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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第一章 始まらないドラマ
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第五話 そんなに修羅場が見たかったんですか

 流空がシフトに入ると、女性客が増える。


 マスターが冗談交じりにそんなことを言ったのは、流空が無理にシフトに入れてもらったことに気を使わせないためだとわかっている。

 だからこそ、仕事は丁寧にやろうと店に立ったのだが、ドアが開くのに合わせて下げようとした頭が、入って来た客の顔を見て中途半端に止まった。



 ──鷲尾小夜。



 このカフェは大学から近いし、カフェテリアのメニューに飽きた学生が足を伸ばすことは珍しくない。

 だから小夜が客として来ても不思議はないのだが、昨日の今日ということもあり、微妙な空気が流れた。


 先に我に返ったのは流空で、「いらっしゃいませ」と店員らしく頭を下げる。

 小夜は小夜で、流空の白シャツに黒いギャルソンエプロンという出で立ちを見て、ようやく納得したらしい。


「おひとり様ですか?」


 あくまで店員としての態度を取ってみたが、これは正解だった。

 あからさまにほっとしたような顔で「あとからもうひとり来る予定で」と、店員に言うのに相応しい口調で返された。

 それが、少しだけ意外だった。

 もっと冷たい態度を取られるかと思った。


 瞳の強さと見た目のおとなしさ。

 どちらが彼女の仮面なのだろう。


 窓際の日当たりのいい席に案内してから、水を取りにカウンターへと戻る。

 すかさず、カウンター内からマスターが顔を覗かせた。


「もしかして、うまくいってない彼女?」


 紳士然とした風貌から言えば、人の色恋沙汰には口を出さないように見えるマスターだが、実際はゴシップネタが大好物だ。

 その優しそうな目元を見て、これみよがしに溜息をつく。


「違いますよ。それにもう別れました」

「そうなの? じゃあ、元カノだ」

「それも違います」

「ほんとにー? さっきの緊張感は絶対そうだと思ったのになあ」

「そんな残念そうにしないでください。店で修羅場になったら困るでしょ」

「僕はそんなには困らないかな?」

「僕が困ります」


 冷えた水を手に小夜の席に向かうと、すでに待ち合わせの相手が到着していた。

 昨日、教室で小夜に声をかけたのとはまた別の女の子だ。

 見たことはないが、たぶん同じ学科の子なのだろう。

 グラスを置き終えるとそれを待っていたように、小夜ではないほうの子がふたり分の注文をした。

 元々、自分で注文をするタイプではないのか、店員という立場であろうとなるべく流空と関わりを持ちたくないのか。


 チーズケーキふたつに、アッサムティーとダージリンティーの注文を受け、カウンター内に戻った。

 するとまたすぐマスターに捕まる。


「違いますよ」

「まだ何も言ってないじゃない」

「聞かなくてもわかります。あの子は同じ大学の子ですけど、知り合いってほどでもないくらいの知り合いです」

「そうかあ、残念」

「そんなに修羅場が見たかったんですか」


 ケーキを皿に載せながら言うと、マスターは紅茶用のポットを用意しながら笑った。


「違うよ。ああ、そうか。渡会くんは最近シフト入ってなかったから知らないのか」


 ふふふ、と意味深な視線を向けられて、眉を寄せる。

 聞いて聞いてというオーラに、仕方なく「なんの話ですか?」と流空から話を振った。


「あの子ね、最近ちょくちょく来てくれるんだけど、ちょっと面白くて気になってたから」


 もっと勿体ぶられるかと思ったが、案外あっさりとマスターは続きを口にした。


「面白いって何がですか?」


 このカフェでは、店内で出すケーキにはデコレーションを施すことになっている。

 コツさえ摑んでしまえばそう難しいものでもないので、それも接客担当である流空の仕事のうちだ。

 絞り袋に入ったラズベリーソースで、白い皿に花のようなものを描いていく。

 その手が、マスターの言葉に止まった。


「あの子ね、ここに来るとビデオ回すんだよ」

「え……」

「それも毎回、撮ってもいいですかってちゃんと聞いてからね。でも今日は撮らないのかな?」


 それはたぶん、マスターではなく流空が接客を担当しているからだ。

 とも言えず、曖昧に頷いた。


 教室だけではなく、カフェでもビデオを回す理由はなんだろう。

 作品作りのためだろうか。


 また、声をかけてみたい気持ちが湧いた。

 自分から誰かに興味を持つのは、結構久しぶりのことだ。

 そして、それを望まれていないことも。


「礼儀正しいし、いい子なんだよねえ」

「……そうですか」


 流空に対しては、まるで日本刀か何かでバッサリと断ち切るような口調だったか、マスターの様子を見る限り、いつもではないらしい。

 ではどうして、流空だけが切り捨てられたのか。

 道で出会い頭に切りつけられる様を想像していると、肩を軽く叩かれた。


「渡会くん、垂れてる垂れてる」

「あ」


 皿の上のチーズケーキは、まるで流空の代わりに切られたかのように真っ赤に染まってしまっていた。




 結局、バイトの最中に流空が小夜に声をかけることはなかった。

 声をかけようと思えばできた。

 友だちがいたから、無視もされなかったと思う。

 それでも声をかけなかったのは、声をかけるなという空気に気づいてしまったからだ。

 マスターが。


 すぐにテーブルの担当を外され、流空はお役御免となった。

 残念でもあったが、ほっとしてもいた。

 流空自身ならともかく、第三者であるマスターにわかるほど拒絶されているのに押していけるほど、流空には情熱も度胸もない。

 無理に押していたら十中八九、マスターのおもちゃにされていただろうし、小夜からは余計に距離を空けられただろう。


 小夜は接客が流空からマスターへと変わるとすぐに、ビデオカメラをバッグの中から取り出して店内を撮影していた。

 ここでも、流空が映らないように意識されていたような気がする。

 あくまで気がする程度なので、ただの被害妄想かもしれない。


 拗ねたわけでもなかったが、撮影の邪魔になるのも嫌なので早めに休憩をもらって店の常連であるエトワールの相手に回った。

 一眼レフを手にしていたのは、何も彼女に対抗してというわけではない。

 エトワールは被写体として面白いので、以前からよく撮らせてもらっていた。

 モデルの報酬は、マグロの刺身の切れ端だ。


 流空が裏口から顔を出すと、ドアの当たらないぎりぎりの場所に寝そべっていたエトワールがちらっと視線を上げる。

 何を要求したわけでもないのに、エトワールはわざわざ流空の靴の上に寝直してから、いつもと変わらぬ鷹揚さでもっちりとした腹を見せた。

 フランス語で『星』と名付けられた黒猫は、誰にでも愛想がいい。



 三日間のバイトのうち、小夜が再びカフェに来ることはなかった。

 土日に大学に来る用事がなかったからかもしれないし、二度と来ないと決めたからかもしれなかった。


 どっちにしろ、流空にはどうすることもできない問題だ。


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