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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第六章 さよならの階段
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第一話 今度は僕が

 小夜の両親から電話があったのは、五つ用意されていた質問用のメモリカードすべてを見終わり、一枚目のメモリカードを繰り返し繰り返し再生して台詞まで覚え始めた頃だった。


『手術は無事に成功しました。これもあなたが説得してくれたおかげよ。ありがとう。本当に、ありがとう』


 電話越しにも、小夜の母が泣いているのがわかる。


 小夜が助かった。

 よかった。

 本当によかった。


 電話をする流空の後ろで、映像の中の小夜が笑う。

 この笑顔を、失わずに済んでよかった。


 面会までは早くとも数日はかかるだろうと伝えられ、電話は切れた。

 二日、三日、それとも四日後だろうか。

 それまで、小夜に会えない。

 けれど会ったところでそれが、流空の知っている小夜なのか……。


 会いたいなと思う気持ちと、会うのが怖いという気持ちがぐちゃぐちゃに混ざり合って頭の中を掻き乱す。


「……ごめんね、小夜さん」


 頭の中の糸をどうにかしたくて、小夜の宝箱へと手を伸ばした。

 せっかく鍵をかけたのに、またその鍵を開ける。


 いつでもいい。

 流空の知っている小夜と会いたくて、メモリカードを一枚取り出した。


 画面に映った映像は、ゴールデンウィークの時のもののようだった。

 カフェテラスの大きなパラソルの下に、流空と野本、水城の姿がある。

 撮られていたのなんて、気づかなかった。


 声までは拾えていない。

 流空は野本たちに何かを言って、少し冷めた目で笑っていた。

 この時はまだ、小夜への気持ちに気づいていない。


 二枚目も適当に選んで再生すると、すぐに流空の顔が映し出された。


『小夜さん、昨日やってた映画観た?』

『え、何かやってた?』


 ふいに聞こえた小夜の声に、思った以上に動揺する。

 小夜が撮っているのだから、声くらい入っていても当然だろうに、そこに小夜を感じて手が震えた。


『小夜さんが好きそうな映画やってたのに』

『どうして教えてくれなかったの、流空くん』


 怒ったふりをした、笑みを含んだ声。

 こんなにも甘い声をかけられていたのだと、はじめて知った。


 小夜が映し出す流空は、よく笑っていた。

 自分がこれほどまで笑える人間だとは知らなかった。

 それも、小夜が教えてくれたことだ。


 一枚、また一枚とメモリカードを再生していく度に、小夜への思いが募っていく。


 小夜がいなくなったら、どうしよう。


 小夜は上手くさよならをするために、準備を整えておいてくれた。

 それなのに、流空はそれを拒んでいる。


 さよならなんて、したくない。


 小夜が小夜でなくなってしまっていたら、新しい誰かと前を向いてほしい。

 小夜はそう言うけれど、そんな未来はいらない。


 小夜の隣で笑っていたい。

 離れたくなんて、ない。


 小夜が流空を忘れてしまっていたら、どうしても離れなければいけないだろうか。

 記憶なんて些細なことで、小夜はきっと変わらない。



 わかっている。


 小夜はそれを望んでいない。



 流空だけが、小夜の抱える複雑な気持ちを理解してあげられると思うから、裏切ることはできない。

 待たないで、捜さないでと言った小夜の言葉が胸に突き刺さる。

 この、流空を撮った映像がある限り、流空は何度でもそこに小夜を感じて、自分を知らない小夜にその影を探してしまうだろう。


 小夜の中にだけではない。

 大学に、駅に、カフェに、部屋に。


 小夜と過ごした多くの場所で、小夜の姿を探してしまう。

 覚えている限り、ずっと。


 だから、小夜の心を詰めたこの宝箱を捨ててほしいと、忘れてほしいと、流空に約束させた。


 小夜の願いであり、流空のためでもある、約束。


 メモリカードを入れ替える。

 映ったのは大学の廊下で、おそらくは流空の背中だ。


『どうしたの、小夜ちゃん?』


 知らない女の子の声が入った。

 映像が流空の背中からずれ、足元を映す。


『誰撮ってたの? あ、渡会くん?』

『違うよ。廊下を撮ってたの』

『ふうん。渡会くんって遊び人らしいから、小夜ちゃん引っかからないように気をつけてね』


 ビデオが動き、小さくなった流空の背中をまた映した。


『たぶん、そういう人じゃないと思う。……そういう人だったら、普通によろしくできたのに』


 友だちに言うのではなく、ひとり言のような呟き。

 これはいつのことだろう。

 すぐにメモリカードを抜いて、日付を確認した。


「……こんな時から?」


 書かれた日付は、初めての映像表現実習の授業で、流空がよろしくと声をかけた日だった。



 駄目だよ、小夜さん。

 全然、上手くできそうな気がしない。

 さよならできる、気がしない。



 でも、小夜は約束を守って、手術を受けてくれた。

 自分を消してしまうかもしれない、手術を。


 流空は小夜との別れに怯えているけれど、小夜だって怖かったはずだ。


 昨日いたはずの自分がいない。

 いたことすら、覚えていない。


 そこに自分の身体はあって、感情だってあるのに、昨日までの自分はどこにも存在しない。

 それは、どれほど怖ろしいことなのだろう。


 手術によって、小夜の記憶がどれほど奪われるのかはわからない。

 けれど、五年間ずっとビデオを撮り続けていた行動からも、それが小夜に与える影響の大きさが窺える。


 流空の手元にはない、五年分の映像。

 小夜はそれを見て、消えてしまった空白を埋めていく気なのだろうか。

 捨てて、と流空に言ったのは流空を映したものだけだ。


 きっと、流空が手術を受けてほしいと願った時には、覚悟を決めていたのだと思う。


 あの夜、屋上で手術なんてしないで側にいてと言っていたら、それはまた変わっていたのかもしれない。

 けれどその先にあったのは、いつか野本から聞いたメリーバッドエンド。

 とても悲しい結末だったに違いない。


 いま、目の前に広がっているのは、流空が選んだ道だ。

 小夜に、選ばせた道だ。

 それを一方的な感情でなかったことにしてしまうのは、とてもずるい。



 ──さよならをしよう。



 そう言って笑った小夜の笑顔が浮かび、奥歯を食いしばった。

 今度は流空が、約束を守る番だ。


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