」

「あの子?」


 あっち、と野本がシャーペンで示した先に顔を向けると、華奢な背中が見えた。

 教壇の左手側、前から三列目のよくも悪くも目立たない席に、彼女は人に埋没するように座っていた。


 また、ビデオカメラを回している。


 教室内はすでに撮り終えているのか、隣に座る友人を撮っているようだった。

 時折、撮られている友人たちが笑顔になるのが見える。

 小夜は流空に背中を向けているので、どんな顔をしているのかわからなかった。

 一緒にいる友人は、映像表現実習で見かけた子ともカフェに来ていた子とも違う。

 交遊関係が広いようだ。

 どちらかと言えば、狭く深く。

 そういうタイプに見えたのだが、外れていた。


「映像表現実習取ってる奴はけっこういるっぽいけど」


 まだ小夜から目を離さずにいた流空に、野本が声をかける。

 「どれ」と一応聞いてみたが、前に詰めている学生がそうだと言われても、流空には見覚えすらなかった。


「もしかして、人の顔覚えるの得意?」

「得意っちゃ得意。知らない奴見ると、アニメのキャラに当てはめて──……って言っても、わかんないって顔だな」

「うん、ごめん」

「まあ、わかりやすくいうと、タイプ別に分けて覚えてるって感じ」

「へえ……」


 独特の感性だなと思う。


「渡会はどんなタイプだと思ったか、知りたい?」

「……いいや、やめとく」

「なんだ残念」


 さして残念そうでもなく、野本は片眉を上げた。

 聞いてみてもよかったが、聞いたところで反応に困る。

 それに、人からどう評価されるかは大体想像できた。


「ちなみに鷲尾さんは、実は我が強くて甘えたがりなタイプな」


 聞きもしないのに説明されたタイプは、小夜の見た目にはそぐわないものだった。

 けれど、流空が感じている小夜のイメージには近い。

 流空以外にも同じ印象を抱いている奴がいるのかと思うと、勝手に親近感を覚えた。


「見た目、あんなにおとなしそうなのに?」

「見た目と性格が一致しないのなんて、よくあることだろ? あの目力は、ただおとなしいだけの子じゃないってことを語ってると俺は思うね」

「目力ね……」


 確かに、小夜は目が大きい。

 だが目力があるかというと、まっすぐにあの視線を受けてみなければ気づけない類いのものだろう。

 それを指摘した野本の観察眼に、興味が沸いた。


「やっぱり、聞いてもいい?」

「ん?」


 流空はどんなタイプに見えたのか、と自分を指差す。

 するとすぐに笑って、


「人にあんまり興味がないくせに、表向き親切にできるタイプ。誰かに期待とかしないだろ?」


 そこで教授が来てしまったので会話は終わったが、あながち外れてもいないなと、妙に感心してしまった。




 野本とは二限でそれぞれ授業が分かれたものの、昼は一緒にと誘われて食堂で落ち合うことになった。

 二限が終わってすぐ来たにも拘わらず、食堂はすでに学生であふれている。

 元々二限が空きの学生、安い学食で昼を済まそうと用もないのに出てきている学生。

 女子学生の多くはカフェテリアに行くので、男のほうが断然多い。


 まだ空いている席に無料のお茶だけ運んでさっさと席をふたつ取り、何気なく学生たちを眺めた。

 野本の診断の通りそこまで人に興味はないのだが、こうして観察してしまうのは、興味の惹かれる何かを探しているのかもしれない。


 学食には同じ学科の奴もいたが、敢えて声をかけるほどでもないし、向こうから声をかけてくることもなかった。

 流空がひとりでいるのは珍しくなかったので、わざわざお茶をふたつ取ってあるのを見れば、大抵の連中は待ち人がいるのだと気づく。

 今日のA定食がほっけの開きであることを確認し、久しぶりに魚もいいなと考えていると集団の中にまた、彼女を見つけた。


 麺類の入っているだろうどんぶりをトレイに載せ、空いている席を探している。

 小柄な彼女が混んだ食堂の中をさまよっていると、森の中で迷子になっている子供のように見えた。

 面白い構図だなと、なんの気なしにバッグからカメラを取り出し、シャッターを切った。

 モニターに映った小夜の横顔を見て、あれ、と思う。

 実際に目で見るよりも、写真に写った小夜のほうが途方に暮れた顔をしているように見えた。


 人は、カメラ越しに見たほうが捉えやすい。


 そのことに気づいたのは、いつだっただろう。

 ファインダーを覗き込むと、その人に触れた気になれた。

 無意識に人と距離を置いてしまう流空にとってカメラは、自分の都合で寄ることも引くこともできる便利な道具だった。


 もう一度カメラを構え、小夜にピントを合わせる。

 カメラのレンズ越しに見る小夜は、さらに小さく見えた。

 こちらには気づいておらず、人にぶつからないように、どんぶりのつゆを溢さないようにと、慎重な足取りで空いた席を探していた。

 カメラに気づいていない人間は、無防備な姿を見せる。

 もちろん、小夜も例外ではない。


 じっと観察していると、どうやら空いていればどの席でもいい、というわけではないことに気づいた。

 特定の席が、空くのを待っている。

 手にしているのは、時間が経つと伸びてしまう麺類だろうに。

 おかしな矛盾にふと、野本の診断を思い出した。


 不安げにうろうろしている様子からは微塵も我の強さを感じられないが、自分ルールやこだわりを持っているのかもしれない。

 自分が決めた席に座りたいタイプの人間は、意外に多い。


 カメラの中の小夜が、パッと顔を明るくした。

 お目当ての席が空いたらしい。

 反射的にシャッターを切りかけて、寸でのところで堪えた。

 当の本人が、撮られることを察知したようにこちらを向いたのだ。

 その表情が、一瞬前に見たものとあまりにかけ離れたものだったから、驚いた。


 小夜はトレイを席に置くと、すぐに流空の元へとまっすぐに歩いて来た。

 小柄なはずなのに妙な迫力を秘めていて、腰を浮かしかける。

 猫に睨まれたならぬ、鷲に睨まれたねずみの気分だ。

 目の前に小夜が立ってから、流空はようやくカメラをテーブルの上に置いた。


「撮りましたか」


 大きな声を出しているわけでもないのに、小夜の声はよく通る。

 大きな目が、返答次第では拳を交えることも辞さないと静かな炎を燃やしていた。

 おとなしげな風貌に似合わない空気に気圧され、「まだ」とさっきの写真はノーカウントで答える。

 咄嗟のことながら、いい判断だったと思う。

 これで、すでに撮ったあとだとでも言っていたら、学食に血の雨が降っていたかもしれない。

 それほど、小夜の瞳は強い光を発していた。


「今後、私に絶対カメラを向けないで」


 え、と思う間もなく、小夜が背を向ける。

 思わずその背に声をかけていた。


「声かけても?」


 隠し撮りでなければいい? という流空の質問に、小夜はにべもなく「何があっても」と言い捨てて行ってしまった。

 偶然近くにいた学生のうち、何人かが流空に同情の視線を向ける。

 内一割はざまあみろといった嘲笑を含んでいたが、そんなことどうでもよかった。



 二度目の小夜の拒絶。



 それが流空には新鮮で、面白い。


「……何しちゃったの?」


 ぽん、と後ろから肩を叩かれ、野本が一部始終を目撃していたことを知る。


「何したんだと思う?」

「いやそれは俺が聞いたんだけど。てか、なんで渡会は嬉しそうなのよ」

「え?」


 Mなの? と怪訝そうに聞く野本に、自覚はないけどと笑った。



***


 ──鷲尾小夜。


 映像学科在籍の三年生。

 交友関係は広いが、サークルには入っていない。

 常にビデオカメラを持ち歩き、一部からは記録魔だと言われている。

 ドキュメンタリー映画を撮るためだという噂があるが、本当のところはわからない。

 そして、現在は彼氏ナシ。


 これが、流空が一週間で知り得た小夜についての情報のすべてだ。


「それで、渡会くんはその子にほの字なの?」


 グラスを拭いていた手を止め、嬉しそうなマスターに呆れ顔を向ける。


「話が飛躍しすぎです」

「そうかなあ。だって気になっちゃうんでしょ? それはもう恋だよ」


 なんでもかんでも恋に繫げたがるのが、マスターの悪い癖だ。

 花冷えに加えしっとりと降る雨のせいで、店内は客足が途絶えていた。

 マスターのお気に入りであるエリック・サティの音楽が、雨音に重なって静かに流れている。


「よくわからなくないですか、彼女」

「どうして嫌われてるのかってこと?」


 嫌われている。


 とはっきり言われてしまうと、否定したくなるから不思議だ。

 客観的にみるとマスターの言う通り、流空は小夜に嫌われているのだろう。

 何をしてしまったのかはわからないけれど。

 内心の苦笑を敢えて隠さずマスターを見返すと、お、と嬉しげな顔をされた。

 どうにも、この人は扱いにくい。


「好意を持たれてないのは確かですけど、そうじゃなくて……」


 自慢にもならないが、流空は人の顔色を読むのが得意だ。

 初対面でも、相手が自分に対してどんな対応を望んでいるのかはある程度わかると思っている。

 中にはマスターのようにわかりにくいタイプもいるにはいるが、表面上何を求めているかくらいはわかるつもりだ。

 大抵は相手が望む態度で接すれば波風は起きない。

 けれどそれが、彼女には通用しない。


 物言いたげな瞳のままに、話してくれればいいのにと思う。

 きついとも言えることを流空に言うくせに、流空が見かける彼女はいつも視線と表情や雰囲気が一致していない。


 ちぐはぐで、アンバランス。

 あの目は、何が言いたいのだろう。


 どう説明したらわかってもらえるだろうかと悩んだ末、


「期待されてない感じがするんです」


 という曖昧な言葉になった。

 流空が人に対して期待しないのとは真逆の意味で、彼女は誰にも期待をしていない。

 諦めではなく、受け入れている。


「そりゃ、期待なんてしないよ。知り合いでもないんでしょ?」


 マスターの言うことはもっともだ。でも、流空の言いたいこととは少しずれている。


「知り合いですよ、一応」


 悔し紛れのように言うと、マスターは小さく笑ってカフェラテの入ったマグカップを流空の前へ置いた。

 ミルクの泡には、ご丁寧に三重にされたハートマークが描かれている。


「晴れて彼女になったら、ここに連れておいでよ。ランチおごってあげるから」

「完全に楽しんでますよね」

「うん。渡会くんが苦戦してるのなんて初めて見るからね。それに、僕の勘だときみたちはいいカップルになるよ」

「……誰ですか、さっき嫌われてるってはっきり言ったの」

「あはは、そうだっけ?」


 とぼけるマスターを横目に、流空はハート模様をスプーンで丁寧に崩してからカフェラテを飲んだ。


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